ポケットモンスターHEXA BRAVE












小説トップ
結成、ブレイブヘキサ
第三章 三節「地獄の足音」
 痛みでようやく我に帰る。

 鈍い、後から響いてくるような痛みだった。頬を叩かれたのは何年ぶりだろうと思う。

 父親に小さい頃、一度だけ叩かれた事があった。何をしたのか、言ったのか、前後関係はほとんど覚えていない。ただその頃の自分はトレーナーで無鉄砲なところがあったのだろう。父親は自分の事を考えて叩いてくれたのだと知れた。幼いユウキでもそれを解するだけの知能はあったのだが、それでも叩かれた事がショックだったのか涙が流れた事を思い出す。その時の痛みとエドガーが自分を叩いた痛みが同じに思えた。頬へと手をやる。エドガーはただ怒りや苛立ちから自分を叩いたわけではない。それくらい、今のユウキならば分かる。頬にやっていた手を拳に変えて、ユウキは呟いた。

「……考える」

 この状況を打開し、本来の目的に至る策を。エドガーが通信から戻るまではさほど時間がない。ユウキは頭脳を振り絞った。スロットの勝ち負けに躍起になっていた。その結果がこれだと、重たくなったコインケースを握り締める。

「コインケース」

 ユウキはコインケースに視線を落とした。蓋を開くと、黄金色のコインが等間隔に並んでいる。ユウキはざっとその数を数えた。次いで、カジノに入った時の事を思い返す。先ほどまでの戦い方が王道ならばこの手が使えるはずだった。しかし、エドガーが承服するだろうか。それだけが懸念事項だったが、ユウキはエドガーを納得させるしか方法はなかった。リヴァイヴ団に入れたのだ。ランポの下で戦い、この組織を変える。ミヨコとサカガミに誓った覚悟を思い出す。覚悟を胸に抱いたのならば、出来ない事などないはずだ。

 足音が響き渡りエドガーが帰ってくる。ユウキはコインケースを胸元に抱え込み、エドガーの目を真っ直ぐに見据えた。

「答えは出たか?」

「はい。一つだけ、ウィルにマークされながらにして裏帳簿を洗う方法があります」

「ほう。それは何だ?」

 エドガーの試すような声音に、ユウキは一拍だけ呼吸を置いてから口にした。

「VIPルームに入る事です」

 その言葉にはさすがのエドガーも面食らったようだった。眉をピクリと上げ、「何だと?」と聞き返す。

「僕はあのスロットならば負ける気がしない。どの台に踏み込んだとしても、当てる自信があります。現在、コインは四〇〇〇枚です。VIPルームに入るには一万枚のコインが必要。あと六〇〇〇枚を稼ぎます」

「それと今回の目的とどう関係があるんだ」

「僕はVIPルームから探りを入れます。その隙にエドガーさんは裏側から探りを入れてください。VIPルームの客ならば邪険に出来ないはずです」

「表から奴らの帳簿を洗うって言うのか? いくら最上の客とはいえ、奴らがそう簡単に資金洗浄の在り処を言うとは思えない」

「だから、エドガーさんに頼みたいんですよ」

 ユウキの言葉にエドガーは眉根を寄せた。

「頼み、だと?」

「はい。奴らはスロットを当て続ける僕を重点的に監視するはずです。そうなれば他の部分が手薄になる。システム面でもセキュリティ面でも脆弱になるはずです。その隙をついてウィルの情報を盗み取ってください」

 ユウキの言葉にエドガーは思案するように顎に手を添えていた。うまく説得できたか、とユウキは感じていたがエドガーは首を横に振った。

「俺への負担が大き過ぎる。承服は難しいな」

 やはりか、とユウキは歯噛みする。だがもうスロットである程度面が割れている以上、この方法が最善に思えた。ユウキは表から敵の牙城を崩し、エドガーが裏から相手の隙をつく。この方法でなければ逆につけ入る隙などない。ユウキが顔を伏せかけると、「だが」とエドガーは口にした。

「難しいが夢物語ってわけじゃない。その代わり」

 ずいとエドガーが歩み寄る。屈んでユウキの顔を覗き込んだ。

「お前は継続的にウィルにマークされる可能性がある。俺もミスればパーだ。カジノを荒らす結果になる上に、必ず勝ち続けなければならない。その覚悟はあるんだろうな」

 ユウキは放たれた言葉を反芻した。覚悟。時に人を雁字搦めにし、時に歩を進める原動力となりうる言葉である。自分は歩みを進めるために、その言葉で心に火を灯すのだ。ユウキは頷いた。

「覚悟なら、とうにあります」

 エドガーはその言葉に一瞬だけ口元を綻ばせた、ような気がした。見間違いのように見えた一瞬だった。エドガーは身を翻し、「時間を確認」と告げた。その言葉にユウキもポケッチに視線を落とす。

「あと四時間。四時間以内にお前はVIPルームに潜入し、俺は裏帳簿を調べるためにあらゆるデータ回線のある部屋へと侵入する。ウィルが待ち構えている可能性がある。VIPルームだからと言って殺されない保証などない。いいな。緊張感を持っておけ」

 エドガーが歩き出した。ユウキは頷いて、スロット台のほうへと歩いていく。途中の分かれ道でエドガーはスタッフルームへと歩き出した。澱みのない歩調で、そちらに向かうのがまるで自然だとでも言わんばかりだった。ユウキの目的はエドガーに注がれるであろう視線を全て自分に向ける事だ。ウィルやカジノ経営者の注意を全てこちらに向けさせる。

 ユウキの姿が見えたからか、先ほどまで取り囲んでいた客達がまたざわめき出した。先ほどまでユウキが使っていた台には既に人がいたが、ユウキのような当たりを出す事は出来ないようで少しずつ人が離れつつあった。ユウキはその台へと歩み寄り、座っている客に告げた。

「僕が打ちます。退いてください」

 ユウキの迫力に気圧されたのか、それとも当たりの出ない事に業を煮やしたのか客はすんなりと席を譲った。ユウキが台の前に立つ。

 ――これもまた戦いのうちだ。

 コインケースを確認する。四〇〇〇枚のコインをさらに増やし、一万枚にする。並大抵の当たりでは四時間以内は難しい。大当たりを連続して狙うしかなかった。ユウキは首もとのネクタイを僅かに緩め、台へとコインを三枚ベッドした。先ほどまでの感覚を呼び戻し、ユウキはギアを引く。左、中央のスロットがセブンの絵柄を弾き出し、残りは右スロットだけになった。

「これも、大丈夫」

 呟いた声でユウキはギアを引く。スロットの回転が緩やかになり、絵柄が空回りする。絵柄が止まる寸前、覚えず渇いた喉に唾を飲み下した。出た目はセブン。つまりスリーセブン、大当たりだ。スロットが極彩色に煌き、コインが吐き出される。それでも一五〇倍。つまり四五〇枚だ。

 一回で四五〇枚程度では向こうも注目してこない。何より効率が悪い。ユウキは次にベッドする枚数を変えた。標準ゲームとは違う倍の配当、六枚のコインを台に流し込む。群衆からざわめきが上がる。ユウキはギアを回した。スロットが回転する。先ほどまでより速い。眼をスロットの回転数に慣らせる必要があった。そのため、最初の二回は適当にギアを引く。

 当然、当たり目は出ない。絵柄はバラバラだった。しかし、法則性は見出せそうだった。左スロットに意識を向ける。左スロットは単純に倍の速度だ。先ほどまでよりも集中力を高めればいい。問題は中央と右スロットだ。中央スロットにも三回に一回の逆回転が加えられ、なおかつ速い。三つのドラムはほとんど別回転をしていると言ってもいい。倍を賭けるだけでこれほどまでに異なるとは。

 ユウキは額に滲んだ汗を袖で拭う。先ほどまでは左と中央はほとんど気にしなくてよかったが、今回は全てのスロットに同じ集中力を注がなくてはならない。並大抵の事ではない、と思う。しかし、エドガーとて並大抵の事をやってのけようというのではない。自分もランポ達も同じ覚悟を抱いている。ならば報いるだけの働きはするべきだ。ユウキはギアを引いた。スロットが音楽と同期して回転し始める。

 この音楽も煩わしい。聴覚に集中すればスロット自体の動きは必ず見過ごす。上画面のピカチュウは既に当てにならないことは実証済みだったが、それでも視界に入ってくる。目を閉じてスロットを当てるわけにもいかない。ユウキは他の全ての情報を遮断して、スロットの動きのみに神経を費やさなくてはならない。

「ここが僕の戦場なんだ。今は」

 コインを六枚ベッドする。スロットが回転する。左、中央でセブンの絵柄が揃ったが、右スロットは逆回転だ。頭を瞬時に切り替える事が出来ず、ユウキは思わずギアを引く。

「外した」

 周囲の人だかりがユウキ以上に残念そうな声を上げる。ユウキはへこたれずにコインを入れた。ここから先は鬼の領域だ。運だけで六〇〇〇枚を呼び込む事は出来ない。実力が伴わなければ、四時間で六〇〇〇枚は無理な話だ。

「……運さえもコントロールしてみせる」

 呟き、ユウキはギアを握る手に力を込めた。























 監視カメラが映し出す映像は単調で退屈だった。

 モニター室に充てられた男は数度目かの欠伸をかみ殺す。コウエツカジノでは滅多な事は起こらない。いつもの日常があるだけだ。勝つ人間がいて負ける人間がいる。VIPルームに呼ばれる人間など最初から勝つ事を約束された、いわばサクラだった。

 コウエツカジノでは経営が始まって以来、コイン一万枚の大台に達した客はいない。ゲーム用コインを大枚叩いて買って地道に増やしたとしても、一万枚を買い占めるのには相当な額が必要だ。それほど資金の蓄えがある人間がまずカイヘン地方には少ない。F地区なんていう最低ランクの場所があるコウエツシティではなおさらだ。中心街は随分と儲かっているように見えるがそれはF地区との対比なわけであって、他地方の首都などの前例を出すまでもなく、コウエツシティでは足元にも及ばない。開発途上の人工島、薄汚い金で積み上がっていくビルの群れ。

 男は心底うんざりしていた。カントー地方からこちらへと移転してきて半年、カイヘン地方がろくな場所ではない事が実感させられるばかりだ。カントーは物価が高いがそれなりの設備が整っていた上に、貧富の差も大して感じさせないがカイヘンは酷い。カイヘンにあるのは劣等感の塊のような視線ばかりだ。カントーからこちらに来たのも、栄転ではなく実質の左遷のようなものだと思わされる。向こうではカジノの掃除をやらされていたが、まだそちらのほうがマシだ。何も起こらないモニター室など眠たくなるだけだった。

 その時、扉が開いて上司がやってきた。男とは着ている服が異なる。男の服はディーラー達と同じ赤と黒のものだったが、上司が纏っているのは緑色の制服だった。肩口に縁取りで、「WILL」の文字がある。ウィル実行部隊の人間だった。髪は紫色で、顔立ちはほっそりとしていて優男風だ。髪をかき上げる仕草が、どこか几帳面に見えた。男はその上司の事を快く思っていなかった。歳は男のほうが上なのに、この上司はウィルというだけでまるで年上のような言葉遣いをする。

「どうだ、監視は怠っていないか?」

 怠っていたとしても分かるまいと男は思う。

「大丈夫です。ニシダさんこそ、いいんですか? こんなカジノの見張りなんかしていて」

 遠まわしの嫌味のつもりだったが、ニシダと呼ばれた構成員は口元を歪めた。

「これも立派な仕事なものでね。お上からもらっている役職を無下には出来んよ」

 嫌味がそのまま自分に返ってくる結果になった。自分は上から流れてきた仕事に対しても情熱を持てない。ニシダは画面を流し見て、ふとある事に気づいたようだった。

「彼は?」

 その言葉に男は先ほどから人だかりの中心にいる少年を見つめた。「ああ」と声を漏らす。

「随分と運がいい子供がいるみたいでしてね。さっきから勝ち続けています」

「ずっとか?」

「ええ。もう二十連勝くらいしているんじゃないかな。一度席を立ったから、もしかしたらもっとかもしれませんが」

 もっとも、男には興味がなかった。カジノの魔法だ。一夜だけ特別にツキが回ってくる時がある。平等ではないが、誰かには訪れるものだ。それが偶然、この少年だったという事なのだろう。ニシダはしかし、興味深そうに少年を見つめていた。

「勝ち続ける少年か。しかし、見たところ未成年だ。保護者はどこに?」

「さっき一度だけ席を立たせた時にいましたけど、他の遊びに興じているんじゃないですかね」

「どのような人間だった?」

「背が高くてがっしりとした大人の男でしたよ。灰色の髪で、眼鏡をかけていて」

 適当に情報を言うと、ニシダは顎に手を添えて考え込んだ。別に殊更考える事には思えなかった男はまた欠伸が出そうになった。

「……潜り込まれている可能性があるな」

 小さく放たれた声に男は気づかなかった。ニシダがパネルを操作する。監視映像が切り替わり、男は、「ちょっと、ちょっと」と声を上げた。

「勝手な事はやめてもらえますか。ここ、自分の管轄なんですけど」

「管轄内業務を全うできないのならば同じ事だろう」

 うっ、と男は声を詰まらせる。切り替わる映像の中で、先ほどの話に出てきた男が垣間見えた。早足で何かを求めているようである。見れば、その映像はスタッフ専用通路の映像だった。どうして、客であるはずの男がそこにいるのか。疑問を差し挟む前に、「やはりな」と声が発せられた。

「ネズミだ。カジノの裏を洗うために潜られている。二重の策だな。表では子供が注目を集めている。裏でこそこそやるのは大人の仕事というわけか。今は何時だ?」

 問いかける声に男は腕時計に視線を落とした。

「午後十一時過ぎです」

「そうか。手薄になる頃合いだな」

「手薄っていうのは?」

「零時にスタッフは一度スタッフルームに集まる。その時が一番手薄だ。データやら何やらを奪うには好都合だろう」

 奪う、という乱暴な言葉に男は目を丸くした。そこまで逼迫した状況なのだろうか。

「あれは、誰だっていうんです?」

 男の上げた声に、ニシダは迷いなく、「リヴァイヴ団だ」と告げた。

「リヴァイヴ団って、チンピラの集まりでしょう」

「一般人はそう考えているが、我々ウィルは第二のロケット団と目している。あるいは第二のヘキサか」

「ヘキサって……」

 男の脳裏に八年前に話題になったヘキサ事件が思い出される。あの時も静かに事は始まった。それと同じだとでもいうのか。ニシダは佇まいを正して、「可能性の話だ」と口を開く。

「だが、その可能性が一分でもある限り、我々は動かなくてはならない。それがウィルの役割だ」

 ニシダは映像の中のリヴァイヴ団に目を向けた。男もそれを見やる。リヴァイヴ団だと分かると、落ち着かなくなった。ヘキサと同じだと言われたのもある。テロ組織だとして、爆弾でも仕掛けられたらどうする、という思考が脳内を満たしていく。その考えを見透かしたように、「派手な事はせんよ」とニシダが言った。

「第二のロケット団になる可能性があるといっても、小規模での作戦だろう。あのような少年を駆り出しているんだ。まぁ、自爆テロの可能性も無きにしも非ずだが、だとすれば今まで行動しなかった理由がない」

 自爆テロという言葉に背筋が寒くなったのを感じた。男は少年へと視線を移す。少年はただスロットを打っているだけだ。他に何かしている様子はない。

「少年のほうはVIPルームに行くのが目的かな。そこでこのカジノの実態を掴むつもりだろう」

「どうするんですか?」

 男が斜め上にある液晶画面へと視線を移す。そこにはこのカジノの裏の顔が映し出されている。それの監視も男の役目だった。ニシダは肩を回して、「久しぶりに仕事と行こうか」と言葉を発した。

「仕事、ですか」

「ウィルの仕事だよ。君には関係がない。少年がVIPルームに行くというのなら通してやればいい。問題はリヴァイヴ団の男のほうだ。そちらを私が押さえる」

 守秘義務、という一語が男の中で突き立った。ウィルの関連する仕事には守秘義務がある。今、ニシダと話している話題すら守秘義務に抵触する。

「コインを一万枚溜めるというのは名誉な事だ。それ自体は褒め称えてやっていい。だが、その裏でこそこそと嗅ぎ回られるのは困るのでね」

 ニシダは腰のホルスターに手をやった。左手にはポケッチがある。ウィルの隊員の中でも実戦を主とする人間である事は明白だった。立ち去ろうとするニシダの背中を男は呼び止めた。

「まさかこのカジノで戦場なんて事はないでしょうね」

「戦場?」

 ニシダが乾いた笑い声を上げる。手を振り翳し、「既に戦場じゃないか」と口にする。

「金が絡み、勝者と敗者が存在する。一方は人生の高みを見て、一方は地獄を見る。これが戦場でなくて何だ? 心配はいらない。殺すのならばスマートにやるまでだ」

 ニシダが口元を歪ませる。愉悦の笑みだ。男は背筋が凍る思いをした。扉が閉まって、ニシダの姿が消えてから、ようやく男は息をつく事が出来た。椅子に倒れこむように座り、少年へと視線を向ける。スロット台の情報へと直接リンクして、何枚のコインを吐き出したのか計算する。

「一万枚まで、残り五〇〇枚。……よくここまで」

 思わず感心してしまう。コウエツカジノのスロットは難易度が高い事で有名だ。金を吸い込む魔の機械として恐れられている。しかし、この少年は吸い込まれるどころか逆に吸い上げている。凄まじい集中力、あるいは執念だと男は感じていた。

「だが、VIPルームに行けば、地獄を見る事になる」

 男はこのカジノの裏側を映す画面へと一瞥を流し、少年へと哀れみの視線を投げた。

「知る事が幸福とは限らない。名も知らぬ少年、君はそれを見てどうするか」

 口にしてかららしくない感傷だと、男は切り捨てて、淡々と画面を見る作業に戻った。


オンドゥル大使 ( 2013/10/04(金) 22:10 )