第八章 十五節「ベストパートナー」
フッとランポの口元に笑みが浮かぶ。ランポは、「負けだな」とこぼした。
「ここまで完膚なきまでの敗北だと、いっそ清々しい。俺は精神面でもどうやらお前に負けたらしい」
「僕は変わりましたか?」
ランポは少しだけ眉を上げてから、「そうだな」と口にする。
「背が伸びた」
それがランポなりの冗談だと悟った時、ユウキは自然と吹き出していた。ヤマキも微笑んでいる。
解せないと思っているのは取り囲んでいるウィルの構成員達だろう。先ほどまで殺気を迸らせて戦っていた二人が、突然笑い出したのだ。奇妙な光景に見えただろうが、彼らの中にも感じる心を持つ人間はいたのか、釣られて笑おうとして他の構成員にたしなめられた。
ユウキは笑いを止めて、「僕は行きます」と毅然とした態度で告げた。ランポは道を譲って、「行くといい」と口にする。
「救ってやれ。お前の手で。世界を変えた証として」
ユウキは弾かれたように走り出していた。ウィル本部へと駆け寄るユウキを攻撃しようとした構成員がいたがランポが、「もしこの中に!」と声を張り上げた。
「今の勝負に納得がいっていない者がいれば俺が直々に相手になろう。俺はリヴァイヴ団、チームブレイブヘキサのランポだ」
ランポの言葉にユウキは背中を押されたような気がしていた。まずミヨコへと歩み寄り、目隠しと猿轡を取る。ミヨコはユウキを認めるなり、「こら!」と怒鳴ってきた。
「あんたはまた、こんな無茶をして!」
「半年振りの態度がそれ? 僕は無茶なんてしていないよ」
ミヨコの声を振り切ってサカガミを助ける。サカガミはユウキを認めると、「ああ」と声を漏らした。
「ユウキ君。君は自分の信じるべき道を行けたんだね」
「うん。だからこそ、ここに立っていられる」
自分だけの力ではない。ランポが、ミツヤが、エドガーが、テクワが、マキシが、レナが、みんなが押し上げてくれた命だ。その一滴の輝きを消してはいけない。ミヨコの手錠を外しながら、「姉さん、こんな道に進んでしまった僕を怒らないの?」と訊いた。ミヨコが叱ったのは自分の無茶だ。この道に進んだ事を叱ったのではない。ミヨコは、「あんたはいつだってそうだからね」と答えた。
「勝手に先走っちゃうんだから。でも、誰かが支えてくれているって事をしっかりと自覚している。支えてくれている人を分かっている人間は決して道を踏み外さない。どんな境遇でもね」
初めて聞くミヨコの真剣な声音にユウキは目頭が熱くなった。しかし、姉の前で泣くのは嫌でぐっと堪える。
「僕は、色んな人が僕をここまで来させてくれた事を知っている」
「だからこそ、出会いは尊い」
サカガミが後を引き取る。ユウキはそっと微笑み、二人の手錠をテッカニンで切り裂いた。自由になった二人が立ち上がる。これで人質は消滅した。ランポは責任を取らされるのだろうか。しかし、ランポが浮かべる微笑みはコウエツシティで自分の黄金の夢に賭けてくれた時と同じものだった。ミヨコと共にランポへと歩み寄る。ミヨコは少し緊張しているのか、顔を伏せている。
「姉さん。僕にリヴァイヴ団に入る事を勧めてくれたランポって言うのがこの人」
「そう」
姉の返事は素っ気ない。何故だろうとユウキが首を傾げていると、「ミヨコさん、と言ったか」とランポが声を発した。ミヨコが肩を震わせる。
「弟さんをこのような道に引き込んでしまった事を深くお詫びする。最初の嚆矢となった事件だって、俺の監督が行き届いていなかったせいだ。あなたの怪我は俺の怪我でもある。どうか許してくれとは言わないが、ユウキの生き方を責めないで欲しい。こいつは、愚直でも己を貫き通した。立派な男だ」
「……はい。分かっています」
ミヨコの声は憔悴しきったように小さい。ランポも訝しげな視線を向ける。
「どうしたんだ? まさか護送途中に酷い拷問でも受けたか?」
「そんな。姉さん、そうなの?」
「ち、違う。拷問なんて。……ただ」
「ただ?」
ユウキが小首を傾げると、ミヨコは耳元に唇を近づけて潜めた声で言った。
「こんなカッコイイ人がいるなんて聞いてないわよっ」
その言葉にユウキは吹き出した。
「笑うな、馬鹿!」とミヨコがユウキの頭を叩く。ランポが似合わぬ戸惑いを浮かべた。
「何があった? ユウキ。何だって?」
「いえ、ランポ。これは言えません。特にあなたには」
「もったいぶる事があるのか。お姉さんの体裁にかかわってくる事なのか? ならば、なおさら聞いておかなくてはならない。これでもまだα部隊の隊長という責務の上にいるのだからな。不始末はきちんとオトシマエをつけなければ」
「じゃあ、言いますけど――」
「言うな! 馬鹿!」
ミヨコが喚く。どうやらもう怪我のほうも大丈夫らしい、と今さらの感情が浮かんだ。半年前の怪我だ。もう塞がっているだろう。それでも、癒えぬ心の傷跡があるはずだ。
「姉さん。ラッタはどうなった?」
家族の一人に気づいてユウキが声を出すと、ミヨコは表情を曇らせた。サカガミに目をやると視線を逸らして、「亡くなったよ」と小さく告げた。ユウキは目を見開く。
「懸命に世話をしたんだが、どうやら神経的な病気で亡くなったらしい。ユウキ君。言うべきではないと思うんだが、君の喪失が大きな波紋になったようだ」
ユウキは目を見開いて返事に窮していた。やがて、「冗談でしょう」と情けない声を漏らす。
「だって、そんな簡単に家族が死んじゃうわけが。ラッタはずっと僕と一緒で、小さい頃からバトルもしていて――」
「ユウキ」
遮ってミヨコがユウキを見つめている。嘘偽りはない。だからこそ、この場にはこの二人しか呼ばれなかった。ユウキは足元がおぼつかなくなるのを感じてよろめいた。ぐらり、と揺れる視界を留めたのはランポだ。ユウキの肩を掴み、「大丈夫か」と声をかける。ユウキは首を振った。
「あまり大丈夫ではないです。何だか、急な事で」
「別れはいつだって急だ」
その言葉にランポもまた大切なものを失ってきたのだと思い知らされた。目を伏せたランポは、「言葉もない」と口にする。
「元はと言えば俺のせいだ。俺がお前をリヴァイヴ団に誘わなければ、こうはならなかった。全ての歯車を狂わせたのは俺だ。殴られようとそしられようと構わない」
「ランポのせいじゃないですよ」
そう表層では言ってみせるが、もしランポが現れなければどうなっただろうと想像するのを止める事は出来なかった。ランポがいなければ、毎日のようにスクールに通うのか通っていないのか分からない日々を送っていただろう。翻ってみればコウエツシティを出る事もなく、リヴァイヴ団の存在もウィルも少し目障りだ程度にしか思わなかった。
「もし、僕が傍にいてあげられれば、ラッタは死なずに済んだのかな……」
口にした言葉に誰もが沈黙した。その中でヤマキという構成員だけが、「過去を悔やむんじゃない」と口を開いた。
「ラッタは誰もせいでもない。天寿を全うしたんだ。今はそれを褒めてやるといい」
一構成員の言葉とはいえ、かけられただけでもありがたかった。ユウキは涙がとめどなく溢れたのを自覚した。喪失の悲しみ。両親を失った時と同じような嗚咽が喉の奥から漏れる。鈍い痛みがじんと心を震わせる。どうしようもない現実。これが自分の相対するものなのだ、とユウキは考えた。これから先も味わうであろう苦渋。ユウキはせめて、とモンスターボールをランポに要求した。
「どうするつもりだ?」
「天国のラッタに。あいつは、最後のほうはモンスターボールに、手持ちに入れてやる事が出来なかったから……」
二体の制限がかかったせいで、手持ちからは除外されたラッタ。本当ならば最後まで戦いたかった。最初のパートナーであるラッタと。ユウキはランポからブランクのモンスターボールを受け取り、それを天空に掲げた。
「ラッタ!」と呼びかける。この声はラッタに聞こえているだろうか。しかし、これを聞いているのならば、きっと答えてくれるだろう。
「よくやった」
戻れ、と言いたかったが、もうラッタが戻ってくる事はない。戦いの後の労いの言葉。それをかけられただけでもよかったのだろうか。トレーナーとして、ユウキはラッタの死を悼んだ。
「ランポ。僕達はやるべき事のために動いている」
いつまでもくよくよはしていられない。前に進まなくては。ラッタもきっとそれを望んでいるはずだ。ランポが頷いた。「ついて来い」と促すランポにユウキ達は続いた。サカガミとミヨコはランポの傍にいる事が最も安全だ。
「承知している。ウィルを裏から操る影の存在、カルマと呼ばれるボスの事だな」
ユウキは目を見開いた。ランポがそこまで知っているとは思わなかったのである。
「どこからその情報を?」と尋ねると、ヤマキが補足した。
「ランポ様はα部隊の前隊長アマツに話を聞きました」
「アマツは、今はもう喋れない。だから特殊な方法で質問を重ねた」
「特殊な方法とは?」
「モールス信号だ」
ランポが足を踏み鳴らす。ヤマキが、「アマツ隊長との面会時に、ランポ様はモールス信号による情報交換を試みました」と付け加える。
「アマツはそれに気づき、何度かその方法でウィルとリヴァイヴ団に潜む闇の存在を暴き出した」
「それがカルマ。所持ポケモンはデオキシス。これも俺の独断で調べた。名前だけでは俺も充分な情報は得られなかったが、これだけ分かればカルマとやらを組織の中から炙り出す事が出来る」
デオキシスを持っているトレーナーを絞り出せばいいのだ。しかし、カルマが真っ当なトレーナー登録をしているとは思えない。
「虚偽の申告か、それかダミーのポケモンを用意しているはずです。あるいは一体分しか常には情報として認知されないか」
「俺もそう思う。だからこそ、ウィル内部において一体しかポケモンを所持しておらず、なおかつ上のポストに絞って検索をかけてみた。その結果、ある人物が浮上した。俺が毎日のように会っていた人間の、その従者だ」
ランポがバイクの前で止まる。ユウキへと振り返り、「俺にはまだ権限が生きている」と告げる。
「α部隊隊長として、全部隊に号令をかける事は出来る。ウィルに反旗を翻す存在として、お前に代わりそいつを告発する。本当の反逆者は誰なのか。それを明らかにしよう」
ランポはウィルの全権を委譲された存在として戦うつもりだろう。ユウキは、「頼みます」と言った。ランポが頷く。
「約束する。お前の大切な人には傷一つつけさせないと」
ランポが片手を差し出した。握手のつもりだろうか。しかし、ユウキは握り返さなかった。
「お互いに生きていれば、にしましょう」
その言葉にランポが苦笑を返す。
「そうだな。これから先に戦う敵は今までとは一線を画している。俺は組織、お前はボスを。お互いに苦戦しそうだ」
「それでも善戦を願います。これを」
ユウキはポケットからスティックメモリーを取り出した。もし、ランポが正しき道を歩んでくれるなら、とFが纏めたRH計画概要だ。
「これは?」
受け取ったランポが尋ねる。
「ボスの邪悪の根源です。その名はRH計画。リヴァイヴヘキサ計画です。ヘキサ再興を企んだ計画の中身が入っています」
「これがボスのアキレス腱というわけか」
「それさえ封じれば、ボスの動きを止める事が出来るかもしれない」
ヤマキへとランポはスティックメモリーを手渡した。ヤマキが手持ちの端末に繋ぎ、中身を確認する。
「仰る通り、RH計画なるものに関するデータが入っていますね」
「なるほど。RH……、リヴァイヴヘキサか。そのような計画を許すわけにいかない。もう二度とヘキサのような組織を作らない事はカイヘンの民ならば皆、心に誓っているはずだ」
ランポは、「尽力しよう」と続けた。
「計画阻止に、俺なりの方法で」
「感謝します」
ユウキはランポの横を通り抜けてバイクへと跨った。帽子をライダースーツに折り畳んで仕舞い、ヘルメットをつける。すっかり様変わりしてしまった自分にミヨコやサカガミはどう思っているのだろう。ちらりと視線を向けたが、その眼に宿る光は変わらなかった。
ただ、信じている。ミヨコは弟として、サカガミはあの時助けた命として。変わらぬ光に後押しされた気分になり、ユウキはバイザーを下ろした。
「僕はδ部隊に向かっている仲間と合流します」
「ああ。俺はα部隊隊長として全ての構成員にカルマの事を伝えよう。ボスとてウィル構成員全員に対しては身動きが取れないはずだ」
そうなる事を願っている、という眼だった。自分とて状況をうまく転がせる自信はない。しかし、やらねば、カルマの暴挙を許すわけにはいかない。数多の犠牲を生み出したこの戦いに終止符を打たねば。
「姉さん、おじさん」
ユウキは顔を振り向けた。ミヨコは胸の前で手を握り締め、サカガミはミヨコの肩に手を置いている。
「信じているよ、ユウキ君」
その言葉だけで充分だった。ユウキは頷き、戦いに赴く声を出す。
「行ってきます」
半年前に家を出たのと同じ言葉で最後の戦いへと走り出す。アクセルを開き、ユウキは迷いを振り切った。あるのは一事だけだ。
――カルマを倒す。