ポケットモンスターHEXA BRAVE












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入団試験
第二章 五節「弱点」
「どれ、まずは地図を確認しようぜ」

 テクワがポケッチを差し出す。ユウキは口を挟んだ。

「地図は全員、同じものだって聞いたけど」

「そんなの確認してみないと分からねぇじゃん。もしかしたら座標が違うかも知れないし」

 テクワの言葉にユウキもポケッチを突き出した。三人がそれぞれお互いのポケッチを見やったが、どれも表示されている地図は同じだった。座標も同じで、方位磁石が狂っているのも同じである。

「やっぱ、そう簡単な話じゃないか」

 テクワは後頭部を掻いた。マキシは前髪を気にしている。ユウキはポケッチの電源を確認しながら、「それでも収穫がなかったわけじゃない」と言った。

「というと?」

「黒服や試験官は、嘘は言っていないことが証明された」

 少なくとも安心できる材料にはなる。与えられた情報に嘘が混じっていないという事実は、進む上で原動力になるはずだった。だが、テクワは気落ちを隠しきれない様子で肩を落とした。

「でも、結局、地道な方法しかねぇってことだもんな」

「テクワさんが言ったんでしょう。足跡をつけていくしかないって」

「ん、でもな。やっぱ、少しくらい楽したいじゃん」

 正直な反応だった。ユウキは少しだけ笑えた。

「とりあえず、進みましょう。そうすれば、何かヒントがあるかもしれない」

「だな」とテクワも同意の声を出して、ケースを担ぎ直した。ユウキはテクワの腰元を盗み見る。モンスターボールを吊るすホルスターの類はない。だとすれば、ケースの中に入っていると考えるのが順当だろう。だが、トレーナーが所持できるポケモンの数は二体までだ。ケースにわざわざ仕舞っておく必要性はない。

 考えを巡らせていると、マキシがじっと睨んでいる事に気づいた。ユウキが声をかける。

「何か?」

「別に」

 冷たい声音だった。ここに来て初めてマキシの声を聞いたが、声は高いのに、どこか醒めている感じだった。

「とりあえず、最初は囚人についていこうぜ。その後、ルートを決めていけばいい」

 テクワの提案にはユウキも同意だった。一番に方角を分かっているのは囚人達だ。ただし、彼らよりも先に行かなければ先着十人には入れない。途中からは独自ルートを取る必要があった。

 三人は目についた囚人の後ろを気づかれないように距離を取ってついていった。囚人の足首には鎖がつけられている。じゃら、と歩くたびに鎖が地面に擦れて音を発した。固まって歩きながら、ポケッチに視線を落としていると、テクワが、「なぁ」と話しかけてきた。ユウキが顔を上げる。

「何か用でも?」

「堅苦しいのはなしにしようぜ。そう歳も変わらないんだからよ。俺の事はテクワでいいし、こいつの事はマキシでいい」

 テクワがマキシの頭を掴む。マキシは特に嫌がるわけでもなく、ポケッチの地図を見ながら淡々と歩いている。

「ええ、でも僕の癖みたいなものですから。それに歳が変わらないといっても、僕よりかは年上でしょう」

「多分な。お前は何歳?」

「十五です」

 その言葉にテクワは、ほうと声を上げた。

「若いね。っても、俺も十六になったばかりだから、そう変わらないけどな」

「じゃあ、マキシも」

 ユウキの声にマキシが鋭い視線を投げてきた。テクワの許可があったので呼び捨てでいいと思っていたが、そうでもないのか。その視線に気づいたテクワはマキシを肘で小突いた。

「馬鹿。せっかくフレンドリーにいこうと思っているのになんて目をしてやがるんだ」

 その言葉でマキシは視線を伏せた。ユウキが見ていると、「気にしないでくれ」とテクワが言った。

「こいつ、とにかくキレやすいんだ。頭の怪我もよー、もうすぐ入団試験だってのに、今朝作ってきやがった。泊まっていた民宿でトラブル起こしたみたいでさ」

「そういえば、どうしてミサワタウンから?」

「ああ。ユウキは知らないのか。リヴァイヴ団の入団試験って、ここでしかやってねぇんだ」

「この地下空間でしか?」

 尋ねた声に、テクワは頷いて天井を仰いだ。ユウキもその視線の先を追ったが、天蓋は灰色でところどころくすんでいる。太陽の光はおろか、月や星の光さえも拝めそうになかった。ぽつぽつと立っている街灯だけがこの空間を照らしている。ほとんど真っ暗闇に近かった。街灯だって、リヴァイヴ団が後から建設したものだろう。そうでなければ、強制労働のために作られた名残か。そう考えると身震いした。血の滲んだ道の上を自分達は歩いているのだ。

 テクワはユウキの想像など露知らず、話を進める。

「そうそう。カイヘンの各地でPRやっているくせに、入団試験はここだけだ。どうしてだと思う?」

 ユウキは顎に手を添えて少し考える仕草をした後、広大な地下空間を見渡しながら言葉を返す。

「ここぐらいしか隠密に動ける場所がないから、じゃないでしょうか」

「多分、正解だ」

 テクワがびしりと指差す。多分、ならば最初から正解などないではないかと思ったが言わないでおいた。

「リヴァイヴ団はまだ目立った活動をしたわけじゃないが、カイヘンでは着実に手を伸ばしている。このままいけば、第二のロケット団にはなるかもな」

「ロケット団……」

 口にしてみてサカガミの事が思い出された。残してきた家族、その存在が今更に感じられる。今朝、決意を固めて出て行ったというのに、まだ未練はあるらしい。

「うん? どうした、ユウキ」

 ユウキの発した言葉のニュアンスの微妙な違いに気づいたのか、テクワは眼帯のほうの眼を向けてきた。その眼帯の下が気になったが、そちらには触れずに、ユウキは話題を変える事にした。

「いえ。テクワ達は、どうしてここまで来たんです? そうまでしてリヴァイヴ団に?」

 言ってからいきなり踏み込んだ質問になってしまったか、と感じたが、テクワは気にする素振りもなく応じた。

「ああ。俺はさ、お袋がロケット団だったんだ」

 意外な告白に、「えっ」と返事に窮した。テクワは鼻の下を擦りながら続ける。

「それでさ、ミサワタウンって結構、いい人達ばかりだったんだけどやっぱ、ちょっと知らない街とか役所とか行くと軽蔑の眼差しを向けられたりとか、差別受けたりとかあったんだよ。俺が気にし過ぎだったのかもしれないけどさ。元ロケット団員は旅行の一つすら自由じゃねぇし、そういう迫害みたいなの、を結構、肌で感じてきたわけよ」

「すいません。なんかいきなり聞いちゃいけない事を聞いたみたいで……」

 言ってから、これが差別なのではないかと感じた。そうやって線引きする事こそがテクワの嫌がっている事ではないのか。気づいたユウキは被せて謝罪した。

「すいません」

「謝るなよ。俺が悪い事してるみたいだろ」

 テクワの言う通りだ。こうやって線を引いて相手は自分と違うと思う事こそが、既に差別なのだ。境遇も似通っているというのに、どうして実の親がロケット団だったというだけで憐れみを向けられなければならないのだろう。テクワはきっと、胸を張って生きたいだけなのだ。

「まぁ、あれだ。そういう事でさ、ロケット団を排斥すべきみたいなウィルにはいいイメージ持ってねぇの。お袋は俺に多分、リヴァイヴ団なんかに入って欲しくないんだろうけど、俺は自分で道を選びたかった。お袋や、他のロケット団の人達がもうちょっと顔を上げて往来を歩けるようにはしてあげたいんだよ」

 自分の理想と重なって見えるテクワの話には希望があった。ユウキは思わず笑みをこぼす。それを見て、テクワは怪訝そうな目を向けた。

「なんだよ」

「いや、あなたはいい人だと思って」

「うるせぇ。照れるだろ」

 テクワは少しだけ頬を紅潮させて、ユウキを小突いた。マキシは黙ってポケッチに視線を落としながら歩いている。どうやら会話に加わる気はなさそうだったが、テクワがマキシの肩を引き寄せて、指差した。

「こいつは別にそんな事ないんだけど、キレやすくってさ。ウィルから度々マークされてやがんの。だから自然と仲良くなっちまったみたいなところはあるかな。はぐれ者同士でさ」

「やめろよ」とマキシがテクワの手を振り解いた。テクワは肩を竦めて、ユウキに向き直る。

「ユウキは? どうしてリヴァイヴ団に?」

「僕も、テクワと似た理由で家族のためなんです。僕のせいで傷つけてしまった人がいて、今も傷つき続けている人がいて、その二人をどうにかしたくって、僕はリヴァイヴ団に入る事を決めました」

「へぇ、じゃあ俺らって似た者同士って事か」

「そうなりますね」とユウキが笑うと、テクワは人懐っこい笑みを浮かべた。

「いいな、そういうの。お前、いい奴じゃんか」

 テクワが指鉄砲を作って、ユウキに向けた。ユウキも同じように指鉄砲を作る。お互いに心を見せ合えたような気がしていた。こうして人の輪は広がっていくのだろう。

「そういや、お前のポケモンって何だ? 俺の手持ちは特別だからちょっと出すのに手間取るけど、お前はホルスターだろ」

 テクワがユウキの腰のボールに気づいて指を向ける。ユウキは見せるべきか一瞬悩んだが、テクワの気安い笑みに押されるように見せる事にした。ほとんど似た境遇を持っているのだ。警戒する必要はないと感じたのである。

「これです。テッカニン」

 さすがにボールから出すのは気が引けて、ユウキはボールだけ手渡す。テクワはボールを明かりに透かして中のテッカニンを見たようだった。

「ほう。テッカニンか。珍しいな」

「ツチニンなら野生でいますよ。野生のテッカニンは少し珍しいかもしれませんけど」

「いや、このポケモンを使っている奴が珍しいって話」

「そうですか?」と応じながらも、ユウキ自身珍しいと感じていた。スクールにいた頃もテッカニンを使っているトレーナーは一人もいなかった。

「ありがとな。なんか信頼してくれてるみたいで嬉しいよ」

 テクワはユウキにボールを返した。その時である。

「テクワ。地面を見ろ」

 そう言って足を止めたのはマキシだった。テクワとユウキもマキシの示す方向を見やる。道が二つに折れており、両方に踏み固められた跡があった。ユウキとテクワは顔を見合わせる。

「早速、作戦失敗か?」

「いえ、そうとも限りません。囚人がどっちに行くか見ていれば」

 その場で固唾を呑んで囚人の行方を見守る。囚人は少しだけ惑うような挙動を見せたが、右側の道へと折れていった。ユウキが頷いて、テクワ達に促す。

「右側に行きましょう」

「いや、俺は一応左も見てくる」

 テクワが一歩踏み出して、左側の道を目指す。その背中にユウキは声をかけた。

「テクワ。あなたが言い出したんですよ」

「分かってるっての。だから言い出したモンの責任って奴よ。左側を暫く見てから、そっちに追いつく。なに、心配すんな。左が正しい道だった時は呼び戻してやるからよ」

 ユウキが呼び止めようとするのも聞かずにテクワは鼻歌を口ずさみながら歩いていく。背中のケースが等間隔に揺れた。ユウキは、しかしその歩みを止める決定的な言葉を持たずに、その場で立ち尽くすしかなかった。テクワの背中が見えなくなってから、マキシが歩き出す。ユウキが声をかけようとするが、マキシは鋭い一瞥を向けただけだった。その眼差しに何も言えなくなっていると、

「あいつはいつもあんな感じだよ」

 一言だけ告げて、マキシは右側の道に向けて歩き出した。ユウキは暫くその場で硬直していたが、やがてマキシの背中を追って歩き出した。テクワを信じるのならば、マキシと共に行くしかない。

 マキシはポケッチに視線を落としており、ユウキと話す気は毛頭ないようだった。少し遠くなった囚人の背中を追う。マキシに話しかける気にはなれなかった。マキシ自身、そういう馴れ合いのようなものは望んでいないようだ。

 無言の距離が思ったよりも遠く感じる。先ほどまでかなり近い距離の会話を楽しんでいたからだろう。リヴァイヴ団の試験に来て楽しんでいる自分を発見し、ユウキは少しばかり驚いた。こんな時でも、人は笑えるものなのだ。胸のうちに暖かいものが湧いてくる感覚がする。それをマキシとも共有したくて、話しかけようとした。

 その時である。

 マキシが立ち止まり、険しい表情を囚人に向けた。

 それとほぼ同時に、囚人に向けて空気を裂く球体が発せられた。黄金の電流を発し、球体は囚人の頭部を割った。囚人の側頭部から血が迸り、余剰の電流が皮膚を焼いていく。囚人は跳ねるように二、三度痙攣した後、その場に倒れ伏した。

「誰が……!」

 ユウキはホルスターにあるボールに手をかける。マキシが周囲を見渡す。マキシも腰のボールに手をやっていた。地面を見やり、下唇を噛む。

「濡れているな。ちゃんと靴は履いてるだろうな」

 その問いに、ユウキは足元を見やった。今の攻撃が電気タイプのポケモンのものならば感電を恐れたのだろう。ユウキは頷いた。

「大丈夫。ちゃんとそういう対策はしてある」

「なら、いい」

 マキシの言葉は短いが、警戒を解く事はない。戦い慣れている、という言葉が突き立った時、静寂を破る哄笑が聞こえてきた。ユウキとマキシが同時にその笑い声の方向へと目を向ける。

 そこにいたのは金髪の男だった。獅子のように豊かな金髪で、黒いジャケットを羽織っている。屋根の上に二、三人の男達と連れ立っていた。その中の一人は灰色の囚人服を着ていた。自分達と同じように徒党を組んでこのサバイバルゲームを乗り切ろうとしている輩だろうと当たりをつける。

「待っていたぜぇ」

 金髪の男がそう口にする。男の足元で何かが蠢いた。ユウキはそれを見つめる。現れたのは黄金の体色をした大蜘蛛だった。緑色の複眼を有しており、複数の脚を同時に動かしている。生物の根源的な部分が忌み嫌うような動きをしていた。臀部から青い体毛がV字型に逆立っている。

「デンチュラの射程にお前らが入るのをよぉ」

 デンチュラと呼ばれたポケモンが前足を掲げる。体表で電気が跳ね、前足へと集約されていく。瞬く間に球体を成し、余剰電流が屋根の上で弾けた。

「デンチュラ、エレキボール!」

 デンチュラが電気の塊を放った。電気タイプの技、「エレキボール」。素早さが高ければ高いほどに威力を発揮する技だ。ユウキとマキシの道を塞ぐように、眼前へと「エレキボール」が着弾する。泥が跳ねた。

 ユウキは飛びのき様に、緊急射出ボタンを押し込んだ。光を纏う前に、テッカニンが空間へと消える。高周波の羽音が聞こえ、デンチュラを操っている金髪の男へと狙いを定める。こめかみに一撃を加えればいい。そうすれば卒倒させるくらいはできる。

 見たところ電気タイプのデンチュラに対して真っ向勝負を挑むのは危険だった。

 テッカニンは虫・飛行タイプである。いくら素早くとも、電気タイプに対しては効果抜群の優位を取られる事になる。一撃で仕留める自信ならポケモンよりもトレーナーを狙う事だった。

 幸いにして、ポケモンを繰り出しているのは金髪の男だけだ。相手はこちらの戦力をなめきっている。

 今ならば、とユウキは感じた。ユウキの眼にさえテッカニンの姿は映らない。高速戦闘時にはユウキは感覚でテッカニンを操る事になる。だが、テッカニンはユウキの思考パターンを理解しているために、この時はどう動くかという事に関しては叩き込んであった。間違いなく、金髪のこめかみを狙い打てる。そう感じた瞬間だった。

「あめぇんだよ」

 その言葉の意味を解する前に、テッカニンが空間で止まった。男のこめかみへとあと数十センチのところだ。そこで何かの壁に阻まれたようにテッカニンの動きが鈍ったのである。

「何が……」と声を上げたユウキは次の瞬間、空気に溶けるような細い銀色の糸を見た。男達を囲うように銀色の糸の籠が張り巡らされている。その糸はよく見れば、青い電流が走っていた。ユウキの眼でなければ見えなかったであろう糸の存在に、金髪の男が、「その距離でも見えるとはな」と鼻を鳴らす。

「これはエレキネット。デンチュラの技だ。相手の素早さを下げる効果を持ち、同時にこちらを護る鉄壁の糸の結界を作り出す。そして――」

 金髪の男がテッカニンへと眼を向ける。しまった、と感じた時には糸を手繰るようにデンチュラがテッカニンへと前足を向けていた。

「まんまと引っかかったわけだ。何も知らない無知な獲物がな」

 男が耳障りな笑い声を上げる。それにあわせるように、他の男達もポケモンを繰り出した。全員、デンチュラだった。脚の付け根や複眼など細部の色が異なるが、ほとんどレベルも同じだろうとユウキには見えた。デンチュラ達が口から糸を吐き出す。「エレキネット」の糸が絡まり合い、太くしなやかになっていく。

「デンチュラ四匹によるエレキネットの相乗効果ははかり知れない。それもこれも、お前らのお仲間のおかげだよ」

 思いがけぬ言葉に、ユウキは「何だって?」と聞き返していた。金髪の男は酔ったように身をくねらせた。

「さっきお前らの下を離れた眼帯の奴だよ。そいつにテッカニンの情報を教えてもらっていたのさ。素早いから用心しろってな。それさえ封じればこっちのほうが素早いってのによー!」

 ユウキはその言葉に愕然とした。目の前で何かが崩れ去るような気がした。視界が暗くなり、ゆらゆらとぐらつく。ユウキは立っていられなくなりそうだった。まさか、テクワが騙したというのか。至ったその考えに、マキシへと目を向ける。マキシは醒めた様子で、唇から言葉を紡いだ。

「あいつはいつもあんな感じだよ」

 先ほどと同じ台詞が先ほどとは違う意味で心を抉った。マキシは知っていたのだ。知らなかったのはユウキだけだった。裏切られた、という言葉が突き立ち、ユウキはその場に膝を落とした。金髪の男が顔に手をやって、「騙されるほうが悪いんだよー!」と叫んだ。

「これはサバイバルゲームなんだぜ? 信じたほうが馬鹿を見て、誰も信じられない人間が得をする。裏の世界ってそういうもんだ。それを、知りもしないケツの青いガキがよ。こいつだけで勝てると思っていやがる」

 テッカニンは電気の網を何重にも身体に受けて動けないようだった。翅を高速で震わせるが、堅牢な電気の結界は解けそうになかった。

「せっかくだから教えておいてやる。こいつの弱点を」

「……弱、点」

 ユウキはほとんど暗がりのような視界でその声を聞いた。顔を上げると、金髪の男は勝利の愉悦に浸った顔で口にした。

「この速度そのものだ。高速戦闘のために、翅を震わせる。その音こそが弱点。熟練すりゃだいたいの位置は分かるんだよ。アホくせー、まるで意味なしだ」

 その事実はユウキをさらなる奈落へと突き落とすには充分だった。テッカニンは先手さえ取れれば無敵だと思っていた。屋外戦ならば弱点を看破される前に敵を倒す事ができると。しかし、そのような弱点があるとは思いもしなかった。スクールでは弱点などなかった。誰にも負けることはなかったというのに。

「ここはスクールじゃねぇんだよ」とユウキの心境を読んだように金髪の男が告げる。

「まさに井の中の蛙だな。スクールで勝てたから、リヴァイヴ団にも簡単に入れると思い込んでいたんだろ。なめてんじゃねぇぞ、ガキ」

 ユウキの中で絶望的な響きを伴って反響する。デンチュラが前足を掲げて、動けないテッカニンへと狙いを定めた。「エレキボール」が生成され、体表を無数の電気が跳ね回る。テッカニンへと指示を出す気力もなかった。「バトンタッチ」で切り抜けるべきだという思考も働かない。そもそもエレキネットに絡め取られた時点でバトンタッチが有効とも思えなかった。四匹のデンチュラが絡め取られたでくの坊と化したテッカニンを葬るために、エレキボールを放射しようとする。

「じゃあな。これでお前らの主力は潰した! 脱落しやがれ!」

 エレキボールが放たれるかに思われた、その瞬間である。紫色の残像がデンチュラを一体、引き裂いた。デンチュラの身体が傾ぎ、断ち割られた脚が宙を舞う。不意打ち気味のその攻撃にエレキボールが中断された。

「何だ?」と男が呻く前に、もう一撃、紫の刃が襲い掛かった。屋根瓦を砕き、男達の足場が脆くなる。男達は咄嗟に飛び退いた。地面へと着地し様に、攻撃してきた対象を見る。ユウキもそれを見ていた。

 そこにいたのは細い体躯を持つ人型のポケモンだった。眼光鋭く、赤と黒を基調とした服のような身体は王宮に仕える騎士のような井出達である。腹部から円弧を描いた刃が突き出しており、全身これ武器のような鋭角的な身体をしている。出刃包丁のような手を振り翳していた。その手に紫色の波動が宿っている。今の攻撃はそこから放たれたのだと知れた。金髪の男が、「何だ、ありゃ」と呻くように言い放つ。

「聞いてねぇぞ。まだ戦力がいやがったのか」

 騎士のようなポケモンは後ろから歩み寄る主人の気配を感じて、その手を下ろした。

「――キリキザン」

 主人――マキシがそのポケモンの名を呼ぶ。キリキザンは出刃包丁のような手を振るい上げた。

「サイコカッター」

 キリキザンの振り上げた手に紫色の波動が浮かび上がり、オーラのように纏いつく。膨張した光を一点に留め、刃のような輝きを宿した瞬間、キリキザンは腕を振るい落とした。紫色の波動の刃――「サイコカッター」は降り立ったばかりでまともに戦闘準備ができていないデンチュラ一体を襲う。左部分の脚を断ち切り、地面に傷跡を刻みつけた。バラバラになった脚が舞い散る中、金髪の男はようやく事態を察知したのか叫んだ。

「散れ! このままじゃ、切り刻まれるぞ!」

 その声に弾かれたように男達とデンチュラが駆け出した。キリキザンとマキシは周囲へと視線を配りながら、鼻を鳴らす。

「雑魚なりに動きやがるか。面倒だな」

「なめんな、ガキィ。いいから、脱落しろよ!」

 男の中の一人がキリキザンを指差した。デンチュラが脚を巧みに動かして、前足を突き出す。「エレキボール」を放つ前兆だった。

「素早さはデンチュラのほうが上! そっちがどれだけ強かろうがよ!」

 エレキボールがキリキザンへと放たれる。だが、キリキザンは何もしなかった。逆に身体を開いて攻撃を受け止めた。キリキザンの予想だにしない行動に、男が目を見開いていると、エレキボールがキリキザンに直撃した。黄金の電流が跳ね、キリキザンの身体を蝕む。

 その時、キリキザンの身体が俄かに輝き始めた。電流の光ではない。キリキザン自身から光が放射されていく。暗闇を切り裂く光がキリキザンの腹部へと集約され、飛びかかろうとしていたデンチュラが惑う挙動を見せる。

 キリキザンは腹部の刃を開いて、腰だめに腕を構えた。瞬間、光が弾丸のように放射された。

 キリキザンの腹部の刃を引き移した光の弾丸がデンチュラへと叩き込まれる。一撃目でデンチュラの前足が切り刻まれ、二撃目で複眼へと攻撃が至り、それ以降の攻撃はユウキの目を以ってしても追いきれなかった。

 光速のラッシュがデンチュラの身体を際限なく切りつけ、遂には後ろにいた男へと襲い掛かった。男の身体がいとも容易く吹き飛ばされる。男は近くの家屋に背中から突っ込んだ。他の仲間達は黙ってそれを見ているしかできなかった。バラバラになったデンチュラと瓦礫の中の男とをユウキは交互に見やった。

「メタルバースト。相手の攻撃を倍にして相手に返す、鋼の刃の応酬。見えたかよ」

 マキシの言葉にようやく男達は我に帰ったようだった。ハッとして周囲を見渡し、どうするべきか迷うようにキリキザンとデンチュラを見比べる。力の差は歴然だった。キリキザンが腕を振り上げ、「サイコカッター」を放つ。サイコカッターの刃はテッカニンの周囲に張り巡らされているエレキネットの結界を切り裂いた。自由になったテッカニンが高周波の翅を震わせて、中空を舞う。呆然とユウキが眺めていると、マキシはユウキを見下ろして口を開いた。

「解放してやったんだ。早く指示を出せ」

 その言葉にユウキはようやく指示を出すだけの頭が働いた。

「て、テッカニン、バトンタッチ」

 テッカニンが光に包まれてボールに戻ると同時に、ユウキの持つボールが割れて入れ替わりに影が躍り出る。ヌケニンだった。テッカニンの速度を得ているヌケニンはすぐさま、デンチュラの懐へと入る。デンチュラを操る男の反応が届く前に、ユウキは声を張り上げた。

「シャドークロー!」

 影の刃が爪の先から迸り、デンチュラを下段から突き上げた。デンチュラが仰け反り、衝撃で目を回す。もう一撃、とヌケニンが続け様に攻撃を放った。デンチュラはそのまま仰向けに倒れる。起き上がる前に、ヌケニンがデンチュラの真上を取る。これで反撃の機会は奪ったはずだった。

「残り二体、だな」

 マキシの言葉にキリキザンが再び腕へと紫色の波動を輝かせる。囚人服の男は短い悲鳴を上げて、デンチュラをボールに戻した。金髪の男が、「おい!」と声を上げる。

「まだ勝負は――」

「ついてんだろ」

 そう応じたのはマキシだった。駆け出したキリキザンが金髪の男のデンチュラへと肉迫する。それに気づくが既に遅い。突き上げられた思念の刃がデンチュラの頭部を割った。血が飛び散り、金髪の男の服を濡らす。金髪の男は後ずさった。デンチュラがまだ動こうとするのを、キリキザンが踏みつける。その身に向けて、叩きつけるようにサイコカッターを放った。腹腔が破れ、脚が弾けたように飛び散る。

「脱落すんのは、あんたらのほうだ」

 マキシの言葉に、男達は何も言えないようだった。最初に動いたのは金髪の男だ。情けない悲鳴を上げ、背中を向けて逃げ出した。他の仲間が呼び止めようとする。

「俺はっ、こんなところで――」

 続きかけた言葉を遮るように、音もなく頭蓋が弾けた。何が起こったのか、男達はもとよりユウキにも分からなかった。地面に何かが突き刺さる。ユウキはそれを見やった。拳大の針だ。すり鉢状の針が地面に食い込んでいる。それを見て、ようやく男の頭部を何者かが狙撃したのだと知れた。

「何だ?」と言葉を発した男の顎から上が弾け飛ぶ。血が撒き散らされ、囚人服の男にかかった。囚人服の男は腰を砕けさせてその場に尻餅をついた。ユウキはヌケニンを見やった。ヌケニンはデンチュラの上を取ったまま、微動だにしていない。キリキザンに視線を転じたが、キリキザンの仕業とも思えなかった。

 マキシがどこかに視線を投じながら、顔をしかめる。

「……また、こういうやり方かよ」

 その意味を汲み取る前に、マキシはキリキザンをボールに戻した。赤い粒子が棚引いて、キリキザンの姿が消える。囚人だけが相手側のチームで唯一、意識があった。だが、今にも失神しそうだった。

 何が起こったのか、それを整理するには時間がかかりそうだった。

オンドゥル大使 ( 2013/09/14(土) 22:45 )