ポケットモンスターHEXA BRAVE












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断章
AGGRESSORT
 酒の匂いが鼻をつく。

 彼は酒が苦手な部類の人間だった。それでも付き合いというものからは人間は逃れられないもので、今日も彼は同僚であるオオタキと共に近くの酒場へと通っていた。オオタキが頼むものはアルコール度数の高いチェリンボのリキュールだ。対して彼はいつも一杯目のビール以外はずっと烏龍茶を飲んでいた。オオタキが据わった目でふらりふらりと視線を彷徨わせ、自慢話を始める。オオタキの自慢話を聞くのが自分の役目のようになっていた。

「それでよぉ、俺はこう言ってやったのさ。『てめぇの上司の尻拭いくらいてめぇでしてやれ』ってな」

 オオタキが上機嫌で笑う。

 彼は特に何が面白いのか分からなかったが、曖昧な笑みを返す事で話の潤滑油となっていた。どうやら自分の笑みにはそのような効果があるらしいと分かったのはタマムシ大学にいた頃で、大学で所属していたサークルにおけるコンパで自分の笑顔は誰かの話を聞くのに最適であることが分かった。その時から彼は酒が大の苦手で、無理やり飲まされると十分もしないうちに吐き気を催すのだ。

 彼はタマムシ大学出のエリートだったが、勤めている会社は外資系の中小企業だった。タマムシ大学出身となればシルフカンパニーやデボンコーポレーションにも顔が利きそうなものだが、彼はポケモンに対してあまり興味が持てず、ポケモントレーナーに対する商品を取り扱う二社は彼の志望の対象外であった。それでも面接は受けたが倍率は高く、情熱もない自分はあえなく二次選考で落とされた。ある意味、当然の結果だとして受け止めている。

 彼は今の自分の境遇に特に不満を抱いているわけではない。ただ酒の席というものは苦手だ。オオタキは赤ら顔を彼に向けて、「お前も何か話せよ」と促した。彼には話の種になりそうな話題はない。愛想笑いを返すと、オオタキは舌打ちを漏らした。

「いつでもその笑顔でスルーされるんだよな。まぁいいや。俺のとっておきの話があるんだ」

 オオタキは急に声を潜めた。今まで大声で話していた人間とは思えない。しかし酔っ払いなどそのようなものだろう。彼は適当に相槌を打った。

「とっておき、というのは」

「そうだな」

 オオタキが天井を眺める。空気を循環させるプロペラがゆっくりと回転している。暖色系の照明が黒色の壁にこびりつき、密閉空間を広がりがあるように見せている。

 オオタキはしばらく思案しているようだった。まさか話す内容を忘れたか。それとも最初からとっておきの話などなかったか。彼が烏龍茶を口に運んでいるとオオタキは、「お前さ」と出し抜けに言葉を発した。

「カイヘン地方って知っているか?」

「カントーの北東にある地方でしょう。知っていますよ。常識じゃないですか」

 カイヘンと言えば六年前の事件を思い出す。俗にヘキサ事件と呼ばれているテロリストが起こしたカントーへとの反逆行為だ。カイヘンで活動していたロケット団残党組織と自警団ディルファンスが手を組み、ヘキサという名前となってカントー政府中枢、セキエイ高原への侵攻を宣言した。

 当時、まだ学生だった彼は動画サイトで流れてきたヘキサ蜂起の映像にコメントを加えたものだ。「どうせガセだろ」や、「釣り確定」など他のコメントと大差ないものだった。しかし、ヘキサはカイヘンの首都であるタリハシティを空中要塞と化し、質量兵器としてセキエイ高原への落下作戦を立てていたことが後年明らかとなった。

 カントーはこの事態を重く見てカイヘンに対する様々な政策を講じる。

 独立治安維持部隊ウィルによる間接統治、トレーナーのポケモンの所有数の削減、輸入制限などカイヘンは今暗黒時代にあると言ってもいい。彼の勤め先である外資系企業はカイヘンにも支社があったが、上層部の意見はカイヘンでは儲からない、であった。カイヘンはほとんどカントーの属国に近いらしい。物流は滞り、金は回らず、大きな企画などとてもではないが動かない。加えてウィルに対抗する地下組織、リヴァイヴ団なるものが現れ始めた。カイヘンに渡るのは危険だとさえも言われている。犯罪の発生率も高く、カントーに住む人間がカイヘンに行って被害を受けたという話もネットではざらだった。

「俺は昔、カイヘン支社に飛ばされたことがあったんだ」

 オオタキがリキュールに口をつける。それは初耳だった。

「へぇ、そうだったんですか」

「その頃のカイヘンといや、ヘキサ事件のすぐ後だったから、えっと何年だったかな」

 オオタキが指折り数えている。酔っ払いの記憶ほど当てにならないものはない。彼が半ばこの話が進展する事を諦めていると、「そうだ。四年前」とオオタキが言った。

「四年前ですか。ちょうどウィルが出来た頃ですね」

「そうなんだよ。ウィルがカイヘン地方で幅を利かせようとしていた矢先の出来事だった。その頃の俺はまだ若くてな。頭もこんな風ではなかった」

 オオタキがすっかり薄くなった頭皮を撫でる。彼はオオタキが真面目に話をしたいのか、ふざけたいのか分からなかったが上司の機嫌は損ねるべきではないと何度か頷いた。

「それでだな、肝心の話なんだが、四年前にな、ちょっとした開発の機会があって俺はその視察に向かっていたんだ。カイヘンのちょうどタリハシティ跡地だな。モニュメント建設計画にうちの会社も出資して、俺は現場監督だった。荒涼とした大地が広がっていてな。本当にここに街があったのかって疑わしいくらいだったよ」

 オオタキが身振り手振りでその「荒涼とした大地」を表現しようとしたが、うまくいかなかったのか首を振ってリキュールを呷った。息をついてオオタキはグラスを掴んだまま、「本当に」と口にする。

「わけが分からなかったんだ。何が起こったのかって事が」

「何かあったんですか?」

 彼は少し興味を持ち始めていた。カイヘンには行った事がない。異国も同然だったからだ。酔っ払いの話でも少しは聞く価値があるかもしれない。

 オオタキは暗い瞳を彼へと投げつけた。何か思い出したくない事なのか、ぼそりと呟く。

「聞いたって、どうせお前は信じねぇよ」

「そんな事ありませんよ。話してください、オオタキさん」

 オオタキの肩を掴んで揺さぶる。オオタキはテーブルに視線を落としながら、「じゃあ話すけどよ」と前置きした。

「これは嘘とか幻覚じゃねぇからな。あいつら、こぞって俺が夢でも見たと思いやがって」

 あいつら、とはこの話を前に聞いた人々だろう。それほどに現実味のない話なのだろうか。彼は躊躇したが、やはり少し気になるのでオオタキに促す事にした。

「話してくださいよ。僕ならいくらでも話し相手になりますから」

 オオタキがちらりと彼へと視線を向ける。オオタキはゆっくりと頭を振って、目線を上げた。

「あの日はよく晴れていたんだ。俺は、数人の仕事仲間と一緒にタリハシティ跡地へと訪れていた」

 オオタキの眼が遠くに向けられる。六年も前の話だ。思い出すまでに時間がかかるのだろう。彼は烏龍茶を飲んで視線をテーブルの隅に向けた。適当に相槌を打っておこう、と思いながら。

「確か、宇宙空間でテロがあったんだ。その二日後だよ。記憶が正しければ、そうだった。俺達は視察の名目で適当に仕事を切り上げるつもりだった。面倒事は全部下請けに任せてよ。そうすりゃ、今日はうまい飯でも食えるなって思っていたんだ。そうだった。それで仕事仲間とこの後の打ち合わせをして、もう俺は飲みに行く気だったんだ。するとだ、昼間だって言うのに西の空に引っ掻いたみたいな流星が見えた。一瞬、目の錯覚だと思ってもう一度見ると、その流星が見る見るうちに近づいてくる。青白い火球が目玉いっぱいに広がって。次の瞬間、とんでもない音がした。あれは、破裂音だったのかもしれないな。爆発の音なんてものを俺は今まで聞いた事がなかったが、それだったのかもしれない。とにかく、とんでもない音と共に地面が揺れた。地震かと思った。最初は誰だってそう思ったんだ。でも、揺れ自体はすぐに収まった。何だったんだ、と誰もが視線を交わしあった。するとだな、ちょっと行ったところにある地面から煙が上がっていたんだ。当然、俺達はそこへと向かった。何故だかふわふわとしていて現実味がなかった。今の音と揺れの瞬間に自分が何者かに挿げ変わったみたいな感覚だった。俺達は煙の上がっている場所へと向かい、そこでようやく何かが落ちてきたんだと知った」

「落ちてきた? 隕石ですか?」

 彼は思わず身を乗り出して尋ねていた。オオタキの声が次第に重みを増しているように思えたからだ。もっともこれは怪談話の類なのかもしれない。オオタキは準備された話をただ淡々と話しているだけなのかもしれなかったが、彼は少し興味を引かれるものがあった。このセクハラ部長と陰口を叩かれているオオタキがいつにも増して真面目な口調で語っている。その事が彼の好奇心を刺激した。オオタキはゆっくりを首を横に振った。

「違うんだ。あれは、隕石なんかじゃなかった。いや、隕石だと俺達も思ったんだ。でも、隕石が落ちたにしちゃ規模が小さい。クレーターが出来ていたんだが、それもほんの少しだった。クレーターから上がる煙を見て、何人かが身を引いた。自分は関わりたくないと思ったんだろうな。でも俺は何が起こったのか、この目で見たいと思った。同じように感じた奴らと一緒にクレーターの底を覗き込んだよ。そうしたら、いたんだ」

「いた、というのは」

 彼はオオタキの話にのめりこんでいた。いつもの声音ではない。尋常ではないと感じたからだ。

 オオタキが暗い眼差しを彼へと向ける。彼は覚えず唾を飲み下した。

「最初は隕石だと思った。でも、それは紫色に輝いていた。球体で、何かなと何人かがクレーターへと降りていったんだ。俺もその中の一人だった。クレーターの底にいたのは、何と言うか無機物とかじゃなかった。あれはな……」

 その時、「オーダー入りまーす!」と店員の声が弾けた。話に聞き入っていた彼は肩をびくりと震わせる。オオタキは店員の背中を眺めながら、首を傾げた。彼は話の先を促そうとした。

「あれは、何だったんですか?」

 オオタキは放心しているように見えた。もしかしたら酔い潰れる直前なのかもしれない。彼はオオタキの肩を掴んだ。

「オオタキさん。しっかりしてください」

 その声にオオタキはハッとして、彼の眼を見つめ返した。その眼には恐怖の色が宿っていた。わなわなと眼球を震わせてオオタキが額に手をやる。

「そうだ。あの時もそう言われた。何もかも分からなくなって、しっかりしてくださいって。あれはウィルだったか? 俺達は隕石が落ちてきたショックで気を失ったって……」

「オオタキさん。隕石なんかじゃなかったんでしょう?」

「……そうだよ。隕石なんかじゃなかった」

 オオタキは頭を抱えた。そろそろ限界かもしれない。思い出そうとしてか、オオタキは店員に注文した。若い女性店員が立ち止まってオーダーを取る。

「チェリンボの水割り」

「はい。以上でよろしいですか?」

 オオタキは頷き、店員は踵を返す。店員が充分に離れてから、彼は訊いた。

「隕石じゃなかったとしたら何だったんですか?」

「俺にもよく分からない。ただ、あれは人だったような気がする」

「人?」

 その言葉に彼は目を見開いた。まさか人が天から落ちてきたとでも言うのか。それこそ夢物語だ、と言いかけたがここで否定してはこれ以上の話は聞けないと思い、口を噤んだ。

「人、だったとして、どうして落ちてきたんですか?」

「俺にだって分からない。分からないんだ」

 オオタキが頭を抱えて目元を拭ったところで、チェリンボの水割りが運ばれてきた。リキュールのグラスを取り下げて店員が帰っていく。彼はゆっくりと言葉を重ねた。

「いいですか、オオタキさん」

 オオタキは頷く。

「タリハシティ跡地に何かが落ちてきた。それは隕石じゃない。人だったと言う。でも、じゃあその人間は何者なんですか?」

「分からない。いや、人じゃなかったもしれない」

「人じゃない? ならば何ですか?」

 オオタキは水割りを一気飲みした。息をついて肩で呼吸をしながら呟く。黒色の壁を眺め、「ポケモンだ」と口にした。

「ポケモン、ですか」

「ああ、それなら説明がつく。あれはポケモンだったんだ。だから、あんな事になった」

「あんな事、とは?」

 烏龍茶で喉を潤しながら尋ねる。オオタキはテーブルに肘をついて額を押さえた。

「俺以外の社員、従業員は重傷を負っていた。彼らは一様に眼や腕など一生の傷を負わされていた」

 オオタキの発した言葉に彼は瞠目した。そのような鮮烈な事件だとは思いもしなかったのだ。

「そんな事件、公になったんですか?」

「もちろん、ニュースにはなった。ただゴシップの類として捉えられた節はある。タリハシティ跡地で従業員らが怪我なんて、オカルトマニアが好きそうな話題だろう」

 言われてみれば確かにそうだ。もしネットで評判になっても、それは他の大多数の話題と同じく一瞬で消費されて消え行く話題の一つだろう。

「でも、俺は見た。思い出してきた。あの人間、いやポケモンか。見た事のないポケモンと、それに人間だった。ポケモンは人間を守るように被さっていたんだ。ちょうど隕石みたいに丸まった形状で。そうだ。そのポケモンが紫色に光っていた。あれは、妙な姿形をしていた。ヒトに近いんだ」

「ヒトに近い、ポケモンですか」

 彼は背筋を寒気が走っているのに気づいた。いつの間にかオオタキの話のペースに乗せられている。落ち着け、と彼は胸中に呟く。酔っ払いの戯れ言かもしれない。

「だがヒトとは違う。オレンジ色の体色で、形状は……そうだな、ガムって分かるよな」

「あのお菓子のガムですか?」

「そう。それみたいな平べったい手足をしていた。首の継ぎ目はなくって、丸い頭部だった。ところがだ。ああ、これは俺の見間違いだと信じたいが、そいつは俺の目の前で変形、いや変身した」

「変身、って……」

 覚えず語尾が疑わしさを帯びる。オオタキは、「言いたい事は分かる」と手を掲げる。その手を内側に返してオオタキは見つめた。

「ただ、変わった。それだけは言える。そいつは俺の目の前で形状を変えた。今まで内側の、何かを守るために殻みたいな形状をしていたそのポケモンが突然スマートな体型になって、手足が尖って、まるで全身が武器みたいな姿になった。その後は……」

 オオタキは言葉を濁して片手で顔を覆った。苦しげな呻き声を喉の奥から漏らす。思わず彼は、「大丈夫ですか?」と尋ねていた。

「何だ? あの後何が起こった? 何かが起こって、それで俺達は、いや俺以外の人間は一生の傷を負わされた。ただ何かが見えたみたいな気がするんだ。あのポケモンが落ちて来た時、必死になって守っていたもの。そいつが命じた。そのポケモンに、俺達へと視線をやって。そいつは……」

 オオタキは突然奇声を上げて両手で顔を覆った。手を滑らせ首根っこを押さえつける。何をしているのか、彼が理解する前にオオタキは自分の首を絞め始めた。

 その瞬間、彼はオオタキの背後に青白い何かを見た。槍の穂先のように尖った頭部を持っている人型の何かだ。それがほんの一瞬だけ幽鬼のように揺らめいたかと思うと薄っすらと消えていった。青白い光の残滓をオオタキの首筋に残す。

 その事にようやく彼が気づいた時、オオタキの手を離そうとしたが万力のように組み付いていて離れない。オオタキは蛙が潰れたような鳴き声を上げた後、口から泡を吹いてテーブルに突っ伏した。

 彼はオオタキの背中を揺すった。

「オオタキさん? しっかりしてください! オオタキさん! 誰か……」

 周囲へと視線を配り、そこでようやく現実認識の追いついてきた客や店員が騒ぎ始めた。

 オオタキは一時間後に病院へと搬送されたが死亡が確認された。

オンドゥル大使 ( 2013/11/08(金) 22:07 )