ポケットモンスターHEXA BRAVE












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終幕の序章
第五章 七節「同類」
 カワジシティでは既にユウキ達の受け入れ態勢が整っていた。

 リヴァイヴ団の指定するバスに乗り、一路ハリマシティを目指す事になった。観光バスであり、旅行客を装った動きであったために一般客も混じっている。ユウキはほとんど初めて踏みしめる本土の土の感覚を味わう暇もなく、バスに身を揺られていた。元々、本土の風を味わおうだとかそういう余裕がない事は充分に分かっている。ユウキはフェリーの上で受けた攻撃の痕をさすった。ミイラ化した両手は随分とマシになったがまだ感覚が痺れている部分はある。ランポはフェリーから降りるなり、ユウキ達へと告げた。

「敵は仕掛けてくるだろう。三つに分かれる事にする」

 異論はなかった。全員がウィルのやり方というものを肌で実感していた。一般人がいようが容赦はない。フェリーに乗っていた一般の乗客の中にもデスカーンのミイラの特性を受けてしまった乗客がいた事を思い出す。多くが病院に担ぎ込まれた。ユウキ達はしかし、悠長に病院に行っている場合ではない。一刻も早く、本土のリヴァイヴ団へとレナの引き渡しが求められた。

 ユウキが窓際の座席に座って外を見つめていると、カワジシティの活気が目に入った。繁華街の中を人々が数珠繋ぎになってのっそりと歩いていく。外の天気は生憎の雨だった。思い思いの傘を差した人々が顔を伏せて歩く様は、密集した花弁のようだ。

 昔はコウエツシティも同じくらいの活気に溢れていたのだと聞く。そう考えると少し思うところはあった。一般道を踏み越えるように整備された車両専用の道路をバスや車が行き交う。ガタンと車両が揺れた。

「ユウキよぉ。そう肩肘張る必要はないんじゃねぇか?」

 後ろの座席からだらけきった声が聞こえてくる。テクワの声だった。額を掻きながら、「気持ちは分かるぜ」と言う。

「フェリーの上なんて絶対襲ってこないと思っていたからな。俺も寝ていたし。その事に関しては戦力にならなかった事は謝るよ」

「別に謝罪が欲しいわけでは」とユウキが口にして振り返るとテクワは、「まぁ、そうなんだろうけど」と額に皺を寄せた。

「一応、仁義って言うの? 俺はあんまり好きじゃないけど通しとかねぇとなって」

 テクワは座席をリクライニングさせて欠伸をかみ殺した。どうやらフェリーの上で寝たのに、まだ足りないらしい。

「今回、マキシと別行動になって大丈夫ですか?」

「何がだ?」

 テクワが鼻をほじくりながら聞き返す。

「マキシはテクワとの連携に慣れていると聞きました。だったら、その二人を組ませるべきでしょう。僕とテクワになったのは、どうしてなんでしょうか?」

 ユウキの質問にテクワは中空を睨んで呻った。赤毛を掻きながら、「俺の予想だとな」と応じる。

「今までのやり方じゃ駄目なんだとランポが感じたと思うんだわ。だから変則的な組み合わせを試みた。今回のバスの振り分けは少し不自然だろ」

 ユウキは三台のバスの振り分けを思い返す。ランポとマキシがレナを保護し、エドガーとミツヤ、そしてユウキとテクワだった。エドガーとミツヤはお互いのポケモンによる相乗効果が期待出来るのは分かる。ランポはレナを常に見えるところに置いておくべきだと判断したのだろう。マキシはまだミイラが完全に癒えたわけではないために様子見の意味もあるのかもしれない。しかし、どう考えても自分とテクワに行き着く理由が分からない。

「やっぱり僕らになる理由って分かりませんよ。テクワには分かりますか?」

「いんや。リーダーの考える事ってのは唐突だからねぇ」

 唐突、その一語で片付けていいものだろうか。ランポは何か狙いがあって自分とテクワを組ませたのではないか。そう考えるのは考えすぎかもしれない。本当にテクワの言う通り、ランポはただ勘に任せて選んだのか。しかし、今までのランポの行動パターンから完全な勘任せというのはなさそうだ。何か狙いがある。自分とテクワの組み合わせに思わぬ化学反応でも期待しているのか。

 ユウキはテクワを見やった。テクワはリクライニングする座席のおかげで気分がいいのか少しまどろみかけている。ユウキはカワジシティの船着場で買ったヤドンの尻尾を模したおかきを頬張った。醤油ベースで空きっ腹に染み渡る。フェリーでは結局食料にはありつけなかったため、ユウキはこのような菓子で腹の虫を誤魔化す事にした。

「テクワもどうです?」

 自分だけ食べるのは気が引けたのでテクワにも勧める。テクワは口を開けた。どうやら放り込めという事らしい。ユウキはため息をついておかきを放り込んだ。テクワが音を立てながら頬張る。

「うまいな、これ。他のないのか?」

「塩味とサラダ味を買ってありますが」

「じゃあ、それくれ」

 塩味の袋を取り出すと、テクワは引っ手繰るようにして袋を手に取り、縦に引き裂いて封を開けた。ユウキは几帳面なのでそのような大雑把な開け方は決してしない。

 テクワは気にするでもなく、塩味のおかきを食べながら、「これもなかなかだな」と言って、手を差し出した。何なのだろうかとユウキが訝しげな目線を向けていると、「サラダ味」とテクワが言った。

「くれ。あるんだろ」

 どうやらテクワは塩味のおかきを開けたまま、サラダ味のおかきも味わおうというのである。さすがにユウキは呆れた。

「駄目ですよ。まずは塩味を食べてください」

「いいじゃねぇか。ケチケチすんなよ」

「ケチとかそういう問題じゃないですよ。結局食べられなかったら勿体無いでしょう」

 テクワが手を差し出してユウキの脇腹を突いた。

「やめてくださいよ。あげませんよ」

「小さい奴だな。別にいいだろうが。どうせ腹に入るんだから。気にし過ぎだよ」

「テクワこそ、もうちょっと張り詰めてくださいよ。一応は護衛任務の延長なんですから」

「へいへい」とテクワは顔の前で手を振る。どうやらあくまでやる気はないようだ。

 気持ちは分からないでもない。自分達はレナを護衛する本隊を欺くための存在、言うなれば囮である。同じ目的地に向かうとはいえ、別ルートを取っている。ウィルは限りなく情報を詰めているようなのでもしかしたらランポのほうに引きつけられるかもしれない。来る可能性の薄い敵を待つほど、テクワは神経質ではない。ユウキとて来ないほうがいいと考えている。理想は敵がエドガーとミツヤのほうに釣られる事か。

「その護衛対象は今どこなのか、俺達にも知らされてないんだもんな。そりゃ、情報漏えいを防ぐためって名目は分かるぜ。でもよ、こうも判然としないとやる気って言うかモチベーションって言うか、アドレナリンがなぁ……」

 テクワは頭の後ろで手を組んでまた欠伸をついた。どうやら相当退屈しているらしい。こんな事ならばフェリーで戦えばよかったのに、とユウキは思ったが、そういえばテクワの手持ちだけ自分は知らない事に思い至った。入団試験の時も、カジノの時もそうだ。テクワはバックアップをしていたらしいが、結局実態は分からぬままだった。ユウキが知っているのはテクワがライフル状の特殊なモンスターボールを持っている事だけだ。そのライフルの入ったケースは今、網棚に置かれている。完全に荷物扱いである。ポケモントレーナーならばモンスターボールは片時も手放したくないはずだ。だというのに、テクワはまるで執着などないようである。

「テクワ。すぐに繰り出せるようにしておかなくっていいんですか?」

 網棚を指差してユウキが尋ねる。テクワは、「おっ?」と寝ぼけたような声で応じた。

「ポケモンをすぐに出せるようにしておかなくっていいんですか、って聞いているんですよ」

 半ば苛立ちをぶつけるような口調で言うと、テクワは両腕を組んで呻った。

「別にいいんじゃねぇか? だってお前のほうが速いじゃん」

「どんな敵が来るかも分からないんですよ。僕のテッカニンは、屋内戦は苦手ですから期待しないでください」

「何だよ。役立たずかよ」

 その物言いにカチンと来るものがあったが、ユウキは表層には出さなかった。ふぅと息を吐き出して、「テクワはもうちょっと危機感を持ったほうがいいですよ」とアドバイスする。

「フェリーの時もそうでしたけど、危なくなってからじゃ遅いんです。いつ敵が来てもいいように身構えないと」

「まぁ、俺らの立場考えたら間違いじゃないわな。リヴァイヴ団で特殊任務となれば」

 テクワが脚を組み直す。ユウキは懇々と言って聞かせた。

「張り詰めてくださいよ。そうじゃないともしもの時大変ですから」

「もしも、ねぇ。そう構える必要もないんじゃないか? 案ずるより産むがやすし、ってな」

 テクワが頬杖をついて言い返す。どこまでもお気楽なテクワに、ユウキは呆れて物も言えないという風に息をついた。

「勝手な時だけもっともらしい事を言わないでくださいよ。マキシはよく付き合っていますね」

「まぁ、あいつはあれで付き合い長いからな」

 テクワの言葉に、そういえばと思い返す。マキシはテクワの事を無条件に信用しているように見えた。それは何故だろう。自分ならば、と考える。きっと付き合っていられないだろう。テクワは実力を見せない上に飄々としている。掴みどころのない性格は時に苛立たせる。マキシはキレやすいというのにテクワに関しては怒ったところを見た事はない。それだけ無言の信頼関係が成り立つ背景とは何なのか。尋ねてみたい衝動に駆られたが、これはプライバシーだろうという一線もあるような気がした。

「マキシはどうして我慢出来るんですか?」

 それでも訊きたい誘惑に勝つ事は出来ず、婉曲的ではあるが訊いてみた。テクワが心外だとでも言うように唇をすぼめる。

「おいおい。それじゃ俺がマキシに無茶ばっかりさせているみたいじゃねぇか」

「大方合っているでしょう」

「誤解だね。ユウキ。それは俺をまだ分かっていない証拠だぜ」

 テクワが言いながらおかきを口に放り込む。ぽりぽりと食べながら糾弾するようにテクワはユウキを指差した。ユウキは眉根を寄せて、

「分かってない、とは?」

「そのまんまの意味さ。お前は、そうだな……、ランポの事は結構分かっていると思っている」

 どうだろうか、とユウキは顎に手を添えて中空を見つめる。ランポの過去には確かに触れた。しかし、分かっているかと問われれば疑問符を浮かべざるを得ない。

「どうでしょうか……」

「まぁ、俺よりかは近いとしよう。で、エドガーとミツヤ。こいつらも俺よりかは近い理解の度合いにあると考える」

 テクワから見ればそう見えるのかもしれない。テクワは基本的に誰かと組む事がない。大抵はマキシとの連携に任せている。理解の度合いが違うのはそのせいだろう。

「まぁ、そうするとしましょうか」

「そうなんだよ。んで、俺とお前だ。入団試験以来、大した交流はねぇな」

 言われてみればそうだろうか。テクワは何かと盛り立てる立場だったと思うが、直接的な交流は薄いかもしれない。

「マキシとは交流がありますけど、そういえばテクワとはあまり腹を割って話した気がしませんね」

「だろ。そうなんだよ」とどこか得意気に語るテクワ。塩味のおかきをむしゃむしゃと食べて、一つ頷いた。

「これはだな。お前が俺に近づきたがってないと分析するね」

「僕がですか?」

 意想外の言葉にユウキは自分を指差す。テクワからならばいざ知らず、自分がテクワを遠ざけているという自覚はなかった。テクワの人物分析は続く。

「そうだな。お前は俺に関わる事がイコール厄介事だと思っている節があるな。マキシを見てそう思うんだろう」

 マキシの姿を思い描く。鋭い眼差しに頭に巻いた包帯はまだ解けていない。キレやすいとテクワに形容されたマキシを見てテクワを遠ざける理由はよく分からなかった。

「どうしてそれで僕がテクワを遠ざけるんです? マキシを遠ざけるならまだしも」

「マキシは遠ざけねぇよ。あいつに対する第一印象は最悪だったはずだ。底辺から積み重ねていったんだから、それを崩して新しい評価を下そうとは思わないだろ。でも、お前は一度俺に裏切られたと思っている」

「実際にそうじゃないですか」

 入団試験の最中、自分の弱点を知らしめるために裏切ってきたのはテクワのほうだ。テクワは何度か頷く。

「そうだな。確かにそうだ。だからこそだよ。最初は評価のランクが高かった奴がどんと地に落ちた。そのせいでもう一度そいつに対する評価を持ち直そうとは思わない。そこまで人間出来てないってのもあるな」

 テクワの人物評には偏りがあるように思えたが、ユウキの心境に関しては当たらずとも遠からずと言ったところだろう。確かに、マキシの印象は悪かった。だから、今マキシと話せるのは近づけた証拠に思える。逆にテクワの印象がよかっただけに、裏切られた事は未だにしこりとなって残っているのかもしれない。自分は過去の事にはこだわらない性格のつもりだったが、覚えずそう思っている部分もあるのかもしれない。

「まぁ、僕は確かに、人間は出来ていませんが」

「これは別に卑屈になれって言っているわけじゃないぜ?」

 誤解するなよ、とテクワは付け加える。首を引っ込めるジェスチャーをする。

「お前は無意識下で俺には近づきたがってないんだよ。もう裏切られたくないってな。前科があるんだから俺もどうこう言えないし、お前の人物評だからそれは勝手だ」

 テクワの言う事は当たっているのかもしれない。思っていたよりも相手を観察している人間だというのは入団試験の時に感じたはずだ。しかし、ユウキにはユウキの言い分があった。

「たとえそうだとしても、今持ち出す話じゃないでしょう。僕らはチームなんですから。仲違いの材料は少ないほうがいい」

「お前の言う事はもっともだな。確かに今する話じゃなかった。でも、逆に今しなきゃ、多分一生こういう話題に触れる事はないぜ」

 ユウキはその言葉に、これから先に待ち受けているであろう運命を予想した。恐らくはリヴァイヴ団の本体に近い傘下に加えられる。ボスへと近づく機会を得られると同時に、今までのような小さな任務からは外され、命を削るような任務に当てられる事となるだろう。

 そうなった場合、チームメイトとの話などする事はなくなるかもしれない。話す事は既に了解された事項ばかりで、雑談の類はぐっと減るだろう。そうなる前に自分はチームメイトの事を知る必要があるのだろうか。ミツヤの事は知った。ランポの事も全てではないが知った。しかしエドガーやマキシ、テクワの事はほとんど知らないと言ってもいいのではないか。そんな状態で完璧な信頼関係など築けるのだろうか。きっと不可能だとユウキは思う。どこかで綻びが生まれる。それ以前にこのチームでずっと戦う事になるのかすら分からない。もしかしたらチームの組み替えがあるかもしれない。そうなった場合、自分はどうするのか。慣れた群れから離れた自分は自力でボスの喉元へと辿り着く事が出来るのか。

 ユウキが思案していると、テクワは額を指さした。

「ここに皺寄っているぜ。そう思い詰めるなよ。俺も悪かったさ」

 ユウキは額を撫でて、「別に思い詰めてなんか」と返したが嘘だった。随分と思い詰めていたように思える。

「ならいいけどよ」とテクワがユウキの帽子を指した。ユウキは視線を鍔に向ける。

「何ですか?」

「いや、あんまり考え過ぎてもさ。禿げるんじゃないかなって思って。お前、いつも帽子被っているから余計に」

 ユウキはその言葉に目を丸くしていたが、やがて吹き出した。テクワの肩を叩き、「それ、言う人を間違ったら怒られますよ」と言った。

「ああ、だから俺はその辺は間違わないようにだけ気をつけている」

「何ですか、それ」

 ユウキは笑い出した。テクワも一緒になって笑う。少なくとも今この瞬間はチームメイトだろうとユウキが思った。

 その時である。

 バスの天井で重い音が響き渡った。何かが落ちてきたような音だ。その音にユウキとテクワは笑いを掻き消して天井を仰いだ。

「何だ?」と他の旅行客が怪訝そうに目を向ける。「ポケモンでも落ちてきたんだろ」と返す旅行者だったが、ユウキ達には他の意味に取れた。緊張の眼差しを天井に据えていると、突如として天井の一部が剥がれた。鉄製の天井が捲れ上がり、天井に乗っている何かが乗客達を見下ろした。雨粒が降り注ぐ。

 それは白い巨体だった。帯を思わせるような大柄な身体で、鋭利な爪の先は黒い。熊のような巨体だがほとんど二足歩行だ。白い体毛が覆っている。しっかりとバスの天井を踏みしめ、睥睨する瞳は黒く射抜くようだ。特徴的なのは顎の下に垂れ下がった氷柱の牙である。三叉に分かれており、中央の牙が最も長い。そのポケモンの肩に人間が乗っていた。小柄な少女だ。白熊のポケモンに比すればその小ささが際立つ。亜麻色の髪を結いつけ、緑色のコートを着込んでいる。そのコートの袖口には「WILL」の刻印があった。

「ウィル戦闘部隊、第三種γ部隊副長、氷結のウテナ。ブレイブヘキサが乗っているってこの子から情報をもらったんだけど」

 白熊のポケモンの足元に青い光が塊となって凝結し、ゴチルゼルの姿を顕現させた。ユウキは仰ぎながら歯噛みする。戦闘員に既に情報が行っているとは。しかし、不幸中の幸いかそれは間違った情報だ。ウテナと名乗った少女は手を庇のように翳して、バスの乗客を観察する。「あれれ?」と声を漏らす。

「ヤグルマ隊長の報告書にあった女の子なんていないじゃない。どういう事? ガセ掴まされたって言うの?」

 少女はポケモンの肩に乗ったままポケッチを操作する。仲間に連絡するつもりかもしれない。

「させるか。テッカニン!」

 ホルスターからボールを引き抜き、ユウキが叫ぶ。緊急射出ボタンを押し込み、テッカニンの姿が空気中に消える。相手が少女だという事がユウキの心に一点の罪悪としてあったが、消すのは止むなしと断じた。相手はウィルだ。手心を加えればやられる。テッカニンがウテナのこめかみへと狙いを定めた、その時だった。

「そっかー、分かった。三手に分かれたのね」

 その声を聞いた瞬間、白熊のポケモンが反応し翳した腕でウテナを守った。テッカニンが攻撃のコースを阻まれ、強い体毛の生えた表皮にぶち当たる。テッカニンの攻撃はほとんど通じていないようだった。それよりも、ユウキは驚愕していた。明らかに鈍重そうなポケモンだというのにテッカニンの攻撃速度に反応したというのが信じられなかった。それを見て、ふふんとウテナが笑う。

「どうやらツンベアーが思いのほか速くって驚いているみたい。いい気味ね」

 ツンベアーと呼ばれたポケモンは一声鳴いた。地鳴りのような声だった。大粒の雨が横殴りに吹き付ける。ツンベアーは片手を振り上げた。すると見る見る間にその掌へと雨粒が吸い付いていき、掌から冷気が吹き出した。雨粒が凝固し渦を巻いて固まっていく。瞬く間に巨大な氷柱が生成された。氷柱を掴んだツンベアーが腕を振り上げる。ウテナが天井へとくるりと軽く身を躍らせて着地すると同時にゴチルゼルと共に消えていく。「テレポート」だ。その姿が消え行く前に、声が響いた。

「ツンベアー。氷柱落とし」

 ツンベアーが咆哮して氷柱を打ち下ろす。ユウキが呆然と眺めていると、「危ねぇ!」という声が弾けた。テクワの声だった。いつの間にかケースからライフルを出すと同時に光が射出される。形状を伴って光が、「つららおとし」の射線上に現れた。それは直立したササソリのようなポケモンだった。上半身と下半身を結ぶ腰はくびれており、巨大な顎から両腕が生えている。白い髭を生やしており、凄みを引き立たせていた。

「ドラピオン、守る!」

 ドラピオンと呼ばれたポケモンの前面に紫色の光の膜が現れる。その膜が氷柱落としの一撃を遮った。氷柱が膜に触れて砕け散る。本来ならば自分の身体が肉や血潮と共に砕け散っていたのだと思うと身震いした。テクワはライフルの銃口をツンベアーに向けていた。眼帯を外しており、蒼い眼が覗いている。

「テクワ。その眼は……」

「今は後にしろ! 早くテッカニンを呼び戻せ!」

 先ほどまでの日和見が嘘だったかのように激しい声音を響かせる。ユウキは慌ててテッカニンを呼んだ。テッカニンがすぐさま間近の空間の中に溶けていく。テクワはバスの運転手へと振り返った。ライフルを携えたままである。銃口を向けられた乗客と運転手がざわめいた。

「大人しくしろ! リヴァイヴ団だ! このバスを停めるんだ、今すぐに!」

 リヴァイヴ団という名前にざわめきが大きくなる。テクワは銃口を向けて、「早くしろ!」と叫びを重ねた。

「死にたくなけりゃ停めるんだ。でなきゃ全員お陀仏だぞ!」

 その言葉に運転手が頷いてブレーキを踏み込んだ。バスが横滑りし乗客達は急制動に身体を揺すぶられる。テクワは座席に掴まりながら、ツンベアーを睨みつけた。ユウキも座席に掴まって集中を切らさないようにする。

「ツンベアーのトレーナーはどこだ? ゴチルゼルと一緒にどこに消えた?」

 テクワがライフルを振りながら周囲を見渡す。ユウキも視線を配ったが、ウテナの姿は見えなかった。

「絶対に見える場所から命令を下しているはずなんだ。見えりゃ、ドラピオンで殺せるってのに」

 ツンベアーが口から白い呼気を出しながら動き出す。横滑りで停まったバスはトンネルの前で立ち往生の形となった。他の車からのクラクションの音が響く。ツンベアーが片手を上げる。雨粒が渦を巻いて氷結し、先端が刃のように尖った氷柱を形成する。

「仕方がねぇ。ドラピオン、炎の牙!」

 ドラピオンの身体が跳ね、ツンベアーへと飛びかかった。巨大な顎を開いたかと思うと、前面の空気が歪み、熱が発せられた。瞬く間に炎が上がって牙に纏いつく。「ほのおのキバ」は炎タイプの物理攻撃だ。相手を怯ませる効果も期待出来る。炎の牙をツンベアーは翳した腕で受け止めた。表皮へと食い込んだかに見えた攻撃はツンベアーの体毛に弾かれたように霧散する。炎が強い体毛で防がれているのだ。テクワが舌を打つ。

「これじゃ怯みも期待出来ねぇ。ドラピオン、毒針を撃ち込め!」

 ドラピオンが有する尻尾が持ち上がり、ツンベアーの顔へと狙いを澄ませる。テクワがライフルの照準に蒼い眼を向ける。あのライフルは銃口が塞がれているはずだ。だというのに、どうしてライフルを見るのだろうか。ユウキが怪訝そうに見ていると、「ぼさっとすんな!」と怒声が飛んだ。

「お前はウテナとか言うトレーナーを捜せ! 俺のドラピオンはあまり接近戦が得意じゃない」

 テクワの切迫した声にユウキはテッカニンへとトレーナーを捜すように命じた。テッカニンが空気に溶け込もうとするが、雨のせいか羽音がいつもより大きい。

 ――これでは、と思ったユウキの不安を裏付けるようにツンベアーが空間を叩きつけた。テッカニンの姿が一瞬現れる。ツンベアーから攻撃を受けたのだ。よろめいたテッカニンが空中で体勢を立て直す前に、ツンベアーはドラピオンを弾いた。ドラピオンがテクワの前に立つ。乗客は全員降りていた。運転手もいない。クラクションの音だけが鳴り響き、それを掻き消すようにツンベアーの咆哮が雨粒を弾き飛ばす。

「やべぇぞ。ツンベアーの特性は多分、すいすいだ。雨の降っている状況ならば素早さが上がっている」

「でも、それだけでしょうか。ツンベアーはそれほど機敏には見えない」

「ああ、同感だ」とテクワは照準に目を当てたまま応じる。

「ツンベアーは本来鈍いポケモンのはず。それがどうしてここまで素早い? 何が起こってやがるんだ?」

 テクワはツンベアーを照準に捉える。その時、不意にライフルを下ろした。何だ、とユウキが見ていると、「まさか」とテクワは再び照準を向けた。何かを確認するような動作だった。

「テクワ。どうしました?」

「あいつの眼だ」

 テクワの言葉にユウキもツンベアーの眼を見る。眼がいいからかユウキには瞬時に言わんとしている事が分かった。ツンベアーの眼が本来の黒色ではない。湖畔の月のように蒼かった。

「どういう、事ですか……」

「参ったぜ」

 テクワは額を拭った。雨粒が目に沁みてテクワの姿を滲ませる。

「俺と同じとはな」


オンドゥル大使 ( 2013/12/08(日) 22:40 )