ポケットモンスターHEXA BRAVE












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入団試験
第二章 七節「本物」
 テクワが現れた時、何が起こったのか平静を忘れて掴みかかった。

 自分の中の感情を抑えられなかった。自分にしては珍しい事だ、と心の中のどこか冷静なユウキが分析する。テクワは襟元を掴んでいるユウキの手を押さえて、「まぁ落ち着けって」と言った。片手にスナイパーライフルを構えている。中央部にモンスターボールがはめ込まれたライフルの異様を見やって、事がそう簡単ではない事を理解した。ただ自分達を利用したわけではない。ユウキはそう分かっていても掴んだ手を離す事はできなかった。テクワが深く頷く。

「よーく、分かるぜ。信じていたと思っていた奴に裏切られたんだからな」

 テクワの口から放たれた言葉に、ユウキは目を剥いて怒りを露にした。

「……どうして、僕の手持ちの弱点を教えたりした」

 様々な罵声の言葉が出そうになるのを必死に堪えて発したのはそんな台詞だった。テクワは悪びれる様子もなく肩を竦めた。

「俺程度に看破される弱点なら、早めに知っておいたほうがいいだろ? 後々、大事な局面で知る事になるよりかは、今知っておいたほうがいいに越した事はないぜ」

 テクワの言葉にユウキは掴んだ手から力が抜けていくのを感じた。そんな理由で裏切られたのか。いや、共同戦線を張るのならば早めに弱点を知る事は有効だったかもしれない。それは同時に、テクワはユウキのポケモン程度ならばいなす事ができるという事実を示していた。自分からは裏切れない。今更独断を取るのは危険だ。この三人には絆はなくとも、裏切ればお互いに不利になる状況だけはある。

 ユウキは奥歯を噛み締めた。信じられる人間だと思った。その結果がこれだ。ユウキの心境を察したのか、テクワは肩に手を置いた。

「……信じていたか。無条件に。こいつだけは裏切らないって」

 ユウキはその手を振り解く。テクワが一歩引いて、「甘いんだよ」と呟いた。

「俺達が入ろうとしているのは裏の組織だ。その入団試験でそんな甘さを見せてどうする? 全ての事態を掌握して、自分の思うとおりにコントロールするつもりでいろ。そうじゃなきゃ、簡単に裏切られちまう」

 テクワの言葉には不思議と重みがあった。経験の上から来る言葉であることが分かる。テクワもかつて人を無条件に信じて裏切られた事があるのだ。しかし、だからといって他人を裏切っていい理由になどなるのだろうか。自分がされたからといって、他人にしていい理由にはならない。

「……だからって、僕は誰かを利用する気なんてない」

 負け惜しみのような抗弁は子供の理屈だった。それだけは自分の中で線引きをしておきたい。そうでなければ本当に戻れなくなってしまう。ミヨコやサカガミに顔向けできなくなってしまいそうで。

 テクワは息をついた。

「分かるよ。お前は心底、いい奴なんだろう。だがな、この場所じゃいい奴ほど馬鹿を見る。ここはまだスタート地点ですらねぇ。これから先、どれだけの裏切りと離別があるんだか分からないんだぞ」

 テクワは囚人へと歩み寄った。囚人は腰が抜けているのか、立ち上がれないようだった。テクワは屈み込んで、囚人に告げた。

「お前はわざと生かしてやった。知ってんだろ、正規ルート。案内してもらう。異論はないな」

 先ほどまでとは打って変わって冷たい声音のテクワにユウキはマキシへと目を向けた。マキシはユウキを僅かに見やり、ぼそりと呟いた。

「あいつはいつもあんな感じだよ」

 同じ台詞なのに、ずしりと腹に重い物を据えられたような気がした。思えばこの台詞は自嘲でも諦めでもないのだ。ただ事実を告げている。それだけに、受け止めるのには時間がかかりそうだった。

「こ、このまま東に真っ直ぐ行けば、目的の座標につく」

 囚人が歯を鳴らしながら言葉を発する。テクワは囚人の頭を掴んだ。

「本当かー? つーか、東ってどっちだよ。それが分からねぇから、苦労してんだろうが」

 囚人の頭を無理やり押さえつけ、テクワが低い声で言った。囚人は慌てて言い直す。

「こ、この道で合ってる! この道を真っ直ぐ行きゃ、今度は三つに折れる道があって、そいつを左に、い、行けばいい。そうすりゃ、着けるよ! だから、殺さないでくれ!」

 囚人を暫しの間睨んでから、テクワは立ち上がった。ユウキ達へと向き直る。

「よーし、このまま真っ直ぐ行くぞ。折れ曲がる道で、俺は一応、張る事にする」

 張る、というのは先ほどのような行為を意味するのだろう。マキシは最初から了承しているかのように頷いた。ユウキが頷きかねていると、テクワはユウキの眼前まで歩み寄ってきた。

「異論はねぇな?」

 確認の声にユウキは渋々了承した。テクワに逆らうつもりはない。その時であった。

 テクワの背後で雄叫びが弾けた。

 テクワが振り返った時、囚人が腰だめにナイフを握っていた。どこから取り出したのか、咄嗟にテクワはポケモンを出そうとするが、ライフルと一体化しているモンスターボールは唐突な判断には向かなかった。マキシがボールに手をかけようとした瞬間、囚人の身体が横っ飛びに弾け飛んだ。地面を転がり、囚人が醜い小動物のような呻き声を発して倒れ伏す。テクワは暫くそれを眺めて呆然としていた。

「――テッカニン」

 その声にテクワがユウキへと振り返る。ユウキはボールで空間を薙いだ。赤い粒子が空間に僅かに居残る。テクワがようやく、ユウキがテッカニンで囚人を突き飛ばしたのだと理解した。

「僕は、誰も裏切ったりしない」

 断固とした口調でユウキは言った。それも一つの覚悟の形だと自分で思った。

 裏切り、裏切られが自然の摂理だと言うのならば、自分はその摂理から外れてみせる。

 外道に落ちようが構わない。

 それでも自分を曲げたくない。落ちるのならば、落ちるなりに自分を貫きたい。

 わがままかもしれない。青臭い理想論かもしれない。それでも、突っ走ればそれは王道になるはずだ。そう信じて発した言葉に、テクワは暫く言葉を失っていた様子だったが、やがてぷっと吹き出した。堰を切ったように笑い転げ始める。ユウキが呆然と眺めていると、テクワは笑いを鎮めながら、「いいね、いいね」とユウキの肩を叩いた。

「お前、本物だな。いいな、いい奴だ。そこまで貫けりゃ、お前は本物だ」

 何の本物だと思われているのかは分からなかったが、テクワは上機嫌の様子だった。九死に一生を拾ったからハイになっているのかもしれない。それとも、元々のテクワの性分なのかもしれない。どちらにせよ、ユウキには分からぬ事だらけだった。マキシが構えた手をだらんと垂らし、ユウキを一瞥する。ユウキはその視線を見返そうとしたが、その前にマキシが視線を外した。テクワはまだ少し笑っている。この、どこか不釣合いな二人は何なのだろうか。今更に生じたそんな疑問を吹き飛ばすように、テクワが勢いをつけて言った。

「さぁ、行こうぜ。あと、制限時間までどれくらいだ?」

「あと二十二時間四十分。まだまだ時間は有り余っている」

 答えたのはマキシだ。時間が余っているといっても、ゆっくりと行っていいわけではない。

「でも、急がなきゃな」と発した声は既に戦闘の冷たさを含んでいた。テクワは倒れ伏した囚人へと歩み寄る。何をするのかと思えば、囚人の持ち物を検分し始めた。さすがにユウキも呆れた。屍を漁るようなものだからだ。しかし、テクワはそのような認識などないようで、囚人の持ち物から興味深い物を持ち出した。

「いい物、見っけ」

 そう言って取り出してきたのは方位磁石だった。どうやら強制労働をする囚人ならではの持ち物らしい。テクワは他の死体となった男達の持ち物も漁ったが、方位磁石を持っていたのは先に殺された囚人と転がった囚人だけだった。

「この方位磁石によると……。確かにこの先の道が東みたいだな」

 原始的な方位磁石だった。GPSの補助も機械的な計算もない。だからこそ、今の状況では何よりも信用できた。

「よーし、信用もできたし、行こうぜ。このまま真っ直ぐだ」

 テクワは少し楽しそうだったが、ユウキは心中穏やかではなかった。このメンバーでは裏切り裏切られる可能性はないとしても、不安はある。その上、相手も徒党を組んで襲撃してくる可能性は充分にありえる事が分かった。先ほどまでのように警戒をほとんど解いた状態で歩く事はできなかった。そうなると、最初のほうのマキシの行動も頷ける。

 マキシは最初からそのつもりだったのだ。だからあれだけ無言を貫けた。実際、同じような境遇に立ってみるとユウキも言葉少なだった。テクワだけが、「お前の好きな食べ物って何だ?」だとか、「俺はマカロニグラタンが好きかな。やっぱり、お袋の作った奴がさ」などと場違いなほど明るい話題を振ってくる。ユウキは曖昧に頷くばかりだった。

 テクワの手にあるライフルを盗み見る。ライフルの中央部にモンスターボールがはめ込まれており、中心付近で折り畳めるようになっている。銃口も見たが、穴は塞がっていた。という事はテクワが狙撃するために必要としているものではない。

 先ほどの狙撃を思い返す。拳大の針が収まるほど銃身は太くない。それに銃声もなかった。そう考えればあれはポケモンの技なのだろう。しかし、そう考えても不審な点は残る。どうやってポケモンを繰り出し、どうやって狙いを定めたのか。尋ねようかと考えたが、それは弱点を晒すようなものだと思い、やめておいた。どうせまともな答えは返ってこないだろう。

 テクワがマカロニグラタンとはいかに素晴らしいかを語り始めたあたりで、三つに分かれた道に突き当たった。左に行けばいい、と囚人は言っていた。テクワが方位磁石で改めて方位を確かめる。東へと続くのは確かに左の道だった。

「よし。お前らは左の道へ行け。俺は真ん中の道の、そうだな、あの辺に陣取る」

 テクワが指差したのは二階層分ほど高い建築物だ。縦長のビルのような外観をしているが、ガラスも何もはめ込まれておらず、中身ががらんどうなのは見るに明らかだった。陣取る、という言葉通りならばやはり狙撃のポイントとして使うのだろう。どのように狙撃するのか、知りたい気がしたがテッカニンで調べようにも既にこちらの手は割れている。ヌケニンで調べて先ほどのような襲撃にあえば「バトンタッチ」による戦術も取れない。畢竟、手詰まりだと感じ、ユウキは追求するのはやめておいた。

「分かった。何分後に落ち合う?」

「二十分は張っておく。すぐに追いつくから気にせず歩け」

 マキシの手馴れた様子の質問に、本当にこの二人は示しあっていたのだなと再確認させられる。知らぬは自分だけだったという事だ。体よくあしらわれたようなものである。

「分かった」とマキシは歩き始める。テクワは真ん中の道を行った。もちろん、ここで自分がすべき事はマキシについていくしかない。マキシの背中について歩く。襲撃者がいないかどうか周囲に緊張を張り巡らせた。

 テッカニンがいつでも繰り出せるようにボールには手をかけていたが、果たして通用するのだろうかという疑問が鎌首をもたげる。またテクワは襲撃者に自分の情報を与えていないだろうか。そうなれば今度はヌケニンの情報も筒抜けという事になってしまう。そうなった場合、自分が生き残れる可能性は低い。

 もしかしたらこの二人は最初から自分を踏み台にするために誘ったのではないだろうか。そうだとしたら、裏切る裏切られない以前に、自分にはその程度の利用価値しかないことになる。この二人にしてやられる程度では、リヴァイヴ団でのし上がるなど夢のまた夢だろう。ランポの言っていた事が実感させられる。簡単ではない。分かっていたつもりだった。だが、実際にはどうだ。容易く騙され、それでも信じ続けようとしている自分はおめでたい人間以外の何者でもないのではないか。ユウキの思考は徐々に沈んでいく。その時、前から声がかけられた。

「大丈夫だ。もうテクワはお前の手持ちを誰かに明かしたりはしない」

 マキシの声だった。話しかけられるとは思っていなかったので、ユウキは少し面食らった。マキシはそんなユウキの様子を見やって続ける。

「あいつはいつもあんな感じだ。誰かを最初っから信じ込む事なんてない。誰だって最初は疑うんだ。こっちは信じたふりをする。そうしたほうが馬鹿を見ずに済む。あいつなりの処世術なんだよ」

 言外に裏切った事を責めないでくれと言っているようなものだった。ユウキは素直に頷く気にはなれなかった。

「だからといって、あんな風に人の心の隙間に分け入っていい理由にはならない」

 テクワの気安い様子を思い出す。ああやって他人を信用させた裏で自分は安全圏から狙撃をする。もしユウキが裏切る素振りを見せれば、今だって頭を撃ち抜かれるかもしれない。テッカニンの入ったボールを握り締める。マキシはそこで不意に立ち止まった。ユウキも歩みを止める。マキシはユウキへと振り向いてから、フッと口元を緩めた。笑ったのだと認識した時にはマキシは既に前を向いていた。

「真っ直ぐだな、お前」

 その言葉が本当に放たれたのかどうか定かではなかったが、ユウキは確かにその声を聞いた。

「……馬鹿だろうと思っているんでしょう」

「いや、羨ましいよ。俺もテクワも、そういう風に他人を見る事はできなかったからな」

 装飾のない言葉に、ユウキはマキシの背中を見つめた。自分よりも幾分か小柄だが、その身体と心には自分以上の重石があるのだろう。紡ぐ言葉の一つ一つは重たかった。

「俺はキレやすいからな。この怪我も、この街で作ったもんだし。それ以外にも色々と生傷の絶えない日々を過ごしてきた。どうしてだかな、俺は許せる沸点が低いんだよ」

 自分の事を語っているのだと分かり、ユウキは黙って聞いていた。マキシはテクワからキレやすいと紹介されていたのを思い出した。

「どういう理由で、頭の怪我は作ったんですか?」

「ああ、これはな。釣り銭が二百円足らなくって、それを文句言っていたらいつの間にか相手を殴っていた」

 意想外の言葉にユウキは目を見開いた。マキシが肩越しにユウキを見やる。その眼が少し笑っているように見えたのは気のせいだったのだろうか。

「……っていう冗談」

 果たしてそれは本当に冗談だっただろうか。大いにありうると思える反面、そんな風に他人を自分の尺度に落としこんでしまうのは失礼だと判じる自分もいた。

「お前は、結構温室育ちって感じだな」

 マキシは振り返らずにユウキへと言葉を投げる。ユウキは自分を顧みた。温室育ち、と言われても仕方がないような気がしていた。テクワやマキシのように誰かを疑い続けたり、衝突し続けたりしていたわけではない。何となく、の反抗心でスクールをさぼっていた程度だ。その程度で不良を気取っていたのだから、今考えると少しおかしかった。

「かもしれない。マキシの言う通りで」

「だろうな」

 ここに来て話す事になった境遇にユウキは不思議さを感じていたが不自然な感じはしなかった。思えばユウキは最初からマキシをよく思ってはいなかった。それをマキシも強く感じていたのだろう。テクワとばかり打ち解けようとしていたが、マキシも話してみれば悪い人間ではない。

「襲撃はないな。この様子なら、もう少し行けば着くんじゃないか?」

「そう簡単にいくでしょうか。何か、罠でも仕掛けてあるかも」

「かもな。俺はテクワほど楽観的じゃないから、お前の意見には賛成だ」

 マキシがボールの緊急射出ボタンに指をかけた。キリキザンが光を切り裂いて現れる。キリキザンはマキシに指示されて前を歩いた。

 何のつもりなのだろうと思っていると、キリキザンは片腕を掲げた。

 紫色の思念の刃が宿り、大きく後ろに引いたかと思うと、砂煙が渦巻いた。生じた砂煙を引き裂くように、キリキザンが腕を振り上げる。地面がサイコカッターを受けて抉れ、遠くに見える路地の突き当たりにぶつかった。

 すると、射線上の地面が突然盛り上がり、何かが飛び出してきた。ユウキが目を向ける。銀色の楕円形だった。針が全身についており、小窓のような顔は緑色である。テッシードと呼ばれるポケモンだった。テッシードが二、三体飛び出したかと思うと辺りに向けて全身から針を撃ち出した。一瞬にして周囲が針地獄と化す。もし何もせずに踏み込んでいれば、今頃二人は針の雨に打たれていただろう。

「キリキザン。もう一発だ」

 マキシの声にキリキザンが反対側の手にサイコカッターの波動を帯びさせる。振り落とした手の軌跡が刃を成し、テッシードを薙ぎ払った。その刃は減衰せずに奥の建築物に突き刺さる。

 衝撃波が建築物を揺らし、中から叫び声が聞こえてきた。見ていると二、三人の男達が建物から飛び出してきた。ユウキが目を見開いていると、どこからともなく針が飛んできて男達を一人一人、着実に始末する。血飛沫が舞い、脳しょうが撒き散らされる。惨憺たるありさまだった。

「やっぱり張られていたか。まぁ、分かっていたんだけどな」

 マキシの言葉にユウキは舌を巻いていた。この二人の状況判断はどうなっているのだろうか。そう考えると確かに自分は温室育ちと言われても仕方がなかった。マキシがキリキザンを引っ込めずに、男達の死体が並ぶ場所まで歩いた。周囲をあらかた確認してから、ユウキを手招く。ユウキが歩み寄ると、強い血の臭いが鼻をついた。テッシードを配していた男達は全員、頭部を撃ち抜かれていた。正確無比な狙撃だ。ユウキは地面に突き刺さっている針を目にした。針に触れようとすると、マキシが、「触れるな」と声を上げた。

「まだ毒が残っている」

 毒、という言葉にユウキは手を引っ込めた。触れていればどうなっていた事か、と触れかけた手を震えさせる。

「テクワのポケモンは毒針を操るんですか?」

 その問いにマキシは答えなかった。手の内を明かす事になるからだろう。まだ信用されているわけではないのだな、とユウキは手を撫でながら思った。

「ここで待とう。テクワがもうすぐ来るはずだ」

 その予告通り、テクワは五分も待っていれば追いついてきた。鼻歌混じりにライフルを肩に担いでいる。何か訊こうかと思ったが、何から尋ねればいいものかユウキは迷った。

「よーし。あとは警戒の必要ねぇだろ。ここからは三人で進もうぜ」

 方位磁石を当てにしながら、ユウキはテクワを先頭にして進んだ。テクワは自分から前に出たがっていた。マキシの援護を期待しているのだろう。ユウキも危なくなったら援護する気でいたので構わなかったが、それでも二人の信じたわけではないというスタンスは厳しかった。テクワは勝手に自分の事を話すが、ユウキは不用意に話す気にはなれなかった。

 ――利用されるのが怖いからだ。

 自分に毒づいてユウキは自嘲する。なんと臆病な事か。これでリヴァイヴ団をなり上がろうとしていたのだからお笑い草である。それでもユウキは自分からは裏切らない、という事だけを心に留めた。どれだけ裏切られても自分からは裏切らない。それは人がいいという事になるだろう。あるいは騙されやすいという事にもなるかもしれない。それでも自分の心が汚れる気がして、誰かを積極的に疑う気にはなれなかった。

「……それでよ、マカロニグラタンはうまいんだが、油っこいのが玉に瑕だ。ガキの頃はよ、口の周りべとべとにして、よくお袋と博士に怒られたもんさ」

「博士?」

 今までの会話に出ていない単語が出てきて、ユウキは反応した。テクワは頷く。

「そう博士。ミサワタウンに住んでいるヒグチ博士っていうんだけどよ。こいつがもう、俺の父親みたいなもんなのよ。お袋と仲いいからさ、俺もとっととくっついちまえ、とか思っているんだけど、本人達って鈍感なのな。俺はサキ姉ちゃんと姉と弟の関係っていうのにも憧れているから、いいんだけどな」

「サキ、っていうのは?」

「ああ、博士の娘さんだよ。もし、博士とお袋が結婚したら義理の姉ちゃんになるわけ。それって萌えないか?」

「萌え?」

 ユウキは首を傾げる。マキシは最初から興味がないようで、キリキザンと共に周囲を警戒している。

「憧れの女性が姉になるってのは古今東西、男にとってはこれ以上ないシチュエーションだと思うわけよ。まぁ、マコ姉ちゃんもいいんだけどな。ちょっと抜けてる感じがこう、守ってあげたいって言うかさー」

 テクワが拳を握り締めて熱く語る。ユウキはどこか別次元の話のように感じていた。自分には実の姉がいるのに、そんな事を考えたためしはない。

「……羨ましいな」

 覚えず口にしていた。テクワは巻き毛の赤い髪を掻いて、「羨ましいか?」と聞き返す。

「羨ましいよ。何だか、テクワは楽しそうに思えますから」

「それって暗に馬鹿にしてねぇ?」

「いや、そんなつもりは」と言いかけて、少し迷ってから、「……そうかも」と返した。テクワは、「マジかぁー」とこの世の終わりのような声を出す。その様子がおかしくてユウキは笑っていた。笑ってからハッと気づく。裏切られる事を怖がっていたのに、どうして自分は笑えているのだろう。少し前まで疑っていた人間の話で心の底から笑う事ができた。

「人の心は迷宮だな」

 口にしてから詩的な台詞だと感じた。テクワも目を丸くして、「何だ? そのポエムみたいな台詞」と言った。

「かもしれない」とユウキは返した。怖がってばかりいては上を目指す事などできない。ここで自分を鍛え直さずして何とする。ランポやミヨコ、サカガミに誓った言葉を自分から捨てる事になる。それだけはしたくなかった。

「あれだ」とマキシが出し抜けに言葉を発する。テクワとユウキはそちらを見やった。そこには人が集まっていた。とは言っても少人数だ。ざっと十人と言ったところだろう。その中の三人は黒服と試験官だった。試験官がユウキ達に気づく。

「おう。遅かったな、少年。何だ、お前らも徒党を組んだのか」

 試験官の言葉を無視して周囲を見渡す。巨大な照明が備え付けられており、何重にもこの場所を照らしていた。試験官と黒服の後ろには巨大なエレベーターがある。振り仰ぐと、どうやら地上まで繋がっているようだった。ぽつぽつと街灯があった今までの道とは違うのは明白である。

「ここがゴールですか?」

 ユウキが尋ねると試験官は頷いた。

「そうだ。よく辿り着いたな。ええと、これで……」

 試験官が自分達を含めて数を数え始める。ユウキ達以外の男達は全部で七人だった。囚人も二人ほど混じっている。どうやら徒党を組んだのはユウキ達だけではないようで、大きく二つのチームがいたようだった。三人と四人のチームだ。

「これで十人。定員だな。おめでとう、諸君。君達は晴れてリヴァイヴ団の一員だ」

 試験官の声に男達が安堵した気配が伝わる。もしかしたら十人ちょうどにならなかった場合、潰し合いでも計画されていたのかもしれない。黒服が歩み出て、男達へと何かを手渡していく。見ると、小さなバッジだった。自分達にも渡されて、それを見やる。水色の「R」のバッジだ。「R」の一番上の線だけが赤く塗られている。

「リヴァイヴ団の正規団員のバッジだ。Rの文字が逆さまになるようにつけろよ。ちゃんと上下が分かるように赤く塗ってあるだろ」

 そういう意味か、と察してユウキはバッジをジャケットにつけた。小さな証である。今までリヴァイヴ団といえば大げさに誇示している人間ばかり見たが、彼らは正規団員ではなかったということなのだろう。あるいは正規団員に雇われた人間なのかもしれない。見れば、試験官のスーツの襟元にも同じバッジがあった。恐らく他の人間はそれを見て、この男が試験官だと分かったのだろう。ユウキは、自分は何とまどろっこしい真似をしたのだろうかと少し後悔した。

「テクワはどうやって試験官を?」

 小声で尋ねると、テクワは今しがた受け取ったバッジを胸につけながら、「これだよ」と言った。

「いい狙撃ポイントがあったから、そっから眺めていたんだ。そしたらこれをつけてる奴を見つけた。そいつが試験官だという確信はなかったが、物は試しに訊いてみたらそうだった」

 運のいい奴だ、と思うと同時にとてつもなく眼がいいのだろう。自分以上かも知れない。マキシも胸元にバッジをつけていた。どこか安堵しているように見えたのは気のせいだったのだろうか。先ほどまでの緊張と戦闘状況に晒された空気とは隔絶しているように思えた。マキシも人間だ。ゴールして安心しているのだろう。

「さて、お前ら十人はこれから振り分けさせてもらう。というのもリヴァイヴ団にはチームがあってな。それぞれがチームごとに行動する事になる。推薦状を持っている奴はいるか?」

 その言葉にユウキは懐から推薦状の入った封筒を取り出した。ランポは入団してから意味があると言っていた。試験官に歩み寄り、それを手渡す。試験官は「R」の印を見やってから、手紙を開いて中に入っている紙を見た。目で追ってから、ユウキを見やり、何故だか鼻で笑った。

「あのチームか。まぁ、本人の希望ならいい。お前だけか?」

 問われた言葉に、ユウキはテクワ達へと肩越しの視線を向けた。振り分け、という事は彼らとは別のチームになる可能性もあるのだろう。同じ組織に属するとはいえ、ここまでやってきたのだ。ユウキは試験官へと向き直った。

「僕と一緒に来た両名もお願いします」

「いいだろう。数の制限は特に設けられていないしな。それに、あのチームなら、数が多いほうがいいだろう」

 試験官は口元に手をやって笑いを堪えているようだった。何だ、と疑問に思う前に試験官は片手を上げた。すると、影が実体を持ったように、突然黒服達が試験官の後ろに現れる。それに驚く間もなく、ユウキ達の来た道へとバリケードが張り巡らされた。半分の黒服がバリケード内に残り、もう半分が外へと飛び出して行った。

「脱落者の始末だ。お前ら以外の人間にここを公言されるわけにはいかないからな」

 その一言で、黒服達が何のために行ったのか察しがついた。自分達十人以外は組織にとって不要なのだ。脱落者の烙印を押された彼らに生きている価値はない。情報漏えいを防ぐためにも、生きていてはいけない存在だった。

「……殺すんですか」

 押し殺したユウキの声に、試験官は、「いけないかね?」と首を傾げた。今までも、これからもそうなのだろう。入団試験が行われる度に、何人もの人間が犠牲になったに違いなかった。

 ユウキは骨が浮くほどに拳を握り締めている自分を発見した。割り切れていない自分がいる。こんな異常な事態でありながら、それでも命は尊いと思っている自分が。甘いと断じる事は簡単だろう。それを切り捨てる事もこれから必要になってくるのかもしれない。それでも、ユウキは今の感情を否定したくなかった。身を翻し様に、試験官へと呟く。

「……滑りやすくなっています。足元にご注意を」

「うん? まぁ、気をつけよう。地上へはこのエレベーターで上がれる。行きたまえ」

 試験官は怪訝そうな眼をユウキに向けていた。襟元を正して歩み出そうとすると、試験官の足が空を掻いた。何が起こったのか理解する前に、試験官はぬかるんだ地面にしこまた身体を打ちつけた。泥だらけになって、試験官が背後の黒服へと怒声を飛ばす。

「お前! 足を引っかけたな!」

「いえ、何もしておりません」

 黒服が困ったように両手を前に振るう。試験官の仕立てのいいスーツはすっかり汚れてしまっていた。行き場のない怒りを持て余すように、試験官が地面を蹴りつけようとすると、またもその足が滑り、今度は尻餅をついた。黒服へと、「また、お前か!」と声を張り上げるも、黒服は戸惑うばかりである。

 ユウキはその様子を肩越しに眺めながら、ボールで空気を薙いだ。赤い粒子が僅かに居残る。ユウキがエレベーターに向けて歩み出すと、テクワが近づいてきて肩に手を置いた。

「危ない事するよなー。合格取り消しになっても知らないぜ?」

 テクワには見えていたのだろうか。ニヤニヤとしまりのない笑みを浮かべていた。マキシも口を斜めにしている。どうやら笑っているようだった。この二人にはテッカニンで足を引っかけた事がばれているのだろう。

「飽きない奴だ」

 そう口にしたのはマキシだった。ユウキはその言葉に返すわけでもなく、「転ぶほうが悪い」と言った。すると、テクワが弾かれたように笑い出した。

「違いねぇ。やっぱお前、いい奴だ。色んな意味でな」

 どういう意味なのか問い質したい気持ちもあったが、今はやめておいた。エレベーターに十人の合格者が乗り込む。全員乗ると、自動的にエレベーターは動き出した。どこに通じているのだろうか、と思っていると視界が閉ざされた。シースルーではなく、灰色の景色が周囲を覆う。圧迫感があった。どこまで上がるのだろうか、と考えていると、不意にエレベーターが止まった。扉が開く。

 聞こえてきたのはジャズのナンバーだった。聞き覚えのある曲だと思っていると、扉の前に人影が立ちはだかった。それが誰なのか、ユウキにはすぐに分かった。スキンヘッドで目の下に縁取りのように隈がある。「BARコウエツ」の店主だった。

「ようこそ、皆さん。ここに来たという事は、新しいリヴァイヴ団のメンバーですね。祝杯を一人一杯ずつならご馳走しますよ」

 そう言って店主は合格者達を導いた。合格者達は店主の背中に続いていくと、バーカウンターに出た。まさかここに通じているとは思わなかった。ユウキが目を丸くしていると、店主は含み笑いを浮かべた。

「どうです? 一杯」

 その声に、しかしほとんどの人間は遠慮した。死に物狂いの戦いの中にあったのに、そんな気分にはなれないのだろう。店主は仕方なしに、そういう合格者には手紙を渡した。ユウキが持っていたのと同じ、「R」の蝋で封をしてある手紙だった。

「そこに書かれているチームがあなた方のチームです。リヴァイヴ団にて最適の健闘を祈ります」

 合格者達はめいめいにそれを受け取って、バーを出て行った。誰もが疲れた表情をしており、店主の顔色がまだマシに見えた。店主は息をついて、ユウキを見やった。

「おめでとうございます。まさか、本当に合格されるとは思っていませんでしたよ」

 店主の言葉に、ユウキは「はぁ」と生返事を返すしかできなかった。店主がリヴァイヴ団の関係者だった事に少なからず驚いていたのもある。

「後ろのお二方は、何か飲まれますか?」

 店主がユウキの後ろにいたテクワとマキシに話しかける。テクワはカウンター席にどんと座って、「じゃあ、お任せで」と注文した。マキシへと店主が視線を向けると、マキシは小声で、「同じので」と応じた。この状況下で注文できるだけ肝が据わっているというものだ。店主が奥へと引き返していく。ソフトドリンクを取りにいったのだろう。さすがに合格者といえど酒は飲ませられないか、とユウキは少し微笑ましい気分になった。

「ユウキ。お前、あの店主と知り合いなの?」

 テクワの言葉に、ユウキはカウンター席に座りながら応じた。

「ああ、まぁ、僕も昨日会ったばかりだけど」

「コネだったりしたわけか?」

「まさか。対等だよ」

 どうだかな、とテクワは含みのある言い方をした。マキシは頬杖をついてディスプレイされている酒瓶を眺めている。しばらくすると、店主がサイコソーダの入ったグラスを三つ、持ってきた。テクワが早速、「喉渇いてたんだよなー」と口に運ぶ。一口飲んだ瞬間、「うえっ」と吐きそうな表情をした。

「何だよ、これ。炭酸も抜けてるし、ほとんど水飴じゃん。飲み物じゃねぇよ」

 その言葉に店主とユウキは顔を見合わせて笑った。


オンドゥル大使 ( 2013/09/19(木) 21:25 )