ポケットモンスターHEXA BRAVE












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入団試験
第二章 三節「拭えぬ過去」
 その日の夜は家へと帰り、サカガミと夕食を共にした。サカガミの夕食を食べられる最後の夜だと思うと、こみ上げるものがないわけではなかったが、ユウキはぐっと堪えた。サカガミが作ったのはカレーだった。いつも通りであろうとして、一昨日と同じ食事になってしまった事に、サカガミは苦笑していたが、ユウキは「おじさんらしい」と笑って返した。

「明日の夜、入団試験がある」

 カレーを口に運びながら、何でもない事のようにユウキは告げた。サカガミは、「そうか」とスプーンを置いて顔を伏せた。

 自分の事ではないのに、サカガミはユウキよりも深刻そうに見えた。当然だろう。家族同然のミヨコが重態であるというのに、弟であるユウキがリヴァイヴ団に入ると言い出したのだ。心中、穏やかでないのは確実だったが、サカガミは声を荒らげる事もなくいつも以上に平静を装った。その姿が逆に見ていて胸を締め付けられるようだった。

「私から言える事はない。ロケット団に入った時には……」

「おじさん。言いたくなかったら言わなくてもいい」

 ユウキの言葉に、サカガミは「すまない」と返した。

「でも、言わせてくれ。私なりのけじめだ」

 サカガミの言葉を無慈悲に否定する事はできなかった。自分も言いたい事を言っている。ならば、サカガミにも言う権利はあった。

「私がロケット団に入ったのは、ロケット団黄金期の頃だった。今から数えると、十六年前だ。ちょうど、ユウキ君ぐらいの時かな」

「おじさんは、どうしてロケット団に」

 発してから惨い質問だと感じて、「ゴメン」と顔を伏せた。サカガミはゆっくりと首を横に振った。

「いいんだ。当然の疑問だろう。そうだな。シルフカンパニー、という会社を知っているかい?」

「確かポケモン事業で成功したって言う。教科書とかで習った。ロケット団の資金の隠れ蓑にされていたって」

 ユウキの言葉にサカガミは頷いた。

「シルフカンパニーの事業というのは、今で言うと資金洗浄の意味があったんだ。裏で稼いだ金を表の事業に充てる。どこの裏組織でもやっていた事だ。ただシルフカンパニーは規模が段違いだった。ポケモン関係の道具のシェアをほとんど一〇〇%保持していたからね」

「その技術がなければ、今の繁栄はない」

 その言葉にもサカガミは頷いた。

「そうだ。だから、その当時のシルフカンパニーに入社というのは、かなり箔がついた。私は最初、ロケット団とシルフカンパニーが裏で通じている事を知らなかった。無知な若者だったんだ」

 今ではシルフカンパニーといえば、八年前のヘキサ事件前後に起こったディルファンスとロケット団の抗争においても語られる事が多い。ロケット団と繋がりのあった企業だが、未だシルフカンパニーは継続している。

 カントーではロケット団の被害者というイメージが強い。

 幹部連を一新し、脱ロケット団を掲げたシルフカンパニーはクリーンな企業というイメージを確立している。だからこそ、十六年前のサカキによるシルフカンパニーとカントーの首都、ヤマブキシティの占拠において最も多大な影響を受けた企業として最高裁に控訴する事もできた。最高裁は捕らえたロケット団員をろくな裁判もせずに有罪判決を確定。幹部達を失脚させたが、肝心のサカキを捕らえられていない。ロケット団を壊滅させた伝説のトレーナーの行方共々未だに不明と聞く。

「だが、知らなかったで通せる話ではない。シルフカンパニーにいた社員の多くが身に覚えのない不当な取調べを受けた。私は、かろうじて取調べを受けずに済んだ。両親が便宜を図ってくれたらしい事が分かったが、私は故郷には帰れなかった。今更、世界の敵の一員であった人間が戻って何になるだろう。家族を苦しめるだけだと私は判断し、カイヘンへと単身、渡った。それが十三年前。ちょうどジョウトでロケット団残党による電波塔ジャックがあった頃だ」

 サカガミは自分の辿った道を話してくれている事が分かった。それと同じか、それ以上の道を歩む覚悟があるかどうか問いかけているのだ。ユウキは、「おじさんは」と口を開く。

「後悔していないの?」

「しているさ。様々な後悔が何度も過ぎった。いっその事、罪は暴かれて欲しいとさえ思った。もしかしたら家族に被害が及んでいるのかと考えるとね、夜も眠れなかったよ。私は、カイヘンでまだ企業イメージの悪くなかった企業へと転職した。シルフカンパニーカイヘン支社と繋がりのあった企業だ。そこで君の両親と出会った。私が元ロケット団だという事を、君の両親は知っていた」

 意想外の言葉に、ユウキは「えっ?」と聞き返した。知っていたとは思わなかったからだ。「驚くのも無理はない」とサカガミは続ける。

「知っていて、君の両親は私を差別しなかった。対等な人間として扱ってくれたんだ。君の両親は立派な人だった。誇りにしていいと思う」

 こんな場面で両親の話が出るとは思っていなかった。ユウキは完全に虚をつかれた形で、口を噤むしかなかった。両親が生きていれば、今回の事件も変わってきているだろう。誇りにしていい、という言葉に素直には頷けない自分がいた。ならば、自分の行動はその誇りを踏みにじっているのではないだろうか。その気配を察してか、サカガミは続けた。

「ユウキ君。私は、親代わりなんて言えるほどの事は何もしていない。それどころか君達に負担を負わせた。しかし、一つだけ言える事がある。生きていてさえくれればいいんだ。それだけで自然と救われるものがあるんだよ。私は君達と過ごして、その感情を知った。どうもありがとう」

 サカガミが頭を下げる。ユウキは両手を振って、顔を上げるように言った。

「どうしておじさんが頭を下げるのさ。僕らのほうだよ、感謝するのは」

「私も君達から得たものがあったという事さ。一方通行じゃないんだ、愛って奴は」

 その言葉を最後にして、サカガミは食事に戻った。ユウキはそれ以降の言葉を継げなかったが、サカガミの放った最後の言葉だけが胸の中に残った。

 愛は一方通行じゃない。

 誰かを愛するという事は、誰かに愛されるという事なのだろう。まだユウキには漠然としていて全体像が掴めなかったが、そうやって世界は回っているのだろうという感情だけが思考に昇ってきた。カレーを口に運ぶ。甘口のカレーが、今は少ししょっぱかった。



















 陽光が窓から差し込んできて、ユウキの顔にかかった。薄っすらと目を開けて、朝の到来を感じる。目覚まし時計が鳴る前に目を覚ましたユウキは、「今日だ」と呟いた。

 今日の夜、自分は一線を越える事になる。その現実が自分の中ではまとまりがつかない。

 現実感が希薄なのだ。サカガミと昨夜話し、ランポやミヨコにも誓ったというのに自分の中では現実として結実していなかった。ユウキはいつものように朝食を取った。サカガミはいつも以上の事は言わなかった。いつもの朝がいつものように過ぎていく。ユウキは荷物を確認した。もしかしたら二度と家には戻れないかもしれない。その覚悟を物語ったような大荷物、というわけではなかった。いつものように釣竿の入った軽装のバッグだ。変わるところは何もない。ユウキはサカガミの作ってくれた弁当を持って、玄関まで出た。玄関にはサカガミが既に見送る準備をしていた。

「行くのかい?」

 言外の意味を含んだ言葉に、ユウキは頷いた。いつものようにスクールに行くわけではない。もう戻れない道を辿ろうとしているのだ。ユウキは靴を履きながら、サカガミへと声をかける。

「何だか、現実感がないんだけど」

「そんなものさ。いつだって踏み出す時の現実感なんてないものなんだ。踏み出して、行き先が定まってから、ようやく来た道を振り返ることができる」

 ユウキは立ち上がった。サカガミが見下ろしている。いつか、この日の朝を思い返す時が来るのだろう。その時、見送ってくれた人の事も思い出すに違いない。

「夜まではどうするんだい?」

「多分、南エリアで釣り糸を垂らしていると思う。スクールに行く気はないし」

 いつの間にかそれが当たり前の事になってしまっていた。いつも通りの事をして、少しでも心を落ち着かせよう。ユウキが玄関の扉へと手をかける。振り向いて、口を開いた。

「行ってきます」

「ああ。行ってらっしゃい」

 ともすれば最後になるかもしれない挨拶は思ったよりも呆気ないものだった。特別な意味を持たせられるのはいつだって後になってからの話だ。

 ユウキは外に出た。一瞬だけサカガミを振り返る。サカガミは誇らしげな笑みを浮かべていた。一人の人間が旅路の始まりに立ったのを見送っている事を、心底嬉しいと思っている。そのような顔立ちに見えた。ユウキは自分の背中を押してくれる人の顔が笑顔だという事に安堵と喜びを覚えて、口元を緩めた。

 背中で扉が閉まる。この瞬間、覚悟は現実を歩むための動力として働く事になる。ユウキは歩き出した。そのままの足で南エリアの漁港に向かう。赤いクレーンが陽光を浴びて、錆びたその身を輝かせている。他に釣り人はいない。

 ユウキはいつもの場所へと踏み出し、座り込んだ。釣竿をバッグから出して、段階的に伸ばす。疑似餌と浮きをつけ、ユウキは釣り糸を海へと投げた。ポチャンと軽い音がして、波間へと浮きが流れる。ユウキは釣竿を足元の穴へと固定して、その場に寝転がった。中天に昇りかけた太陽が切り込むように差して、ユウキは帽子を目深に被る。いつだってこうやって時間を潰していた。その日々も今日で終わりなのだと思うと名残惜しくなってくる。ミヨコの言いつけを守らずスクールをさぼり続けた日々だって、それはユウキを形作る重要な日々なのだ。今までの日々は決して無駄ではない。誰の人生も無駄ではないのと同じだった。

 釣竿は揺れなかった。これもいつも通りだ。海にいる水ポケモン達もユウキの心情を汲んでくれているのかもしれなかった。釣り人も今日は現れない。今、旧知の人間に会えばもしかしたら甘えが出てしまうかもしれなかったので、ありがたかった。

 斜陽が差し込むまで、ユウキはその場に寝転がっていた。クレーンの重低音が腹に響く。ユウキがようやく起き上がった頃には、水平線の向こうへと太陽が沈むところだった。半分くらいは眠っていたかもしれない。ユウキは大きく伸びをして、釣竿を握った。少しだけ揺らしてから、薄く笑う。

「釣れないなぁ……」

 自分が発した台詞に我ながら笑えてきた。それを望んでいたくせに、言ってみればおかしなものだ。

 ユウキは釣竿を海から上げて、バッグに仕舞った。もう使う事はないだろう。海に投げ捨てようかと思ったが、これは繋がりだと感じた心がそれを躊躇った。両親との繋がりであり、生きてきた日々との繋がりでもある。

 ユウキは中心街に向けて歩き出した。行き先は決まっている。ランポに告げられた場所――コウエツグランドホテルだ。何が待ち構えているのかは分からない。それでも歩みを止めるわけにはいかない。

 ユウキの一歩に応じるように、海から甲高い声が響いた。振り返ると、噴水のような水柱が海から上がっていた。潮吹きだ。潮吹きをするポケモンといえば、相場が決まっている。ホエルコか、または現存するポケモンの中で最大級の大きさを誇るホエルオーだろう。ユウキは苦笑を漏らした。

「なんだ、いるんじゃないか」

 一度も釣り糸にはかかってくれなかったくせに。見送りだけはきちんとしてくれるらしい。ユウキは手を振った。水柱が応じるようにもう一度上がり、飛沫が舞った。


オンドゥル大使 ( 2013/09/09(月) 21:20 )