ポケットモンスターHEXA BRAVE












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結成、ブレイブヘキサ
第三章 五節「不器用」
「一万枚だ!」

 群衆の誰かが声を上げた。ざわめきが波のように押し寄せて、ユウキはようやく現実認識を追いつかせた。スロットが光り輝き、上画面のピカチュウが踊り狂っている。一万枚到達の瞬間だった。

「……やった」

 ユウキが息をついていると、人垣をかき分けて長身の男が二人歩み寄ってきた。黒服でサングラスをかけている。ユウキが身を強張らせていると、黒服二人はその場に跪いた。ユウキが面食らっていると、黒服が低い声で言った。

「一万枚、到達おめでとうございます」

「これよりVIPルームへとご招待いたします」

 黒服の片割れが手に持ったケースを開く。中には黄金の巨大なコインが一枚あった。一万枚に相当するコインなのだろう。華美なまでの花や草木の装飾が施されており、龍の紋様が自らの尻尾をくわえていた。ユウキはおっかなびっくりにそのコインを手に取る。その瞬間、群衆から口笛のような高い声が上がった。ざわめきの中、黒服が道を開けるように命じる。歓声を残しながらも、彼らは従った。黄金の扉に向けての道が出来る。黒服が先導し、ユウキがそれに続いた。扉がゆっくりと開く。

 ユウキは固唾を呑んで見守っていた。扉の向こうは巨大なエレベーターホールがあった。ポケモンを象った像が挟むように並んでおり、純金製で出来ていた。ホールスタッフがエレベーターのボタンを押す。黒服はどうやらVIPルームの中までついて来るらしい。エレベーターに乗ると緩やかな下降感が胃の腑から沸きあがってきた。思わず、ユウキは尋ねる。

「VIPルームは二階なんじゃ?」

「あれはダミーです。本来のVIPルームは地下にあります」

 それこそがこのカジノの正体というわけか、と確信する。手に持った掌大もあるコインはVIPルームへの招待券だ。これを手にするためにどれだけの人々が犠牲になったのだろう。スロットに魂までも吸い尽くされたのだろう。そう思うと、握っているコインはただ金の重みだけを感じさせるものではないような気がした。

 しばらく下降が続いたが、やがて緩やかな振動と共にエレベーターが止まった。扉が開くと、歓声が耳に飛び込んできた。ユウキは先ほどまで自分を囲っていた人々までそのまま連れてきてしまったのかと錯覚した。しかし、先ほどまでとは声音が違う。まるで獣のように落ち着きの知らない声だった。黒服が歩み出たので、ユウキも続く。

 周囲はスタジアムのようになっていた。見える範囲は馬蹄状に椅子が居並び、設えも完璧な高級感溢れる席だったが、誰一人として座っていなかった。

 スタジアムの上部にはオーロラヴィジョンがあり、そこに映し出されているのは、「レート」と「対戦相手」だった。

 何なのだろうか、と思っていると、スタジアムの中央で何かが弾ける音がした。そちらへと視線を向けると、ほとんど落ち窪んだ場所に四方を囲んだ金網があり、その中で何かがもつれ合っていた。ユウキが目を凝らす。そこにいたのは二体のポケモンだった。

 灰色の毛並みで狗のようなしなやかな体躯を持つポケモンと鋭い針を両手に備えたポケモンが対峙している。針のほうのポケモンは虫ポケモンだという事がその様相から知れた。赤い複眼に注意を喚起するような黄色と黒の縞模様である。狗のように見えるのはグラエナ、虫ポケモンのほうはスピアーと呼ばれるポケモンだという事が分かった。お互いに首輪が付けられており、上部のモニターに緑色のゲージが出ている。スピアーのゲージがオレンジ色に変わる。グラエナが突進し、スピアーに一撃を浴びせたからだ。しかし、スピアーも負けていない。突進してきたグラエナのこめかみに針を突き刺した。グラエナの側頭部から血が滴り、その牙がスピアーの身体を食いちぎる。スピアーが甲高い悲鳴を上げる。その声に混じって狂乱の声が観客席から上がった。ユウキは思わず後ずさっていた。

「これは……?」と黒服に目を向けると、「VIP専用の賭けでございます」と告げられた。

「ポケモンバトルを賭けの対象としているのです。ただしトレーナーは不在。彼らは首輪から送られてくる戦闘信号を頼りにお互い殺し合う。瀕死状態になったほうが負けです。あそこに」

 黒服が「レート」の画面を手で示す。

「レートとはどれだけの戦闘力を持っているかが規準となります。個体値、努力値などから算出されます。対戦相手は文字通り」

「そんな。ポケモンバトルの賭博は国際法で禁じらているはずでは」

 口元に手をやってユウキが口にすると、「全く、その通り」と声が返ってきた。そちらへと目を向けると、緑色の制服を身に纏った男が歩み寄ってきた。肩口に「WILL」の縁取りがある。ウィルの構成員だ。紫色の髪をかき上げ、構成員が口を開く。

「国際法で禁じられているから、VIP以外には極秘です。そのための措置も講じてある」

 構成員に目を向けていると、ユウキは突然左腕を掴まれた。黒服の力が強く、無理やり左手首を晒される。「何を」と声を上げる前に、ポケッチへと何かのデータが送り込まれた。黒服が手を離し、「無礼をお許しください」と能面で告げた。

「これであなたの言動は監視されます。この地下賭博場に関する事が喋れた場合、即座にウィルがあなたの身柄を確保します」

 通信網にハッキングされたのだと知った時には、構成員がユウキの目の前まで来ていた。ユウキは構成員を見上げながら、「こんな事が許されると思っているんですか!」と声を荒らげた。

「これじゃ、見世物でしょう」

「見世物ですよ。だから金になる。コウエツカジノが維持出来ているのも全てこれのおかげです」

 構成員が顎をしゃくって金網を見た。金網の中ではグラエナとスピアーが容赦ない戦いを繰り広げている。ポケモンバトルなどという生易しいものではない。野生の戦闘に近かった。

「申し遅れました。私の名はニシダ。このコウエツカジノ地下の管理を任されている者。どうぞ、ごひいきに」

 ニシダが軽く頭を下げて会釈する。ユウキは狂乱の渦に興じている人々を見やった。百人は下らない。これだけの人数が黙認しているというのか。

「こんな事を……よくも」

「こんな事、と仰るのはもしかしてこれが非道な事だと思われている?」

 どこか飄々としたニシダの言葉に、ユウキは怒りがこみ上げてきた。

「当然です。ポケモン同士の戦いをコントロールして金にするなんて」

「それはおかしい。見たところあなたもポケモントレーナーのはずだ。ポケモンバトルをすれば、当然、負けた側は金を支払わなくてはならない。このシステムと、今目にしているこの風景、何が違うというのです? トレーナーという絶対者が介在しない以上、こちらのほうが有益だと私は考えます。加えて、戦うポケモンは捨てられたポケモンだ」

「……捨てられた?」

「そう。あらゆる事情で廃棄を待つばかりだったポケモン達です。彼らを一時とはいえ活かしている。それを非道だとあなたは罵る事が出来るのか? 私はそうは思いませんね。社会から抹殺される宿命にあったポケモン達が一瞬とはいえ命の華を咲かせる。実に素晴らしいではないですか」

 ニシダが両手を広げる。にやりと口角を吊り上げた。ユウキは抗弁の口を開こうとして果たせなかった。

 ニシダの言っている事は理解できる。正しいと思う自分も確かに存在する。しかし、許せないと思う自分もまた存在するのだ。ニシダの言葉を鵜呑みにしてはならない。ここにあるのは人間の歪んだ欲望だと告げる声が胸の奥から湧いてくる。それでも、言葉でうまく表現する事が出来ない。ユウキのような実直なだけの生き方では、歪んだものを糾弾する事も出来ない。

 ユウキは顔を伏せた。言葉を返せないのをいい事に、ニシダはフッと口元に笑みを浮かべた。ユウキの耳元へと唇を近づける。

「我々は慈善事業をやっているのです。ポケモンのため、人間のためを望んでいる。彼らも承服している。それでいいではないですか。ここに悪はない。ならば、金を賭けることも汚くなどない。むしろ綺麗だ。彼らの生を彩っているのですから」

 本当にそうなのか。綺麗な金なのか。ユウキは拳を握り締めてぐっと押し黙った。

 大人の汚さに慣れて、自分まで汚れる事をよしとする。自分もどうせ下らない大人になるのならば、それでいいと考える。そんな事で世界は回っている。そんな果てない流転の中に自分も放り投げられ、歯車の一つとなっていいのか。

 ユウキは顔を上げて、金網の中の二体のポケモンを見た。スピアーの針がグラエナの腹部に突き刺さる。グラエナが喉から叫びを発して、空気さえも震わせる咆哮を放つ。たじろいだスピアーが突き刺さんとしていた針を躊躇わせる。グラエナの前足がスピアーの顔面を抉った。複眼が引き裂け、片方の触覚を失う。ぼたぼたと血が流れ、金網の下の床を濡らす。床は既に赤黒く変色していた。どれほどのポケモンの血を吸ったのだろう。どれだけのポケモンが犠牲になったのだろう。考えるだけで胸が締め付けられる思いだった。

 スピアーがそれでも懸命に戦おうと針を突き出す。針が光り輝き、紫色の粒子を放出したかと思うと、針の形状をした粘液がグラエナに飛び散った。飛びかかろうとしていたグラエナはそれを真正面から受ける。粘液を受けた部分が焼け爛れ、煙を発した。グラエナが呻り声を漏らしてその場に蹲る。毒である事は明白だった。スピアーがずいと踏み出し、グラエナの焼けた顔へと針を突き刺す。針が食い込み、グラエナの皮膚から血が吹き出した。金網を濡らし、狂気の大人達の叫びが上がる。モニターに表示されていたグラエナの体力がレッドゾーンに達し、グラエナは口を開いて咆哮した。ユウキの眼にはグラエナの首にかかっている首輪が食い込んだのが確かに見えた。

 このシステムの全貌をようやく理解する。戦えば戦うほどに首輪が食い込み、戦意の衰えによる敗北という概念をなくしている。瀕死まで、と黒服は言ったがその実は死ぬまでと同義だ。首輪のシステムにより、戦い続けるしかない。グラエナは耳を劈くような雄叫びを上げた。スピアーの身が傾ぎ、ふらふらとよろめく。グラエナがスピアーの身体に飛び込んだ。牙がスピアーの表皮に食いつく。しかしスピアーは毒を操るポケモンだ。その皮膚に毒が染み渡っていないはずがなかった。食い千切った肉をグラエナは早々に口から離した。千切れた皮膚がぶくぶくと泡を立てて紫色の水溜りになっていく。グラエナは口の中まで焼かれた事になる。スピアーが針を杖のようにして起き上がり、グラエナへと必殺の一撃を踏み込んで発した。針がグラエナの脇腹へと食い込む。深く食い込んだ針へとスピアーは先ほどと同じ、毒の攻撃を見舞わせる。針が光り輝き、毒がグラエナの体内へと注入された。グラエナが叫び声を上げて後ずさる。聞いているこちらが苦しくなるような痛ましい声だった。グラエナは荒い息をついていたが、やがてその場に倒れ伏した。

 口から血反吐が出ている。スピアーが勝ったようだった。上部モニターに表示されているグラエナの体力ゲージが消える。スピアーに賭けていた大人達が歓声を上げる。グラエナに賭けていたであろう大人達も落胆はしていたが、興奮は収まっていないようだった。

 ――どいつもこいつも狂っている。

 ユウキは胸中に毒づいて拳を固めた。金網の中を黒服が清掃する。グラエナの遺体は黒いビニール袋に入れられてどこかへと持ち去られた。スピアーは首輪に繋がれたままスタジアムの外へと連れ出される。どこに連れて行かれるのか、ユウキには見当もつかなかった。

「さて、次が本番ですよ」

 ニシダの声に、『ネクストステージ、カモン!』と拡大された声が響き渡る。金網へと歩いてくる姿を見て、ユウキは絶句した。金網に向かって当てられた照明を眩しそうに進むのはエドガーだった。エドガーは先ほどのポケモン達と同じように首輪が繋がれている。金網に入れられると、上部モニターにエドガーの体力ゲージとレートが表示された。

「……一千倍」

 ユウキは表示されたレートを見て慄然とする。小額がとてつもない高額になる。反対側のステージから来たのは黄色い体毛の巨躯だった。丸太のような腕を持っているが脚は短い。背中から伸びた一対の黒い触手が電気を帯びて床を叩きつける。それはポケモンだった。モニターに名前とレートが表示される。

「……エレキブル。二〇倍」

 エレキブルは首輪ではなく腕輪だった。首に当たる部分がないからだろう。黄金の電流を帯びた腕を振り翳し、エレキブルが咆哮した。それに呼応するように大人達の叫びが混じる。

「エレキブルだ。エレキブルに賭ける!」

「いや、俺はあの人間だな。一千倍の配当はかなりのもんだ!」

「おいおい、ポケモンに人間が勝てるかよ」

 口々に勝手な事を言い合いながら、大人達がエドガーとエレキブルに賭ける。

『タイムアップ! ここまでの結果を見る限り、エレキブルに賭けているお客様が多いようだ!』

 アナウンスの声に、ユウキは現実へと引き戻された。ニシダへと睨む目を向ける。

「これは、どういう事ですか!」

「どうもこうも」とニシダは肩を竦めた。

「よくあるんですよ。ポケモン同士だけじゃつまらないってね。努力値、個体値の差を知っていればある程度勝負を読めますから。その点、人間対ポケモンは面白い。どうなるのか予想もつかない。まぁ、大抵人間がボロ雑巾のように殺されますがね」

 ユウキはニシダへと掴みかかろうとした。それを制するように黒服が立ちはだかる。ユウキが振り上げた拳は黒服が掴んで背中に引き寄せた。ユウキは歯を食いしばって呻く。

「そうお怒りにならないで。あれはリヴァイヴ団です。汚物の排除に貢献しているわけですから、一石二鳥でしょう」

「あれは、僕の仲間です」

 喉の奥から発した声に、ニシダはわざとらしく額に手をやった。

「おっと、自分がリヴァイヴ団である事を明かすとは。そうまで大切なものなのですかね。私はあなたをVIPのお客様としてお迎えしたつもりです。一万枚スロットで勝つなんてそうそう出来るもんじゃない。どうです? この際、こちら側に来る気はないですか?」

「どういう、意味です」

 ユウキの声にニシダは髪をかき上げて、「言ったままの意味ですよ」と口にした。

「リヴァイヴ団など辞めて、ウィルに来ればいい。そうすれば不問に付す、と言っているのです。今ならば、もしかしたらあの男を助けれるかもしれない。そうでなければ――」

 その言葉尻を裂くようにゴングが鳴り響いた。ユウキは金網へと顔を向ける。エレキブルが腕を突き出し、エドガーへと迫った。

 エドガーは拳を構え、エレキブルと向き合っている。エレキブルが放った拳をいなして、エドガーが真っ直ぐな一撃を放つ。しかし、エレキブルにはまるで効いていないように見えた。エレキブルが薙いだ一撃がエドガーの頬を打ち据える。エドガーが金網へと背中を叩きつけると、電流が走った。エドガーの身体が痙攣し、その喉から叫びが上がる。エレキブルは金網を掴んだ。電流が同じように走ったが、エレキブルの体内へとことごとく吸収されていく。エレキブルが触手で床を叩きつけた。青白い電流を身に纏っている。

 次の瞬間、エレキブルの姿が掻き消えたかと思うと、天井にその身を躍らせていた。逆さまになったエレキブルが天井を蹴ってエドガーへと肉迫した。エドガーは間一髪で転がってそれを避ける。エレキブルの放った拳が床を抉った。雷撃の拳が残滓を引くように電流を纏いつかせている。エレキブルはまた金網を掴んだ。電気が舞い散り、エレキブルの体内へと吸い込まれる。体表で青い蛇のような電流が跳ねた。

「エレキブルの特性は電気エンジン。電気を吸えば吸うほど、エレキブルは速くなる。長引けば長引くほど不利でしょう。殺されますよ、あの男は」

 ニシダの言葉にユウキは殺意の眼差しを向けた。ここまで他人を憎んだのは初めてだった。

 ――これがウィルのやり方か。

 歯噛みしてユウキはどうするべきか思案する。

 金網の中でエドガーがエレキブルの猛攻をいなそうとするが、一撃でもまともに受ければ死の淵に立たされるのは必至だった。エレキブルが立体的に金網のステージを使って、攻めてくる。

 触手を巧みに使ってエレキブルは天井をも足場にした。エドガーが後ずさって避けるも、背後は高圧電流の流れる金網だった。着地したエレキブルがエドガーへと拳を見舞う。エドガーは身を翻して避けるが金網の電流を得たエレキブルがさらに素早くエドガーへと拳の応酬を浴びせた。電気を纏った拳がエドガーの頭を打ち砕かんと迫る。

 エドガーは前に転がってそれを回避し、エレキブルの足を蹴りつけた。バランスを崩したエレキブルの額へとエドガーの下段から突き上げたアッパーがめり込んだ。エレキブルが僅かによろけるが、その程度ではダメージにならない。エレキブルの触手がエドガーの足を絡め取る。エドガーは宙吊りにされたかと思うと、エレキブルの表皮を電流が跳ねた。

 瞬間、エドガーの身体が激しく震えた。喉の奥から痛ましい叫び声が迸る。身体に直接、電流を流し込まれているのだ。ユウキは思わず、「やめてください!」と叫んだ。

「こんなの、一方的じゃないですか!」

 ユウキの声にニシダが目を向ける。

「一方的? そう見えるのは仕方がないですが、それもこれも潜入したあなた方が悪い。人の家に土足で踏み込んでおいて被害者面とは、盗人猛々しいとはまさにこの事」

 その言葉にユウキは二の句を継げなかった。覚悟はあったはずだ。だというのに、いざその場に立たされるとどうすればいいのか分からない。今の自分に出来ることは何だ。どうすればエドガーを救う事が出来る。

 エドガーは触手から投げ捨てられ、床を転がった。エドガーの体力ゲージがオレンジになる。しかし、それでもエドガーは立ち上がった。客席から歓声が上がる。エドガーは肩で息をしながら、エレキブルを睨み据えた。その眼は死んでいない。諦めてはいないのだ。絶望の淵にあっても、その身を投げ出そうとはしていない。最後まで戦おうとしている。

「……決意」

 ユウキは呟き、顔を伏せた。

「分かりました。僕はVIPだ。この手をまずは離してください」

 ユウキの声にニシダが顎をしゃくる。黒服がユウキの手を離した。立ち上がったユウキはその瞬間、ホルスターのモンスターボールに手をかけた。それに黒服が気づいた瞬間、空気の中に溶けた高速のテッカニンが黒服二人を突き飛ばす。ユウキは走り出した。目指すは金網のステージだ。汚れた大人達をかき分け、ユウキは客席から飛び降りた。天に手を向けると、テッカニンがその手を掴んだ。金網へとその身が向かう。テッカニンで飛べる範囲は限界がある。ユウキは地面へと降り立つと、金網へと真っ直ぐに向かった。テッカニンへと指示を飛ばす。

「テッカニン! 金網のロックを解け!」

 高速に至ったテッカニンが扉のロックを爪で引き裂いた。金網の中へとユウキは飛び込んだ。

『おーっと! ここで乱入だー!』

 アナウンスの声が反響して響き渡る。客席からのどよめきも聞こえてきた。立ち上がる客もいた。ユウキはエドガーへと視線を向けた。エドガーも狼狽しているようだった。ユウキは目で示し、エドガーの首輪に繋がれている鎖を断ち切らせた。首輪から解放されたエドガーが後ずさりながら、ユウキと肩を並べる。

「……どういうつもりだ」

「僕はエドガーさんがただやられているのを黙って見過ごすほど、人間が出来ちゃいなかったって事ですよ」

「馬鹿野郎。一人でも目的を遂行するのが――」

「一人じゃ意味ないですよ」

 遮って放った声にエドガーが視線を向けた。ユウキは下唇を噛んで、「一人じゃ、意味なんて」と呟く。

「目的の遂行のために仲間を見捨てなきゃいけないんだとしたら、そんな目的は僕の望んだものじゃない。決めたんですよ、入団試験の時に。何があっても信じ抜くって」

 それは仲間もであり、自分もである。自分の心に嘘をついてまで生き長らえるのは誓った覚悟に対する冒涜に思えた。エドガーが視線を逸らし、舌を打つ。

「長生きできない考えだ」

「それでも、僕の生き方です」

 エドガーはエレキブルを見据えた。ユウキもエレキブルへと視線を向ける。エレキブルは全身から電流を放出し、雷の権化のような姿だった。

「奴は相当な素早さになっている。勝てるのか、お前のポケモンで」

「僕のポケモンも素早さが自慢です」

 ユウキは口元に笑みを浮かべた。エレキブルが動く。ユウキは手で空間を薙いだ。テッカニンがエレキブルの眼前に至り、爪を交差させる。虫タイプの技、「シザークロス」である。テッカニンは敵へと衝突するのと同時にその技を放てるようになっている。

 テッカニンの爪は、しかしエレキブルを捉えなかった。寸前のところでエレキブルが触手を用いて天井へとぶら下がる。テッカニンへと追撃させるためにユウキは手を振り翳した。テッカニンが高周波の翅を震わせてエレキブルを攻撃しようとするがエレキブルは直前で触手を離し、もう片方の触手でテッカニンを捉えた。空中に固定されたテッカニンが身体へと際限なく電流を受けている。テッカニンの金色の身体が震えた。

「……見えて、いるのか」

 高周波の羽音の弱点か、と考えたが恐らくは違う。今、スタジアムは熱気に溢れ、音楽も流れている。僅かな羽音を聞き取れる環境ではない。ならば、と至った考えにユウキは戦慄した。

「素早さが、テッカニンと同じ」

 そうでなくては説明がつかない。「でんきエンジン」の特性により、エレキブルはテッカニンの対等の速度に至っているという事だった。ユウキが叫ぶ。

「テッカニン、バトンタッチ!」

 テッカニンの姿がモンスターボールへと一瞬のうちに吸収され、ヌケニンが絡め取られた触手の中に姿を現す。絡めていた触手が弾かれたように剥がれた。ヌケニンの特性、「ふしぎなまもり」が作動したのだ。床へと降り立ったエレキブルはヌケニンへと電流の拳を見舞う。しかし、ヌケニンに当たる直前で目には見えない壁に阻まれる。これで少しはしのげるか、と考えたユウキの思考に差し込む声があった。

「エレキブル、炎のパンチ!」

 その声でエレキブルの拳へと空気中の水分が集まっていき、蒸発の煙を棚引かせて燃え盛った拳がヌケニンに打ち込まれた。ヌケニンの前面に張り巡らされた壁を越え、炎熱を纏った拳がヌケニンを揺るがす。

「ヌケニン!」

 ユウキは思わず声を上げていた。エレキブルが電気を纏った触手で床を叩きつけて、ヌケニンから距離を取る。ヌケニンにもユウキは退くように指示を出していたため、両者が同時に後退した形になった。声の主へとユウキは目を向ける。ニシダがヘッドセットを耳に当てて、不敵な笑みを浮かべていた。

「一撃で沈まないとは。気合のタスキを持たせているな。でも、次で終わりにしましょう」

 ユウキはヌケニンの状態を見やる。爪の付け根に巻きつけられた赤いタスキが擦り切れている。もう用を成さないのは明白だった。

「エレキブルは実戦タイプのポケモンだ。当然、弱点となる地面や他属性への対策は講じてある。読みが甘かった。人間相手だから今まで電気攻撃しか使ってこなかったんだ」

 エドガーの言葉にユウキは歯噛みする。こんな初歩的なミスをやらかすなんて。その心中を慮ったように、エドガーは、「だが」と口にした。

「誰でもミスはする。お前の場合、それが極端に少なかっただけだ。これから対策していけばいい」

 思いやりの言葉にユウキは素直に頷けなかった。

「でも、今は一回きりの実戦です。僕の力が及ばなかったから、こんな――」

「隙を作れるか?」

 遮って放たれた言葉にユウキは聞き返していた。

「隙、ですか?」

「ああ、相手の攻撃を一撃でいい、受け切ってくれ。俺のポケモンを出す」

 エドガーが腰のホルスターへと指をかける。そういえばどうして今までエドガーはポケモンを出せる立場でありながら繰り出さなかったのか。その疑問にユウキは尋ねていた。

「今まではどうして」

「この金網」

 エドガーが金網を仰ぎ見る。ユウキもその視線の先を追った。

「囲まれている。俺のポケモンは鈍足だ。後ろを取られたり、俺を狙われたりすれば終わりになる。だから出せなかった」

 エドガーはどのような隠し玉を持っているのか。今の段階では定かではなかったが、急がなければならないのは確かだった。エレキブルが金網へと片手を近づける。

 電流が渦を巻いてエレキブルの身体に蓄積した。触手が高く掲げられる。あれが振り下ろされた時、次の一撃が来るだろう。ヌケニンでは確実に突破される。そうなった場合、勝機を逃す。ユウキはエドガーの可能性に賭ける事を決めた。

「分かりました。止めてみせます」

「何をこそこそと」

 ニシダがヘッドセットを爪の先で叩きながら客席を降りてくる。ユウキはモンスターボールの緊急射出ボタンを押し込んだ。テッカニンが出現と同時に空気中に消える。

「テッカニンを出したのか? しかし相手は電気タイプだぞ」

「ええ。ですけれど、これしか止める方法はないんです」

 相打ちか、とその眼が語っている。ユウキは目をわざと合わせずにゆらゆらと揺れるヌケニンを見やった。ヌケニンの体力はない。テッカニンも電気攻撃で絡め取られればそれまでである。今のエレキブルならばテッカニンの速度を捉える事も出来るだろう。ユウキはぐっと息を詰めた。エレキブルがどのような技を出すか。それの如何によってこの作戦が成功するかが変わってくる。

 ――ニシダが僕の読み通りの人格ならば。

 読みが外れればそれまで。ユウキとエドガーはウィルに取り押さえられるか、または殺されるだろう。首の裏に覚えず汗が浮かんだ。
「新入り」とエドガーが声をかけてくる。ユウキは、「信じてください」と返した。

「必ず、一撃を止めます」

 断固たる声に、エドガーは息をついた。

「分かったよ。お前が何をしようとしているのかは分からないが、俺も腹を括ろう」

 エドガーがホルスターからモンスターボールを取り出し、緊急射出ボタンに指をかける。

 ――いちかばちか。

 客席でニシダが髪をかき上げ、片手を上げた。

「決着を。エレキブル、最高の技で締め括ろうではないか」

 エレキブルの体表を電流が跳ねる。青白いオーラのような電気が身体から発し、エレキブルは両手を広げて天上を仰いだ。口腔から雄叫びを発し、二本の触手を同時に床に叩きつける。エレキブルの身体が黄金に輝き、肩を突き出して床を蹴りつけた。

「エレキブル、ワイルドボルト!」

 エレキブルが全体重を傾けてタックルしてくる。それはさながら電気の砲弾であった。これが「ワイルドボルト」である。電気タイプの中で反動ダメージが返ってくるが、かなりの高威力を誇る物理技だ。エレキブルの黄金の輝きが視界を満たした瞬間、ユウキは叫んでいた。

「今だ! ヌケニン、テッカニン!」

 高速の中に身を委ねていたテッカニンが突如として、ヌケニンの上で止まった。それを怪訝そうに見たのはその場にいた全員だった。テッカニンは自ら攻撃に当たりに行ったのか、と誰もが思った事だろう。テッカニンは高速で震わせている翅を止めた。翅で身を包み、空中に静止したかと思うと、何とヌケニンとその影が重なった。

「当たりに来たか! 愚かな判断よ」

 ニシダが勝利を確信した声を上げる。エレキブルの高圧電流のタックルが二つの影を捉えたかに見えた。爆音が広がり、金網が衝撃で揺れる。煙る視界の中、観客とニシダが捉えたのは衝撃の映像だった。

『こ、これは?』

 アナウンスの声も動揺を隠せない。エレキブルの攻撃は一つの影によって防がれていた。小さな影だった。白い甲殻を有しており、小さな爪を前に持っている。丸っこい眼は感情があるように見えた。緑色の未発達の羽を持っている。

「ツチニン、だと」

 ニシダが声を上げる。そこにいたのはテッカニンとヌケニンの進化前であるツチニンだった。ちっぽけなツチニンがエレキブルの全力の攻撃を減衰させていた。

『た、退化している!』

 アナウンスの声に観客がどよめいた。それも当然だろう。ポケモンの進化とは本来、不可逆だ。ヤドラン、というポケモンは噛み付いているシェルダーが離れれば、進化前のヤドンに退化すると言われているが俗説とされている。逆に言えばそれくらいしか退化の前例は報告されていない。今、目の前で起こっている現象はしかし本物だった。

「僕の手持ち二体は退化する事が出来る。これは何も大した事じゃない。元々が一体のポケモンだったんだ。それをもう一度一つに合わせただけ。ただし、退化すると一晩は元の二体に戻れない。だけど、地面・虫タイプのツチニンなら、どんなに強力な電気技でも無効化する事が出来る」

「そして――」

 エドガーがその言葉を引き継いだ。エドガーの手にあるモンスターボールが開かれ、中から光に包まれた巨体が姿を現した。

 金網ギリギリの大きさの巨体である。その威容は最早ポケモンと呼ぶ事さえ憚られる。丸太を通り越して重戦車のような巨大な腕と脚。渦巻きの紋様がところどころにあしらわれ、胸に絆創膏のような意匠が施されている。顔には既に感情と呼べるようなものはなかった。機械のような一対の白い眼がエレキブルを見下ろしている。エレキブルの巨躯ですら、その巨体に比すれば矮躯としか言いようがなかった。巨大なポケモンは全身から蒸気を迸らせ、腕を振るい上げた。

「ゴルーグ。アームハンマー」

 エドガーの放った声に緩慢な動作でゴルーグと呼ばれたポケモンが拳を振るい落とす。「ワイルドボルト」の反動を受けていたエレキブルは咄嗟に判断できなかった。まるで隕石が落ちてくるかのような一撃をエレキブルは満身で受けた。床が弾け飛び、エレキブルの身体が押し潰される。恐怖など感じる間もなく、エレキブルが一撃の下に肉塊と化した。

 今まで数々のポケモンや人間を屠って来たリングに自らが沈むとは思ってもみなかったのだろう。その最期は呆気なかった。モニター上のエレキブルの体力がゲージを振り切ってモニター不可になる。誰もが固唾を呑んで見守っていた。ゴルーグがゆっくりとした動作で拳を戻す。エドガーがニシダへと目を向けた。ニシダは頬を引きつらせて後ずさっていた。

「ゴルーグでこの地下賭博場を占拠する。金網が邪魔だな。ゴルーグ。空を飛ぶ」

 ゴルーグがその言葉に従い、脚を胴体へと仕舞った。ついで五指を腕の中に仕舞ったかと思うと、ゴルーグの身体はまるでロケットのようになった。ゴルーグの全身から蒸気が迸り、地鳴りのような音が響いた。ゴルーグの身体の内側から響いている音なのだ。ユウキはエドガーとともに金網から出ていた。ゴルーグの巨体から火が上がる。炎を滾らせ、ゴルーグの身体が持ち上がった。腹の底から響く重低音と共にゴルーグがゆっくりと地面から離れた。金網を圧迫し、ゴルーグの巨体が高電圧の網を弾け飛ばす。

「ゴルーグはゴースト・地面タイプのポケモン。電流は通用しない」

 エドガーの言葉に呼応するようにゴルーグが鳴動した。鳴いたというよりも鳴動したと言うほうが正しいようにユウキには思えた。ゴルーグが金網を破り、ゆっくりと客席へと頭頂部を向ける。狙われていると察知したVIP客達は叫び声を上げて我先にと逃げ始めた。ニシダが困惑したように周囲を見渡す。辺りは恐慌状態にあった。エレベーターが押し合いへし合いの状態となる。エドガーはその様子を見やりながら、落ち着いて懐より煙草を取り出した。

「こんな時に一服ですか?」とユウキが驚くと、「こんな時だからだ」と冷静な声が返ってきた。ポケットからライターを取り出し、エドガーは紫煙をくゆらせる。

 ゴルーグが蒸気を噴射しながら片腕を展開した。その先には逃げ遅れたニシダがいた。ニシダをゴルーグの腕が掴む。ニシダがゴルーグの呪縛から逃れようとするが、既に遅かった。ゴルーグは観客席をがりがりと削りながらゆっくりと着地した。それでもその重量を支えきれないのか、観客席が陥没した。全身から蒸気を噴き出すゴルーグに掴まれた人間の心境とはどのようなものなのだろうとユウキは想像した。あまり歓迎したくない、というのが実情だった。

「は、離せ! 私はウィルの仕官だぞ!」

「それがどうした」

 エドガーがくわえていた煙草を手に握る。片手で煙草を器用に回しながら、「そういえば」と思い出したように告げた。

「ゴルーグの特性は不器用だ。道具が使えないんだよ。何故かって? そりゃ、そいつの力が強過ぎるからだ。壊しちまうんだよな、何でも。何かの手違いで握り潰してしまうかもしれん」

 エドガーのその言葉に、ニシダは全身から叫び声を迸らせた。ぽたぽたとニシダのズボンから水が滴っている。

「あーあ、漏らしちまった」

 情けねぇ、とエドガーが笑った。ユウキもその笑いが移ったように笑みを浮かべた。何故だか清々しい気分だった。エドガーが、「おっと」とポケッチを通信モードにする。

「報告しなけりゃな。ランポ。このカジノ、地下賭博場があった。違法なポケモンの闘技場だ。これから上へと大人数が逃げ出すだろう。そいつらを逃がさないでくれ。あと、ミツヤへとリークして欲しい。もしかしたら援軍の可能性がある」

『了解した。エドガー、ユウキ、よくやってくれた』

「新入りが思ったよりも働いてくれた。俺としちゃ、大助かりだったよ」

 エドガーがユウキへと目を向ける。その眼差しが少し和らいでいたのは気のせいではないのだろう。

『そうか。お前らはほとぼりが醒めるまでそこで待機していろ。上は俺達に任せておけ。エドガー、少し息が荒いぞ。ゆっくりと休め』

「そうさせてもらうよ」

 エドガーがその場に胡坐を掻いた。煙草を吸いながら、ふぅと息をつくと、エドガーの身体が後ろへと仰向けに倒れた。突然の事に、ユウキが狼狽した。

「え、エドガーさん? どうしました?」

「いや、身体が勝手にな。多分、ポケモンの技を受け過ぎた。まぁ、しばらく休めば大丈夫だろう」

 エドガーは落ち着いた様子で煙い息を吐き出した。こんな事が日常茶飯事なのだろうか。

「全く、心臓に悪い」とぼやいたユウキに、「そりゃ、こっちの台詞だ」と倒れたままのエドガーが煙草でユウキを指した。

「退化なんて。聞いてねぇぞ、そんなもん」

「言ってませんでしたから、ランポにも」

「ほう。じゃあ、本当の隠し玉だったってわけか」

 エドガーの言葉に、ユウキは、「ええ」と顔を綻ばせた。

「もうエドガーさんにばれちゃいましたけど」

「さんはいらない。これからは呼び捨てでいい。元々、先輩なんて柄じゃないんだ」

 エドガーはそう言って口元に笑みを浮かべた。ユウキもつられたように笑った。ゴルーグに掴まれたままのニシダが泣き声を上げる。赤子のような声にエドガーとユウキは顔を見合わせて肩を竦めた。


オンドゥル大使 ( 2013/10/09(水) 23:19 )