ポケットモンスターHEXA BRAVE












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終幕の序章
第五章 二節「希望の在り処」
 F地区へと向かうと既にユウキの顔は浮浪者の間で知れ渡っているのか、「よう、新入り」と声をかけてくるぼろを纏った浮浪者が多かった。

「今日はランポと一緒じゃないんだな」

「多分、もうここでは会わないと思います」

 そう告げると浮浪者は目を丸くしていたが、やがて察したように、「ああ」と頷いた。

「本土へとお呼びがかかったか」

「そんなところです」

 浮浪者はしばらく考え込むように顎に手を添えてユウキの顔を覗き込んだ。ユウキが気圧されるように後ずさっていると、浮浪者は骨ばった手でユウキの肩を叩いた。

「頑張れよ。お前らは俺達の希望なんだ」

「希望、ですか」

 浮浪者の口から出た思わぬ言葉にユウキは戸惑う。浮浪者は薄くなった頭を掻いた。

「そうさ。ランポがいてくれなきゃ、俺はとっくに野垂れ死にしていたさ。そんなお前達が本土へ行くんだろ。そりゃ、応援したくなるってもんよ」

 浮浪者の話を聞きながらユウキはふと口にした。

「不安には、ならないんですか?」

 浮浪者が目を向ける。やはり聞かなければよかったと後悔が胸を過ぎったのも一瞬、浮浪者は笑った。

「いつまでもランポにおんぶに抱っこってわけにはいかないからな。俺達も自分の足で踏み出さねぇと。もういっぺん、F地区を昔の活気に取り戻すくらいの気概がねぇとな」

 浮浪者の言葉にユウキは面食らったように呆然としていたが、やがて頷いた。この人達も前に進もうとしている。ただ屈するだけの未来ではない。カイヘンは終わっているものだとずっと思っていた。しかし、このような掃き溜めのような場所にも光はある。一縷の光にすがり付こうとする意思は残っている。意思の光があるのなら人生の迷宮はきっと抜け出せる。

「じゃあな。健闘を期待しているぜ」

 浮浪者が片手を上げて去っていく。ユウキもそれに応ずるように片手を上げた。

 F地区を奥へと進み、「BARコウエツ」へと踏み込んだ。扉を開けると涼やかな鈴の音が響き、その場にいた人々の視線が向けられた。ランポが定位置でカクテルを飲んでいる。テクワとマキシはテーブル席に座り、ミツヤとエドガーはその隣のテーブルについている。一人だけ脚を組んでふんぞり返っているのはレナだ。誰にも属さないとでも言うように離れたテーブル席に座っていた。店主がグラスを磨いている。

 ランポが、「揃ったな」と声を発した。ユウキはテクワとマキシの座るテーブル席へと歩み寄り、椅子を引いた。

「俺達はこれからコウエツシティを離れる。本土行きの便は午後五時ちょうど発だ。これを逃せば十日はない。準備は万全か?」

 エドガーとミツヤは軽装だった。テクワとマキシもほとんど着の身着のままだ。レナだけが大きなピンク色のキャリーケースを持っていた。ユウキもバックに入れた道具を確認し、頷く。ランポが全員を見渡してから、「よし」と立ち上がった。

「目的地はカイヘン地方本土の首都、ハリマシティだ。渡ったらすぐにレナを引き渡す算段となっている。俺達はそれまでにレナの護衛の任務を命ぜられた。いいか? 今までの任務とはわけが違う。これは俺達の命を賭けてでも果たさなければならない任務だ」

「レナちゃんにそれほどの価値があるとは思えないけどね」

 ミツヤの発した言葉にレナが、「何ですって?」と睨む目を寄越す。ミツヤがわざとらしく肩を竦めた。

「全員、チケットは持っているな?」

 ランポが懐から本土行きのフェリーのチケットを取り出す。ユウキはバックに入れておいたチケットを確認した。テクワが取り出す。くしゃくしゃになっており、今からそんな乱暴に扱ってどうする、とユウキは思ったが黙っておいた。

「既にウィルの実働部隊が動き出している可能性が高い。戦闘状態になる可能性も視野に入れろ。これからコウエツシティ南エリアへと向かう。その前に」

 ランポはそこで言葉を切り、身を翻した。グラスを磨いていた店主へと顔を向ける。エドガーとミツヤが立ち上がった。テクワとマキシもそれに倣い、ユウキも立った。レナだけが座ったままだった。

 店主は全員を見つめて全てを悟ったような目をしている。もうここに戻る事はない。それは店主との別れを意味していた。

「マスター。色々と世話になった。一言では言い尽くせないほど、俺達はマスターに支えられてきた。仁義を通させてくれ。ありがとう」

 ランポが頭を下げる。ユウキ達も同じように頭を下げた。店主は、「顔を、上げてください」と温和な声で言った。

「私とてあなた方に教えられた事は多い。若い力は素晴らしいんだ。これからもその輝きを忘れないでください」

 ランポは顔を上げた。店主と一番付き合いが長いのはランポなのだろう。店主の顔をしばらく見つめた後、「俺にとってマスターは誇りだ」と口にした。

「もし、コウエツシティに行く奴らを見かけたら、このバーを紹介する。いいマスターが、うまいカクテルを入れてくれる店だと言える」

「それは、嬉しい事を言ってくれますね」

 店主は歯を見せて笑った。犬歯の金歯が輝く。

「マスター。さよならだ」

「いつかまた、カクテルを飲みに来てください。いつでもランポさんのグラスは開けておきますから」

 ランポは一瞬だけ顔を伏せた。涙を見せたくなかったのかもしれない。ランポは次の瞬間には、涙の痕など思わせないようなリーダーの声を張り上げた。

「行くぞ。タクシーで南エリアまで向かう」

 ランポは歩み出した。それにつられるように、全員が後に続く。

「ユウキ君」と呼びかける声に気づき、ユウキは足を止めた。店主がユウキを手招いていた。ユウキは歩み寄って尋ねる。

「どうかしましたか?」

「ランポさんの事、よろしく頼みます」

「それならエドガーやミツヤに頼んだほうが――」

「いいえ。ランポさんを変えたのは、他でもないあなたですから。ユウキ君に言っておくのが筋だと思ったのです」

 ユウキは首を傾げた。自分がランポを変えたというのは俄かには信じられなかった。

「僕は、大した事なんてしていない。ただ自分の心に従っただけです」

「それが重要なんですよ。心に従う事は誰の胸にもある。それを実行するのは難しい。ユウキ君はランポさんにその決意をさせた。背中を押したんです。もっと誇りに思っていい」

 店主は微笑んだ。その言葉はユウキにとっては実感のないものだった。自分さえ迷いの中にあるというのに他人を変える事など出来たのだろうか。レナがキャリーケースを引きずって扉をくぐる。そろそろ行かなければ乗り遅れてしまう。

「僕も、そろそろ行かなくちゃ」

「ええ。最後にもう一つ」

 店主がユウキを真っ直ぐに見つめる。その眼差しでユウキは、聞かなければならないと駆け出しかけた足を止めた。店主は静かに言葉を紡いだ。

「ランポさんはあなたを信じている。それだけは忘れないでください」

 ユウキはその言葉に頷きを返した。店主が笑いながら、「行くといい」と口にする。

「きっと、あなた方ならば大丈夫だ」

 ユウキは身を翻した。穏やかなジャズの調べが背中に纏いつこうとする。ここが帰ってくる場所だと思っていた。しかし、もう帰れないのだ。そう思うとジャズの調べが語りかけてくるような気がする。ユウキは振り払うように扉をくぐった。涼やかな鈴の音がユウキ達を送り出した。

 F地区を抜けるまでの間、浮浪者に一人として会わなかった。どうしてなのか、と思っていると、エドガーが、「気を遣ってくれているんだな」と呟いた。

「どういう事ですか?」

「みんな、本能的に分かっているのさ。俺達が行っちまう事を。F地区はまた荒れるかもしれない。ひょっとしたらウィルの規制が厳しくなるかもしれない」

「そんな……、じゃあ、僕達が出て行かないほうが――」

「だからこそ、みんなは黙って送り出そうとしてくれているんだ。あいつらの気持ちを汲んでやれ」

 遮って放たれた声にユウキは何も言えなかった。エドガーもF地区の住人とは長いはずだ。胸を寂しさが過ぎる事もあるだろう。それを押し隠しているのだからエドガーは強いと思った。

「僕は、まだまだだな」

 ユウキは呟く。「何がだ?」とエドガーが尋ねた。

「ようやく馴染んできたから、離れたくないと思っている。勝手ですよね。最初はF地区を毛嫌いしていたのに」

「人間なんてそんなものだ。最悪の場所だと思っていたら、そこは自分を受け入れてくれる唯一の場所で、それに気づいた時にはもう遅いなんて事は往々にしてある。重要なのは送り出してくれる奴らの気持ちに気づけるかどうかだ」

「そう、ですよね」

「何だ? えらく哲学的じゃないの、旦那」

 前を歩くミツヤが茶化してくる。エドガーは、「うるさい」と低い声で言った。ミツヤが笑う。

 F地区の象徴たる鳥居に辿り着くと予め用意していたのか、ちょうどタクシーが三台停まった。

「エドガーとミツヤは真ん中のタクシーに同乗してレナを警護しろ。俺とユウキは前を、テクワとマキシは後ろに乗る」

 その言葉にレナが声を上げた。

「嫌よ。男二人と一緒なんて」

「つべこべ言うな。三人程度ならば余裕を持って乗れる」

 エドガーの声に、「そういう問題じゃないの」とレナはキャリーケースを示した。

「この荷物、指一本でも触ったら殺すからね」

「なら自分で持つんだな。俺達は前と後ろに分かれるぞ、ミツヤ」

「はいよ、旦那」とミツヤが応じてタクシーに乗り込む。

「ちょっと! 無視してんじゃないわよ!」とレナが怒りの声を発して、後部座席へと乗り込む。それを確認してから、テクワとマキシが後ろのタクシーに乗り込んだ。ランポに目配せされ、「行くぞ」と告げられたユウキは前のタクシーに乗ろうとして、「おぅい」という声を聞いた。

 振り向くと、鳥居の下でF地区の浮浪者達が集まっていた。皆、一様に汚い身なりだが、ユウキ達を見つめる眼差しは真っ直ぐなものだった。その中の一人が代表して歩み寄ってくる。先ほどユウキと話をした浮浪者だった。

「ランポ。ささやかだが、餞別だ、受け取ってくれ」

 浮浪者はランポに封筒を手渡した。その封筒には金が入っているのだと知れた。

「こんなに? みんなから受け取るわけにはいかない」

 突き返そうとしたランポの手を浮浪者が握って制した。

「俺達の思いだ。遠慮しないでくれ」

「だが、今日の暮らしも辛いのに」

「俺達はな、自業自得なんだよ。闇の先にある光を見ようとしなかった。絶望ばかりに目を向けて、僅かな光からは視線を逸らし続けた。今の俺達の現状はそのつけだ。こんな掃き溜めみたいな場所でお前みたいな光が生まれてくれたんだ。だったら、俺達だけでももうちょっと頑張れる。お前みたいな光を絶やしちゃいけねぇ。その光の手助けをしたいんだ」

 その言葉にランポは、「しかし」と言葉を返そうとして、無粋だと感じたのか口を閉ざした。浮浪者はユウキへと目を向けた。

「新入り。悪いがランポを頼む。こいつは無理をする奴だ。他人のためならどこまでも自分を犠牲に出来る。男の中の男だが、それが玉に瑕だ。支えてやってくれ」

 浮浪者の言葉にユウキは、「はい」と返事を返した。浮浪者は満足したように笑顔になった。

「ランポ。お前は俺達の希望。決して、途絶えるんじゃないぞ」

 ランポは封筒を受け取った手を握り締め、浮浪者を見据えた。

「約束しよう。俺は、俺達は決してお前達の意志を無駄にはしないと」

「俺達の事はたまに思い出してくれるだけでいい。前を向き続けろ、ランポ」

 こめかみを掻いて照れ笑いを浮かべながら、浮浪者は踵を返した。それと同じタイミングで、ランポは身を翻しタクシーへと向かう。

「行くぞ、ユウキ」

 その声には先ほどよりも強い意志が宿っているように思えた。ユウキはランポと共に後部座席に座った。「出してくれ」という言葉でタクシーが動き出す。ユウキはF地区の人々の送り出してくれる顔を見つめていた。布切れを振って別れを告げてくれる人々の姿をしっかりと網膜の裏に焼きつけ、ユウキは瞑目した。



オンドゥル大使 ( 2013/11/13(水) 21:57 )