ポケットモンスターHEXA BRAVE












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最果ての少年
第一章 五節「ランポが来る!」
 窓から差し込む陽光と鳥ポケモンの声に、ユウキは目を開けた。

 どうやらあの後、眠りに落ちたらしい。夢も見なかったという事は深い眠りだったのだろう。ユウキは服を着替えて、顔を洗いに洗面所まで向かった。途中、サカガミとすれ違った。「おじさん。おはよ」と挨拶をすると、「ああ、おはよう」とサカガミは弱々しく返した。まだ昨日の事を気にしているようだ。顔を洗ってリビングに向かうと、ちょうど朝食を取っていたミヨコが顔を上げる。

「あら、ユウキ。早いのね」

「昨日はどうして風呂に呼んでくれなかったのさ」

「呼んだわよ。でも、起きて来なかったから」

「まぁ、いいけど」と椅子を引きながらユウキが応じる。朝食は目玉焼きとトーストだった。トーストを頬張っていると、ミヨコが念を押すように言った。

「今日はスクールにちゃんと行きなさいよ」

「ああ、分かってるよ」

 一瞬、また釣りにでも行こうかと思ったが昨日の釣り人と出くわす可能性がある事に気づいて、ユウキは頷いた。できれば一週間はあの顔を見たくなかった。見る度に、金を取った後の卑屈な笑みを思い出してしまう。それならばスクールに通ったほうがマシというものだ。

 朝食を終えて、ユウキは身支度をするために二階に上がった。オレンジのジャケットを羽織り、帽子を被る。

 ベルトのホルスターにモンスターボールを収めるべきか悩んだが、スクールに通う建前上、持っておくべきだと判断した。バッグを背負って下に降りると、ちょうどラッタが出迎えた。ユウキはラッタの頭を撫でて、「行ってきます」と言った。ラッタは細い尻尾を振ってユウキを見送った。

「ユウキ。お弁当は?」

「持ったって。じゃあ、行ってくるから」

「気をつけてね」

 リビングからミヨコの声が聞こえる。ユウキはサカガミにも言っておくべきだと思ったが、寸前で躊躇われた。ユウキの家からスクールまでは歩けば半時間ほどだ。できるだけゆっくり行こうとユウキは空を振り仰ぎながら歩いた。眩しい太陽が軒を連ねる家々の屋根に反射し、鋭い光を煌かせる。青く広大な空は夏本番を予感させた。

 遠くに積乱雲が見えるが、今日中にコウエツシティまで来る事はないだろう。

 自転車がユウキを追い越していく。スクールには基本的にダート自転車で通うのが規則だ。マッハ自転車は速過ぎて事故を起こす可能性があり、本土のサイクリングロードぐらいでしか使われなかった。そもそも自転車にこのような分類を付加したのはホウエンである。ホウエンの文化がカントーを経て、カイヘンに流れ着いているのだ。コウエツシティは「カイヘンの玄関」と呼ばれているだけに文化の出入りがより顕著なのだろう。もっとも、「玄関」としての役割はほとんど廃れていると言えなくもない。今のコウエツシティは、「玄関」と言っても開けっ放しだ。開閉の権限はカイヘンにはない。

 スクールが視界に入る。またリリィに叱られに来ているようなものだな、とそこに至って感じた。やはり漁港に行こうか。会うとも限らないし、釣りをして日がな一日過ごしているほうが自分には性にあっている。ユウキは人波に逆らって身を翻そうとした。

 その時である。

「おい、そこの」

 声がかけられた。最初は自分の事だと思わなかったのだが、次の言葉で自分だと確信した。

「オレンジの帽子の奴」

 ユウキは周囲を見渡す。オレンジの帽子は自分しかいない。

 振り返ると、白いジャケットを羽織った男が立っていた。一瞬、それが男に見えなかったのは髪型のせいだ。長い茶髪を背中で括っている。しかし顔立ちははっきりとしていて男だと分かった。背も高い。ユウキを見つめる瞳は鳶色だった。

「そうお前だ、お前」

 男はポケットに両手を突っ込んだままユウキへと歩み寄る。ユウキは一歩後ずさった。男は腰のホルスターにモンスターボールを収めていた。ポケモントレーナーなのだろうか。スクールの生徒にしては年齢が高そうだとユウキは思った。

「お前、俺の事を観察しているな」

 不意に男がそう言ったので、ユウキは心を読まれたのかと思った。男は落ち着いた様子で、「難しい事じゃないさ」と言った。

「お前の眼が鋭いからな。さっきから俺が何なのかって顔だし」

 それはその通りだった。男は何なのか。どうして自分に声をかけたのだろう。周囲をスクールの生徒達が流れるように歩く中、男だけがその流れに逆らうようにユウキへと近づいてくる。

「お前は考えている。必死に頭を巡らせているんだ。俺が何者なのか。どうして自分に声をかけるのかってな」

 男の姿だけが周囲の景色から浮き上がったように見える。男は片手をポケットから出した。ホルスターに伸びるかに思われた手は、地面を指差した。

「もし、ここで揉め事が起こったら、誰が解決するんだ?」

 唐突な質問に、ユウキは言葉を詰まらせた。何を言っているのだろうか。冗談を言っているにしては、男の眼は真剣だった。

「多分、スクールの先生じゃないですかね」

 ユウキの言葉に、男は「ふむ」と一呼吸置くように頷いた。

「スクールの先生ってのは、どうなんだ。強いのか?」

「そりゃ、ジムリーダーもやっていますし、ジムトレーナーもいますから、強いんじゃないんですかね」

 ユウキの答えに、男はまたしても「ふむ」と頷いた。一体何なのだろうか。堪りかねて、ユウキは質問した。

「あなたは、誰です?」

「俺の名前か? 俺の名はランポ。そういうお前はユウキだな」

「どうして、僕の名前を」

 ユウキは一歩後ずさった。ランポと名乗った男は口元を緩める。

「お前は目立つからな。オレンジの帽子にオレンジのジャケット。情報を集めるのは難しい事じゃなかった」

「だから、何なんです?」

「昨日の事だ」

 ユウキの質問を無視してランポは遠くに視線を投げた。

「昨日って……」

「漁港でリヴァイヴ団の下っ端が自分の肩にナイフをぶっ刺した」

 その言葉にユウキは心臓が大きく鼓動を打ったのを感じた。ランポはスクールの校舎を眺めたまま、言葉を続ける。

「下っ端の仲間も脳震盪で気絶。幸い意識は戻ったし、下っ端も全治二週間程度。命に別状があるわけじゃない。ただし、リヴァイヴ団としては示しがつかない。誰がやったのか調べている」

 ランポの眼がユウキへと向けられる。ユウキは唾を飲み下した。このランポと名乗る男は知っている。昨日、漁港で何が起こったのかを。しかし、あえて訊いているのだ。それはユウキの口から謝罪の言葉を出すためなのだろうか。それとも白状させるためなのだろうか。ユウキは早鐘を打つ鼓動を抑えるように、息を深く吸った。冷静になれ。そうでなければ余計なトラブルを抱え込む事になる。

「そう、ですか。だったら、下っ端に聞けばいいんじゃないですか」

 ランポは視線をユウキに据えた。ユウキはたじろがないようにその視線を真っ直ぐに受け止める。ランポが口元を緩めた。

「聞いたさ。だけどな、組織のオトシマエってのはそういうもんじゃないんだ。闇討ちを仕掛けるのがリヴァイヴ団のオトシマエの付け方じゃない。こういうのは本人の目の前で、直接話を聞くもんなんだ」

 その言葉を聞いてユウキは確信した。ランポはあくまでもユウキ自身の口からそれを言わせる事に拘っているのだ。知らぬぞんぜぬを通せるわけではないだろう。だが認めるわけにもいかなかった。

「……リヴァイヴ団」

「そう。リヴァイヴ団。聞いた事くらいはあるだろ? 俺だって下っ端の尻拭いなんてしたくはないさ。けどな、俺達のボスはそうじゃない。末端とはいえ、なめられたままじゃいられないんだ」

「チンピラみたいですね」

 率直なユウキの言葉にランポは笑い声を上げた。その声にスクールの生徒数人が振り向いたが、こちらを気にかけようという酔狂な人間はいなかった。ランポは頭に手をやって髪を掻いた。

「まったく、その通り。情けない話だが、俺もまた下っ端。そういうもんなんだ。だからさ――」

 ユウキはその瞬間、ランポの手がいつの間にかホルスターのボールを取り出している事に気づいた。緊急射出ボタンを親指が押し込む。

「許せよ」

 その言葉が放たれると同時に、ボールが開いて中から光に包まれた腕が飛び出した。ユウキが反応したその時には、腕がユウキの腹部へと鋭い一撃を加えていた。

 腹を押さえて思わず後ずさる。

 腕が光を振り払い、その全貌を現した。

 突き出された腕は青かった。手の甲から鋭い鉤爪が伸びており、爪の色は毒々しいオレンジ色だ。逞しい腕を払って、立っていたのは人型に近いポケモンだった。しかし、ヒトと決定的に異なるのは顔立ちだった。喉仏が張り出しており、丸い袋状になっている。歯をむき出しにした上唇は黒く縁取られており、白目の部分は黄色だった。細長い痩躯のポケモンは両腕を垂らして卑しく嗤っている。

「ドクロッグ」

 ランポがそのポケモンの名を呼んだ。ドクロッグは上唇を突き出す。

「ここでの揉め事はスクールの先生方が治めるようだが、しかし、そううまくはいくもんかねぇ」

 ユウキは周囲を見渡した。誰もが無関心を決め込み、足早に去っていく。ランポがにやりと笑った。

「ユウキ。お前はここで死ぬ事になる」

 ランポの言葉にユウキは全身が粟立ったのを感じた。


オンドゥル大使 ( 2013/08/25(日) 21:07 )