ポケットモンスターHEXA BRAVE












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結成、ブレイブヘキサ
第三章 一節「潜入任務」
 穏やかなジャズの調べが店内を満たしている。女神の腕に抱かれているような安息を聴く者に与える音色にカウンターの中でコップを磨いていた店主は目を瞑っていた。

「よし、勝負だ」

 その声に店主は目を開く。

 視線の先に二人の青年がいた。

 一人は灰色の髪を撫で付けており、がっしりとした体躯はいかにも老練しているかのように見えるが実のところはまだ歳若い。眼鏡をかけており、神経質そうに手に持ったトランプを眺めている。店主は彼の名前を知っていた。エドガーというリヴァイヴ団の団員だ。

 対面に座っているのは長い前髪で片目が隠れている青年だった。細身で少々虚弱な印象を受ける。声を発したのは、このミツヤという青年のほうだった。彼の声は上ずったように高いため、耳に残る。

「いいが、ミツヤ。予め聞いておくが、イカサマがあった場合、どうなるのか分かっているんだろうな」

 エドガーが片肘をテーブルについて訊く。ミツヤは、「もちろんだとも」とトランプで顔を扇いだ。

「賭けた金の倍払うんだろ。エドガーの旦那、あんたはちょっと気にしすぎだと思う。そう神経質になるもんじゃない」

 ミツヤが首を引っ込める真似をすると、エドガーは承服したようにトランプに視線を向けた。その瞬間、ミツヤの手首からトランプが交換されたのが店主の目に入った。エドガーは自身の手札に集中していて、見逃したようである。ミツヤは素知らぬ顔で、「あまりいい手じゃないな」と呟いた。エドガーは息をついて、「よし、いいな?」と確認の声を出した。ミツヤは緊張の面持ちで頷く。

 お互いの手札が出されたが、ミツヤの手札は最強の手だった。それを見てエドガーが目を見開く。ミツヤはひそかに笑みを浮かべる。テーブルの中央に置かれていた紙幣を手に取り、「じゃあ、これはかけ金として俺の分に……」と引き寄せようとしたのをエドガーの手が掴んだ。ミツヤが掴まれた手首を振り解こうとすると、手首からトランプが滑り落ちた。ミツヤが、「あっ」と声を上げた瞬間、エドガーがミツヤの襟首を締め上げた。

「イカサマだ!」

 激昂したエドガーを宥めるように、ミツヤが、「まぁまぁ」と口にする。

「そう怒ることないじゃないか。な? 俺達だけの勝負なんだし」

「身内の勝負なら何をしてもいいって言うのか? お前は?」

 今にも殴りかかろうと拳を振り上げたエドガーに対してミツヤは、「悪かったって」と言った。

「もう一回やり直そう。そうすりゃ、結果も違ってくるだろうさ」

「お前はいつもそうだな」

 エドガーがミツヤを突き飛ばす。ミツヤは椅子から転げ落ちて呻き声を上げた。

「一回イカサマをする。次はイカサマをしないと誓う。その勝負ではイカサマはしない。そうだ、確かに約束は守られているようではある。しかしだな、そもそもの前提としてイカサマをしないのが当然のことだろうが」

 エドガーが指差して糾弾すると、ミツヤは肩を竦めた。

「悪いとは思っているよ。でも、悪癖ってのは抜けないもんなんだ」

「この野郎!」

 エドガーがミツヤに掴みかかった。ミツヤは逃れようとしたが、エドガーの力が強いためにすぐに引き寄せられた。テーブルの上にミツヤが叩きつけられる。エドガーが拳を振り上げた。その時である。

「何してるんだ、お前ら!」

 突如響き渡ったその声に、その場にいた三人は同時に目を向けた。ランポが新入り三人を引き連れて、店内に入ってきたところだった。























 ユウキは目の前の光景に首を傾げた。

 片方の虚弱そうな男が屈強な男に羽交い絞めにされ、今にも殴りかかられそうになっている。これがランポのチームの実態なのだろうかと思うと、先行きが不安に思えた。

 試験官の言葉を思い返す。あのチームならば人が多いほうがいいと言っていたのは皮肉だったのか。

 ランポが二人へと歩み寄ると、屈強な男は姿勢を正してランポに向き直った。灰色の髪を撫で付けており、老練した印象を受ける。虚弱そうな男は襟元を正しながら、ため息をついた。ぎろりと屈強そうな男が睨む。彼は長い前髪を撫でて、肩を竦めた。ランポが、「どっちが原因だ」と詰め寄る。二人はお互いに目配せし合い、やがてどちらも顔を背けた。ランポは店主に尋ねる声を寄越す。

「マスター。見てたな?」

「ええ。ミツヤさんが例の如くイカサマをなさって、エドガーさんが怒った形ですね」

「いつもの奴か」

 ランポは呆れ声を二人に向けた。「旦那だってすぐに暴力を振るうのが悪い」とミツヤと呼ばれた男が抗弁の口を開く。エドガーは、「何だと」と拳を振るいかけたが、ランポの視線一つでその拳を仕舞った。どうやらランポがこのチームでリーダー的存在なのは間違いないらしい。

 ランポは息をつき、「お前らはチームなんだ。これから入ってくる新入り達の前で醜態を晒すんじゃない」と注意の声を発した。二人はそれぞれ身を硬くして、新入りであるユウキ達を見やった。テクワは、「どうもっス」と軽く頭を下げた。マキシも無言ではあるが頭を下げる。ユウキもそれに倣った。

「ユウキです。これからお世話になります」

 ランポはカウンター席に座った。身体を全員のほうに向ける。どうやらランポの席は決まっているらしく、以前と同じ席だった。

「というわけだ。テクワとマキシについてはお前らが面談したが、ユウキは俺から紹介させてもらう」

 ランポの声にエドガーとミツヤはそれぞれユウキを観察した。ユウキはあまりいい気分ではなかったが、新入りという手前その視線を拒絶することもできなかった。

「手持ちは?」

 ミツヤの発した言葉は、手持ちポケモンはという意味だろう。ランポは首を横に振った。

「教えられんな。お前らだってこいつらに教えるつもりはないだろう」

「違いないですね」とミツヤが苦笑した。ミツヤはユウキ達へと歩み寄ってきた。手を差し出す。最初、その意味が分からなかった。

「握手だよ。これから仲間になるんだからな」

 その言葉にテクワが最初に手を差し出す。硬い握手を交わし、次にマキシが握手をした。マキシはどこまでも無表情だった。それが恐らく強みなのだろう。最後にユウキの前へとミツヤが立った。ユウキが手を握り返す。

 瞬間、みしりと嫌な音がした。その音の根源を確かめる前に、激痛が握られている手から発する。ミツヤは細身で見た目は虚弱そうに見えた。しかし、握力は万力のようだった。絡みついた蛇のように手が離れない。ユウキは思わずもう片方の手を握っている手に添えたが、状況は変わらなかった。ミツヤが口元に薄い笑みを浮かべる。

「俺はな。新入り。嘘つきが分かるんだ。手を握るとそいつがどういう考えで、今何を思っているのかが大体分かる。お前の思考が流れ込んでくるぞ、新入り。さっきの二人は似たような目的があったが、お前だけ違うな。何のつもりなんだ?」

 据わった眼がユウキを捉える。ユウキは首の裏に汗をどっと掻いたのを感じた。見透かされているのか、と不安が鎌首をもたげる。それすら見通したように、ミツヤは言葉を発する。ユウキにだけ聞こえるような小さな声だ。

「焦っているな。俺に知られたくないことでもあるのか。それとも全体に知られたくないのか。どういうつもりなのかは知らないが、信用ならないな。お前は、何を思ってこの組織に入ろうとしたのか。気になるな」

 心の奥底へと土足で踏み込もうとするミツヤの眼に、ユウキは荒い息をついてホルスターに手をかけていた。それにミツヤが気づいた瞬間、ミツヤの身体は突き飛ばされていた。椅子を巻き込んで大きな音を立てる。ユウキは肩で息をしながら、ボールへとテッカニンを戻した。ここで手の内を知られるわけにはいかない。それを見たエドガーが、「野郎! よくもミツヤを」と腰のホルスターに手をかけようとする。その行動を制したのは、ランポの怒声だった。

「やめろ! エドガー!」

 エドガーの動きがピタリと止まり、ランポへと顔を向ける。ランポは静かな怒りを湛えた瞳を向けていた。エドガーが転がっているミツヤへと一瞥を向けてから、ランポに言葉を投げる。

「でもよ、ランポ。新入りにコケにされて、みすみす……」

「今のはミツヤの落ち度だ。ミツヤ。いつもの奴を試そうとしたな?」

 ランポの問い質す声に、起き上がったミツヤが視線を向けた。ばつが悪そうにランポから目を逸らす。しかし、前髪に隠れた片目はどこを見ているのか分からなかった。

「ちょっとからかっただけですよ。こいつ、それを本気にしたんです」

 ミツヤがユウキを睨みつける。ユウキはたじろぐように後ずさったが、ランポが言葉を添えた。

「気にすることはない。こいつのいつもの癖だ。他人の心の中を覗き込もうとする。特にお前は気にされていたようだったから余計だろう。踏み込まれて困る腹があるのは誰しも同じはずだ。ミツヤ、自重しろ」

 その言葉にミツヤは片膝を立ててそっぽを向いた。「エドガー。お前もだ」とランポが言葉を続ける。

「お前のポケモンは不用意に出していいポケモンじゃない。一時の感情に身を任せるな。それは破滅を招くぞ」

 ランポの忠告にエドガーは苦虫を噛み潰したような顔をした。ランポはユウキ達へと視線を向ける。

「お前らも適当に座れ。これから俺達の仕事の説明をする」

 促されて、ユウキはテーブル席に座った。さすがにこの状況でランポの隣に行く気にはなれなかった。テクワとマキシも続く。同じテーブルに新入り三人が集まった結果になる。そこから少し離れた場所にエドガーとミツヤは座っていた。隔絶した壁があるかのように、数歩のその距離は永遠に思えた。ランポは、「座ったな」と確認の声を発してから話し始めた。

「俺達の仕事は主にF地区と賭博場の管理だ。コウエツシティ中心街にあるコウエツカジノは知っているな」

 聞いた事はあったが、ユウキは行った事がない。スクールの校則で十八歳未満であるユウキがカジノに出入りする事は禁じられている。カントーや他地域ではそのような制約はないものの、ウィルの実権支配を受けるようになってから賭博というものに対する見方が変わり、金の動きが厳しくなった印象がある。

「コウエツカジノは元々リヴァイヴ団の支配下ではない。ウィルの管轄だ。だから俺達みたいなのが出入りする事は煙たがられる」

「ウィルの施設なら、僕らの管理というのはおかしいんじゃないですか?」

 ユウキが質問すると、「新入りは黙って聞いてろ」と野次が飛んできた。エドガーだった。低い迫力のある声に、ユウキは意見を引っ込ませた。ランポが一呼吸おいてから、「話はそう簡単じゃなくってな」と告げる。

「ウィルは独立治安維持部隊だ。施設管理とは言っても娯楽施設は中心ではない。つまるところ、黙認されていたんだ。ウィルが名義上ではコウエツカジノを管理してはいるが、実質支配しているのは俺達、リヴァイヴ団だ。当然、金の流れも俺達に巡ってくるはずなんだが、近頃妙でな」

「妙っていうのは、金絡みか?」

 エドガーの質問に、ランポは、「それもある」と首肯した。

「ウィルが七割、リヴァイヴ団が三割で手を打っていたはずなんだが、金の流れがウィル側に偏っている。コウエツシティでは数少ない資金源だ。これを手離すのは惜しい」

「つまり、金の流れを正常に戻したい、と」

 ミツヤが訳知り顔で言った。ランポが、「そうだな」と応じる。

「それと同時に資金洗浄が何に行われているのか、それを白日の下に晒す。もしこれ以上の武力の増強に当てられているのだとしたらリヴァイヴ団存続の危機だ。マスコミにウィルの悪行をリークする。そのためにコウエツカジノを徹底的に洗う。それが今回、上から降りてきた依頼だ」

 その時、テクワがユウキの肩を叩いた。ユウキが気がついて顔を振り向けると、テクワが小声で尋ねる。

「……要するに、どういうことだ?」

 どうやらテクワはこの手の話題に疎いらしい。頭が回るのに勘の悪い奴だと思う。

「要するに、お前らの最初のお仕事はコウエツカジノへの潜入ってわけだよ。新入り君」

 ミツヤが片手を上げて発した声にテクワが眉をひそめた。ユウキも内心で地獄耳めと毒づく。

「そういう事だ。今回は加えて二つのチームに分かれてもらう」

 ランポが足を組んで全員を見渡した。ユウキの視線とぶつかって、ランポは思案するように顎に手を添える。

「そうだな。エドガー。ユウキとチームを組んでカジノに潜入しろ」

「俺が?」

 エドガーが自身を指差す。ランポは有無を言わさぬ口調で、「そうだ」と告げた。

「お前とユウキなら適任だ。ユウキ一人では入れないが、お前が保護者という名目なら入れるだろう」

「保護者だって? 俺が、こんなガキの?」

 エドガーがユウキへと振り返る。ユウキはどうしたらいいのか分からず、ランポへと質問を浴びせた。

「根拠は?」

「お前らの手持ちを熟知している俺の判断だ。従ってもらう。ミツヤは情報戦術で金の動きを洗え。テクワ、マキシ両名は俺と共に二人のバックアップだ」

 その言葉に異議を唱えようとエドガーが口を開きかけるが、ランポの眼には何を言っても覆らないであろう光が浮かんでいた。それを無意識的に感じ取ったのか、エドガーは言葉を取り下げた。ユウキはおずおずと手を上げる。

「どうした?」

「僕は何をすればいいのでしょうか?」

 その言葉にランポは一瞬、エドガーに目をやってから、「見て学べ」と言った。

「お前は組織というものを知らない。チームというものも分かっていない。それを分からせるための、いわば研修だ。難しい任務というわけではない。直ちに遂行する事こそが意味のある事だと知れ」

 それ以上の質問は暗に意味がないと言われているようなものだった。ユウキはエドガーの背中を見つめた。その視線に気づいたのか、エドガーが振り向く。その眼は決して友好的な眼ではなかった。欺き、欺かれるのが当然の組織においては信用する事は最も困難なのだろう。エドガーは当面、ユウキを信用するつもりなどないように見えた。

「詳細は追って連絡する。仕事の開始は深夜からだ。それまで充分に身体を休めておいてくれ」

 ランポが話はそれで終いだとでも言うように立ち上がろうとすると、ミツヤが手を上げた。

「ランポ。この間の件、まだ話してないですよ」

「この間のって、あれの事か?」

 エドガーがミツヤへと振り向く。どこか浮き足立っているように見えた。あれとは何なのだろうとユウキがランポに視線を向けていると、ランポはまた椅子に座った。

「ここで決めるのか? 益のない事のように思えるが」

「益も何も、俺達のチーム名を決めるって言う重大な話じゃないですか」

 ミツヤの言葉にランポは呆れたように息を漏らす。エドガーも似たような態度を取っていたが、どこか楽しみにしているように口元を綻ばせていた。

「チーム名か。何でもいいような気がするがな」

「何でもよくはないですよ。これから名乗っていくんですから」

 取り残されたように状況を見守っているユウキ達に対して、ランポは気づいたように、「チーム名を名乗れるんだ」と話し始めた。

「ある程度、実績を上げたらな。今の俺達はまだその領域に至っていない。今回のカジノの一件を処理したら上にかけ合ってみてもいいが、何分、意見がバラバラでな。どうするべきか悩んでいる」

「だから、イービルアイズがいいって言っているじゃないですか」

 ミツヤの声にランポは、「それは何度も聞いたよ」とほとほと呆れたような声を出した。名前というのはそれほど重要なのだろうか、とユウキは考える。リヴァイヴ団という一組織の中で群を抜いているのならば確かに箔がつくだろう。だが、とユウキはエドガーとミツヤを見やる。彼らがそれほどまでの実力者だとは到底思えなかった。

「ファントムスピアだな。名乗るとしたらそれだ。他は譲れない」

 エドガーも顔に似合わずそういう事には関心があるようで、積極的に発言してきた。ランポは考え込むように顎に手を添えながら、ユウキ達へと視線を移す。

「お前らはどうだ? 何か妙案はあるか?」

「新入りに聞いたってろくな意見でないですって」とミツヤが声を上げるが、ランポは、「念のためだ」と窘めた。

「チーム名なのだから全員の総意にしたい。どうだ? テクワ」

「俺は別に何でもいいんで」

 テクワが片手を上げる。テクワの人柄ならば本当に何でもいいと思っていそうだった。視線がマキシに移るが、マキシは無言で首を横に振った。マキシはそういう事には関心がなさそうに見えた。最後にユウキへと視線が向けられる。ユウキは少しだけ考えた。これから自分達が名乗っていく名前だ。当然、自分達のスタンスを反映させた名前が望ましい。ユウキは目を瞑った。一つだけ考えている事があった。

「ないんならもういいでしょ。イービルアイズで――」

「ブレイブヘキサ」

 ミツヤの声を遮って放った言葉に全員が視線を向けた。ユウキは全員の視線を受けて少したじろいだが、臆す事なく声を発する。

「ブレイブヘキサなんてどうでしょうか?」

 その時、何かが叩きつけられたような音が響き渡った。ユウキが目を向けると、エドガーが立ち上がってテーブルに拳を叩きつけていた。

「……てめぇ、分かってそんな名前つけようと思っているのか?」

 押し殺した殺意の声にユウキは肌が粟立ったのを感じた。ちりちりと皮膚を焼く殺気の眼差しにユウキは唾を飲み下しかけるが、言葉を引っ込めようとは思わない。

「はい。僕はヘキサで傷ついたカイヘン地方を勇気で支えられるようなチームにしたい」

「お前の名前入っているじゃん。そんなの無効だよ、無効」

 ナンセンスだというようにミツヤが肩を竦める。エドガーは黙ってユウキへと歩み寄った。ユウキも立ち上がり、エドガーと向き合う。エドガーはユウキよりも頭一つ分背が高い。見下ろされると威圧感が屹立した壁のようだった。手が震えそうになるのを、拳を作ってぐっと堪える。視線はエドガーの眼差しから外さなかった。エドガーの眼は深い灰色だった。その灰色の眼に自分はどう映っているのか。ユウキがそれを探る前に、ランポが呼びかけた。

「エドガー。その辺にしておけ。どうせ、仮定の話だ。名前がつくと決まったわけじゃない」

 その言葉にエドガーはユウキから視線を外して身を翻した。ユウキはプレッシャーの波から解放され、息をついた。エドガーが音を立てて椅子に座る。ユウキも音を立てて座ったが、それは全身の力が抜けたせいであった。

「名前の件はとりあえず保留だな。エドガーとユウキは指定の衣装に着替えて待機。深夜から状況を開始する。テクワ、マキシ両名は俺について来い。お前らとも話がしたい。ミツヤ、頼むぞ」

「任しといてください」

 ミツヤがふざけた敬礼をする。ランポは特にそれを咎めるでもなく、一つ頷いた。

「潜入組は裏で着替えろ。店主、例の服は」

「用意していますよ。どうぞ、こちらへ」

 店主が店の奥へと来るように促す。エドガーが先に立ち上がり、ユウキに一瞥をくれた。ユウキも立ち上がり、エドガーに続く。ランポと何かしら言葉を交わしあうかと思ったが、リーダーという立場の手前、そうするわけにもいかないのだろう。何も言葉一つなく、ランポはユウキ達を見送った。

 店の奥は思っていたよりも入り組んでいた。入団試験でやってきたエレベーターホールを抜け、奥まったところにロッカーが並んでいる。店主がロッカーを開けると、中にいくつかの衣装が収まっていた。

「コウエツカジノの服はこれですね。コウエツカジノは会員制の場所なので服装にある程度マナーがあるんですよ」

 店主の取り出したのは黒いスーツだった。ユウキは自身の着ているオレンジのジャケットを摘む。さすがにこれでカジノの中に潜入するのは無理がある。ユウキの視線を感じ取ったのか、店主が破顔一笑した。

「大丈夫ですよ。服は責任を持って預からせていただきます。エドガーさんも」

「俺は服にこだわりはない」

 その言葉の通り、エドガーの服はどこでも買えるような黒いワイシャツだった。胸元が開けており、鍛え上げられた大胸筋が見え隠れした。店主は笑みを浮かべながら、「ではこの服を」と二人に差し出した。店主が表へと帰っていく。エドガーと二人で取り残され、ユウキは気まずさを感じずにはいられなかった。

 何か話そうかと思ったが、先ほどの騒動の手前もある。黙しているのが正解だと感じ、ユウキは着替え始めた。

 オレンジのジャケットを脱いで、まだ真新しいスーツに袖を通す。スーツなど片手で数える程度しか着た事がない。正体不明の重みを感じ、ユウキは肩口を回した。

 隣でエドガーが着替えている。エドガーの身体は鋼鉄のような筋肉の塊だった。スーツを着ると、少しだけ苦しそうに見える。ユウキがネクタイを締めるのに悪戦苦闘していると、エドガーはむんずとユウキの首根っこを掴んだ。何をされるのかと思えば、引き寄せてネクタイを締めた。一気に首を締められたものだから、気道が狭まってユウキは息苦しさを覚えた。二三度むせる。

「あ、ありがとうございます」

 エドガーに礼を言おうとすると、何事もなかったかのようにエドガーは身支度を済ませようとしている。何も言わないのが礼儀なのかもしれないと思い、ユウキも脱いだ服を畳み始めた。ホルスターをベルトに留め、ボールの状態を確認する。問題はなさそうだった。

「バッジを忘れるな」

 エドガーのその声に、ユウキはジャケットに留めていたバッジをスーツにつけなおした。

 オレンジのジャケットは名残惜しかったが、着ていくわけにはいかない。帽子も同じだった。自分のトレードマークともいえる帽子とジャケットを置いて、ユウキは表へと出ようとすると、先にエドガーが立ちはだかった。エドガーは割り込んできた事に対する詫びも入れずにユウキを一瞬だけ視界に入れて、そのまま表へと歩いていった。ユウキはしばらくその場で硬直していたが、やがて歩き出した。入れ替わりに店主がロッカーへと歩いていく。表ではランポ達がちょうど作戦の概要を確認していたところだった。

 地図をテーブルの上に広げており、テクワとマキシはそれを見つめている。エドガーが、「IDは?」とランポに尋ねた。ランポはジャケットのポケットから二枚のカードを取り出した。片方をエドガーに渡し、片方をユウキへと手渡す。名前も年齢も無茶苦茶に刻印されたカードだった。

「作戦開始は深夜だが、お前らには先に入ってもらう。そのほうが怪しまれないだろうからな」

 ユウキは左手に巻いたポケッチを見やる。ちょうど午後三時を回ったところだった。エドガーもポケッチの時間を確認していた。

「ランポ。バックアップはどの辺りからしてもらえる?」

 エドガーの質問にランポは地図を示した。ユウキも地図を覗き込む。ビルの合間に二階建ての、他に比べれば小ぶりな建築物が書かれている。それがコウエツカジノだと知れた。ランポはコウエツカジノから指を真っ直ぐに伸ばし、隣のビルを跨いであるビルの屋上を示した。

「この辺りからならバックアップが可能になる。不安か?」

「いや、俺に不安はない。ただな……」

 濁してこちらを見やったその眼差しにユウキの事を言っているのだと暗に知れた。お荷物だとでも思っているのだろう。ランポは、「お前が言うほど心配じゃないさ」と言った。

「ユウキの実力は俺が知っている。お前と組ませるのが適任だと感じた。それだけだ」

 その言葉は少なくとも今のユウキにとっては励ましの言葉に思えた。ランポからのお墨付きをもらえたのならば、少しは信用してもいいと思ってもらえると感じたからだ。しかし、エドガーはどこか不審そうだった。

「こいつがか?」

 怪訝そうな眼をユウキへと注ぐ。ユウキは話題を変えようとランポに話しかけた。

「ランポ。作戦開始まで僕らはどうすれば?」

「おい。気安く呼んでいるんじゃないぞ」

 エドガーがユウキの前へと歩み出る。ランポが、「いい。俺が許した」とその行動を制した。

「そうだな。一般の会員を装って適当に遊んでいろ。目をつけられない程度にな。エドガー、その辺りはお前がリードしてやってくれ」

「俺がか? 冗談きついぜ、ランポ」

 エドガーが自身の胸元を押さえて首を横に振る。ランポは呆れたように息をついた。

「無線で指示を飛ばし続けるわけにもいかないだろう。盗聴の可能性もあるからな。作戦開始時刻までは必要最低限の通信に留める。それまでは無害を装え。いいな」

 押し被せる確認の声に、エドガーは小さく、「分かった」と言った。内心では承服していないのは丸分かりだった。ランポはコウエツカジノを指して、

「作戦開始時刻は零時ジャスト。その瞬間、コウエツカジノは手薄になる事が事前調査で分かっている。エドガー、ユウキはその機に乗じてコウエツカジノの裏側へと潜入しろ」

「裏側ってのに行くためのルートはもちろん、既にあるんだよな?」

 エドガーの声にランポは頷いた。

「もちろんだ。内部地図がある。ポケッチに送ろう」

 ランポが左手のポケッチをエドガーのポケッチに合わせ、赤外線通信で情報を交換する。ユウキにも送られるものかと思っていたが、ランポはエドガーにしか送らなかった。

「テクワ、マキシは俺と共にバックアップに回れ。俺達は外からの援軍を叩く。お前らの情報も教えてもらう。異論はないな」

 ランポがテクワとマキシに視線を投じた。二人は同時に頷いた。ユウキはどこか取り残されたかのような感覚を覚えていた。自分にだけは作戦の詳細が教えられていない。エドガーに付き従えというだけだ。これでは意味があるのか分からない。

「ミツヤ。情報戦術は?」

「既に準備完了してますよ。いつでも出せますけど、新入りがいちゃねぇ」

 ミツヤがユウキ達を眺めた。まだ信用されていないのだ。先ほどの行動が軽率だったのかもしれない。しかし、あれはミツヤだって悪いのだと自分の中で言い訳を作った。ランポは頷き、「なら、こいつらが出てから頼む」と言い置いた。


オンドゥル大使 ( 2013/09/24(火) 22:12 )