ポケットモンスターHEXA BRAVE












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最果ての少年
第一章 二節「ひねくれ者」
 トレーナーズスクールに着いた頃には既に太陽は中天に昇っていた。

 降り注ぐ熱線を忌々しげに振り仰ぎつつ、ユウキはスクールの敷地へと視線を転じる。スクールは全体像としてはコの字型を描く施設だ。二階まであり、淡く黄緑色の外観だった。グラウンドに実技のための白線が引かれており、四角く囲われた中央にモンスターボールを象った円がある。トレーナーはそれぞれ両端にある囲まれた敷地に入り、白線内部のポケモンに指示を出す。それがポケモンバトルの基本形だった。今も、ユウキより上のクラスの少年と少女がポケモンバトルを繰り広げていた。

 人垣の合間からユウキは視線を送った。

 少年が繰り出しているのは肥え太った黄色いネズミだった。細い尻尾の端が稲妻の形をしており、黒色と黄色という危険色を想起させる色合いのポケモンだ。

 世界で最も愛されているポケモンであるねずみポケモン、ピカチュウの進化系、ライチュウだった。ピカチュウを愛好する人間が多いためになかなかお目にかかることはできない。少年は実戦用にライチュウを鍛え上げているようだ。ピカチュウは、そうでなくともポケモンバトルで使われることは稀である。愛玩用として飼っているトレーナーが多いためだ。そのためにポケモンバトルを専門に行わないブリーダー用と揶揄されることもある。少年のライチュウはただ肥えているだけではない。筋肉の盛り上がりを感じさせる身体つきだった。特に脚が太い。ライチュウの足は元々短く、瞬発力に長けているものの長期戦となれば不利である。その弱点を克服するかのように逞しい脚だった。ユウキは眼がいいからか、血管が浮き上がる様子まで見える気がした。

 相対するのはピンク色で耳が長いポケモンだった。背中に未発達気味な羽根が生えており、面長な身体はまるで帯のようである。丸まった尻尾が垂れ下がっているその姿は、カントーのオツキミ山に生息するポケモン、ピッピの進化系、ピクシーであった。ピクシーはライチュウとは対照的にあまり戦闘向きには育てられていない印象を受ける。筋肉の引き締まりが少ないからだった。ピクシーも戦闘よりかは愛玩用にと育てられる例が多い。元であるピッピは商品化され、「ピッピ人形」として売り出されている。野生ポケモン用の疑似餌として人気があるだけに、人間からの人気も高い。ピッピは元々生息数が少ないため保護に走る人間も多いと言う。ライチュウもピクシーも特殊な石≠ノよって進化するポケモンである。ライチュウは雷の石、ピクシーは月の石である。うろ覚えな知識を頭からひねり出していると、ライチュウを操る少年が声を張り上げた。

「ライチュウ。電光石火!」

 その声に、ライチュウが身を沈ませると、一瞬にして姿が掻き消えた。先ほどまでいた地点で砂埃が微かに立ったのを視認する前に、ライチュウの体躯はピクシーの眼前にあった。

 ――速い。

 ユウキがそう思った直後、ピクシーはライチュウの頭突きを腹腔に食らった。ピクシーが後ずさるが、その眼からまだ闘志は消えていない。ピクシーは両手を突き出した。片手に紫色の光を発する宝玉が固定されている。命の珠と呼ばれる道具だった。所有するポケモンの体力と引き換えに攻撃力の強化を促す諸刃の剣だ。しかし、ピクシーは荒い息をつくわけでもなく平然としている。ピクシーの特性が影響していると思われた。現にピクシーの身体には纏いつくような薄桃色の光があった。

「多分、マジックガードか」

 呟いてユウキは顎に手を添える。「マジックガード」とは攻撃以外の技ではダメージを受け付けない特性である。

「すなあらし」などの天候を操る技による断続的ダメージや、猛毒、火傷によるダメージを受けない。状態異常による長期戦に特化したポケモンからしてみれば、難敵となる特性だ。その特性は道具にも及び、命の珠のマイナス効果を打ち消してプラス効果のみを引き出している。ピクシーの両手から黒い稲光が迸った。両手で稲光から発生した黒い霧を練り、ピクシーは球体を形成していく。不定形だった球体が黒い磁場を纏わせながら形状を安定させた瞬間、少女は叫んだ。

「ピクシー。シャドーボール!」

 ピクシーが鳴き声を上げ、突き出した両手から影の砲弾――「シャドーボール」を弾き出す。ライチュウはしかし、その攻撃をまともに受けるほど鈍重ではなかった。

「電光石火で駆け抜けろ!」

 少年の言葉に、ライチュウが左手で砂を掻く。その瞬間、脚の筋肉が盛り上がったのをユウキは見た。僅かな変化だが、その直後にライチュウの姿が消え、シャドーボールが空間を裂いた。ライチュウの姿はシャドーボールを放って攻撃の隙ができているピクシーの真横にあった。ライチュウの身が翻り、宙を舞う。ピクシーと少女の反応が追いつく前に、細い尻尾が振り上げられた。

「叩きつける!」

 稲妻の尻尾がピクシーの後頭部を打ち据える。ピクシーの身体が滑り、地面を転がる。

「ピクシー!」と呼びかける少女の声に、ピクシーは片手を地面に突き立てて制動をかけた。身を返して、受身を取りライチュウへと向き直る。

 脳震盪を起こしたのか、少しふらついているように見えた。ピクシー自身はさほど物理攻撃に特化しているわけではない。どちらかといえば攻撃を受け流し、隙をつくタイプの戦法を得意とするポケモンである。ゆえに接近戦は苦手分野なのだろう。ピクシーと少女は一瞬も気の緩みも許されない逼迫した表情をしていた。ライチュウが身を沈ませる。「でんこうせっか」から相手に接近し、懐に潜り込んで攻撃するのはトレーナーならば基本戦術であった。

 だが、とユウキは思う。

 まだライチュウは自身の本懐である電気技を一度として使っていない。一方、ピクシーもまだ攻撃に転じているわけではない。

 勝負はこれからだ。

 緊張の面持ちで見守っていると、不意にこめかみを叩かれた。ユウキが、「痛いな。何す――」と発しかけた声を詰まらせた。そこにいたのは背の高い女性だった。赤いブラウスを着込んでおり、白いシャツが晴天に眩しい。フレアスカートを穿いたその女性は、セミロングの髪をかき上げた。昔は染めていたのだという黒髪からはシャンプーの匂いがした。

「リリィ先生」

 その名をユウキは口にする。リリィは片手に持った出席簿で再びユウキの額を小突いた。

「ユウキ君。さぼりでのほほんと上級生の試合の観戦とは感心しないわね」

 その声にユウキはばつが悪そうに顔を背けた。

「別に、観ていたわけじゃないですよ」

「ふぅん、そう。どっちにしろ、後で職員室。分かっているわね」

 リリィは出席簿を片手につかつかとヒールの靴音を響かせながら去っていく。その後姿をしばらく見つめていると、人垣からわっと歓声が上がった。ユウキが見やると、勝負は既についていた。ライチュウをピクシーが下していた。いつの間に攻防が逆転していたのか、ライチュウは全身に砂粒による細かい傷を作っていた。恐らくはピクシーが地面タイプの技を使用したのだろう。一撃で沈んだということは、「ゆびをふる」からの「じしん」か、と当たりをつける。考えながら、ユウキは自身の思考に嫌気が差した。スクールに通うのを嫌がりながら、頭の片隅では必死にポケモン勝負を分析している。自分でも相反していると思える人格に、ユウキは息をついた。

「嫌だな、ポケモンバトルは。どうせ、ゲームみたいなものなんだから」

 ユウキは踵を返した。門へと向かおうとする身体に、先ほどのリリィの言葉が突き刺さる。職員室に呼ばれていたのだった。今すぐにでも家に帰りたい衝動を抑え、ユウキは校舎へと向かった。

 試合の後に浮き足立った人々が敗北した少年と勝利した少女に言葉を求めようと詰めかける。無駄なのに、とユウキは感じる。戦いの後に残るものなどない。虚しいだけだ。人はその虚しさを言葉で埋めようとするが、それこそ無粋というものである。

「何も言いたくない時だってあるんだよ。無神経だな」

 そう言い置いてユウキは校舎へと入った。





















「ユウキ君。君は、成績は特別悪いわけじゃない。むしろいいほうなの。でも、呼ばれている理由、分かるわよね」

 リリィは椅子に座って立っているユウキを見上げた。ユウキはリリィの教卓の傍で立ち尽くしている。言葉を発しないでいると、リリィはため息をついた。

 ユウキは職員室を見渡す。若い教員ばかりだった。それはトレーナーズスクールがポケモンジムも兼ねているからだ。ポケモンリーグに挑戦するための挑戦権であるジムバッジを手に入れるために、地方には八つのジムが設けられている。それぞれジムリーダーとジムトレーナーが挑戦者の行く手を阻み、その実力を試す。

 リリィはそのジムリーダーだ。コウエツシティは最後のジムだった。ゆえに、ここまで来たトレーナーは強豪揃いだ。若い力と戦うには若いジムトレーナーが求められる。リリィの下に集ったジムトレーナーは若いが、実力を伴った人材ばかりだった。だから、誰も馬鹿にはできない。現にトレーナーズスクールに詰めている教員はかつてポケモンリーグを目指した人間も多い。スクールに通っているトレーナー達は生きている教材から学ぶのだ。そうやってトレーナーを目指す人間も増えていく。

 ――悪循環だな。

 身の内に湧いたその言葉に、自身から嫌悪するようにユウキは顔をしかめた。それをどう受け取ったのか、リリィは頬杖をつく。

「出席日数が足りてない。どうしてスクールに来ないのか、教えてもらおうかしら」

「大した理由はありません」

 ここに来て初めて、ユウキは口を開いた。リリィは片手でボールペンを弄びながら、「大した理由、ってことは」と言った。

「小さな理由ならあるってことかな」

「小さな理由も、ないです。別に、ただ来る気が起きないだけで」

「そこが分からないのよね」

 リリィは背凭れに体重を預けて、仰け反った。リリィの胸元が強調されたブラウスが嫌でも目に入ったので、ユウキは直視しないように顔を背けた。

「ユウキ君。あなたには来ない理由はない。でも来たくないって事?」

 ユウキが頷くと、リリィは難しそうな顔をして、「うーん」と呻った。

「君みたいな生徒は正直、珍しいわ。実力がないわけじゃない。ポケモン勝負も、嫌いじゃないでしょう?」

「ポケモン勝負は嫌いです」

 そこだけは、はっきりと口にした。リリィはますます怪訝そうな顔になる。

「勝負が嫌い。だから来たくないって? でも、さっきのポケモン勝負を観るあなたの眼は真剣だったけど」

 図星をつかれた気がして、ユウキは一瞬言葉に詰まったが、すぐに口からは詭弁が漏れた。

「観るのとやるのとは違います。先生ならその辺は分かっていると思っていましたけれど」

 嫌味のような形になってしまった。リリィはボールペンのスイッチを押し込んで、手元の紙に何やら書き始めた。内申書かもしれない、とユウキは思った。

「確かに、戦う事は観るのと実際にやるのとでは大きく違うわね。でも、自分の勝負に真剣になれない人間が、他人の勝負に真剣になれるはずがないと思うけど」

「先生の理論でしょう。僕は違う」

「かもねぇ」とリリィは手元の紙の上に文字を走らせる。速くて小さい文字なので読み取ることは困難だったが、ユウキには、「ひねくれ者」と書かれたのが見えた。その通りだろう、と自分でも思う。だからといって、教師がそのような言葉を書くのはいささか感心しないな、と感じた。

「先生がまだジムリーダーだけをしていた頃はね」とリリィはボールペンを片手に喋り始めた。ユウキは黙って聞いていた。

「色んなトレーナーがそれこそ昼も夜も関係なしに来たわ。最後のジムだから、身を焼くような覚悟と執念が見て取れた。彼らが抱いているのは信念。ここまで来た自分と、パートナーであるポケモンを何より信じている。その信じる心と、あたしのジムリーダーとしての意地のぶつかり合い。それが連日でさ。疲れた時もあったけれど満ち足りていた」

「今は?」と思わず尋ねていた。リリィが目を向ける。その眼にはジムリーダーだけの仕事でよかった頃を懐かしんでいるというよりかは、羨望に近い光があった。ユウキへの羨望だ。何を期待しているのか、とユウキは訝しげな目を返す。リリィがため息をついた。

「今も、充実しているわ。ジムの仕事は夜だけになっちゃったけれど、生徒に教える事は楽しいし、あたしにとっても新しい発見がある」

 ジムとスクールの兼任は事実上不可能である。なので、ジムリーダーは昼と夜で生活をぴっちりと分けている人間が多い。街によっては夜にスクールを開設するところもあると言う。

「でも、先生は昔のほうが楽しかったように見える」

「そう見える?」と悪戯っぽい笑みと共に尋ね返された。ユウキはどう返していいのか分からなかった。リリィは教卓を押して、椅子を転がした。ローラーの音が静かな職員室に響く。リリィは頭の後ろに手をやりながら、どこか投げやりに言った。

「そう見えるんだとしたら、あたしは教師失格だな」

「僕なんかの言葉を真に受けなくてもいいですよ」

「そういうわけにはいかない。君も大事な生徒のうちだから」

 模範的な解答に思えたが、リリィは心の底からそう思っているのだろう。言葉には、嘘の香りはしなかった。ボールペンの先端でユウキを示し、

「ユウキ君はどうしてスクールに行かないんですか、って。お姉さんが心配していたよ」

「姉さんは関係ないでしょう」

「関係なくはないわね。あの子もあたしの教え子だから」

 ミヨコはスクール開設時の第一期生だった。その話を何度かミヨコから聞いた事がある。リリィはジムリーダーと教師の兼任をし始めてまだ一年足らずだったと言う。その頃の教え子からの相談ならば耳を傾けるのは当然と言えた。

「ミヨコさんは真面目だったわ。毎日熱心に通っていた」

「でも、姉さんはトレーナーにはならなかった」

「まぁね。教えは受け取る側の自由だから。あたし達は教えたいから教えている。トレーナーになる道を強制しているわけじゃない」

「だったら、僕が通わない事にだって正当性があるはずですよ」

「ならない道を選んでいるって? でも、君自身には才能があると思うけど」

「御免です。僕はポケモン勝負なんて、観るのもやるのも……」

 ユウキの言葉にリリィは分かったのか分かっていないのか、「ふぅん」と鼻息混じりに返した。また手元の紙に何やら書き込みながら、ユウキに声をかける。

「今日はこの辺にしておくわ。明日からちゃんと来るように。行ってよし」

 ユウキは、「失礼しました」と形だけの言葉を投げて、身を翻した。扉に差し掛かった時、ユウキは僅かにリリィのほうを見やり、言葉を発する。

「怒らないんですね、いつも」

 ユウキの言葉にリリィは文字を書く手を休ませずに、「うん?」と応じる。

「先生は、僕を怒ろうとしない」

「怒ったら来るの?」

 その質問に、ユウキは無言を返した。それが答えと言えた。リリィはボールペンを上げて、「じゃあね」と言った。人差し指と親指以外を開いて振る。ユウキは手を振り返さずにその場から立ち去った。


オンドゥル大使 ( 2013/08/15(木) 22:27 )