ポケットモンスターHEXA BRAVE












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裏切りの烙印
第四章 二節「絶対者の眼差し」
「……ツ、……ヤ。……ツヤ、……ミツヤ」

 自分を呼ぶ声に薄く目を開けると、エドガーが野太い声で、「おい、ミツヤ」と怒声を飛ばした。

「敵を前に何すっ呆けているんだ。いくぞ」

 その言葉にミツヤは自身の身体をさすった。何か、おかしなところはないか。彼と、ミツヤは本当に同一なのか。彼は、ミツヤの喉を震わせて尋ねた。

「なぁ、俺ってミツヤだよな」

 その質問にエドガーが怪訝そうに眉をひそめる。

「お前はミツヤだろうが。何言っているんだ。とぼけてるんじゃない」

 その言葉にミツヤと、内包された彼は心底ホッとした。自分の存在が許されている。その居心地のよさに今の事態を忘れそうになる。後ろから声が響く。

「ミツヤさん、エドガー。ここは僕がやります」

 耳障りな声だった。ミツヤが顔を向けると、オレンジ色のジャケットを羽織った少年が立っていた。同じ色の帽子の鍔を握り締める。

「黙ってろ、新入り」

 ミツヤは勝手に声を発していた。少年――ユウキは少したじろいだようだった。それでも食い下がるつもりのようで、「でも」と声を発する。

「俺と旦那は黄金のコンビだ。その組み合わせを見せてやる」

 ミツヤは腰のホルスターからモンスターボールを引き抜いた。ボールを前へと投擲する。バウンドしたボールが割れて、光に包まれた何かを弾き出した。ポリゴンだ。自分のポケモンである。ポリゴンが一回転して光を振り払った。エドガーが緊急射出ボタンを押し込んで、ポケモンを繰り出す。巨大な光を振り払って現れたのはゴルーグだった。ゴルーグが地底から響くような鳴き声を上げる。

「ミツヤ。いつもの作戦だ。一瞬で仕留めるぞ」

「はいよ、旦那」と返したミツヤは何かを見つめていた。しかし、何かは陰になっていてよく見えない。人影のようだったが、ミツヤには誰だか判別つかなかった。

 その人影の前には奇妙な姿のポケモンがいる。トーテムポールのような色彩を身に纏った緑色の羽根を基調としたポケモンだ。鳥ポケモンのようで、嘴があるが、その眼差しが異様だった。先ほどまで自分を監視していた絶対者の眼差しと同じなのである。黒白の、どこを見ているのか分からない眼差しだった。

 ミツヤが硬直していたからか、エドガーが声を張り上げる。

「いくぞ。ミツヤ!」

「あ、ああ」

 ミツヤは手を振り翳した。

「ポリゴン、トリックルーム!」

 その声にポリゴンの直下からピンク色の立方体が引き出されていく。それはすぐさま周囲に広がり、ゴルーグとポリゴン、そして相手の絶対者の眼を持つポケモンを捉えた。籠の中に押し込められた形になるポケモン達へとエドガーが命令する。

「ゴルーグ。シャドーパンチ」

 ゴルーグが目にも留まらぬ速度で掻き消えたかと思うと、相手のポケモンへと下段から振り上げた拳を放っていた。よく見れば、拳は相手のポケモンの影から伸びている。これが「シャドーパンチ」である。命中率に関係なく相手を打ち据えるゴーストタイプの技だ。ほとんど不意打ちに近い衝撃を相手は味わった事だろう。ミツヤは得意げに鼻の下を掻いた。

「トリックルーム内の時空は反転している。普段鈍いポケモンほど、この中じゃ速い。ゴルーグは最速だ」

 その声に相手のトレーナーは笑い声を上げた。どこか聞き覚えのある声だった。その声がミツヤに告げる。

「お前がよくやっていた戦法だな。俺との相性は悪かったが」

 ミツヤが目を見開いていると、ゴルーグは掴んだ相手のポケモンをそのまま打ち下ろした。相手のポケモンの身体が人形のように転がる。その絶対者の眼差しがミツヤを捉えた。

 ミツヤは頭を抱えた。絶対者には逆らえない。身のうちから湧き上がるその声に身体を折り曲げてミツヤがよろめく。エドガーが振り向いた。

「ミツヤ? どうした? 何が起こって――」

 その言葉尻を劈くように、鐘の音のような声が響いた。

 相手のポケモンの声なのだと知れた。

 トゥー、トゥーと耳に響く。

 等間隔の声に導かれるようにミツヤは相手のポケモンを見ていた。相手のポケモンもミツヤを視界に捉えたまま離さない。ゴルーグが拳で相手のポケモンを打ち据えた。腹腔が破れ、相手のポケモンが血に塗れる。緑色の羽根が舞い散り、視界の中に一瞬のコントラストとして残った。

 赤と緑が乱舞し、ミツヤは目を見開く。絶対者の眼差しがミツヤへと問いかける。転がってきた相手のポケモンの頭部がミツヤを見つめていた。

 黒白の眼差し。ミツヤの過去を暴き、未来を閉ざし、現在を見据える眼の中へとミツヤの意識は吸い込まれる。

 駄目だ、と感じた時には既に遅かった。ミツヤは肉体を離れ、彼として自己の内面を見つめ続ける矮躯と成り果てている。闇の中で黒白の絶対者が尋ねる。

 ――その前は?


























 波がフェリーの先端で弾けた。

 その音をミツヤは聞いていた。海鳴りは好きだ。ゴゥン、ゴゥンと一定で、何より裏切りがない。甲板上を走る潮風が髪をなびく。ミツヤは甲板の上に出て手すりに体重を預けていた。遠く、光の街のコウエツシティが映る。コウエツシティは人工島としての名残が強い。塗装の剥がれたクレーンが墓標のように突き立っている。ミツヤはじっとそれを眺めていた。遠ざかるクレーンは今や米粒ほどの大きさだ。離れていく光景を名残惜しそうにミツヤは手を伸ばす。掴めそうだな、と思ったところで、声が差し挟まれた。

「ミツヤさん」

 振り返ると、ユウキが立っていた。潮風がオレンジ色のジャケットを煽る。ミツヤは手すりに背中を預けて、「何だよ、新入り」と邪険そうに言った。

「エドガーさんは寝ています。どうやら疲れと、あと船酔いみたいで」

「旦那はあれで脆いからなぁ」

 ミツヤは優越感を抱いていた。ユウキよりも自分のほうがエドガーの事を知っている。エドガーが具合を悪くすれば看病するのは自分だった。だが、今はその役目を買って出ているのはユウキだ。ミツヤは最初、役目が減って気が楽だと言った。

 しかし、それは偽りだ。今までの役割を捨てる事など出来なかった。ミツヤにとっては苦渋の選択の一つだった。それでもなんて事のないように装っているのは、ユウキに弱みを握られたくないからだ。ミツヤはユウキへと敵を見る目を寄越す。

 実際、ユウキは敵だ。ミツヤの居所を妨害する侵略者である。

「ミツヤさん。僕は」

「何だよ」

 ミツヤは眉間に刻んだ皺をきつくする。それで大抵の相手は怯ませられたが、ユウキはさらに語調を強めた。

「僕は仲間を大切にしたい」

「だから?」

「ミツヤさんとも、分かり合いたいんです」

「馴れ合いか。やめとけよ」

 ミツヤは片手を振って身を返した。実際、ユウキをこれ以上正視出来なかった。ユウキは何やら自分達とは違う。自分達というのはランポとエドガー、それに新しく入ってきたテクワとマキシという新入りともだ。何かがユウキと彼らを隔てている。それが何なのか、ミツヤには答えは出せなかった。

 ただ、違う、という確信はある。この侵略者は着々と自分の地位を築きつつある。それが腹立たしい。苛立ちを混じらせた舌打ちを漏らす。まだ背後にユウキの気配を感じていた。ミツヤは唯一の居場所だと思っていた甲板でさえ、ユウキの占領下にあるような気がした。振り向いて、声を上げる。

「何だよ。行けよ」

「でも、ミツヤさん」

「いいから」

「ちょっとでも話を――」

「いいから、行け!」

 ミツヤは叫んでいた。どうして叫んだのか自分でも分からない。ただこれ以上ユウキとまともに対面するのが耐え切れなかった。精神をすり減らしているかのようだ。ミツヤは頭を振った。すると、その視界の隅に先ほどのポケモンが見えた。絶対者の眼差しを持つ鳥ポケモン。それがどうしてだか、甲板上でミツヤを眺めている。その黒白の瞳にミツヤは吸い寄せられた。絶対者は問う。

 ――その前は?


オンドゥル大使 ( 2013/10/19(土) 23:03 )