ポケットモンスターHEXA BRAVE












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終幕の序章
第五章 九節「預ける背中」
「同じって、どういう事ですか、テクワ」

 呼びかける声にテクワは我に返った。

 思案に耽っていた頭を振って、目の前の敵を見据える。照準のスコープ越しに見える視界はドラピオンと同一だ。

 しかし、相手も同じルナポケモンで同調を使っているのだとすれば、この場にいるのは得策ではないと判断したのだろう。ルナポケモンの真価はトレーナーなしでの単独行動が出来る点にある。大方、ウテナとか言う戦闘員は山の中にでも身を隠したのだろう。今から山狩りをするわけにもいかない。そのような余裕はない。自分達は今、攻められているのだ。ツンベアーが氷柱を掌に生成する。下段から振り上げた氷柱がドラピオンの脇腹に突き刺さった。テクワが痛みに顔をしかめる。ユウキがその一瞬に気を取られ、「テクワ!」と呼びかける。テクワは声を返した。

「俺の事は構うな。それよりもテッカニンじゃ不利だ。ヌケニンに切り替えろ」

 テクワの言葉にユウキはテッカニンへと「バトンタッチ」を命じた。テッカニンの姿が一瞬で光に包まれ、同じ位置にヌケニンが現れる。ヌケニンへとツンベアーが手を振るう。しかし、黒い爪による一撃はヌケニンの手前で防がれた。特性、「ふしぎなまもり」が作用しているのだ。ツンベアーがもう一撃を加えようと腕を上げかけて、まだドラピオンが噛み付いている事に気づく。

「ドラピオンの牙はやわじゃねぇぞ」

 テクワは照準を向けたまま、「もう一度炎の牙だ」と指示した。ドラピオンの口腔内から炎が上がり、牙の形状を成す。しかし、白い剛毛は炎をほとんど通さなかった。

「どうしてここまで通用しないんでしょうか。炎は効果抜群のはず」

「ルナポケモンだからだ」

 それ以外に説明のしようがなかった。ユウキが、「ルナポケモンって」と尋ねてくるのが気配で伝わったが、「今はいい」と制した。

「それよりもどうするか? こいつを倒さなきゃ進ませてはもらえそうにねぇ。考えはあるか?」

 テクワはユウキへと目を向けた。ユウキが一発逆転の方法を編み出してくれる事を僅かに期待していたが、それは酷だったのだろう。ユウキは黙ってツンベアーを見つめた。そう簡単に逆転の方法など出るわけがない。しかし、その眼には諦めない光が宿っているのを感じた。

 ――かつての自分と同じ眼だ。

 マキシの父親である男によって鍛えられた時と同じ眼差しをユウキは持っている。テクワはフッと口元を緩めた。因果なものだと感じた。出会うべくして人は出会う。ユウキには自分の過去は知らせていない。知っているのはランポだけだ。マキシですらおぼろげにすら分かっていない。暗がりの中に放り込んだ過去であるその自分と同じ眼をしているとは。

 ユウキはテクワが突然に笑んだものだから怪訝そうな目を向けている。

「焦らず考えろ。俺はこいつを足止めする。考えが纏ったら知らせてくれよ。あと自分の身はヌケニンで守れ」

 ドラピオンの積装構造の腕がツンベアーの腕を捉える。力比べ、というわけかとテクワは考える。しかし、それも長くは持たないだろう。ドラピオンは腕力には自信がない。いくらルナポケモンといえども能力の上昇には限度がある。相手もルナポケモンならばなおさらだ。ツンベアーがドラピオンの両腕をひねり上げた。テクワの両腕に締めつけられたような痕が刻み込まれ、激痛が走る。ライフルを取り落としかねない痛みにテクワは奥歯を噛んで耐えた。

「野郎。目を狙ってやる」

 ドラピオンの持ち上がった尻尾から毒針が生成され、狙撃姿勢を取る。狙撃姿勢は巨大な顎を下にして安定感を得て通常時ではゆらゆらと揺れている尻尾を前に突き出す格好になる。ドラピオンが尻尾から毒針を撃ち出した。しかし、ツンベアーは顔を逸らして回避する。ツンベアーの頬にさえ引っかからない。

 やはりルナポケモンであり、自分以上の同調を果たしているとテクワは認めざるを得なかった。反応速度が尋常ではない。至近距離からのドラピオンの毒針を避けられるという事は素早さに意識を割り振っているに違いない。先ほどテッカニンを弾き飛ばせたのもそれに起因するのだろう。ならば接近戦はなおの事不利だ。テクワは考えを巡らせる。

 しかし、いつものように冷静な判断力が下せなかった。自分が相手と向き合って戦っているせいだとテクワは感じる。いつもならば距離を置いて戦っている。作戦的にも、実戦的にもこのような至近で戦う事はない。

「狙撃ってのが性に合っているって言うのに……」

 テクワに狙撃を教えたのはマキシの父親だった。身体を鍛え上げると同時に、彼にはこう教えられた。

 ――ダメージフィードバックの危険性から少しでも逃れるために、お前には狙撃を学んでもらう。

 それは彼なりの安全策だった。ダメージフィードバックから逃れ、ルナポケモンの特性を活かすには超長距離からの狙撃が最も合っている。テクワの身体を鍛えさせ、動体視力を伸ばしたのもそれのためだった。

 ライフルを支えるためには強靭な肉体が必要だ。しかも狙撃という特殊な任務に臨むにはそれ相応の精神と肉体が必要不可欠になる。精神を学ばせるために、不完全な肉体を排除し、もしもの時でもダメージフィードバックに耐えうる肉体を作り上げた。続いて動体視力を上げ、スコルピの毒針による一撃離脱戦法を立ち上げて、テクワの肉体にその戦法を沁み込ませた。テクワは最初、それを嫌がっていた。汚れ仕事だと感じていたのだ。安全圏から敵のトレーナーだけを排除するなどまともな人間のやる事ではないと。しかし、男はテクワにそれを教え込んだ。男の言葉には、重みがあった。

 ――お前が生き残るために必要な事を自分に叩き込め。戦闘では第一に自分の生存を最優先しろ。他人の生き死ににまで関わるな。

 テクワには受け入れがたかった言葉だった。しかし、結果的にテクワは男の教えを忠実に守る事が手持ちであるドラピオンを活かし、自分の能力を活かす事だと理解するようになった。理解してからは、仲間との一定距離を置き、他人と自分を線引きする。それこそが生存に必要な要素だ。

 ツンベアーが腕を振るってドラピオンの牙を振り落とそうとする。ツンベアーの片手に氷柱が形成され、下段から打ち込まれた。腹腔に鋭敏な激痛が走り、テクワはその場に膝を折りかけた。しかし、鍛え上げた肉体と精神がここで倒れてはならないとブレーキをかける。テクワはライフルの銃口を杖のようにつけて呼吸を整えた。男からも学んだ兵法だ。

 ――呼吸を乱すな。常に平常心でいろ。

 テクワは顔を上げる。ドラピオンへと思惟を送り込んだ。ドラピオンの腕がツンベアーの腕を掴んで引き抜いた。血が滴る。片手で氷柱を保持したツンベアーを押さえ、今度はドラピオンがツンベアーの腕をひねり上げようとした。しかし、腕力が足りない。ツンベアーに逆に押し戻されそうになる。ドラピオンから逆流してくる痛みに奥歯を噛んで耐えながら、テクワはライフルを上げた。照準越しにツンベアーの顔面が大写しになる。

「もう一度、目を撃ち抜いてやる」

 ドラピオンが尻尾をツンベアーに向けて、蒼い瞳孔を収縮させる。ツンベアーは接近戦に特化したポケモンだ。ここで引き剥がすには目を潰すのが最も効率的に思えた。

 毒針が引き出され、ツンベアーの目を狙う。ツンベアーはドラピオンの身体を掴んで放り投げた。テクワの右眼の視界がぶれて、ドラピオンがバスの上を転がる。ツンベアーは両腕を広げて咆哮した。両手に雨粒が渦を巻いて寄り集まり、氷柱を形成していく。

 テクワは舌打ちを漏らした。この状態ではまともに接近戦など出来ない。不利に転ぶ事は火を見るまでもなく明らかだ。

「駄目だ。パワーが足りねぇ。この状態じゃ、ツンベアーには勝てない」

 テクワは照準を覗き込んだまま後ずさる。恐れがドラピオンに伝播し、動きが鈍った。それを見透かしたように、ツンベアーが両方の掌を上にして氷柱を掴み、バスの天井を蹴って座席を踏み潰した。ツンベアーの重量でバスの床がたわみ、足場が揺れる。

 その時、ユウキが出し抜けに言葉を発した。

「……そうだ。テクワ!」

「何だ? いい案でも思いついたか?」

 期待してはいなかったが、ユウキは力強く頷いた。テクワは照準から視線を外してユウキへと目を向ける。

「これは一種の賭けです。それでも、ツンベアーを退けるにはこの方法が手っ取り早い」

「いいぜ。聞いてやる。話すんだ」

 テクワが手招くとユウキはヌケニンを出したまま、「テクワ、逃げ切れますか?」と尋ねた。意想外の言葉にテクワは、「何だって?」と聞き返す。

「ツンベアーの攻撃を避けて逃げ切れますか、と訊いているんです」

「おいおい」とテクワは周囲を見渡した。バスのせいでトンネルは塞がれている。クラクションの音が鳴り響き、車から降りた人々がツンベアーを見上げている。

「この状態で逃げ切るって何だよ。まさか背中を見せるつもりじゃ――」

「そんなわけがないでしょう。でも、これだけは確認したいんです。素早さの上がっているツンベアーの猛攻を、その位置で避ける事が出来ますか?」

「この位置でって……」

 テクワはツンベアーと自分との距離を瞬時に測った。二メートルもない。踏み込まれればまたも至近の戦闘になる。テクワはユウキを見つめた。まさか、やけになったのかと考えたのだ。しかし、ユウキの眼差しが放つ光は正常だった。本気で言っている。

「……俺のドラピオンで避けないと駄目なのか?」

「ヌケニンでは不思議な護りで防いでしまう。それでは駄目なんです。それに加速特性を引き継いでいるとはいえ、ヌケニン程度の素早さでは受ける事は出来ても避ける事は出来ない」

「よく分からんが、つまり受けるんじゃなくって避ける事が重要だって言いたいんだな」

 ユウキは頷いた。テクワは照準に視線を戻してツンベアーの動向を見つめる。ツンベアーが踏み込んでくる前に結論を出さなければならない。テクワはユウキへと視線を送った。

 男から受け取った言葉を思い出す。

 ――相手を信じるな。

 テクワは照準を見つめる視界が僅かにぼやけたのを感じた。今まで遵守してきた教えだ。

 ――最初は必ず疑ってかかれ。そうでなければ食い尽くされる。もし、信じるべき時が来たのならば、それはそいつに命を預けてもいいって思える時だ。

 テクワは決断を迫られていた。ユウキを信じるべきか、否か。この状況でユウキの言葉を信じて馬鹿を見るか、自分の勘だけを頼りに戦うか。

 掌に嫌な汗が浮かぶ。ユウキは信じるに足る人間か。テクワは揺らぐ視界の中、歯噛みした。どうすればいいのだ。誰か教えてくれ。そう思って一瞬だけ目を閉じた時、言葉が脳裏で弾けた。

 ――信じるか信じないかはお前の自由だ、テクワ。

 それはランポの声だった。入団時にテクワは自分の体質と戦い方について予めランポに断った。他の人間のように戦えないと。その上、自分は誰も信用しない。信じられるのはドラピオンとライフルだけだと。その言葉に対してランポはこう応じた。

 ――そのあり方を貫けば、なるほど、それは一つの王道だろう。しかしテクワ。俺達はチームだ。いつか必ず誰かの判断と自分の判断を天秤にかける時が来る。その時、どちらに判断の基準を置くかはお前の自由とする。汚れ仕事を引き受けてくれるのだから、それなりの譲歩はするさ。

「……今が、その時ってわけかよ」

 テクワは口角を吊り上げて無理やりにでも笑ってみせた。そう考えればランポとは食えない男だ。必ずこの場面が訪れると確信していたのだろう。その時、自分はどう判断するのか。ランポは道標を示すだけだ。その道を進めという命令はしない。

「ずるいリーダーだよ、全く」

 テクワは口走ってユウキへと視線を向けた。ユウキの眼を見つめる。その眼差しはランポやマキシの父親が自分を見たものと同じだった。信じろ、と告げている。それに従うか否かは自分の心で決めろと言っているのだ。テクワは一つ息をついてから、「毎回こんな目には遭いたくねぇな」と呟いて人差し指を立てた。

「いいだろう。ただし、俺は生き残る事を優先する。つまらねぇ意見だと判断したらお前を見捨てる」

「構いません」

 応じたユウキの声に迷いはない。

 ――面白い野郎だ、とテクワは内心ほくそ笑んだ。入団試験の時から本物だとは思っていた。しかし、ここまで来るとは思っていなかったのもある。

「筋金入りだな。よし。ドラピオンで攻撃を避ける。それだけでいいんだな?」

「はい。出来ればツンベアーの攻撃が打ち下ろされる形でお願いします」

「オーケー分かった。それで行こう」

 ツンベアーが呻り声を上げて動き出す。上段からツンベアーの氷柱落としが放たれる。テクワは照準を見つめたまま、同期した視界の中に氷柱の先端が大写しになるのを見た。刃の如く輝きを帯びる。恐れが這い登ってくる。ポケモンと視界が同期しているというのは、相手のポケモンと人間である自分が相対している感覚に近い。心が鈍れば動きも鈍る。テクワは鋭く目を細めた。

 ドラピオンが脚を動かして後ずさり、一撃目を避ける。バスの床に穴が開き、深く陥没した。その一撃だけでバスが砕けそうだ。

「何発避ければいい?」

 テクワが尋ねるとユウキは、「恐らく三発程度です」と返した。

「それで充分なはず……」

 ユウキが何を考えているのか相変わらず分からない。ただ信じるに足る言葉の響きである事は分かった。

「いいぜ。来いよ、ツンベアー!」

 ドラピオンが挑発するように尻尾を振る。ツンベアーが踏み込んで床が抜け落ちそうになった。体勢を少し崩しながらも、もう一撃が放たれる。氷柱が床に食い込み、引き抜く瞬間に鉄製の床が弾け飛んだ。

 ドラピオンとテクワとユウキは既に車両前方へと追い込まれていた。これ以上避けるのは難しい。

「本当にあと一発でいいのか?」

 振りかけたその言葉に、「ええ」とユウキが頷いた。

「この攻撃力ならば、あと一発で」

「信じるぜ。踏み込め、ドラピオン!」

 ドラピオンが脚を動かしてツンベアーの攻撃射程へと踏み込んだ。ツンベアーが腕を振るい上げる。渾身の力で打ち下ろされた一撃をドラピオンは両腕をばねのように用いて紙一重で避けた。床に食い込んだ氷柱がバスの車体を揺らす。ツンベアーが氷柱を引き抜いた瞬間、床から液体が噴き出した。茶色の液体がツンベアーの身体に引っかかる。ツンベアーの白い毛皮に覆われた身体が茶色く濡れた。ドラピオンが身を引き、テクワが空気中に漂うその液体の臭いを嗅ぐ。その瞬間、「今です、テクワ! 炎の牙を!」とユウキの声が飛んだ。テクワは嗅いだ臭いが何なのか頭の中で結びつけ、脳裏に閃くものを感じた。それと同時にユウキが何を目論んでいたのか理解した。

「なるほど、そうか! ドラピオン、炎の牙だ!」

 ドラピオンが熱気を口から吐き出し、炎となって巨大な顎に纏いつく。ドラピオンが跳ねて身を躍らせる。ツンベアーが先ほどと同じように腕で受け止めようとした。

 ドラピオンの牙がその表皮にかかった瞬間、炎がツンベアーの身体に移った。見る見るうちにツンベアーの身体が炎に包まれていく。羽虫のように侵食する炎が瞬時にツンベアーを火達磨にした。ドラピオンが両腕でツンベアーから剥がれる。それでもツンベアーを覆う炎は止まるところを知らなかった。全身が炎で焼け爛れ、ツンベアーが咆哮する。ユウキが、「ヌケニン!」と声を上げ、ヌケニンの影の爪がガラスの一面を割った。

「テクワ! ドラピオンを戻して早く!」

「ああ」とテクワは応じ、ライフルを畳んだ。ライフル中央部のモンスターボールへと赤い粒子となってドラピオンが吸い込まれる。ユウキとテクワが割れた窓からトンネルの内側へと飛び込んだ。ツンベアーが追おうと手を伸ばす。テクワは脚に鋭角的な痛みが走ったのを覚えた。テクワの身体が縫いとめられる。見ると、ツンベアーの黒い爪がテクワのふくらはぎへと突き刺さっていた。テクワはもう一方の足で蹴りつける。

「放せよ! 心中は御免だぜ!」

 ツンベアーが口を開いて咆哮する。「ヌケニン!」と声が飛び、ヌケニンがツンベアーの爪へと影の爪を振り下ろした。影の爪――シャドークローが黒い爪を根元から叩き折る。炎で柔らかくなっていたのだろう。テクワはバスから転げ落ちた。バスの中でツンベアーが呻り声を上げる。テクワは足を引きずりながら遠ざかろうとする。ツンベアーが一声鳴いた、刹那の出来事である。

 炎が一際強く輝き、バスが赤い光に包まれた。

 轟、と空気が割れる音が響き爆音が連鎖する。ガラスが立て続けに割れる音が鼓膜に引っかかる。圧縮した光が弾け飛び、爆風がトンネルへと吹き込んだ。テクワとユウキは姿勢を低くして爆炎に塗れたバスを見ていた。後ろに続いていた車へと爆発の連鎖反応を起こし、音が水中のように澱み遅れて聞こえてくる。内側から弾けたせいでバスの鉄骨が吹き飛んできた。トンネルの地面に転がっていく。

 テクワとユウキは舞い踊る紅蓮が視界の中で揺らめくのを眺めていた。テクワはユウキを見やって微笑んだ。

「バスのガソリンに引火させてツンベアーを焼くなんて、なかなか危ない事を思いついてくれるじゃねぇか」

 一歩間違えれば自分達も巻き添えだ。それにドラピオンが避け切れなければこの作戦は完遂しなかった。テクワの言葉にユウキは、「賭けだって、言ったでしょう」と笑った。

「ツンベアーのパワーならバスのエンジン部まで貫いてくれると思いましたから。あとは運ですね」

「運任せかよ。こちとら死ぬかもしれなかったんだぞ」

 思わず笑えて来た。死線を潜った後というのは感覚が麻痺するものだ。「でも、うまくいったでしょう?」とユウキが目配せする。テクワは拳を突き出した。ユウキが拳を同じように突き合わせる。

「まぁ、何だ。生き残れて万々歳ってところか」

「ですね」とユウキは仰け反って大きく息をついた。テクワはバスを見やる。

 火の粉が舞い散り、ぐずぐずに融けたバスが内部骨格を晒している。雨が降っているが消火には時間がかかるだろう。ツンベアーも無事では済むまい。弱点である炎タイプの技に、爆発の衝撃とあってはダメージフィードバックも尋常ではないだろう。

「死んだか……」

 一縷の望みをかけてそう口にしたテクワに、ユウキが首を横に振った。

「分かりませんね。敵の耐久力がどこまでなのか、見当もつきませんから」

 真っ直ぐにバスの残骸を見つめるユウキへとテクワは言わなければならない事があるような気がしていた。自分のポケモンの事。ルナポケモンの事や右眼の事を。隠し通す事やしらばっくれる事は簡単だったが、自分を導いてくれた相手に対してそれは失礼ないのではないかと感じていた。今までこれほどまでに自分を引っ張ってくれた存在はなかった。それこそ指導者のように指針を示してくれた。

「甘っちょろい奴だと最初は思っていたが……」

 テクワの言葉にユウキが目を向けた。立ち上がろうとすると、ふくらはぎに突き刺さったツンベアーの爪を中心として鋭角的な痛みが襲った。

「テクワ。無茶は……」

「いいんだよ、こんなもん」

 そう言って引き抜こうとするとユウキが止めた。

「駄目ですよ。引き抜くと出血します。きちんと治療をしてもらえる場所に行くまで我慢しないと」

「気合でなんとかならぁ」

 そう返して突き刺さった爪へと力を加えようとした、その時である。

 バスの残骸から地響きのような咆哮が轟いた。トンネル内の空気を震わせる声だ。その声に目を向けた瞬間、バスの残骸が引き裂かれた。炎に包まれたバスの中から、今まさに蛹から孵った蝶のように紅蓮に身を包んだ巨体が姿を現す。テクワは渇いた喉に唾を飲み下した。ユウキも呆然と見ている。

「おいおい。嘘だろ……」

 炎で全身が焼け爛れている巨体は、両腕を開いて一際激しい鳴き声を発した。テクワは空気が鳴動するのを感じた。恐れを抱く前に、習い性で反応した身体がライフルを広げる。光がモンスターボールから弾き出され、ドラピオンが再び前に出た。テクワは照準越しにツンベアーを睨みつける。ドラピオンが狙撃体勢を取り、毒針を生成する。ツンベアーが両手を地面につき、口を大きく開いた。顎が外れており、だらんと垂れているのが不気味に見えた。

「野郎。怒り狂ってやがる」

 テクワは呼吸を落ち着けて狙いを澄ました。体毛はほとんど燃え落ちている。両肩に一撃ずつ、両目に一撃。それで決着はつくだろうとテクワは当たりをつけた。テクワは狙撃姿勢になった。身体を寝そべらせ、照準の小さな穴へと全神経を注ぐ。引き金に指をかけ、ドラピオンと同期した視界の中に悪鬼の如く映るツンベアーを見た。

「食らえ」

 その言葉と共に一発、ドラピオンの尻尾から撃ち出された毒針がツンベアーの右肩口に突き刺さった。ツンベアーが痛みに呻き声を上げて傷口を押さえる。その眼が攻撃的な蒼い光を宿した。思わずぞくりとしたテクワは左肩を無視して眼球へと狙いをつけた。毒針が生成されていく。その間に動きを止めているツンベアーではない。ドラピオンへと雄叫びを上げながら突き進んでくる。

「ユウキ!」

 テクワは自分でも考えないうちに応援を呼ぶ声を出していた。ユウキのヌケニンが弾かれたように動き出し、ツンベアーの眼前に立った。ツンベアーの黒い爪がヌケニンへと伸びる。ヌケニンの眼前で半透明の膜が拡散し、ツンベアーの攻撃を弾いた。テクワが引き金を引く。

 弾き出された毒針がツンベアーの右眼に命中した。ツンベアーが右眼を押さえて蹲る。全身が焼け爛れており、このままでは死に瀕するのは明らかだった。その上右眼を毒針で撃ち抜いたのだ。緩やかに毒が回れば倒す事が出来るだろう。ツンベアーは右眼を押さえながら、鬼のような形相でテクワとユウキを睨んだ。全身を広げて咆哮する。拡散した鳴き声が恐ろしく遠く長く響き渡った。その声を潮にしてツンベアーは倒れ伏した。生きているのか、死んでいるのかは分からない。二人にはそれを確かめるだけの度胸はなかった。

「やったんですか……?」

 ユウキの声にテクワは首を傾げた。

「分からん。だが、長居するのは得策じゃないな。行こうぜ、ユウキ」

 テクワは立ち上がろうとしたが、突き刺さった爪の痛みが邪魔をして上手く立てなかった。ユウキが肩を貸す。テクワは、「悪いな」と言いながら肩を借りて立ち上がる。ゆっくりと足を引きずるようにして歩き出した。ライフルを折り畳み、ドラピオンをボールに戻す。ユウキは一応の警戒のためにヌケニンを出したままだった。

「ハイウェイを降りるまで、あとどれくらいだ?」

「トンネルだけでも五百メートルはあるでしょう。一キロとちょっとってところですかね」

「もたねぇよ」

 笑いながら言うとユウキは真面目な顔で返した。

「頑張ってください。僕も頑張りますから」

「頑張るって、何をだよ」

 テクワの声にユウキは前を向いたまま応じた。

「テクワが今まで頑張った分ですよ」

 その言葉にテクワは目を見開いた。ユウキには直感的に分かったのかもしれない。テクワが抱えているものを。その闇の深さを。テクワは恥じ入るように顔を伏せた。

「……俺は、頑張ってなんかいねぇよ」

「頑張ってますよ」

「いないって」

 同じようなやり取りが何度か続き、「じゃあ、こうしよう」とテクワが言った。

「お互いに頑張った。それで手を打とうぜ」

「じゃあ、そうします」

 その言い分が可笑しく、「じゃあ、って何だよ」とテクワは吹き出した。ユウキは黙って歩を進めた。爪が貫いた脚が枷のように痛んだが、その痛みもまた分かり合えた証だと思えば名誉の負傷だった。

 ――ようやく、命を預けてもいいって奴に出会えたか。

 テクワは自分を鍛えてくれたマキシの父親の事を思い出す。会えたよ、と口に出そうとしたが気恥ずかしさから唇を動かすだけにしておいた。

 トンネルの出口から光が見える。向こう側は晴れているようだ。その光を二人で受け止めた。暗がりから出られる瞬間へと、テクワは向かおうとしていた。呪縛の闇を、光は洗い流した。






















 消火作業へと消防が向かったその時には焼け落ちたバスの残骸と、延焼した車数台以外は何も見受けられなかった。

 生き物の這いずったような痕が残っていたが、体液以外その生き物の存在は確認出来ず、とりあえずの消火に当たった消防員の一人は、山裾で蹲っている人間を見つけた。近づくとまだ少女かと思われるほど小柄だったが、異様なのはその皮膚だった。緑色の服を着込んでいる箇所以外は黒ずんでおり、目を覆いたくなるような火傷の痕が見えた。消防員はその少女へと話しかけた。

「おい、大丈夫か」

 すると少女は顔を上げた。その顔を見て消防員は思わず声を上げた。右眼が抉れ、内側から蒼い炎のような光が漏れている。消防員が腰を抜かしていると、少女は呟いた。

「……あのリヴァイヴ団員、テクワとか言う奴。絶対許さない。このウテナにこんな辱めをした代償、きちんと払ってもらうわ」

 少女の横に黒いドレスのような姿のポケモンが現れる。そのポケモンから発せられた青い光が少女を包み込み、一瞬のうちに景色と同化して消えていった。消防員が目を擦り、もう一度その場所を見て調べたが、何かがいたような形跡は見られなかった。



オンドゥル大使 ( 2013/12/18(水) 20:07 )