ポケットモンスターHEXA BRAVE












小説トップ
終幕の序章
AGGRESSORV
 彼は部下を一人だけつけてコウエツシティから出る便に乗り込んだ。肩で息をしていると、部下が話しかける。

「ヤグルマ隊長。本当にブレイブヘキサはこの便に乗ったのでしょうか」

 弱気な部下であるイシイが尋ねる。イシイは緊張した面持ちでフェリーの廊下を歩いていた。緑色の制服に肩口の「WILL」の縁取りでは嫌でも目立つ。彼らは旅行者を装う事にした。彼――ヤグルマは黒いジャケットに袖を通している。イシイはグレーの服を着ていた。傍から見れば、ビジネスマンのように見えるだろう。前を歩いていたヤグルマはイシイへと振り向いて指を向けた。

「イシイ。君は慎重なのはいい。だがな、決めた事をこなせないのは三流だよ」

 上官からの忠告にイシイは肩を落として小さくなった。ヤグルマは周囲を睨みつけながらネクタイを締める。この数年で随分と目つきが鋭くなった。笑って誤魔化していたかつての自分はオオタキの死と共に死んだ。今の自分はウィルの戦闘員、ヤグルマだ。

「しかし、奴らがどこにいるのかも分からないんですよ。ウィルの権限を主張出来ないとなれば探すのは厄介では?」

 ウィルの権限を使えば乗員名簿くらいは手に入るだろう。しかし、それをしなかったのは表立って動けば必ず相手は逃げると踏んだからだ。ブレイブヘキサは半端な連中ではない。それは彼らの実績を見れば嫌でも分かる。

「顔写真と名前は頭に入っているだろう。必死で捜せ」

「し、しかし……」

 いまだ覚悟の決まらぬ部下へとヤグルマは再度指差した。

「君は、しかしだの、だがだのが多いな。それでは前に進めない。いいかね? 進むための原動力はそんな言葉では得られんのだよ。我らこそが正しきものだと、実地訓練で習わなかったのかね?」

 ヤグルマの言葉にイシイは気圧された様子で、「も、もちろん習いましたよ」と口にした。

「ですがこのような実戦はないのです。恥ずかしい事ですが、実戦経験が薄くて……」

「それが君の言い訳かね」

「面目ありません」

 顔を伏せてイシイが呟く。ヤグルマはイシイの肩を強く掴んだ。

「訓練の事は忘れたまえ。実戦経験の事もだ。本当の戦いでものを言うのはそんなものでは決してない」

 真っ直ぐなヤグルマの視線にイシイは目を逸らした。肩を強く揺すぶる。

「いいかね。私の眼を見るんだ。この眼は君をしっかりと見ている。ただ反射しているだけでは決してない。私は君を買っている。リヴァイヴ団を殺すだけならば君の力は借りない。成長の機会を得ていると思いたまえ。せっかくの機会だ。逃すなよ」

 ヤグルマはイシイの肩を叩いて身を翻した。イシイは呆然としていたが、すぐに追いついて、「で、ですが」とその大柄な身体で主張した。

「自分にはその、ヤグルマ隊長が期待しているような働きが出来るとは思えないのです。何分、自信がないもので……」

「自信?」

 ヤグルマは肩越しにイシイを見やって、首を横に振った。

「自信とは、イシイ。何だと思う?」

 突然に問われてイシイは困惑気味に視線を彷徨わせた。

「何、と言われましても」

「君の中でも明言化されていない。そうだろう?」

 歩きながらヤグルマは廊下を行き交う乗客達や船室を窺う。リヴァイヴ団は特等船室を取っているかもしれない。まずは上から攻める事にしたヤグルマは階段を上がりながら口にする。

「自信とは、外界との、ひいては他者との接触において判断される部分だ。最初から自信を持っている人間などいない。自信とは、発揮すべき時に力を発揮した経験によってのみ引き出される。ためしに、そうだな。イシイ」

 ヤグルマが立ち止まり、周囲に目線を配る。踊り場では誰も聞き耳を立てる者はいない。

「君のポケモンで特等船室にいる乗客を数えたまえ。十秒だ」

「十秒でありますか?」

 突然放たれた課題にイシイは戸惑うように聞き返した。ヤグルマは顎に手を添えて、「可能だろう?」と返す。

「君のポケモンならば可能なはずだ。やってみたまえ」

 イシイは不安げな眼差しを伏せた後に、腰のホルスターからモンスターボールを引き抜いた。本来のモンスターボールとはカラーリングが異なり、赤い部分が緑色に塗装され、ウィルの頭文字である「W」が緊急射出ボタンの上に刻印されている。

 イシイは緊急射出ボタンに指をかけて声を発した。

「いけ、ゴチルゼル」

 手の中でボールが二つに割れ、中から光に包まれた物体が躍り出た。真っ黒いドレスのような姿を取るポケモンだ。リボンのような頭部をしており、紡錘状の身体がブロックのように積み重なっている。それぞれに白いリボンがあしらわれており、おちょぼ口に水色の妖艶な眼差しが娼婦のように周囲を見つめる。

 大柄なイシイには似合わぬポケモンであるその名をゴチルゼルと言った。エスパータイプのポケモンだ。ゴチルゼルがドレスのような身体を揺らして天井を仰いだ。瞑想するかのように瞼を閉じる。粘性を伴った青い光が揺らめき、イシイの頭部へと絡みついた。イシイがゴチルゼルに連動するように目を閉じ、息を軽く吸った後、その目を開いた。

「十九人です。乗務員は抜いた人数です」

 一瞬にして弾き出した数字にヤグルマは満足そうに頷いた。

「なるほど、参考になった」

 これはゴチルゼルの特性を利用した能力だった。ゴチルゼルは特性、「おみとおし」を持つ。ポケモンバトルにおいて相手の所有する持ち物が分かるという特性は、瞬時に周囲の状況把握が出来るという特性へと繋がる。もちろん、捕まえてすぐの状態ではゴチルゼルはその真価を発揮しない。当然、イシイの努力と経験によってゴチルゼルの特性の更なる先の能力を引き出したのだ。

「イシイ。君は今の私の要求を、出来ない、とは言わなかった。それは自信があるからだ。いいかね。経験によって君は成長するんだ。私は君に更なる経験を積ませたい。自信は勇者の才能に繋がる。君には勇者の資格があるんだ」

 我ながら大げさかと思ったが、部下にはこれくらいのうぬぼれを与えておいたほうがいい。自信のない部下などまるで使えないからだ。自分への信用から仕事への第一歩は始まる。そこから先を開くかどうかはその自身の有無が影響してくるのだと、ビジネスマンくずれのヤグルマには分かっている。

 勇者、と形容されてイシイは少し萎縮したように首を引っ込めたが口元が僅かに緩んでいるのが分かった。勇者と言われて喜ばない男はいない。

「自分には、そのような事は、もったいない事で……」

「君の能力は高く買っていると先にも言った。イシイ。十九人の体格、性別、構成人数などを割り出せるか?」

「や、やってみます」

 ヤグルマは内心でほくそ笑む。それでいい。無謀でもチャレンジする精神と機会を与える。そうすれば成長は自ずと促されるのだ。

 ゴチルゼルが青白い光を身に纏わせ、両手を広げる。ぽっきりと折れてしまいそうなほどに細い腕だった。深呼吸するかのように僅かに身体を仰け反らせ、水色の妖艶な眼が細められる。

 青い光がイシイへと纏いつき、イシイの頭部へと王冠のように被さる。トレーナーの脳へとダイレクトに情報を伝えている。エスパータイプならではの戦法だ。イシイが息をつき、「割り出せました」と目を開いた。

「十九人のうち、身長160センチ以上の人間は八人、性別は男性十一名、女性八名、十二歳以下の子供がそのうち五名、構成人数は家族と思われる団体が二組で、五人と四人です。ビジネスマンや旅行者と思われる人間が十人です」

「素晴らしい」

 ヤグルマが感嘆の息と共に指を鳴らす。イシイは謙遜気味に、「いえ」と後頭部を掻いた。

「この程度しか出来ません。自分は戦闘には向いてないもので」

「情報戦という定義からしてみれば、君の能力は賞賛に値する。何も殴り合うだけが戦闘ではないよ。して、そうだな……」

 ヤグルマは先ほどの情報から特等船室の乗員の特徴を整理する。ウィルに送られてきたブレイブヘキサの資料と合致するような人間はいたか、と頭の中で符号点を見つけようとする。情報を掻き集めるのが部下の役目ならば、その情報を整理し使える状態にするのが上官の役目だ。隊長という立場上、それを意識せねばならない。

「160センチ以上の人間が八名か。ブレイブヘキサである可能性は高いな。ビジネスマンや旅行者を装っている可能性から考えると、特等船室にいる可能性は否定出来ない。団員は確か六人のはずだ。ならば、攻める価値はあるか」

 ヤグルマはホルスターからモンスターボールを取り出した。それを見たイシイが仰天する。

「た、隊長。あれをやるんですか?」

 目を見開くイシイへと、「当然だろう」とヤグルマは返す。

「可能性がある以上、見過ごすわけにはいかない。上からしらみつぶしにやっていく。君は引き続き、フェリーの乗員を洗い出してくれ。一階層下げて絞り出せ」

「し、しかし、もしかしたら罪のない一般人かもしれないんですよ」

 主張するイシイの言葉にヤグルマは息をついた。

「イシイ。君は我らウィルが正義の味方か何かだと勘違いしているな」

「違うのですか?」

 愚直に返された声にヤグルマは思わずため息をついた。ウィルが便宜上正義を標榜する組織だという事は公然の事実だ。しかし、その構成員たるイシイがそう感じているとは思わなかった。

「イシイ。君には悪いがね。ウィルは正義を貫くために悪を代行する組織であると私は思っている。正義は確かに我が手にはある。だが、その手を全く汚さない正義の味方などは論外であり、我らとは対照的な位置にいる存在だ。正義とは、歴史の勝者、すなわち正しきものにこそ宿る。私は、正しきものではある。その自覚は持ちたまえ。そのためには流動する正義や悪の概念で縛られてはならないのだ」

 正義や悪で行動観念を縛っているうちはまだ何一つ出来ることなどない。正しさこそが唯一絶対の指標となる。

「たとえるならば、そうだな、君は料理されたものを食うな? チェリンボや他のポケモンを、生物を」

 イシイの胸元を指差してヤグルマが言葉を放つ。イシイは気圧されたように後ずさりながら頷いた。

「それは悪か?」

「き、規定された量以上を摂食するのは、悪ではないでしょうか」

 ヤグルマは首肯する。

「その通り。人間は自然を定められた量以上に陵辱し、悪を行ってきた。しかしだな、イシイ。それは必要悪であり、罪というものに分類される」

「罪、ですか」

「そうだ。人間は原罪の持ち主だ。生きながらにして他生物の犠牲の上に成り立っているという業を持つ。この世に生を受けた時点で、悪は皆の心の中にあるのだよ。その中で、正しき行いを出来るかどうかにかかっているのだ」

「正しき、行い……」

 イシイが熱に浮かされたような口調で繰り返す。どうやらイシイにはまだ早かったようだ。「いずれ分かる」とヤグルマは口にした。

「今はウィルとして正しき行いの上に成り立っている行為だと思いたまえ。これは呼吸や摂食と何ら変わりはない。我らは呼吸するように正しき行いをする。分かったかね?」

 まるで教鞭をとる講師のような口調で結ぶ。イシイは何度か頷いたが、まだその眼差しには迷いが見えた。

「正しきは我らにあり。たとえ身体が砕け散ろうとも、その成すべき心をなくさなければいい。いけ」

 ヤグルマが緊急射出ボタンを押し込む。放たれた光が広がり、形状を取った。それは棺おけのような形状をしていた。黄金の棺おけだ。中央に人間の顔面を象ったマスクの意匠があり、緑色のラインが入っている。棺おけは一度倒れたかと思うと、背面から瘴気のような闇が漂ってきた。分散していた闇が形を成して影の手となり、四本の影の手が棺おけの背部から伸びる。棺おけはそのうち二本を用いて起き上がった。瞬間、マスクの意匠の部分がぱっくりと割れ、拡張した。闇色の煙が漂い、内部が露になる。鋭角的な赤い眼が覗き、乱杭歯が噛み締められる。棺おけの怪物のようなこれはもちろんポケモンであった。

「――デスカーン」

 ヤグルマがその名を呼ぶ。デスカーンは四本の手を用いて壁に張り付いた。その大きさに比してほとんど物音を立てない。

「特等船室の人間の誰か一人に触れろ。それだけでいい」

 その命令に従ってデスカーンが壁を伝っていく。イシイはデスカーンを見て恐れるように目を戦慄かせていた。イシイはヤグルマの本意を知っているのだ。デスカーンがどれほど恐ろしいポケモンなのか熟知している。

「隊長。デスカーンの特性は……」

「今は何も言わなくていい」

 濁した語尾を断ち切るようにヤグルマは指を一本立ててイシイの唇の前に掲げた。

「トラブルは起こるものだ。どのような場所であっても。なに、すぐに死ぬわけじゃないさ」

 その言葉を聞いてイシイは身体を震わせた。ヤグルマはこの臆病な部下を持っていてある意味幸運に思う。自分だけならば迷わず乗客全員を犠牲にするだろう。

「イシイ。君の分析が早ければ早いほどに、事態は収束する。分かっているね?」

 圧迫するような物言いにイシイは頷いた。

「ゴチルゼル。下の乗客の気配を探ってくれ。出来るだけ早く」

 イシイ自身、このやり方を上策だとは思っていないのだろう。ヤグルマからしてみれば、目的遂行のためならば何人犠牲になろうとも構わなかったが部下が離れるのは面白くなかった。

「イシイ。君を信用している。一刻も早くデータを洗い出してくれたまえ」

 イシイは汗の浮いた額を拭い、瞼を閉じた。青い光が纏いつき、急かすように揺らめいた。


オンドゥル大使 ( 2013/11/18(月) 22:16 )