第四章 六節「鍵の娘」
白亜の建築物がそこにはあった。
赤茶けた大地と傾斜のある山脈の合間に作られた目立たない建物だ。研究施設、と言ってもささやかなものなのだろう。直方体に近い無機質な研究所へと三人は踏み込んだ。
既に扉は開いていた。内側のガラス戸が叩き割られ、入ったところには二、三人の白衣を着込んだ男達が倒れている。頚動脈を正確に切り裂かれており、即死に近かった。研究員達なのだろう。白衣に血が飛び散っている。エドガーが舌打ちを漏らした。
「全部終わった後だったのかよ」
「俺達が来たのは一足遅かったって事か。シバタがやったんだろう」
ミツヤが口にして苦々しい顔をした。シバタとの過去はユウキも見た。かつてのウィルでの同僚。その繋がりを消し去ってまで、ミツヤは今の場所を守りたかった。ミツヤは裏切りの上に自分の存在があると思っているようだ。だが、何もミツヤが特別なわけではない。人は誰だって裏切りを犯しているものだ。ミツヤが自覚的なだけだろう。本当の裏切りは、それにさえも気づかない。
「ということは、カシワギ博士は……」
濁した語尾にエドガーが、「悪い予感が当たっていなければいいが」と口にした。ミツヤに肩を貸しながらゆっくりと歩いていく。研究所の一階部分は全滅だった。精密機器や実験器具は破壊され、研究員も一様に同じ殺され方をしている。
「二階か」
ミツヤが呟いて、椅子に座り込んだ。片手を振るう。
「旦那と新入りで行ってくれ。俺は少し休む。お荷物になるのはゴメンだからな」
ミツヤの言葉にエドガーは了解の頷きを返した。ユウキへと視線を向ける。ユウキも頷く。
「分かりました。行きましょう」
ユウキとエドガーは階段を上がった。ユウキはふと椅子に座って休んでいるミツヤへと肩越しの一瞥を向けた。それに気づいたエドガーが声をかける。
「気にするな。あいつにはあいつの考えがある」
「やっぱり、思うところがあるんでしょうか」
「さぁな。ただ、俺があいつの立場でも、過去を暴かれてお荷物になっているんじゃいい気分はしないだろうな」
エドガーの言葉はどこか突き放すかのようだ。しかし、その実はミツヤの事を誰よりも心配しているのが分かる。エドガーはミツヤのために冷たく接しているのだ。
「優しいんですね、エドガーは」
「俺は優しくなんてない。下らないお喋りはするな」
緊張をはらんだ声にユウキは、「はい」と返す。二階の階段を上ったところにある踊り場で、一人事切れていた。研究員で抵抗したあとがある。壁に押し付けられて、足の腱を切られ、動けないところを首筋に一撃、といったところだろう。ユウキは開かれた状態の瞼を、そっと閉じさせた。両手を合わせて黙祷を捧げる。エドガーは一足先に二階へと辿り着いていた。
その後を追うと、二階の研究室の扉が開いているのが目に入った。ユウキとエドガーは足音を殺して歩み寄る。扉の前でエドガーが頷き、ゆっくりと戸を開けた。
ユウキがホルスターからボールを取り出して、いつでもテッカニンを繰り出せるようにする。押し入ってみると、そこには誰もいなかった。否、人はいたが生きている人間は一人としていなかった。銀行の大金庫のような巨大な扉の前で三人の男が首を掻っ切られて物言わぬ死体となっている。二人の研究員は床に倒れ伏していたが、一人だけは扉の前で番人のように背中を預けていた。エドガーはその研究員へと歩み寄る。ユウキもその背中に続いた。
扉の前にいる研究員は中年の研究員だった。白衣の胸元に名前のプレートがある。エドガーは近づいて、その名前を見た。
「……カシワギ博士だ」
エドガーの声にユウキは声を詰まらせた。目的であったカシワギ博士は完全に事切れている。揺すっても返事がないのは明白だった。
「じゃあ、僕達はどうすれば……」
「分からない。データのほうはウィルの構成員と共に消滅しちまった。機械類には俺は詳しくない。それに詳しくたって……」
エドガーは思わず言葉に窮したようだった。機械類は余さず破壊されている。後でリヴァイヴ団の尖兵である自分達が来る事を予期していたのだろう。データの修復は無理な相談に思えた。
「カシワギ博士は、最期まで守りきったんでしょうか」
ユウキは屈んでカシワギ博士の顔を覗き込む。目が見開かれていた。ユウキは合掌して瞼を閉じさせようと手を伸ばす。すると、ユウキの視界にあるものが飛び込んできた。カシワギ博士の手の中に何かが掴まれている。ユウキは固く握り締められたそれをゆっくりと解いて、手に取った。
「何だそれは?」
後ろからエドガーが窺う目線を寄越す。ユウキは立ち上がって掲げてみた。どうやらカードキーのようだった。
「どこのカードキーなんでしょう?」
「今さら意味なんてあるのか? ほとんどの精密機器が破壊されているんだぞ」
首を傾げていると、エドガーがユウキの手からカードキーを引ったくり、顎に手を添えてカシワギ博士とカードキーを見比べた。
「……いや、待てよ。カシワギ博士は命を賭してここを守ろうとした。ってことは、だ」
エドガーはカシワギ博士の遺体を持ち上げ、横に退けた。それを見たユウキが目を見開く。
「何するんですか、エドガー。死者に対して……」
「その死者の、最期の声だ」
エドガーはカードキーを翳して、金庫のような扉の前に立った。カシワギ博士の遺体があった箇所に認証パネルがあった。
「カシワギ博士が守りたかったのはこれだ。自分の身を挺して、この金庫を守りたかったんだ。ウィルの構成員はカシワギ博士に阻まれて、この金庫の中を物色する事が出来なかった」
「では、その金庫に何かが?」
「分からん。だが、カードキーがあり、それを通す認証パネルが死体の背後にある。偶然にしては出来すぎている」
エドガーはカードキーを通した。『認証しました』というアナウンスが響き渡り、ガチャリとロックの外れる音が響いた。
「当たりだな」
エドガーは金庫の扉を力任せに引っ張った。ギィと重い音を立てて金庫がゆっくりと開いていく。ユウキとエドガーが中を見やった。
金庫の中には蹲った人影があった。人影はユウキ達に気づくとびくりと肩を震わせた。モンスターボールを突き出し、人影が叫ぶ。
「く、来るなら来なさい! ただでは死なないわよ!」
少女の声だった。エドガーは扉を押し開いて明かりを入れる。少女の姿が明瞭になった。白衣を纏った線の細い少女だった。長い黒髪で、ピンクの髪留めをしている。ピンクの縁取りの眼鏡をかけており、ユウキは「研究者」という言葉が真っ先に浮かんだ。エドガーが一歩踏み出して、「おい」と尋ねる。少女が短い悲鳴を上げて後ずさった。ユウキがすかさず声を差し挟む。
「待ってください。敵じゃない。僕らは、あなたを保護しに来ました。失礼ですが、あなたの名前は?」
少女は肩を抱いたまま、それでもモンスターボールは即座に突き出せるようにしつつ、ユウキとエドガーを見やる。エドガーの体躯は少し威圧的に見えるかもしれない。ユウキは意図して歩み寄り、声をかけた。
「僕らはリヴァイヴ団です。カシワギ博士を保護しに参りました。落ち着いてください、敵じゃない」
同じ言葉を繰り返し、少女はようやく事態を飲み込んだように二人の顔を交互に見た。目は見開かれている。ユウキは少女へと一歩踏み出した。少女が怯える気配が伝わる。エドガーが手で制しようとしたがその前に、ユウキは屈んで少女と目線を合わせた。ゆっくりと語りかける。
「敵じゃないんです。もう敵は倒しました。僕らは、あなたの味方だ」
「……味方」
呆けたように口にする少女にユウキは問いかけた。
「あなたの名前は?」
その言葉に少女はいくばくかの逡巡を置いた後、ユウキの目を見つめて口を開いた。
「レナ。レナ・カシワギ」
その名を聞いてユウキはエドガーへと振り返る。エドガーも驚きの表情を隠せないようだった。
「では、あなたはカシワギ博士の?」
尋ねたのはエドガーだ。少しだけ気圧されたような様子を見せた後、レナと名乗った少女は頷いた。
「はい。娘です」
エドガーは額に手をやった。ユウキへと目線を向ける。「どうする?」という合図なのだろう。ユウキも皆目見当がつかなかった。
「とりあえず、ランポに報告を。そうしなければどうにもなりません」
「だな。俺が報告する。お前はその娘を頼む」
エドガーが金庫から出てポケッチで通信を繋ごうとしている。レナはユウキを見やり、首を傾げた。
「あなたもリヴァイヴ団なの?」
「はい。僕はまだ新入りですが、リヴァイヴ団の一員です」
「証拠はあるの?」
証拠、と問われるとユウキは少し迷った。あたふたしているとエドガーが助け舟を出した。
「胸のバッジを見せろ」
その言葉に、「ああ」と頷いて、ユウキは胸のバッジを示した。「R」を反転させたバッジをレナはまじまじと見る。ユウキは同時に観察の目を注いでいた。歳はまだユウキとさほど変わらない程度だろう。このような少女が研究に加担させられていたのか。あるいは偶然居合わせただけか。どちらにせよ、不幸な因果だとユウキは思う。
その時、レナと目が合った。どうやらレナもユウキを観察していたらしい。近くで視線を交わし合い、眼鏡の奥の瞳が紺色をしている事に気づく。
「変わったファッションね」
レナが言った意味が一瞬分からなかったが、自分の服装の事を言われているのだと分かり、ユウキは苦笑した。
「変ですか?」
「目立つわ」
レナはそう言ってすくっと立ち上がった。ユウキが、「まだ動かないで」と制す声を出すも、レナは金庫から出て行こうとする。金庫の前には父親の遺体が転がっているはずだ。ショックを見せるかもしれない、とユウキは慌てて駆け出そうとしたがもう遅かった。レナは金庫の前で横たわっている父親の遺体と対面していた。エドガーが少し離れたところで通信をしている。止めなかったのは、あえてだろうか、とユウキが考えているとレナが口を開いた。
「死んだのね、お父さん」
レナは周囲を見渡した。カシワギ博士だけではない。研究員の死体からも彼女は視線を外す事はなかった。真っ直ぐに見つめる眼差しに、ユウキのほうが、「無理はしないほうがいい」と言っていた。
「無理はしていないわ。でも、みんなあたしを守るために死んだんだと思うとね。ちょっと悪いなと思うだけ」
本当に胸中はそれだけだろうか。もっと思うところがあってもいいようなものだ。しかし、レナは気丈に振る舞っているようには見えない。当たり前のように死を直視しているように見えた。カシワギ博士へとレナが歩み寄る。屈んでカシワギ博士の瞼を閉じさせた。
「父の確保が目的だったんでしょう」
背中を向けながらレナが尋ねる。ユウキは、「そうですけど」と煮え切らない様子で呟いた。カシワギ博士に娘がいるなど聞いていなかった。その娘を、命を賭して守ろうとしたカシワギ博士の思いはやはり父性愛なのだろうか。考えを巡らせていると、レナが出し抜けに、「でもあたしが生きていれば問題ないのでしょう」と告げた。
「それは、どういう意味ですか?」
ユウキが尋ねると、レナは立ち上がって天井を仰ぎながら言葉を発した。
「あたしの中に全てがあるから」
「全て……」
理解出来ずに鸚鵡返しにすると、レナは人差し指でこめかみを示した。
「研究データはあたしが全部覚えている。だから、父はあたしを守ったんだわ。最後の砦として、あたしの脳内に蓄えられているデータを守るために」
「そんな……」とユウキは口にしていた。そのような動機なものか。カシワギ博士は娘を守るために命を落としたのだと、そう言いたかった。データだけなはずがない。しかし、ユウキのそんな思考回路を見透かしたようにレナは冷静な口を開く。
「そんなものよ。科学者なんてね。ドラマチックな親子の愛情なんてないのよ。あるのは合理的に事態を分析する能力だけ。父は自分の頭脳と、この研究所のデータと、あたしの頭脳を秤にかけて、あたしの頭脳のほうが重要度が高いと判断した。だからあたしを生かした。真実ってそんなものよ」
ユウキは返す言葉がなかった。それも一つの親子のあり方なのだろうか。自分にはミヨコやサカガミとの関係でしか物事をはかれない。親子関係というものに無頓着なのはむしろ自分のほうなのかもしれなかった。
「それでも、カシワギ博士は、お父さんはあなたを守ったんだ」
ユウキに言える抗弁はそれだけだった。
「そうね。事実は事実。でも、それで感情的になるような人種じゃない。ウィルを憎むわけでもないし、あたしは自分が生きていればそれで構わない。それがあたしの存在理由だから」
あまりに淡白な答えに、ユウキはどう返していいか分からなかった。カシワギ博士の望んだのはそのような生き方なのだろうか。違う、と断じる事も出来ずにユウキはかかしのように立ち尽くすしかなかった。レナは歩き出していた。エドガーへと歩み寄り、「連絡は取れたのかしら」と髪をかき上げる。
「ああ。あんたの情報はなかったようだが、生存者は連れて帰れとのお達しだ。俺達が見た限り、この研究所で生きているのはあんたしかいない」
「そう。全滅したわけね。ウィルがやったの?」
その言葉には棘の一つも含まれているようには思えなかった。ただ情報を整理しようとしているだけだ。ユウキは彼女が機械の塊か何かに見えた。
「そうだ。俺達が遅かったばかりに、被害を出してしまった。心から詫びよう」
エドガーが頭を下げる。レナは、「あなた達のせいじゃないでしょう」と冷淡に返した。
「ここでリヴァイヴ団に関わる研究をしていたのなら、誰しも覚悟を持っていたはず。生きているあたしが出来るのは彼らに哀悼の意を捧げるだけ」
「そうだな。彼らは尊い犠牲だった」
エドガーが頭を上げる。胸元に拳を当て、目を閉じた。黙祷なのだろう。ユウキもそれに倣って、胸元に拳を当てて目を閉じる。ここで散った数十人の魂に捧げる黙祷に対して、レナは腕を組んで不遜そうに言った。
「そういう習慣は科学者にはないの。あたしは勘弁してもらえるかしら」
「ああ、これは個人の勝手だ」
エドガーがそう言うと、レナは階段へと向かっていった。二人がその背中を見つめていると、白衣を翻してレナが言葉を発する。
「何しているの? 早くここから出ないと。騒ぎになるわ」
レナの言葉にユウキとエドガーは視線を交わした。どうにもレナとは思考回路が違うらしい。そう割り切るしかなかった。ユウキとエドガーが歩き出す。エドガーがレナの隣まで駆け寄った。
「何?」
レナが怪訝そうな目を向ける。エドガーは短く告げた。
「危ないので」
「危ないって、あなた達がウィルを倒してくれたんじゃないの?」
「それでも、まだ危険が去ったわけじゃない。カシワギ博士の娘、あんたをコウエツシティまで無事に連れて行く義務がある」
「それは誰の命令?」
レナが身体ごと首を傾げる。エドガーが顔を背けて返した。
「俺達のリーダーの命令だ」
「あなた達のリーダーね。強いのかしら?」
「あの人は強い。誰よりも」
エドガーの言葉に、レナは興味がなさそうに、「ふぅん」と返した。一階まで降りると、ミツヤが立ち上がって、「生存者?」とレナを指差した。レナが不服そうに頬を膨らませる。エドガーが補足説明をした。
「カシワギ博士の娘だ。保護義務が発生した」
「というわけでよろしく」
レナの声にミツヤが、「はぁ」と生返事を返す。エドガーは外へと行こうとしていた。ユウキもその背中に続く。ミツヤはレナと話しながらゆっくりと歩き出していた。
外に出たエドガーは深呼吸をした。鼻の下を拭い、「血の臭いがこびりついてやがる」と言い捨てた。
懐から煙草を取り出す。ポケットをまさぐってライターを取り出して、くわえた煙草に火を点けた。ユウキもエドガーのように一服というわけにはいかなかったが、肺の中の空気を一新したい気分だった。濃厚な血の臭いが服についているような気がしたからだ。
「カシワギ博士の娘さん? 娘さんいたんだ?」
ミツヤがレナと話しながらゆっくりと追いついてくる。レナは白衣のポケットに手を入れながら、「まぁね」と返した。
「君、頭いいの? 研究員だったって事は」
「そこそこよ。人並み程度の教養はあるつもりだわ」
「謙遜する事ないじゃない? カシワギ博士が傍に置きたがったんだからさ」
「ミツヤ」
お喋りをエドガーが制する声を出す。ミツヤが、「おっと」と口にチャックをする真似をした。エドガーは煙草を捨てて、足で踏み消した。
「悪いね。俺達は君の保護が最優先。話し相手はコウエツに着いてから」
「別にいいわ。研究所暮らしもしばらく続いていたから、外の世界も飽きないし」
ミツヤはレナと歩調を合わせていた。ゆっくりとしか歩けないのだろう。それを知ってか、エドガーは苛立ちつつも歩調を速める事はない。ユウキはエドガーの隣を歩いた。ミツヤからの刺すような視線は感じなくなった。先ほどの戦いで少しは心を許してくれたのだろうか。代わりのようにレナの観察する視線を背中に感じた。レナは貪欲にユウキ達を観察し、研究しているように見えた。ユウキが肩越しに振り向くと、レナは澄ました表情で空を仰いでいた。
「晴れているわね」
何でもない言葉のように思えたが、先ほど彼女は研究所暮らしが続いていたと言っていた。ならば、もしかしたら青空を見るのも久しぶりなのかもしれない。レナを窺うと、片手を翳して眩しそうに目を細めている。太陽さえ観察対象としているようだった。
「次の定期便は一時間後だ。船着場で時間を潰すしかないな」
「そんな悠長でいいの? 研究員はあたし以外全員死亡。警察やウィルが来てもおかしくないんじゃない?」
レナが白衣のポケットに手を入れながら肩を竦める真似をする。エドガーが厳しい眼差しを送った。
「ウィルがやったんだ。奴らとて大っぴらには出来ないだろう。俺達に罪をなすりつける気かもしれない。どちらにせよ、発表や調査までには時間がかかるはずだ。その隙をつく」
「うまくいくの? あなた達、みんなリヴァイヴ団のバッジをつけているじゃない」
「相当注意深く観察しなければ分からない。あんたみたいな眼をした奴じゃなきゃな」
エドガーの皮肉にレナは目を丸くした。自分がそんな事を言われる立場だとは思っていないのだろう。
「あたしは保護対象よ」
「保護はする。しかし、あんたの小言に付き合う義務はない」
エドガーはどうやらレナの事を気に入っていないようだった。船着場まで歩いていると、ユウキへと声がかけられた。
「あなた、あたしと同じくらいよね。どうしてリヴァイヴ団に?」
「それは――」
「プライベートだ。話す義務はない」
エドガーが差し挟んだ声に、ユウキは、「いいんです」と応じた。
「何故?」
エドガーが不審そうに目を細める。ユウキは、「話したほうが信頼してもらえると思うから」と思ったままの事を告げた。エドガーは少しだけ歩調を速めた。その話題には積極的に触れたくないのだろう。
「何、あの人」
レナが小声でユウキに苦言を漏らした。ミツヤが、「この中じゃ、旦那が一番長いからな」と口にする。
「つまり、あなた達三人の中で一番偉いって事?」
「そう。まぁ、コウエツにいる俺らのリーダーの次に古株ってわけ。だからか、自分の事は話したがらない。俺も自分の事は出来るだけ話したくないな」
ミツヤが僅かに顔を翳らせる。先ほどの戦闘でユウキ達は無理やりにミツヤの過去を知った。見られたくない傷跡を暴かれたミツヤの心境を、ユウキは推し量る事しか出来ない。自分の立場だったらどうだろうか。やはりいい気分はしないのではないだろうか。自分の傷跡など、十五年分でしかない。ミツヤに比べれば浅いものだと思いつつも、傷跡など比べるほうがおかしいという気分にもなってくる。
「で、あなたはどうしてリヴァイヴ団に?」
「世界を変えるために」
「世界?」
レナは首を傾げた。意味が分からなかったのだろう。
「僕は、一瞬にして僕の世界を奪われたんです。だから、それを取り戻すためにリヴァイヴ団に入ろうと思いました」
境遇はレナと似ていると思ったのだ。レナもまた先ほど、自分の世界を転覆させられた。きっと思うところは同じだろうと打ち明けたのだが、レナは吹き出した。
「おかしいですか」と困惑の声を上げると、レナは腹を押さえながら、「ああ、うん」と目の端の涙を拭った。
「傷心のレディーを庇うにしては、なかなかのジョークね」
冗談のつもりはないのだが、と言おうとしたが特に訂正するつもりはなかった。少なくともレナが現実を忘れられる材料になったのなら、それに勝るものはない。ミツヤがレナへと話しかけようとする。その声を制するように、前を歩いていたエドガーが、「待て」と声を上げた。
エドガーは岩陰に身を寄せている。それだけで尋常ではない空気なのが分かった。ユウキが足音を忍ばせて歩み寄り、エドガーに尋ねる。
「ウィルが?」
「ああ。どうやら連中、俺達が船で帰る事も予期して張っていたようだな。あの構成員が勝とうが負けようが関係なかったというわけだ。恐れ入ったよ」
ユウキも岩陰から僅かに視線を向ける。船着場に緑色の制服を身に纏った男が三人ほど周囲を見渡している。
「さっきの構成員を探してやがるんだ。きっと定期通信が切れたからか。どうする、ユウキ」
「どうするって、僕もエドガーもボロボロでしょう。あの距離じゃ、テッカニンで全員を一気に昏倒させるのは難しいです」
「ミツヤ」
窺う眼差しをエドガーが向ける。ミツヤは、「何人?」と尋ねた。
「三人。散開している」
「じゃあ、俺も難しい。ポリゴンZで一気にってのはね。さっきの戦いの反動もあるし。ポリゴンを使って、トリックルームから旦那のゴルーグで畳み掛けられない?」
「トリックルームの射程に入らなければならないだろう。三人を相手取るのは得策じゃない。もしかしたらゴルーグ以上に鈍足がいる可能性も捨てきれないからな」
「やっぱり、僕のテッカニンで一気に仕留めます。ヌケニンと連携すれば、二人までなら」
「相手は一応戦闘のプロだ。一人がやられれば警戒する。全員を一気に仕留める自信がなければ難しいだろう」
三人が渋面をつき合わせていると、レナが、「あのー」と片手を上げた。エドガーが睨む目を向ける。
「何だ? 悪いがあんたの小言に付き合っている暇はない」
突き放すような言葉にレナはむっとして、モンスターボールを出した。
「三人一気にやれればいいんでしょ」
突き出されたモンスターボールとその言葉に、エドガーは交互に目を向けて、「まさか」と口にする。レナは不敵な笑みを浮かべた。
「あたしのポケモンなら隠密にそれが出来る」
「三人だぞ。ポケモンを出させる前に同時に、気づかれずなんて事が――」
「あたしを嘗めないで。一応、スクールを出て戦闘訓練の類は積んでいるんだから」
レナが髪をかき上げる。眼鏡のブリッジを上げ、モンスターボールを握った。エドガーが逡巡の間を空ける。今の状況において決定権を持つのはエドガーだった。彼女の戦力を冷静に分析し、この場で必要かどうかの判断を迫られている。ユウキはエドガーに耳打ちした。
「僕は反対です。彼女は父親を殺されたばかりだ。私怨で動いている可能性が高い」
「俺もそう思っている。だが、この状況を打開出来る手段は少ない」
「でも、見た事もない人のポケモンには賭けられませんよ」
「ひそひそと男らしくないわね」
レナの声にエドガーとユウキが顔を向ける。レナはモンスターボールを掲げて、「自信がないのなら引っ込んでいて」と冷淡に告げた。
「あたしは戦う。止めても無駄だから」
つかつかとエドガーに歩み寄り、モンスターボールを翳した。緊急射出ボタンに指をかける。
「待て。奴らに気づかれでもしたら――」
「気づかれる前に刺す。それがあたしのポケモンよ」
緊急射出ボタンが押し込まれ、光に包まれた物体が弾き出された。
光を破ったその胴体自体は小さなものだった。小ぶりな翅が二対ついており、黄色と黒の危険色で形成された身体だ。決して丈夫そうでない両腕が生えており、牙を持つ頭部に、設えたようなピンク色の菱形が入っている。鋭角的な眼差しも同じピンク色だ。上半身は虚弱そうに見えるが、発達しているのは下半身である。スカート状のまさしく蜂の巣のように広がった下半身を持っている。その威容に、エドガーはたじろいだ。
「――ビークイン」
レナがその名を呼ぶ。ビークインと呼ばれたポケモンの下半身は積層構造の穴ぼこ状態であり、その穴から一匹、小型の物体が躍り出る。六角形が三つ寄り集まった物体だった。黄色一色で、本体と同程度の小ぶりな翅を保有している。二つ、三つと出てきてビークインの背部へと回る。それはビークインの進化前であるミツハニーと呼ばれるポケモンだった。ビークインはミツハニーを支配下に置いているのだ。ビークインが翅を震わせて浮遊する。
「攻撃指令。あの三人を後ろから昏倒させて」
ミツハニーが散り散りに放たれ、僅かな羽音を立てて構成員達へと迫る。構成員達は気づいてないようだった。ビークインの「こうげきしれい」は急所に当たりやすい。
ミツハニーが背後に迫った事に気づいた構成員が振り返った時には、既に首の裏へと攻撃が加えられていた。ユウキ達は目を見開いていた。構成員と自分達との距離は充分にある。だというのに、精密な攻撃を可能にしたビークインとレナに舌を巻いていた。構成員達が倒れ伏し、ミツハニーが戻ってくる。
ビークインの積層構造の下半身へとミツハニーが入っていった。レナがビークインにボールを向ける。赤い粒子となってビークインが吸い込まれていった。黙ってその様子を見つめていた三人に対して、「何を呆けているの」とレナが声を出す。
「さぁ、行きましょ。これでもう追撃の心配はないのだから」
レナが岩陰から歩み出て、船着場へと踏み出す。エドガーは呆気に取られていた。ユウキが声をかける。
「エドガー。僕達も行きましょう」
「あ、ああ」
ようやく我に帰ったエドガーはふぅと息をついた。先ほどまでは保護の対象のつもりだったが、トレーナーとしての実力もあるようだ。エドガーは少しお株を取られた気分なのかもしれない。ユウキも果たして自分達が必要なのか疑問だった。
「じゃあ、行きますか。せっかく道を切り拓いてくれたんだし」
ミツヤが岩陰から出る。ユウキとエドガーが続いた。
船着場には他にウィルの構成員はいなかった。倒れ伏している構成員を見やる。一瞬の出来事だったのだろう。首の裏の急所を鋭く一撃、加えられた形跡がある。三人同時の攻撃に抵抗出来た様子もない。エドガーは構成員の一人のポケッチを掴んだ。ポケッチは手首から取り外せないので、そのまま見る形になる。
「どうですか?」
「どうやら戦闘構成員がやられた事はまだ公になってないらしい。こいつらはただの補充要員だ。しかしリヴァイヴ団が動いている事は、漏れているようだな。俺達をあわよくば始末するつもりだったらしい」
「それが研究員の娘にやられたんじゃ、世話ないよな」
ミツヤが言ったが、エドガーは笑わなかった。エドガーはポケッチの周波数を合わせた。「何を?」とユウキが尋ねると、「向こうの通信を傍受する」とエドガーは返した。
「こっちの情報をかく乱させるんだ。早速来たぞ」
エドガーの声に、ポケッチからノイズ混じりの声が聞こえてきた。
『……D2部隊。先ほどから定期通信が途絶えている。応答せよ』
「こちらD2。R2ラボを中心に電波ジャミングが張られていた模様。先ほど復旧した」
澱みない口調でエドガーが通信に返す。通信越しに相手が安堵したのが伝わった。
『そうか。シバタ部隊長からの連絡もないが』
「シバタ部隊長は単身R2ラボへと潜入。こちらはバックアップのために研究所外から様子を見ている」
『ならばよし。引き続き警戒を怠るな。リヴァイヴ団が動いているとの情報もある。奴らを闇から引きずり出すチャンスかもしれん』
その声に、ミツヤが笑みを浮かべた。エドガーも微笑みながら応じる。
「了解。作戦を続行する」
通信を切って、エドガーが立ち上がる。ミツヤが手を叩いていた。
「ナイス演技」
「からかうな」
エドガーは構成員を持ち上げた。そのまま近くの岩場の陰へと構成員達を隠していく。船着場でウィルが倒れていれば厄介な事になるからだ。ユウキも手伝おうとしたが、「お前じゃ持ち上げられない」とエドガーが判断した。
ユウキは船着場で次の定期便を待つ事にした。その間、レナとミツヤが話していたが、どうにも噛み合っているようで噛み合っていないように思える会話だった。エドガーが近くの岩に座って煙草を吸おうとすると、レナが振り向いて白衣で鼻を押さえた。
「煙草? あたし嫌いなんだけど」
今まさにライターで火を点けようとしていたので、エドガーは苦々しい顔をして煙草を折り曲げて捨てた。その様子を見て、「資源に悪いわ」とレナが口にする。エドガーは舌打ちを漏らした。
「あたしはこれからどうなるの?」
「それは俺達のリーダーが決める事だ」
エドガーが言葉を投げる。レナは白衣のポケットに手を突っ込んで、ユウキとミツヤを見渡した。
「あなた達のリーダーはあたしをどうするの?」
「知らん。上からの指示を待つ。それだけだ」
質問攻めに飽き飽きしたとでも言うように、エドガーが不機嫌そうな声を出す。レナが振り向いて、「あなたには訊いてないわよ」と言った。エドガーが、「そうかよ」と顔を背けた。
「あなたは」とレナがユウキのほうを見る。「僕ですか?」と尋ねると、レナが頷いた。
「この中じゃ新入りだって言ったわよね。リヴァイヴ団にどうやって入ったの?」
「どうやって、と言われましても……」
ユウキは言葉を濁した。入団試験の事を言うべきか迷っていた。ミツヤが声を差し挟む。
「その時々によって違うんだよ。大抵は試験みたいなので通る」
「試験? スクールでもないのに?」
「スクールの試験とは違うんだ。もっと過酷さ」
ミツヤが空を仰いだ。ミツヤは試験なしで通った人間だ。その代わりに情報を売った。思うところがあるのかもしれない。レナはしかし、「ふぅん」と分かっているのか分かっていないのか微妙な声を出した。
「何かつまんないわね」
唇を尖らせて発せられた声に、エドガーが返す。
「悪の組織が面白かったら、あんたは満足なのか」
「悪の組織なの?」
「少なくとも正義の味方じゃない」
エドガーは苛立ちを隠そうともせず、貧乏揺すりをしていた。レナとの問答に疲れているのだろう。昨日からの疲労と傷もあるのでユウキは心配だった。
その時、長く低く響き渡る音が一行の耳に届いた。顔を上げると、フェリーの影が見えていた。
「ようやくか」
エドガーが岩から立ち上がる。エドガーからしてみればようやくレナから解放されるという意味だったのだろう。
レナは、「つまんないわね」と呟いていた。それが話す事が尽きてつまらないという意味なのか、それとも身柄を保護される事がつまらないという意味なのか。
ユウキには分からなかった。