ポケットモンスターHEXA BRAVE












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第八章 十四節「コアプライド」

 テッカニンを繰り出して既に周囲の状況を俯瞰していたユウキだったが、囲まれているこの状況下では自分一人とテッカニンだけでは心許ない。

 退却戦にすれば、まだ逃げられる確率はあるが、これから行うのは徹底抗戦だ。ランポはユウキがバイクから離れるのを待っているようである。ユウキはバイクから降りて、ライダースーツの前を開けた。半年前とほとんど変わらない自分の姿に何を思うだろう、とユウキは感じていたが、ランポは短く感想を告げただけだった。

「背が伸びたな」

「そうですか?」

 それ以上の言葉はなかった。ランポとて分かっているのだろう。これが命を賭す戦いだという事を。半年前の邂逅と同じく、お互いの命を張って戦いに臨む。敵同士であった時と同じだというのは何かしら奇妙な感慨を呼び起こさせたが、それに耽っている場合でもなかった。

「ユウキ。お前の目的は分かっている。あの二人だろう」

 ランポは拘束されている二人を示した。ウィル本部前に二つの十字架があり、その下に後ろ手に手錠を組まされている二つの影がある。本物か、とユウキが目線で言外に問いかけると、「本物だ」とランポが言った。

「サカガミとミヨコ。お前の大事な人だったな」

「どうして、こんな真似をしたんです? あなたとの直接対決で全てが決するというのならば、僕は逃げも隠れもしない」

「俺がここに出る事も想定外だった。こちらの戦力が予想外の事態によって潰されてしまってな。最早、有事に動けるのは隠密を得意とするはずの俺のような人間だという事だ」

「ランポ、あなたは――」

「お喋りは、俺達の間には不必要だろう。ユウキ」

 遮って放たれた声にユウキは口を噤んだ。ここまで至ったのだ。既にランポは敵として扱わなければならない。そうでなくとも、向こうはそう認識しているだろう。取り囲むウィルの構成員達の息遣いに混じる意思は「恐れ」が強い。今まで幾度となくウィルの実行部隊を退けてきた相手が目の前にいる。それもα部隊の隊長との直接対決。緊張しないほうがどうかしている。しかし、ランポの語調は半年前と何ら変わりはしなかった。

「ユウキ。お前はここで死ぬ事になる」

 既視感を覚える台詞にユウキは反射的に肌を粟立たせた。未だにランポから放たれる重圧というものは存在する。それを再確認しただけでも充分だ、とユウキは感じて視線を据えた。

「勝つのは僕です。おじさんと姉さんを返してもらう」

「お前にそれが出来るかな?」

 ホルスターからモンスターボールを引き抜いたランポを視界の中央に捉えながらユウキは考える。ランポは何故、直接対決を望んだのか。数で勝る構成員だけでは今まで煮え湯を飲まされてきたから。そういう側面もあるだろう。しかし、相手方は人質を取っているのだ。圧倒的有利に変わりはなく、むしろ自分をこの場所に引き込んだ時点で既に勝ちなのだ。だというのに、無益な戦いに身を浸すのは何故なのか。ユウキはテッカニンを操る思惟を緩めずに思いを巡らせていると、「考えているな」と差し込む声があった。

「この戦いに、意味はあるのか。俺達が戦ってどうする? お互いの主張が決して交わらないと、何よりも分かっている二人が戦って何になる?」

「だから、僕は」

「俺は」

 重ねた言葉に不意に傍らの構成員がホルスターから引き抜いたボールの緊急射出ボタンを押し込み、身を翻した。同期して現れたのは鉄の爪を持つ黒色のポケモンだった。帽子の鍔のような突起を頭部に持ち、赤いまだらの体表がある。そのポケモンは三つに分裂した鋼の爪を重ねてランポの背後に降り立った。それと時を同じくして、そのポケモンの鋼の表皮をカツンと何かが打ち据えた。構成員が目を走らせる。そのポケモンの鋼の表皮を叩いたのは三角錐の毒針だった。

「狙撃手がいます。警戒を」

 戦闘の声音を含んだ構成員はランポの背後を守る。ユウキは目を見開いていた。まさかテクワの狙撃が見切られるとは思っていなかったのだ。感知野の網で構成員の視野を拾い上げようとする。ワイアードか、と感じたが、構成員はただの人間だった。一般のトレーナーが感知野を極大させたテクワのドラピオンの狙撃を事前に防ぐとは。ユウキが舌を巻いていると、「こいつは」とランポが口を開いた。

「今までのような奴じゃない。本当の実力者だ。お互いに相手を嘗めていたな、ユウキ。まさか俺の無力化をはかるとは。半年前には考えつかなかったであろう成果だ」

「僕は、出来るだけ穏便に済ませたい」

 ユウキはもちろん、ランポを殺すつもりなどない。足を撃って少しの間痺れてもらうだけでよかったのだが、その作戦は阻止されてしまった。ランポはそれを見透かしているのかフッと口元を緩めた。

「変わらないな、お前は。俺ならばテクワにこう命じただろう。一撃で頭を砕け、と」

「あなたがそんな冷酷な事をするようには思えない」

「俺は冷酷さ。後にも先にも。お前は知り得ていないかもしれないが、お前の抹殺指令を半年前に下したのは、この俺だ」

「あなたにはそうするしかなかった」

「希望的観測だな。そうあって欲しい、だろう。お前はまだまだ甘ちゃんだ。半年間で何を学んだ? ポケモンを操る術だけか? もっと賢しく生き残る術を培ったと思ったのだが」

 ランポの鳶色の瞳がユウキを見つめ、細められた。

「残念だよ、ユウキ。お前は、俺の前に立つには至らなかった」

「僕はあなたの前に立っている。これは事実だ」

 返した言葉に、「真実の意味ではない」とランポが顔を伏せた。

「ただ立っているだけならば、それは案山子か、でくの坊と同じだ」

 ランポがモンスターボールの緊急射出ボタンに指をかけた。球体が割れ、そこから射出されたのは半年前と同じ、青い腕だった。光を振り払い、人型の威容を持つが毒々しい眼差しと鉤爪を有するポケモン――ドクロッグが飛び出した。ドクロッグは喉を鳴らして鳴き声を発する。まるで嗤っているようだった。今のユウキの境遇を嗤っているのか。それともランポか、両方か。

「ドクロッグがお前を殺す。半年前には追撃するのはお前だったが、今度は俺だ。この毒手を防ぎきれるか? ユウキ」

 ドクロッグが弾かれたように動き出す。ユウキは咄嗟にテッカニンを前に出してドクロッグに応戦させようとして、それが失策であったと思い知る。ドクロッグの相手などせずに、ランポを一撃の下に昏倒させればよかったのだ。これでは睨み合いが続くだけだと察してユウキはランポへと攻撃の狙いを変えようとしたが既に遅い。

 ドクロッグは空気の流れが僅かに変わった瞬間を見逃さなかった。拳が振るわれテッカニンが一瞬だけ動きを止める。コンマにさえ至らない一瞬、ドクロッグはテッカニンの姿を見切った。すぐさま拳の応酬が注ぎ込まれ、ユウキは防戦一方に追い込まれた。テッカニンは全ての攻撃を防げるだけの力を有している。

 しかし、ユウキとテッカニンの場合では一撃離脱戦法が最も効果的なのだ。染み付いているかに思われた戦法は半年振りに出会うランポという存在の前に打ち砕かれた。ランポと真っ向勝負をしたい、どうして今のようになったのか問い詰めたいという迷いがユウキの判断を鈍らせたのだ。ドクロッグの拳を掻い潜ってユウキはランポへと攻撃を見舞おうとしたがドクロッグはテッカニンを射程から逃がすつもりはないらしい。間断のない攻撃がテッカニンをその空間に縛り付けていた。

「ユウキ。お前の弱点はその意志の強さゆえだ」

 ランポが口にした言葉にユウキは意識を向けた。

「俺との直接対決を望んでいたな? どうしてだ? 卑怯なのはこちらだぞ? 人質を取り、構成員で囲んで逃げられないようにして、お前の前に立った。お前にはどんな汚い手を使ってでも踏み越えて人質を救う義務があったのだ。だというのに、そうしなかったのはその真っ直ぐさゆえ。お前は、馬鹿正直が過ぎる。敵に対して冷酷になれなければ。それとも、俺を狙撃する程度で冷酷に成り下がったつもりか? この騙し討ち程度で負い目を感じていたか? 臆病だな、お前は」

「僕が、臆病ですって?」

 テッカニンを動かす事にかまけているとランポの言葉を聞き逃しそうになる。本当ならばランポの言葉など一言も聞く耳を持たず、そのこめかみを射抜いてしまえば早い。だと言うのに、真正面から愚直に戦っているのはやはり言われた通り馬鹿正直だからか。ユウキには判ずるだけの思考が持てない。

「そうだろう。お前は、俺の無力化程度で全てが片付くと思っていたんだ。馬鹿じゃないか。俺を無力化したとして、さらに言えば数十人のウィル構成員。その中にはヤマキのように鋭敏な奴もいる。そんな奴らを相手取って勝てるとでも? それとも顔見知りだから真剣勝負を挑んでくると踏んで、では自分も、と思ったか。――甘いな」

 ドクロッグの鉤爪がテッカニンの側頭部を打ち据えた。ユウキは思惟がぶれるのを感じた。一瞬の思考のずれを的確に突いてくる。ドクロッグとランポはただのトレーナーとポケモンだというのに、どうしてだか超えられない。

「非情であれ。それを身に沁みて感じたはずだ。この半年、お前は何をしていた? 入団試験の時も感じたはずだ。お前は何を寄る辺にして戦っている?」

「僕は……」

 声を詰まらせる。自分の信ずるところとは何か。半年前までは同じ志と夢に命を賭けてくれた男は、今は立ちはだかる敵である。その敵を乗り越えねば、本当の敵にも辿り着けない。どこまで非情になれるのか。冷酷になれるのか。先を見通せるのか。

「お前は結局、どっちつかずなんだ。結果論でしか何がしたいのかを考えていない。リヴァイヴ団に入ると決めた時も、ウィルに反逆すると決めた時も、お前の心の奥底から望むものはあったか? 状況に振り回されて、踊らされて、それで何が解決する? 黄金の夢は所詮吹けば消えるだけのものだったという事か」

 ランポの言葉に自分の中で熱を帯びてくるものがある事を自覚した。違う、と確かに一線を張って言える事。決して黄金の夢は吹けば消えるような容易いものではない。簡単に捨て去れるのならば、最初からそれは夢などとは呼ばない。実現不可能なものを夢見る事は、無謀に言い換えられる。自分は無謀を見続けていたのか。

 否、とユウキは頭を振る。

 無謀などではない。

 たとえ自分一人でも戦い抜き、頂上に立つだけの覚悟が確かにあった。それを見落としそうになっているユウキへとランポはわざとそういう声を振り向けているのだ。ユウキは自分の中に存在する黄金の夢の欠片を見つけようとした。思考の隙間が生まれてテッカニンがドクロッグの拳を受ける。その拳がランポの振り上げた拳に思えた。ランポは問いかけているのだ。

 ――お前の覚悟はその程度か、と。

「……違う」

 ユウキは声に出していた。静かな湖畔の月のような眼差しをランポに向け、ユウキは問いに答える。

「僕は、世界を変えるために戦う事を決意したんだ。ここで足踏みしてはいられない」

「ならばどうする? 俺のドクロッグ程度の拳を受けるのならば、お前の覚悟はここで潰えるぞ」

 ランポの言葉は挑発でも何でもない。純粋に覚悟の方向性を問いかけている。さらに高みへと昇れ。ランポは自分を鼓舞している。ユウキはすっと目を閉じた。

「なら、僕には視界も必要ない。拳を受けるというのならば痛みもきちんと受け取ろう」

 普段ならばネクストワイアードであるユウキには痛みのフィードバックは訪れない。しかし、ユウキはあえてそれを全開にした。直後、テッカニンからのダメージフィードバックの波が襲いかかる。今まで遮断してきた痛みが全身を駆け巡り、ユウキは覚えず意識が閉ざしかけた。超過した痛みへの防衛策として気を失う事を選ぼうとした。しかし、すんでのところで踏み止まる。

 ――ここで痛みを恐れれば、二度とボスへと至る事は出来ない。

 ユウキは歯を食いしばって痛みに耐え、過負荷のサインを訴える意識の声を無視した。手を振り翳し、現実の声帯を震わせて叫ぶ。

「テッカニン!」

 瞬間、テッカニンがドクロッグの拳の網から消えた。ドクロッグが探そうと首を巡らせる前に、ランポが両手を上げた。

 ランポのこめかみにテッカニンの爪の先が突き立てられていた。それをようやく察知したドクロッグが応戦しようとすると、「もういい!」とランポが叫んだ。ドクロッグが動きを止める。戸惑っているドクロッグへと、「もういいんだ」とランポは静かに告げて、ユウキに視線を戻した。ユウキは荒い息をつきながらランポを指差す。その指先を拳に変えた。

「王手だ」

 ユウキの喉から搾り出された声に、「まさしく」とランポは応じて手を下げた。ドクロッグが主人の戦意が消えた事を感知したのか、同じように拳を下げた。

「お前の勝ちだ、ユウキ。お前はこの先に進む権利を得た。俺という重石をようやく断ち切れるんだ」

 ランポは片手を上げて、テッカニンの爪を撫でる。

「成長したな。今のテッカニンならば俺の頭蓋を貫く程度、造作もないだろう。それを寸止めするほどにお前は自在にテッカニンを操れている。最早、トレーナーとしても俺はお前に何一つ忠告するところはない」

 ランポは、「リーダーとしても」と付け加えた。

「お前は立派に成長した。テクワとマキシがお前のところにいるんだろう? それはあいつらが従うべき相手を見定めたからだ。エドガーとミツヤも、恐らくはお前の理想に殉じた。お前が名づけたチームブレイブヘキサに」

 ユウキはハッとしてテッカニンを呼び戻そうとしたが、ランポはテッカニンの爪を掴んだ。

「やれ。ここでやらねば後悔するぞ」

 それは殺せと命じているのか。かつて全ての憧れの的だったランポを、自分の手で屠れというのか。

「……出来ません」

「やるんだ。やらねば未来に禍根を残すだけだぞ」

「それでも、僕は!」

 ランポの傍らにいるヤマキとかいう構成員は何も口を差し挟まない。まるでランポとユウキの間で交わされる全ての事柄について無関心を装っているかのようだ。実際、そうなのかもしれない。ヤマキは沈黙を貫いていた。

「僕は、信じ抜くと決めた。誰一人として裏切らないと。それはランポ、あなたとて同じです」

「これは裏切りではない。俺の屍を超えろと言っているんだ」

「それは正しい事ですか? それが裏切りではないと言えますか?」

 ユウキの詰問にランポは、「正しいさ」と応じる。

「いつだって勝利者は生き残り、敗者は死ぬ。そうやって歴史は回ってきた」

「今までは、でしょう。これからは違うようにする事は出来る」

 ユウキは片手を薙いだ。テッカニンがもう片方の爪でランポの手を弾き、再び高速戦闘の中に消えた。

「殺さない、という道を選ぶのか」

「あなたを殺したくない。それは僕にとって、裏切りになるからです」

「何の裏切りだ? お前を抹殺せよと命じたこの俺に対して今さら義理など――」

「僕の気持ちへの、裏切りです」

 遮って放った言葉にランポは目を丸くした。ヤマキも傍らで聞いていたからかユウキに目を向けている。ランポは永遠とも思える長い時間をかけてゆっくりとユウキの言葉を咀嚼し、「そうか」と呟いた。

「お前は最初から最後まで、自分の意志に従う男だったか」


オンドゥル大使 ( 2014/05/22(木) 21:03 )