ポケットモンスターHEXA BRAVE












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入団試験
第二章 四節「入団試験」
 中心街は活気に包まれている。

 コウエツシティがウィルの監視下にあるとはいえ、街は発展する。カントーの景気に左右はされるが、コウエツシティの中心街にはビルが乱立し、暮れかけた空へと灰色の手を伸ばしている。

 灰色のコンクリートジャングルと海だけを切り取れば人工島の様相が強い。実際、コウエツシティは海に浮かぶ人工島だ。元々は資源を掘り起こすための島だったのだが、人が住み、資源も枯渇すれば帰結する先は開発だけになってくる。ビル群の中の一等地に、金色の意匠を施されたビルがあった。

 コウエツシティの中でも一番に贅を凝らした建築物であるそれこそがコウエツグランドホテルだった。遠く、西側にある大観覧車がイルミネーションを灯している。大観覧車を背景に一望できるのもグランドホテルの強みだった。

「僕には永遠に縁のないものだと思っていたけれど」

 呟いて、ユウキは懐から手紙を取り出す。この推薦状が意味を成すのは入団してからだと聞いた。だとすれば今ではない。恐らくグランドホテルに泊まれるだとか言う話ではない。

「何かあるって事か」

 独りごちて、ユウキは豪奢なロビーに入った。天井が高く、大理石を敷き詰めたロビーはシャンデリアの光を浴びて黄金に輝いている。

 真正面に見えるエレベーターホールの前にはポケモンの彫像があった。二体の屈強そうなポケモンが睨み合っている。彫像は水晶でできているようだった。光の乱反射を受け、内側から輝いている。

 ロビーにはチェックインを済ませるためのフロントと、大きく取られたサロンがある。ユウキはきょろきょろと辺りを見渡した。フロントのホテルマンや、エレベーターの前の添乗員、サロンに座っている客などを見たが、スーツの人間は多い。この中からどうやって探せというのだろうか。一人一人聞いてくわけにもいくまい。ユウキはどうするべきか頭を抱えて悩んだが、ランポの言葉が思い出された。

 ――その時から既に試験は始まっている。

 ユウキは顔を上げた。リヴァイヴ団に入るには実力を持っていなければならないだろう。その人間によって必要とされる条件は異なってくるかもしれない。自分の場合はポケモントレーナーとしての強みを活かす事だ。ユウキはホルスターに手をかけた。モンスターボールを握り、緊急射出ボタンに指をかける。

「いけ、テッカニン」

 手の中でボールが二つに割れ、光を一瞬で振り払いテッカニンが空気の中に消える。高周波の羽音が耳に届く。テッカニンを出してどうするか、ユウキのすべき事は決まっていた。

「テッカニン。スーツを着た人間達からモンスターボールを奪え」

 ユウキがテッカニンに命じると、テッカニンは羽音を震わせて、瞬時に掻き消えた。ユウキは視線を巡らせる。その中の一人に目が留まった。仕立てのいいスーツを着た背の高い男だ。口髭を蓄えており、髪を撫で付けている。その男は懐を気にしていたかと思うと、腰を気にして、ポケットをまさぐっている。ユウキはその男に歩み寄った。ボールを払ってテッカニンを赤い粒子として戻しながら、狼狽している様子の男へと言い放つ。

「あなたが、リヴァイヴ団の試験官ですね」

 ユウキの言葉に男は目を見開いていたが、やがて読めない笑みの中にその感情を隠した。

「どうして、そんな事を?」

「これから試験が行われる。もちろん、中にはポケモンを持っている人間だっている。ポケモンに対抗できるのは原則、ポケモンだけだ。当然、試験監督者もポケモンを護身用に持っておくのが定石。だというのに、直前にポケモンをなくしては話にならない。今、この場でポケモンの有無を真っ先に気にしたのはあなただ。だから僕は、あなたが試験官だと踏んだ」

 ユウキの言葉に男は暫く黙っていたが、やがて顎に手を添え、「なるほど」と呟いた。

「伊達ではないな。そうとも、私が試験官だ」

 ユウキへと手を差し出す。握手を求めているのではない。ユウキは再びテッカニンを繰り出し、空気の中から弾け出されるように多くのモンスターボールを手に取った。床にばら撒く。

「一瞬でそれだけのボールを掏るとは。さて、私のはどれだ?」

 試験官は数多のボールの中から探し始める。ユウキは、「どこなんです?」と尋ねた。試験官が顔を上げる。

「何がだ?」

「試験会場です。ここではないでしょう」

「そうそう焦るなよ。お前のせいでなかなか時間がかかる」

 試験官はようやく自分のボールを見つけ出した。懐にボールを入れて、胸元を叩く。

「これで一安心だ。さて、案内しようか」

 試験官はユウキへとついて来るように促した。試験官が行ったのはエレベーターホールだ。添乗員へと煙草の箱を手渡す。その中に金が入っているのが僅かに見えた。添乗員がボタンを押すと、エレベーターが一階へとやってきた。扉が開き、試験官が乗り込む。ユウキも乗った。他の客が乗ろうとするのを添乗員が押し止めた。試験官が扉を閉ざす。何十個と配されたボタンの下に、カードキーを通す認証パネルがあった。試験官が懐からカードキーを取り出して、認証パネルに通す。すると、ガコンと音を立ててエレベーターが下り始めた。一階より下は確か駐車場のはずだったが、扉の上にある階層表示を見ていると、地下一階どころかさらに下へと下っていくではないか。

 やがて、「レベルJ」と表示された。突然に、エレベーターの周囲が透けて見渡せるようになる。ユウキは飛び込んできた光景に息を詰まらせた。眼下に広がったのは街だった。それも現代風ではない。屋根が低く、灰色の道路が縦横無尽に走っている。飾りではないらしく、明かりがついていた。それを呆然と見つめていると、試験官が口を開いた。

「コウエツシティがその昔、監獄として使われていたことを知っているか?」

 試験官は口髭を剥がしていた。どうやら生えていたものではないらしく、変装の一部だったようだ。口髭を剥がした試験官の年齢は分からなかった。若くも見えるし、年齢を重ねた中年のようにも見える。

 試験官の質問にユウキは首肯を返した。

「ええ、スクールで習いましたから」

 コウエツシティは人工島として名を馳せる一方で、脱出不可能な監獄として使われていた。大勢の刑の執行者が強制労働をさせられていたのだという。しかし、それは昔の話のはずだ。今はもう埋め立てられて監獄などないと聞いていた。

「その監獄だ。今も刑を執行中の罪人が強制労働をしている」

「まさか」

 ユウキは目を見開いた。今の時代に強制労働などあるとは思えなかった上に、そのような事が黙認されているなど冗談にしても性質が悪い。しかし、試験官からは冗談を言っている様子は見受けられなかった。

 徐々に下層へと下っていく。天井が透けていないので分からなかったが、随分と下ったようだった。ようやくエレベーターが到着する。

 下層表示を見やると、「レベルJ」で止まっている。Jとはやはり監獄という意味なのだろうか。それを問い質す前に、扉が開いた。

 表のエレベーターホールとは打って変わって暗い空気が蔓延していた。背中合わせのポケモンの彫像がある。頭部の部分が削られたようになくなっていた。試験官に続いて暗がりの中を歩むと、不意に重い音がして眩い光が暗闇に慣れかけていた網膜を刺激した。どうやら照明が焚かれたらしい。丸い照明がそこらかしこから届いて、ユウキ達を照らし出す。

 試験官が歩み出したそこには数十人の男達がいた。服装もバラバラだが、彼らが一様に戸惑っている事だけは分かった。男達の中には、灰色の簡素な服を着た者もいる。囚人、という言葉が一番に思い至った。まさか、罪人とも争うのだろうか、と考えていると、試験官は指を鳴らした。すると、暗がりの中から黒ずくめの服装に身を包んだ集団が現れた。試験官を取り巻くように黒服達が立ち止まる。ユウキは彼らに隙を見出そうとして、できなかった。統率された集団だ、という事と、並みの人間ではないことだけは分かった。試験官がユウキを顎で示す。

「彼らに加われ、これから入団試験の説明をする」

 ユウキはその言葉に従って数十人の中に加わった。彼らの中にはユウキのような子供が珍しいのか訝しげな視線を向けてくる者もあった。ユウキはそれを無視して試験官を見やる。試験官はポケットから煙草の箱を取り出した。黒服の一人が火を用意する。蛍火のように明滅する煙草の煙を吸い込み、長い息を吐き出した。試験官の眼が自分を含めた参加者に向けられる。その瞳が蔑むような光を携えている事にユウキは気づいた。

「お前らが今回のリヴァイヴ団の入団試験を受ける人間だ。総勢三十八名。もちろんの事だが、全員を入れてやる事はできない。分かっているな」

 そのような甘い条件でない事は百も承知だった。ユウキが息を詰めていると、「なぁ!」と大声が近くで弾けた。灰色の服を身に纏った男だった。

「これで合格すりゃ、本当に地上に出してくれるんだろうな!」

 久しく人と話していなかったのか、男の声は異常なほど大きい。試験官も顔をしかめている。

「約束はできかねるな。まずは説明を聞いてもらわなければ」

「そんな悠長な事は言ってられねぇんだよ!」

 男は試験官へと歩み寄った。試験官はしかし、男が歩み寄ってくるのをほとんど無視している。その態度が癪に障ったのか、男が拳を振り上げた。

「何とか言えよ! この――」

「カイリキー」

 試験官がそう口にすると同時に、懐から光が迸った。眩い光に男が一瞬立ち止まると、次の瞬間には男の腕を何かが摘みあげていた。男の眼がそちらに向く。ユウキ達もそれを見た。

 一言で言うのなら、四つの腕を備えた巨漢だった。コンクリートのような灰色の身体をしており、黒いブーメランパンツを穿いている。腰には王者の証のようなベルトが輝いている。黄色いたらこ唇で、同じ色の毛髪のようなでっぱりが三つ入っていた。明王のような赤い眼が男を睥睨する。

 格闘タイプのポケモン、カイリキーだった。ワンリキーからの二進化ポケモンであり、豪腕の持ち主である。カイリキーは男の腕を捻り上げた。まるで昆虫でも摘むかのように人差し指と親指だけで男の腕に圧力を加えている。男が喚き声を上げた。試験官が眉をひそめる。

「無様な。カイリキー、やれ」

 その声でカイリキーが摘んだ男の腕を振るい上げた。男は身体ごと持ち上げられる。次の瞬間、男の身体は地面に叩きつけられた。果実が潰れた時のような音を発する。一度ではなく、何度も打ち付けた。頭蓋が砕け、血が飛び散る。ユウキ達は覚えず後ずさっていた。カイリキーは全身に血を浴びている。試験官がすっと片手を上げると、ようやくカイリキーは叩きつけるのをやめた。

 男はぼろ雑巾のようになっており、意識があるのかないのか分からなかった。試験官はカイリキーが離した男へと歩み寄り、その頭を蹴りつけた。男が呻き声を上げる。まだ生きていたが、それは逆に惨い結果といえた。こんな状態になってまで生きているのは苦痛だろう。試験官は、「はい。一名脱落」と言った。

「質問のある奴はいるか? 尤も、説明前に私に質問しようなんていう命知らずはもういないだろうがな」

 その通りだった。誰もが黙りこくっていた。試験官はわざとらしく咳払いして、「では」と話し始める。男は黒服達が両脇を抱えて運んでいった。男はどうなるのか、その末路に背筋が凍った。

「説明をしよう。お前ら全員をリヴァイヴ団に入れるわけにはいかない。入団試験なんだ。こちらの与える試練を突破してもらおう。合格枠は、そうだな、十人だ」

 その言葉に俄かに騒然となった。今は三十七人。約四分の一を蹴落とさなければならない。ユウキは覚えず男達を見渡した。ユウキと同じような視線を巡らせている人間も大勢いた。

「そう難しい話じゃない。この地下区内である地点まで辿り着いてくれればいい。ここは中心街の地下だが、コウエツシティ全土に地下空間は広がっている。お前ら、ポケッチは持っているな?」

 ユウキは左手のポケッチへと視線を落とした。他の男達も同じように見ている。ポケモンを持っているのならば義務化されている。持っていて当然と言えた。試験官が左手を掲げる。その手にもポケッチがあった。

「これからお前らにその座標を渡す。その指定座標に二十四時間以内に辿り着けばクリアだ。どうだ? 簡単だろう」

 そんなはずがない、とユウキは思った。何か裏があるはずだ。その思考を読んだかのように、試験官は言った。

「ポケモンの使用は自由だ。ただし、地下空間からの脱出は不可能。テレポートや穴抜けの紐は厳禁とする。ただし、地下空間内でのテレポートならばいくら使っても構わない。あくまで出なければいい。それが基本ルールだ」

 やはり潰し合いか。半ば予想通りの言葉にユウキは歯噛みした。つまりここにいる全員が敵という事だ。誰も頼れない。

「こいつらから指定座標を受け取れ。言っておくが、他人と指定座標は変わらん。全員が同じ場所を目指す事になる。誰かを殺して座標を奪っても意味はないぞ」

 試験官は笑ったが、誰も笑えなかった。黒服達が前に歩み出て、並ぶように指示する。ユウキ達は並んで座標を受け取った。ポケッチへと黒服のポケッチからの赤外線通信によるデータが転送される。黒服もポケッチを持っているという事はトレーナーなのだろうか、とユウキは思ったが問おうとは思わなかった。

 ポケッチ内に地図を呼び出す。地上と位置関係は変わらなかったが、変化しているのは街並みと起伏だ。道も違うために、ほとんど別の場所だと思うしかなかった。

 ユウキはポケッチで方角を確認する。地下では方角が分からなければ目指しようがない。調べてみると、ポケッチに搭載されている方角システムがエラーの表示を灯した。何度試しても、である。ポケッチは高度なGPSを搭載しているために、海底であろうが天空であろうが同じ性能を示すはずだった。それがエラーを起こしている原因は意図的な妨害としか考えられなかった。誰もがそれに気づいたようだったが、先ほどの男の例もあり口にする者はいなかった。

「全員、座標の確認を終えたか?」

 その声にユウキは指定座標を確認する。中心街から計算すれば歩いて三時間ほどの場所にある座標だった。ほとんど正方形のコウエツシティの俯瞰図の右端に位置している。普通に考えれば東エリア、つまりF地区だったがどこをどう歩けばいいのかなどの詳しいガイドはなされていない。

「ではその座標で待つ。諸君らの健闘を祈る」

 黒服の一人がテレポート可能なポケモンを繰り出し、試験官の姿が青いオーロラの向こうに消えていく。ユウキ達はそれを見ながら何も言う事ができずにいた。試験官と黒服の姿が消えても、誰一人として動き出そうという者はいない。全員、与えられた状況に戸惑うばかりだった。

 ユウキはもう一度、ポケッチの地図を見やる。やはり方角を示すシステムが狂っているのか、地図が一回でも回転すればどこをどう行けばいいのか分からなかった。地図の縮尺を初期値に戻し、ユウキは周囲を見渡す。灰色の服を身に纏った男達は俄かに動き始めていた。囚人、という言葉が突き立つと同時に、なるほど、と納得する。彼らはここで強制労働を強いられていたのだ。ならば地理にも明るいはずである。この状況で一番に動き出すのは囚人である事は自明の理だった。ならば次に動き出すのは、と考える。

「次は、多分度胸のある奴、か」

 あるいは無鉄砲か、と思考する。地図の方角があてにならない中、動き出すのは危険である。二十四時間あるので、一通りの人間が動き出してから動いても充分に間に合うかもしれない。しかし、ここで先着十人しか枠が取られていない、というプレッシャーが圧し掛かってくる。もし、囚人でも十人到達すればその時点で自分達は失格だ。ならば早く動き出すか、あるいは――。

「あるいは、動いた奴を始末しながら目的地を目指す」

 ユウキはフッと笑みを浮かべた。よくできている。潰し合わせるための仕掛けだ。戦いを望んでいなくとも、戦わなければ先へは進めない。

 殺しても意味がないと試験官は言ったが果たしてそうだろうか。殺しながら、進むのが一番の手ではないか。ユウキは首筋に嫌な汗が滲むのを感じた。早くに歩き出せば、狙われるリスクが付き纏う。かといって歩き出さなければ、先を越されるかもしれない。畢竟、ここから進めない。囚人達は失うものがないから、いくらでも進める。いや、彼らとて命は惜しいだろう。だからこそ、ポケモンを所持しているのだ。

 ユウキは、額に手をやって一通り考えてから、顔を上げた。

「進まなきゃ、勝てないだろう。誓ったんじゃないか」

 輝く海とランポに誓った言葉を思い返す。ミヨコやサカガミに言った覚悟を思い出す。誓いと覚悟を胸に一度抱いたのならば、自分だって怖いものなど何もない。失うものも、この命だけだ。ここまで来たのに、覚悟をなくして進むのを臆する事のほうが馬鹿馬鹿しいというものだ。

 ユウキは踏み出した。ポケッチの地図機能をオンにしながら、歩み出す。どうやら囚人以外で進み始めたのはユウキが最初のようだった。他の男達の視線が背中に突き刺さる。ユウキはそれさえも糧とするように前に進んだ。GPS機能が制限されているために、自分がどちらに進んでいるのかすら判然としないが、スタート地点で闇雲に考えを巡らせるよりかはマシだ。

 進む足に力を込めようとすると、背後から声がかかった。

「なぁ、お前」

 ユウキは振り返る。そこにいたのは二人の少年だった。片方はユウキよりも少しだけ背が高い。背が高いほうの少年は脱色した赤毛のような髪の色をしており、癖毛なのか少し巻いている。眼は緑色だったが右眼に黒い革製の眼帯をしている。そちら側の眼は分からなかった。

 もう片方はユウキと背丈は同じくらいで、頭に包帯を巻いている。前髪が眼にかかるくらいで、眼も髪も黒色だった。

 赤毛の少年は身体にフィットするシャツを着込んでおり、肉体の凹凸がよく分かった。鍛えているようだ。背中に何かを担いでいる。ちょうどヴァイオリンでも入るケースに見えた。重そうだが、赤毛の少年は別に苦にしている様子はない。もう片方、黒髪の少年は細身で着ている服もぶかぶかである。少し頼りなさ気であった。

「僕、ですか?」

「そう、お前だよ」と赤毛の少年が言った。

「何か用でも?」

 ユウキが身構えながら言葉を発する。片手はいつでもホルスターにかけられるようになっている。黒髪のほうの少年が俄かに眉を上げた。涼しい目元が鋭く細められる。やる気か、と構えた仕草に赤毛の少年が、「待てって」とお互いを制した。

「ここで争うのはやめねぇか?」

「それは、どういう……」

「だからさ、共同戦線を組まないかって話だよ」

「共同戦線?」

 この状況で発している言葉とは思えなかった。正気を疑う目を向けると、赤毛の少年は、「俺は正常だぜ」と肩を竦めた。

「異常なのはこの状況のほうだ。その中で正常であろうとしなくてはどうする。呑まれたらお終い、だろ」

 真実、正常と見える目を向ける少年に、ユウキは勢いを削がれたように構えていた手を下ろした。黒髪の少年はまだ身構えていたが、赤毛の少年が肘でつつく。

「そう構えるなよ、マキシ。こいつは危なくねぇ。それは目を見りゃ分かるんだ」

 マキシ、と呼ばれた少年はその言葉でようやく警戒を解いたようだった。ユウキが赤毛の少年にも目を向けていると、意味を察したのか、「おう、俺か?」と赤毛の少年は自分を指した。

「俺の名はテクワ。まぁ、ミサワタウンで育った田舎者だ。んで、こいつはマキシ。同じミサワタウン育ち。よろしくな」

 テクワと名乗った少年はマキシの肩に手を置く。マキシはユウキを睨んだ。どうやらユウキにも名乗れという意味らしかったが、まだ共同戦線を張るつもりはないユウキは名乗るのを控えた。

「あなた達は、どういうつもりなんです?」

「どういうつもりってのは?」

 テクワが応じる。ユウキはポケッチを突き出した。

「これはサバイバルゲームだ。先着十人以外は意味がない。かといって進む手立ても少ない。どうするっていうんです?」

「先着十名なんだろ。だったら、俺らで三枠埋めりゃいい話じゃねぇか」

 意想外の言葉に、ユウキは改めてテクワを見た。本当に正気なのだろうか。しかし、共同戦線を張るというアイデア自体は悪くなかった。

「なるほど。しかし、どうやって進むんです? 方位磁石はいかれている」

「先に進んだ奴らの後を追えばいいだろ」

「それじゃ、先着十名には入れない」

「おいおい。これを見ろよ」

 テクワは足を踏み鳴らした。見ると仕立てのいい靴を履いていた。

「靴が何か?」

「鈍い奴だな。地面だよ、地面」

 その声にユウキは地面を見つめた。見れば少しだけ地面はぬかるんでいる。海の水がしみこんできているせいだろう。

「何も一番に着こうってわけじゃない。でもよ、六番くらいなら確率はあるんじゃないかと思うんだよな」

「どういう根拠で?」

「だーかーら、地面がぬかるんでいるだろ。ぬかるんでいるって事は、足跡が着くって事だ。足跡が着くってのはよ、やっぱりたくさん人が通れば固められるって寸法よ」

 そこまで言われればユウキでも分かった。

「先に行った人間の足跡を辿っていくってわけですか」

 その言葉にテクワは頷いた。

「おうよ。さらに言えば、多分さっきの黒服とか試験官は下見をしているはずだ。まだ新しい足跡があって、なおかつ数が多ければそちらが正解ってわけだ」

「なるほど。分かりますけど、一つ問題が」

 ユウキが指を一本立てる。

「なんだよ」

「囚人は強制労働をさせられています。その足跡と誤認する可能性があるんじゃないですか?」

「馬鹿だねー、お前」

 テクワが顔をしかめて明らかに小ばかにした表情を浮かべる。ユウキは少しむっとなった。

「何がですか」

「囚人どもの足元見てないのかよ。そこ」

 テクワが顎で示した位置を見やる。そこには裸足の足跡が残っていた。ユウキの頭の中で閃くものがあった。

「そうか。裸足なんだ」

「ご明察。囚人の足跡は裸足だ。すぐに見分けられる。裸足じゃなくって、数が多いほうに進めばそっちが正解。どうだ? 俺の推理」

 ユウキは再びテクワを見やった。思っていたよりも観察力に優れ、頭がいいのかもしれない。だが信用すべきかという面でいえばまた違ってくる。共同戦線となればお互いの手の内を明かす事になるだろう。そこまで信用していいものか、と考えていると、テクワが焦れたように頭を掻いた。

「まーだ悩んでいるのかよ。さっさと決めろ、オレンジ野郎」

「オレンジ野郎?」

 言われた言葉を聞き返すと、テクワは、「おう」と頷いた。

「名前も名乗らないで、一端に呼ばれると思うなよ。こっちは名乗ったんだ。フェアじゃねぇだろ」

 その点では確かにテクワ達のほうが手の内を明かしている。名前くらいいいか、とユウキは感じて名乗る事にした。

「ユウキです。コウエツシティ育ち」

「へぇ。じゃあ地理とか分かるのか?」

「いや。僕も地下にこんな空間があるのはさっき初めて知った」

「なんだよ、使えねぇなー」

 テクワが頭を掻いて喚いた。この少年は頭がいいのか悪いのかよく分からない。一方、マキシは先ほどからユウキへと警戒の眼を注いでいる。テクワに警戒するなと言われて表面上は気にしていないものの、先ほどから肌を焼くような視線を感じていた。テクワは、「じゃあ」とユウキを指差した。

「余計に共同戦線張るべきじゃねぇか。一人で行けると思っているのかよ」

「他の人間は皆、ライバルです。先を越されては堪ったものでは――」

「だから、三人で三枠埋めようって言ってんじゃねぇか。分からず屋だねー、お前」

 テクワの言葉にユウキは眉をひそめた。マキシはテクワの言葉に何も思うところはないのか黙っている。ユウキは意地になって言い返した。

「そう簡単にいくとは思えません」

「それに関しては俺も同感だ」

 テクワの言葉にユウキが目を見開いていると、テクワは足を踏み鳴らしながら、

「たった一人で攻略できると思っていない。ただ座標を目指して一日歩くだけなら、本当に運頼みだろう。そうじゃないんだ。きっと、何か裏がある」

 テクワの言葉はユウキも思っていた事なだけに、自然と言葉がついて出た。

「……ポケモンによるバトルロワイヤル」

「例えば、それだな。もしくは、もっと何かがあるのかもしれない」

「何かって」

 何だろう。ユウキが真っ先に思い浮かべたのは潰し合いだったが、他に何があるのだろうか。

「どちらにせよ、一人じゃ無理だろ。意地張らずに共同戦線と行こうぜ」

 テクワが手を差し出した。ユウキは握るべきか迷ったが、テクワの言っている事ももっともだ。思っていたよりもこの少年は冷静である。ユウキはマキシの様子を窺った。マキシは異論がないのか、睨む目だけを寄越している。

 ユウキは差し出された手を握った。

「じゃあ、少しの間だけ共同戦線という事で」

「おお、決まりだな」

 テクワが繋いだ手を振るって笑顔を浮かべる。人がいいのかもしれない。ユウキは苦笑いを浮かべた。素直に笑う事はできなかった。


オンドゥル大使 ( 2013/09/09(月) 21:22 )