ポケットモンスターHEXA BRAVE












小説トップ
終幕の序章
第五章 五節「タクティカルバトル」
 静かな寝息に、自分まで眠りの淵に連れて行かれそうになる。

 そういえば休んでいなかったか、とランポは自己を顧みた。額を押さえて眠気を振り払うかのように頭を振る。視界が僅かにぼやけている。思えば気を張り詰めっ放しだ。いつか切れてしまうのではないか、という危惧に襲われながらランポは深く息をついた。

「疲れているな……」

 呟いたその時、廊下を駆ける音が聞こえた。また乗客の子供でもはしゃいでいるのだろうか、とランポが扉に備えつけられている窓から外を見やると、ユウキとマキシが肩を荒立たせて扉の前に来た。キリキザンが後ろから続いてくる。

 一瞬で、ランポは尋常ならざる事態だと把握した。扉を開き、「どうした?」と声をかける。ユウキとマキシは半狂乱のような状態で、「ランポ。僕らの手が」と手を差し出した。視線を向けると、その手が干からびていた。

「これは……」とランポが驚いていると、「どうかしたの?」という声が聞こえてきた。二段ベッドの上に寝ていたレナが瞼を擦って起き上がる。ユウキが声を上げる。

「レナさんは大人しくしていてください。ウィルの攻撃です」

 その言葉にランポが問い質した。

「ウィルの? だとすれば、これはポケモンか?」

「デスカーンだ」とマキシが応じる。マキシの手を見やると、ユウキと同じように土色に変色していた。肩が震えている。恐怖によるものだろう、とランポは考えた。

「あいつ何タイプなんだ? キリキザンの攻撃がまるで効いてないみたいだった。チクショウ。俺は……」

「落ち着いて状況を伝えてくれ。何が起こった?」

 ユウキとマキシは興奮状態にあるようだ。宥めて話を聞きだすのが優先事項だろう。ユウキがその言葉に応じた。

「食堂に行ったら今の僕らみたいに全身が干からびた男がいて、その男に触れた瞬間にデスカーンに行きあったんです。奴は男を、僕らを釣る餌にしようとしていたのかもしれない」

「デスカーンか。そいつによる攻撃だと?」

 二人が頷いた。ランポは顎に手を添え、思考する。ユウキとマキシは明らかに攻撃を受けた。見たところ相手をミイラにする能力のようだ。それは技か、または特性か。どちらにせよ、きっかけがあったはずなのだ。デスカーンによる攻撃ならばその効力が発揮された瞬間が。いつだ? とランポは今のユウキの話の中にヒントを見出そうとする。

「デスカーンは技を発したか?」

「いいえ。影の手を伸ばして僕らを捉えようとはしましたが、大した攻撃はしていません」

 ランポは可能性としてウイルスのような攻撃を視野に入れていた。しかし、ウイルスだとすれば今この状況も危うい。感染者との濃厚接触という事になる。ランポはレナへと視線を移した。

「レナ。ビークインを出してくれ。回復指令で治せるかどうか試す」

 その言葉にレナは状況を把握したのか頷いた。ボールを掴んで緊急射出ボタンを押す。

「ビークイン。お願い」

 光を振り払ってビークインがその姿を顕現させる。小ぶりな翅を震わせ、スカート状の下半身から小さなミツハニーを繰り出した。ミツハニーがユウキとマキシへと取り付く。その手に触れるが、侵食は収まった気配がなかった。

「駄目ね。回復指令で治せる怪我じゃない。キリキザンは?」

 ミツハニーが漂ってキリキザンの赤錆の浮いた腕へと取り付き、緑色の回復の光を発するが、錆びは少しも収まらなかった。それを見てレナが額に手をやって考え込む。

「体力を奪うタイプの攻撃じゃない。進行を少しは抑えられるけど、完治は無理。多分、条件があるんだと思う」

「条件?」

 レナは頷いて、二段ベッドから降りた。ほとんど下着姿に等しかったが、今はそのような事に構っている場合ではない。ユウキの手の状態を見やり、「デスカーン、って言ったわよね?」と尋ねた。

「はい。確かにデスカーンだと」

「じゃあ、特性の効果だわ。デスカーンの特性はミイラ。触れた対象をミイラ化する能力よ。多分、既にミイラ化している何かに触れたんじゃない? そうとしか考えられないわ」

「ユウキ。心当たりは?」

 問い質す声にユウキは、「そういえば」と言葉を発した。

「ミイラ化した男の肩に触れました。マキシは僕に触れて、キリキザンはデスカーンへと直接攻撃を」

 そこまで言ってからユウキはハッと顔を上げる。ランポはレナと顔を見合わせて頷いた。

「ウイルスの類ではないな。それこそが条件なんだ。触れた相手をミイラ化する。キリキザンがミイラ化、いや錆び付いたのは直接攻撃をしたからだろう。レナ。デスカーンのタイプは分かるか?」

「ゴーストよ。単一タイプのはず」

 レナが眼鏡のブリッジを上げて応じる。それを聞き届けたランポはユウキとマキシに向けて言葉を発した。

「二人は船室に篭ってくれ。デスカーンは今どうしている?」

「追ってきています。天井を突き破って。速度は遅いのですぐには来ないと思いますが」

「ならば、俺が応戦する」

 その言葉にユウキが、「危険です」と声を上げた。

「ランポのポケモンはドクロッグのはず。ドクロッグは毒・格闘タイプ。直接攻撃をせざるを得ない状況に追い込まれる」

「だがエドガーのゴルーグはこの狭い廊下では真価を発揮出来ない。ミツヤのポリゴン系列はバックアップ専門だ。有効なダメージを与えるのは難しい。テクワのポケモンも相手が見える範囲では動きづらいだろう。俺のドクロッグが適任だ」

 ランポの主張にユウキは、「しかし」と抗弁の口を開こうとする。自分とて無茶な事を言っているのは分かっている。だが、これ以上仲間を見殺しにするわけにはいかない。

「約束しよう。必ず敵を倒して帰ってくると。それまでお前らは船室に閉じこもっているんだ。奴らの戦力がデスカーンだけとは限らない。レナ。もしもの時は頼めるな」

 覚悟を問いかける言葉にレナは静かに頷いた。本来ならば護衛対象にこのような事を頼むのは筋違いだ。だが事態を収拾させる自信のない以上、そう言うしかなかった。ランポが言葉を重ねる。

「エドガーやミツヤにも声をかけておいてくれ。俺は行く」

「ランポ。無茶ですよ」

 ユウキの言葉にランポは返した。

「無茶は承知だ。しかし、俺はリーダーとしてお前らを危険に晒さない義務がある。レナ、くれぐれも直接触れるんじゃないぞ。護衛対象をミイラにするわけにはいかない」

 ランポは廊下へと踏み出した。ホルスターからボールを引き抜き、緊急射出ボタンに指をかける。

「いけ、ドクロッグ」

 光を振り払い、ドクロッグがオレンジ色の毒の鉤爪を翳して身構える。ランポは廊下の奥から這いずってくる影を視界に捉えた。黄金の棺おけのように見えるあれがデスカーンだろう。ランポは額の汗を拭った。

「触れればお終いか。なかなか緊張感のある戦いじゃないか」

 ランポは駆け出した。ドクロッグが並んで続き、デスカーンへと距離を詰める。ランポは射程距離ギリギリで足を止め、手を振り翳してドクロッグを先行させた。デスカーンが下部の二本の手で立ち上がり、上部の手をドクロッグに向けて伸ばす。

「ドクロッグ! 避けてデスカーンの足元を狙え」

 ドクロッグは振るわれた影の手をステップで回避し、デスカーンの足元へと鉤爪の一撃を放った。デスカーンのバランスが僅かに崩れて身体を揺らす。

「ドクロッグ、もう一発だ」

 ドクロッグが紫色の身体を翻して縫うように這い進む影の手を紙一重で避ける。鋭く刺すように一撃を足元に加えた。デスカーンが傾ぎ、次の瞬間、仰向けに倒れた。

「フェリーの廊下は振動が伝わりやすい。その体型ではバランスの維持が大変だろうな」

 デスカーンが背部から伸びている影の手四本で持ち上がる。四本の手で安定を得ようとすれば攻撃は出来ないはずだ。

 ――どう出る、とランポは固唾を呑んだ。

 デスカーンは四本の手で壁へと張り付いたその巨体に似合わずほとんど音を立てない。立体的に攻めるつもりだ、とランポは判断してドクロッグに指示を飛ばした。

「ドクロッグ、上から来るぞ。気をつけるんだ」

 ドクロッグが鉤爪を翳して身構える。デスカーンが天井に下部の影の手を突き刺し、ぶら下がるようにして上部の影の手を突き出した。ドクロッグは上から降り注ぐ影の手の猛攻に対処するように後ずさり、天井へと拳を加える。

 鉤爪が突き刺さり振動を与えるが、デスカーンは落ちる気配がなかった。それどころか一瞬動きの鈍ったドクロッグを狙って影の手が伸びてくる。ドクロッグはすぐさまもう一方の手で天井を叩いて鉤爪を剥がした。ドクロッグの身体が落ちて、影の手が先ほどまでドクロッグのいた場所を引き裂いていく。ランポは息つく暇もなくドクロッグへと次の指示を与えた。

「ドクロッグ。相手の直下に回れ」

 ドクロッグが廊下を駆け抜け、影の手の網を回避してデスカーンの背後に回った。

「もう一度天井へと拳をぶつけるんだ」

 ランポの声に従い、ドクロッグは鉤爪を天井へと突き刺した。デスカーンが身体をひねって振り返り、ドクロッグへと影の手を伸ばそうとする。ドクロッグが天井を叩いて身体を落とし、影の手から逃れる。

 一進一退の猛攻にランポは思わず渇いた喉に唾を飲み下した。一撃でも指示が遅れればやられる。とてつもない緊張感に喉の奥がひりひりとする。

 デスカーンが着地したドクロッグへと攻撃しようと再び身体をひねった。その瞬間の出来事である。

 天井が支えを失い、破砕音と共にデスカーンの身体が宙を舞った。

 デスカーンからしてみれば何が起こったのか分からなかっただろう。突然に足場が崩れたのだ。

 ドクロッグは後ずさって崩落してきた天井から逃れた。デスカーンは逃れる事叶わず、天井に押し潰される形となった。ランポはドクロッグを呼び戻す。ドクロッグは床に鉤爪を突き刺して逆立ちすると、拳で床を叩いた。その反動を利用して空中でバック宙を決め、天井に押し潰されたデスカーンの上を跳躍してランポの傍に侍った。

「天井に衝撃を加えたのはお前の自重を支えられなくするためだ。フェリーの廊下も天井も脆い上に薄い。音が漏れる程度にな。だったら、少しだけ衝撃を伝わりやすくしてやればいい。お前は自分の重さで、簡単に落ちる。天井から落ちればダメージはあるだろう」

 ランポはデスカーンの動向を窺った。攻撃の気配はない。どうやらデスカーンにはそれほどの命令は与えられてないようだ。

「大方、ミイラ状態にする事のみを命令として与えられていたのだろう。トレーナーが近くにいなければ、優秀なポケモンとて木偶の坊と同じだ。さて、この状況に追い込めばお前のトレーナーはどう動く?」

 ランポは廊下の奥を見据えた。すると、靴音がこちらへと近づいてきている事に気づいた。階段を降りているのだろう。静寂の中やけに響く。その音と共に現れたのはスーツに身を包んだ長身の男だった。乾いた拍手を鳴らしてランポを見つめる。紺色の瞳には高圧的な態度が見て取れた。

「素晴らしい状況判断だな。さすが、と言っておこう」

「お前がデスカーンのトレーナーか」

「いかにも。名乗ってこう。私はヤグルマ。ウィル戦闘部隊、第三種γ部隊隊長だ」

 ヤグルマは恭しく頭を下げた。ランポは内心歯噛みした。まさか隊長格が出てくるとは思っていなかったからだ。

「前回のR2ラボの行動も」

「察しがいいな。私の部下によるものだ」

 ヤグルマがパチンと指を鳴らす。すると、崩落した天井の瓦礫を影の手が突き破った。四本の影の手がのたうち、瓦礫の中から棺おけの身体が現れる。

「俺は」と言いかけたランポの声に片手を上げてヤグルマが遮った。

「いい。存じている。ブレイブヘキサのリーダー、ランポ」

「驚いた。既に調べているとはな」

 ランポは口元に笑みを浮かべてみせる。しかし、胸中に余裕はなかった。調べられているということはこちらの手のうちは読まれている可能性があるという事だ。仲間の手持ちまで割れているとなればここで手を打つしかない。

 ヤグルマは隊長と名乗った。という事は、今まで現れた敵の中では最も地位が高いと考えていい。それより上に情報が行っているのか、それともヤグルマで止まっているのか。前者だとすれば自分達の行動は慎重を期すものとなり、これから先大きく制限される。後者だとすれば、ここでヤグルマを仕留めれば情報の拡散を防げるかもしれない。

 ランポは出来るならば後者である可能性を信じた。ランポの視線の変化を感じたのか、ヤグルマが声を発する。

「考えてるな、ランポ。私をここで殺せばこれから先の安全な航路が期待出来るかどうか」

 心中を読まれた動揺を押し隠すためにランポは、「さぁな」と不敵に笑う。危うい均衡の只中にある鼓動がうるさかった。鎮まれ、と念じる。

 ヤグルマは両手を広げてゆっくりと握り締める真似をした。長く息を吐き出しながら、まるで演者のように語る。

「お前は私を殺す事を第一に考えるだろう。いや、その前にデスカーンの無力化か。ミイラ化した部下を助けるために。まぁ、デスカーンの無力化はひいては私の無力化でもある。どちらかを戦闘不能状態にする必要があるな」

「そちらも察しがよくて助かる。俺達の目的のためにここで潰されるわけにはいかない。全力で戦わせてもらう」

「リーダー同士か。面白い」

 ヤグルマが指を鳴らした。デスカーンが瓦礫を退けて立ち上がり、下部の手で身体を支えるために床へと突き刺す。上部の手を何かを練るようにくねらせる。影の手と手の合間を黒い電磁波が行き交い、球形を成していく。最初は小さな黒点だったそれは瞬く間に巨大化し、影のシャボン玉が練り固められた。膨張するように揺らめいた影のシャボン玉が一回転した瞬間、ヤグルマは声を発した。

「デスカーン、シャドーボール」

 デスカーンが両手の掌を花弁のように合わせた直後、影のシャボン玉が撃ち放たれた。軌道上の光を吸い込みながら、影のシャボン玉は砲弾の鋭さを持って直進する。ランポは真っ直ぐに向かってくるシャドーボールを見据え、片手を振り翳してドクロッグに命じた。

「ドクロッグ、鉤爪で打ち破れ」

 ドクロッグが半身になって、片脚を上げ踏み込んだ。瞬間、曲芸のように身体を翻し様に鉤爪の一撃を放った。

 毒の鉤爪がシャドーボールに着弾し、粉塵が上がる。捲れ上がった床から木の塵が舞い散った。ドクロッグは腕を薙いで粉塵を引き裂く。鉤爪を携えたドクロッグは健在だった。ほとんどダメージもないようである。それを見たヤグルマが満足そうに顎をさすった。

「なるほど。申し分なく育てられているようだな。リーダーを自認するだけはある」

「褒めてもらって光栄だが、あまり悠長にお喋りというわけにもいかない」

 ランポは左手のポケッチを掲げる。本土に辿り着くまでの三時間。その間にユウキとマキシのミイラ化が進行する可能性がある。早めの決着を臨む必要があった。

 ヤグルマは応じるように自分のポケッチを掲げた。

「確かに。こちらとしてもリヴァイヴ団を本土に渡すわけにはいかない。娘を渡してもらえれば全てが穏便に済むのだが」

 やはりそれか、とランポは歯噛みする。ウィルはレナの持っているデータを重要視している。それがボスの庇護という安全圏に渡る事を何よりも恐れているのだ。

「残念だが応じるわけにはいかないな。俺はここでお前を止めなければならない」

 その言葉を聞いてヤグルマはフッと口元を緩めた。

「交渉決裂か」

「悪いな」

「いいさ。元々、こちらとしても貴様らリヴァイヴ団を生かすつもりはない。処刑が早まっただけだ」

 ヤグルマが指を鳴らすと、デスカーンが再びシャドーボールを練り始める。ランポはドクロッグを呼びつけた。

「足元に向けて攻撃しろ」

 ドクロッグが応じる鳴き声を出して、デスカーンの懐へと踏み込む。デスカーンは片手で生成途中のシャドーボールを握って、もう片方の手でドクロッグを捕らえようとした。

 雨か槍の鋭さを持ってデスカーンの影の手がドクロッグに迫る。ドクロッグはステップで上から襲い来る影の手を避けた。デスカーンの足元へと鉤爪の拳を打ち込む。しかし、デスカーンは先ほどのように容易には倒れなかった。トレーナーの前という事もあるのだろう。ヤグルマが指を鳴らすと、デスカーンは即座に影の手を薙いだ。

「ドクロッグ! 身を低くしろ!」

 ドクロッグが体勢を沈めて、空間を薙いだ手をかわす。その手が手刀の形を作り、返す刀で打ち込まれかけた。ドクロッグは床を両手で叩きつけて跳躍し、後ずさる。紙一重のところを影の手刀が走った。ドクロッグは距離を取って身構える。

「もう一度足場を揺さぶれ」

 ランポの声にドクロッグは即決した身体を弾かせた。デスカーンへともう一度接近する。デスカーンはシャドーボールを掴んだ手で今度は叩きつけてきた。

 黒い球体がゆらりと揺れて、ドクロッグの頭上に迫る。

 ドクロッグは身体に回転を加えて、その一撃を背中に受け流した。ドクロッグの背面でシャドーボールが弾け、泥のような黒い影が分散する。ドクロッグは踏み込んだ足の勢いをそのままに、鉤爪でデスカーンの足元へと一撃を与えた。

 デスカーンが僅かに揺らぐが、倒れはしない。もう片方の手を手刀に変え、デスカーンがドクロッグの側頭部を狙ってくる。

 ドクロッグは回避のために飛び退こうとしたが、その前に足元から影の手が這い進んできた。ドクロッグの足を取ろうというのである。

 頭部と足元を同時に狙った攻撃に対して、ドクロッグは跳躍と同時に身体を伸ばした。横っ飛びの状態になったドクロッグの頭上と足元を影の手が行き過ぎる。ドクロッグは不恰好に倒れる形となったが、影の手の一撃は受けていない。交差した影の手が張り手のように振るわれる前に、ドクロッグは床を鉤爪で叩いて後ろへと離脱した。

 ヤグルマが笑みを浮かべてデスカーンへと歩み寄る。

「よく避けるドクロッグだ。白兵戦は得意、というわけか。どうやら、私も本気で近づいて命令を下さねばならないようだ」

 デスカーンへとヤグルマが歩み寄り、片手を広げた。デスカーンが上部の両手を振り翳したかと思うと、その手が交差し螺旋を描いた。デスカーンの両手の間に緑色の光が発せられ、球形を成していく。先ほどまでのシャドーボールとは一線を画すその光に、一瞬ランポが目を眩ませた。直後に声が響く。

「エナジーボール」

 デスカーンが緑色の光を放つ球形を投げ飛ばす。これが「エナジーボール」。草タイプの特殊技だ。

「エナジーボール」はドクロッグへと放たれたのではない。ドクロッグとデスカーンの間へと放たれた。眩い光が拡散し、お互いの網膜を鋭い光が焼き付ける。ドクロッグが思わず手を前に翳して視界を保護しようとする。その光を縫うようにして影の手が伸びてきた。

 一拍反応が遅れたドクロッグが飛び退く前に、影の手がドクロッグの片手を掴んだ。ドクロッグが振り解く動きを見せる。ランポは覚えず舌打ちを漏らしていた。

「……しまった」

 光が晴れ、急接近したデスカーンの巨体が目の前に屹立する。ランポとドクロッグは同時に飛び退いた。先ほどまでランポの頭があった位置を影の手が掻っ切った。

 ランポは首筋に触れる。どうやら自分への一撃は免れたらしい。しかし、とドクロッグを見やった。ドクロッグが左手に有する鉤爪が干からびていた。しなびた野菜のように垂れ下がっている。鉤爪としての用途は期待出来そうになかった。

「今のエナジーボールは攻撃じゃない。目くらましだったというわけか」

「いかにも」とヤグルマがデスカーンへと歩み寄る。

「貴様のドクロッグは今の一撃でミイラの洗礼を受けた。本来ならばトレーナー本体も狙うつもりだったのだが、まぁよかろう。左手から徐々に干からびていく恐怖を味わうがいい」

 ドクロッグが左手を翳す。しおれていく鉤爪から侵食したミイラの効果が、左手首から至り、土色になっていく。ドクロッグは左手を下ろした。恐らくは痛みか疲労で上げられないのだろう。ランポは俯いた。それを見たヤグルマが勝利を確信した笑みを浮かべる。

「手持ちがそれだけだという事は調べがついている。ドクロッグ以外で脅威になりそうなのはテッカニンの加速性能を受け継いだヌケニンだけだ。それもトレーナーであるユウキが使い物にならないのならば意味がないだろう。それにヌケニンとて、直接デスカーンに触れる事は出来ない。詰み、というわけだな」

 デスカーンの横に並び立ったヤグルマが立ちはだかる。ランポは膝から崩れ落ちた。それを絶望の動きと受け取ったヤグルマは、「よくやったさ」と褒め称えた。

「デスカーンの攻撃をこれほど受け流したポケモンもトレーナーもいない。お前の事は私が心の中に永遠に刻みつけよう。勇敢なる反逆者、ランポ。貴様はしかし、このヤグルマの手によって死ぬのだ。志半ばでな」

 デスカーンが手を振り上げる。掌へと影が寄り集まり、シャドーボールを形作っていく。黒い電磁波が表面で弾け、その形状を完全に固定した。その時、ランポが不意に片手を上げた。その動きに従うように、ドクロッグが右手を掲げる。ヤグルマは、「無駄だ」と口にした。

「ドクロッグがミイラを受けたせいでやけになったか? デスカーンは物理防御と特殊防御が共に高い。ドクロッグの攻撃程度で一撃の下に倒されるほどやわではない。何を出すつもりだ? シャドーパンチか? 騙し討ちか? どちらにせよ、大したダメージではない」

「違う」とランポは口にしていた。ヤグルマが訝しげに眉間に皺を寄せる。

「俺のドクロッグの放つ技は、怪力だ」

「怪力、だと?」

 その言葉を聞いたヤグルマは弾かれたように笑い出した。狂喜のような高笑いが低い天井に響き渡る。

「ノーマルタイプの物理技か? 馬鹿め、タイプ相性も頭に入っていないのか? ゴーストタイプに対してノーマルタイプの攻撃は無効となる。スクールで習う根本も頭に入っていないでここまで戦ってきたとは、逆に哀れむよ」

 ヤグルマの声にランポは俯いたまま沈黙を返した。ヤグルマは鼻を鳴らす。

「遂に喋る気力も失ったか。どうやら勝利の美酒は我が手にあるようだな。さらばだ、ブレイブヘキサのリーダーよ」

 デスカーンがシャドーボールを振り落とすかに見えた瞬間、ランポが顔を上げた。「俺は」と口を開く。

「仲間も守る。お前も倒す。両方やらなくっちゃいけないのが、リーダーの辛いところだな」

 その眼に宿した覚悟の双眸にヤグルマが一瞬気圧されたように眉を跳ねさせる。

「馬鹿な。勝機など」

「怪力は巨大な岩をも押し出すほどの膂力をポケモンに約束させる秘伝の技。どうやら気づいていないようだから言ってやる。鉤爪を全力で床に向けて振り落とせば、どうなるか」

 ランポの声を訝しげな眼差しで聞いていたヤグルマは硬直していたが、やがてハッとして周囲を見渡した。背後の床に二つの穴がある。ドクロッグが鉤爪で開けたものだ。加えてデスカーンが体勢を整えるために突き破った穴とドクロッグが足元を崩すために開けた穴とが樹形図のような形で配置されている。もし、それら全ての穴へと均等に力を通して怪力の一撃を加えた場合、どうなるか。

 ヤグルマが意味するところに気づいてランポへと目を向ける。

「貴様……!」

「ドクロッグ、怪力だ」

 その言葉に従い、ドクロッグが右手を打ち下ろす。オレンジ色の尾を引いた鉄拳は銃弾のような鋭さを伴って床へと突き刺さった。

 瞬間、ピシリとその一撃から同心円状に衝撃が広がり亀裂が走った。一瞬にして亀裂がデスカーンとヤグルマの足元を通り過ぎ、その後ろに開けられた二つの穴で止まる。ヤグルマが駆け出そうとしたが既に遅い。ずんと重い音が響くと同時にヤグルマとデスカーンの足元が崩落した。板が砕け散り木の粉塵が舞う。ヤグルマはランポへと手を伸ばした。ランポはそれを見下ろして腰に手を当てる。

「落ちるんだな。リーダー同士の勝負、どうやら俺の勝ちらしい」

 ランポの言葉にヤグルマが忌々しげに声を上げようとする。それをフェリーの機関部から響き渡る駆動音が遮った。機関部の隙間へとヤグルマとデスカーンの身体が吸い込まれていく。ヤグルマが機関部に挟まって血飛沫を上げた。一瞬にしてその身体は砕け、デスカーンもろとも塵となった。

 ランポはその場に膝をつく。短時間とはいえ、集中力を多大に消費した。ドクロッグの左手を見やる。ドクロッグの左手のミイラ化が収まっていた。徐々に水分を取り戻しつつある。どうやらデスカーンの呪縛は解けたようだ。

「これでユウキとマキシも大丈夫だ。本土まで、あと一時間半か。乗客達も充分に回復するだろう」

 ランポは息をついた。余計な心配をしながら戦う必要はなくなったのだ。そう思うと肩の荷が降りたような気がした。

 首を巡らせようとしたその時、空間に青い光が揺らめいた。ランポがその光を凝視していると、光はリボンの形状を取り、中央に目玉が見えた。眼球がランポを視界に捉える。

「……まだ、終わっていないのか」

オンドゥル大使 ( 2013/11/28(木) 22:12 )