ポケットモンスターHEXA BRAVE - GOLD
第八章 十二節「相似の悪魔」

 コウガミは演説を終えると一つ息をついた。

 それを捉えているカメラへと視線を移し、構えているカメラマンがオーケーサインを出す。コウガミは壇上から降りた。それを導く人間がいた。蛙顔のウィルの高官である。かつてはリヴァイヴ団に在籍していた過去など微塵にも忘れてコウガミへと、「お疲れ様です」と声をかけた。コウガミは歩きながら話す事にした。

「ああ。どうか」

 どうか、と尋ねたのは人質の事だ。蛙顔は、「つつがなく」と返した。

「コウエツシティにいる二人は完全に押さえてあります。あれを本物と取るか偽者と取るかは反逆者の意思次第ですが、我々が本気だというアピールは出来たかと」

「これではまるで脅迫まがいだな。いい気分はしない」

 コウガミがネクタイを直しながら口にすると、「全くのその通りで」と蛙顔は首肯した。しかし、この蛙顔の男は、状況が状況になればコウガミよりも卑劣な事を平然とするだろうと考えていた。どこまで人間が下劣で卑しい存在になれるかで競えば、蛙顔のような狸親父こそ、それに相応しいと感じる。

「総帥。お身体の加減が悪いのですか? 顔色が」

 目ざとく反応して蛙顔が心配する声を出す。こういう人種は顔色を窺う事にかけては一級だ。コウガミは片手で制し、「いや」と口にした。

「何でもない」

「ならばいいのですが、今は有事です。反逆者ユウキの動きを早々に止めなければならない」

 蛙顔の言葉にコウガミは当たり前の疑問をぶつけた。

「どうして今までこれを使わなかったか、分かるか?」

 僅かに先を歩いた蛙顔が振り返り、「それは」と口を開く。

「ウィルのイメージダウンに繋がるからでしょう。反逆者相手とはいえ、人質を取るのです。最終手段ですよ」

「それだけの理由で私が踏み込まなかったと思っているのか?」

 蛙顔は瞠目し、「どういう意味です?」と訊いた。立ち止まったままコウガミはモノクルを押さえる。

「……どうやらこの眼も相当に鈍ったようだな。お前のような無能を腰巾着に携えるとは」

「何を仰っていられるのです、私は――」

「利権欲しさに、リヴァイヴ団でもウィルでも簡単に鞍替えする人間だろう。恥を知れ」

 コウガミの言葉に蛙顔は見る見る顔を赤くさせた。コウガミは、「冗談だ」と口にする。蛙顔が、「冗談でも」と言い返した。

「今の言葉は、総帥にあるまじき……」

「だから、冗談だと言っている。その部屋に入ろう」

 コウガミは角部屋を指差した。蛙顔は納得いかないようで、ぶつくさとこぼしながらコウガミに続く。

「私は総帥のためを何より思って」

「分かっている。感謝している」

 コウガミは先に入った蛙顔を見つめ、後ろ手に鍵をかけた。それを感じ取った蛙顔が首を傾げる。

「どうかしましたか? 何故、鍵を」

「ときに、妙な症状に悩まされないか。お互い、この歳になると」

 コウガミが突然話題を変えたので蛙顔はうろたえていたが、ただの世間話だと悟るや、「まぁ」と頬を緩めた。

「ぼんやりしたり、記憶が飛んだりする事はあるものですな。前者はまだしも後者はよくない」

「よくあるのかね」

「まぁ、たまにですが」

「今に、それが起こるぞ」

 コウガミの放った言葉に蛙顔がたじろいで、「まさか」と声を発した直後、蛙顔は首筋を叩かれてその場に倒れ伏した。コウガミが顔を上げて口元に笑みを浮かべる。

「無茶な要求をする。私の行動はきっと不自然だっただろう」

「――それでも、やってもらった事は感謝する」

 蛙顔の傍に控えていた従者が声を出した。今の今まで存在すら感知させないほど希薄な存在感の紳士は蛙顔を黙らせた瞬間にその場に浮かび上がったかのようだ。

「その男はお前のスケープゴートか」

 その言葉に紳士は鼻を鳴らした。

「スケープゴートという言い方は正しくない。何せこの男は俺の役に立つには頭が悪過ぎる」

「だからこそ、お前の理想通りにここまで来たんだろう。カルマ」

 名前を呼ぶと紳士――カルマは口元を歪めた。

「そうだな。そういう点で感謝もしている。俺の事を未だに無知で無力だが、気は利く部下だと思い込んでいる」

 カルマは蛙顔を見下ろして吐き捨てていた。その口調に宿る忌々しさに、どうやら彼も辛酸を舐めてきたらしいと感じる。

「お前も苦労人だな。そうやって生き永らえたとは」

「お前ほどじゃないさ」

 カルマは言い返して肩を竦める。

「六年前、ウィル設立のために仕込まれたショー。あの中で俺達を裏切って唯一生き残ったお前にはな」

 カルマの眼が鋭い殺意を帯びる。コウガミは頬が覚えず引きつるのを感じたが、ほとんど表情には出さない。

「仕方がない、で済ませられはしないか。お前を誘ったのは私だからな」

「その上、俺の追及から逃れられるようにウィルの総帥というポストに就き、老け顔の整形とは念入りだな」

 コウガミはモノクルに手をやって、「この眼も」と口にする。

「全ては偽りだ。偽りの上に全てが成り立っている」

「洗い出してみれば経歴も、だろう。全く、恐れ入るよ。貴様には」

 カルマは近場にあったソファに座り込んだ。脚を組んで、「で?」と口にする。

「俺の指示に従ったからには、きちんと責務は果たしてもらえると信じていいのかな」

 この疑り深い友人は、自分の行動に対してきちんと誠意ある行動をしなければ即座に首をはねるつもりでいるのだ。疑わしきは罰する。カルマという男のポリシーだろう。そうしてのし上がってきたのだ。一度宇宙で死ぬはずだった男は地上へと舞い戻り、不死鳥の輝きを経て自分の前に存在する。決して逆らえない歪な駒として。

 だが、この駒には意思がある。それが厄介だ。駒として扱えない駒。もしもの時には反乱する事さえ厭わないだろう。その時には自分の蓄えた兵力など簡単に覆されてしまっているはずだ。

 この男は生来、そのような性がある。こちらの気づかぬうちに掌握されている。蛙顔の男は気づいているだろうか。リヴァイヴ団の兵力とウィルの兵力、そのどちらもが自分とカルマの手に握られている事を。気づいていないから、愚鈍にもこの男を近くに置いているのだろう。コウガミはそう結論付けた。

「カルマ。後にも先にも、私は君を裏切るつもりはないよ」

 その言葉にカルマはソファにかけた両肩を揺らして笑い声を上げた。コウガミも併せてひひっと笑う。カルマの前でしか見せない笑い方だった。

「衛星軌道に俺を置いて逃げていった貴様がよく言う。あの絶対の孤独、俺は忘れないぞ」

 カルマの射抜くような眼差しにコウガミは心臓を収縮させた。ポリゴンZ部隊がポッドを破壊したあの時、自分は命綱が切れて漂う振りをして先に提示されていた目標へと向かい、拾ってもらった。それをカルマは見ていたのだろうか。コウガミはカルマの殺意をひしひしと感じる。この男はいずれ自分を殺す。しかし、今はその時ではないと分かっている。分かっているから、この密室であっても誰一人として殺さない。蛙顔も昏倒させられているだけで生きている。カルマはソファの横にある棚の上に視線を据える。花瓶に添えられた花を視界に入れていた。コウガミもそれに気づくと、カルマは花を手に取った。薔薇の花だった。

「あの時、こんな感じにリヴァイヴローズが砕けた。俺の眼には、本当に、こんな感じに」

 カルマが花びらを毟り取り、棘が食い込むのも構わずに茎を折り曲げた。手から血が滴り落ちる。その一瞬、コウガミはカルマと二重像を結ぶ何者かを見たような気がした。オレンジ色の身体に、鋭角的なフォルムを持つ何者か。ポケモンなのか、とコウガミが思いを巡らせようとすると、「あの時だ」とカルマが口にして顔を上げた。既にその姿はない。空気の中に溶けていってしまったのか、それとも今もまたどこかへと潜んでいるのか。

 コウガミにはポケモンを操るセンスはない。だから、何がこの部屋に待ち構えていようと手ぶらの状態で来た事になる。それは迂闊か、とコウガミは感じたがたとえ何かしらの警戒を用いたとしてもカルマに勝つ事は出来ないだろう。ポケモンを操る術を心得ていなくともそれだけは理解出来る。かつての旧友は面影がない。頼りなさげにヘキサを信奉していた人間ではなく、自分の力で道を切り拓く人間になっていた。それは自分も同じだが、自分は欺く事に長けていた。

 人を欺き、自分を騙し、こうして全ての過去を清算してウィルの総帥にまで上り詰めた。しかし、カルマは違う。過去の清算というまどろっこしい真似ではない。まさしく過去との決別によってその地位を得たのだ。過去だけではない。この男は未来をも担保にしようとしている。全てを投げ打ってまで成し遂げたいものがこの男にはある。それを野望と呼ぶか夢と呼ぶかは人それぞれだが、コウガミは夢と呼ぶ事にしていた。

「カルマ。RH計画は円滑の段階に入った。時は近い。今こそ、リヴァイヴヘキサとして、カントー政府に切っ先を向ける時だ。反逆者ユウキ。その確保などにこだわらなくともいい。私が勝手にユウキなる人間らしきものを用意してカントーに亡命させればいい。そうすれば、ウィルが独立治安維持部隊としてカントー政府の粛清にかかる事ができる」

「そう物事は簡単ではない」

 カルマは握り締めた薔薇を離し、ふっと息を吹きつけた。その直後、薔薇が砕け散った。ガラスのように脆く儚く。カルマの手にはもう傷がなかった。傷が癒えている事の驚愕よりも、カルマが次に放つ言葉のほうが衝撃的だった。

「コウガミ、貴様は自分が賢明だと思うか?」

 コウガミは声を詰まらせたが、一瞬の後に言葉を発した。

「少なくとも、衆愚ではないと思うが」

 その言葉にカルマは笑った。コウガミも口元に笑みを浮かべたが、カルマの意思はほとんど読めない。何を考えているのか。一体、その眼には何が映っているのか。

「衆愚ではない、か。その言葉を額面通りに受け取るほど、俺も馬鹿じゃない。コウガミ、貴様は誰よりも賢しく生き延びたつもりだろう。あの時、宇宙に散っていった奴らよりかは二枚も三枚も上手だったという事だ」

「カルマ。私に償わせたいのか」

 的外れだと思いつつも尋ねずにはいられなかった。カルマは肩を竦め、「まさか」と応じる。

「奴らは馬鹿だった。ヘキサという夢物語を本気で追い続けた、理想に生きる人間だ。あの時も言ったろう? 理想郷は、見るもので叶えるものではないと。奴らは理想に生き、理想に死んだのだ」

 カルマの言葉は冷徹だが、ある一面では自分を何よりも客観視している。あの時に同じ志を持っていたであろう自分をもプロファイリングの土俵に上げているのだ。カルマはあの時にかつての理想を抱いた自分はもう死んだと思っているのか。

 それとも、とコウガミは目を伏せる。カルマは新生したのではないか。まさにあの時、ただの人間から、何者か分からぬ存在に。自分がそのような存在と話している事に急に危機感を覚え始めた。コウガミは杖をつく。

「何が言いたいんだ。カルマ」

 その一動作でほとんどの人間はひれ伏すがカルマだけは別だ。カルマは自分の過去を知る人間である。何も恐れる様子はなく、カルマは飄々と両手を上げた。

「つまり、だ。理想に死んだ奴らはとても幸福な死に方をした。ある意味では夢を叶えたと言ってもいい。自分の理想が打ち砕かれ、その先の陰鬱とした未来に生きる事などなかった。コウガミ。知っているか? 夢破れた人間というのは地獄に生きているのだ。未来という地獄の鎖に繋がれ、過去という重石を引きずり続ける。理想の中で死ねたのならばなんと幸福か。ずっと現実に生き続ける彼らには、最早逃げ道はない。どこまで行っても同じだ。可能性は毒の始まりであり、未来という言葉は怨嗟の響きを帯びる」

 カルマは再びソファへと座り込んだ。不意に、もし銃を持っていたのならばこの男の眉間に突きつけるだろうか、と考える。今まで数多の人間の未来を奪い、過去を食い物にしてきたウィルの総帥ならば可能だろうか。ウィルの総帥としてそれは可能かもしれない。

 しかし、カルマと対峙するコウガミという一個人としては不可能に近い。カルマと話す時、自分はコウガミという個人へと引き戻される。コウガミという名前も本当の名前ではないが、それでもウィルという総体の脳を成している自分ではない。ただの小さな一個人だ。その個人に何が出来よう。何を成す事が出来る。

 カルマという男は絶対的な現実そのものだ。理想という鎖から外された現実という獣。その獣が目の前で餌を探している。コウガミにはそのイメージがある。カルマという狂犬を飼い慣らす事は不可能だ。カルマは恐ろしく粗野で、自らの青写真すら描けていないような危うさを傍らに持ちながら、何よりも未来を明確に、さらに言えば正確に想像する力を持っている男だと感じる。

 きっとカルマという男は不確定な未来など想像しない。この男が持っているのは確定した未来だ。自ら引き寄せている。確率論も数値もほとんど無視して、カルマという一個人に未来が吸い寄せられているのを感じる。これはカルマと長年付き合ったコウガミだからこそ考えられる結論だった。リヴァイヴ団という組織を作ったのもカルマに力があったからだけではない。実質的な力よりも精神的な力が強いのだ。

 カルマは求心力を強く持っている。他の誰よりもずっと、恐ろしいほどに冷静なものだ。必要ならば求め、不要ならば切り捨てる。カルマの下へとあらゆる物事が流転して集まってくるが、カルマはそのほとんどに対して不必要の烙印を押す。カルマにとって究極的に必要なのはリヴァイヴ団という組織でも、ウィルでもない。RH計画――リヴァイヴヘキサ計画は組織の崩壊をも視野に入れた計画である。まさにカルマ自身が一本の槍、または矢となってカントーに風穴を開けるのだ。カルマは世界を変える一撃を所望している。その一撃は既にその手にあるのだろう、とコウガミは考える。でなければ、無謀にも等しい行為である。カントーに立ち向かうなど。かつてのヘキサの二の轍を踏むのではないか、という危惧を向けた事もあったが、カルマは一笑に付した。

「俺はあのヘキサが正しいヘキサだとは思っていない」

 では正しいヘキサとは何なのか。カルマに問いかけたところ、「それを知りたくば」とコウガミに助力を仰いだ。コウガミは潔く協力する事に決めた。カルマという一個人がここまで進化している事に興味を持ったのも理由の一つだが、何よりもヘキサという理想をまだ胸に抱いている事にコウガミは疑問を感じたのだ。何よりも可能性を否定している男が、理想郷を見下している男が、夢物語を口にする。相反する矛盾の意思にコウガミはこの男を見ていれば何かが変わるかもしれない、と感じた。

 何か、というのは漠然としたものである。主語を欠いたその言葉にコウガミは自分でも不思議なほどだった。しかし、最近になってコウガミには分かってきた。カルマは自分では生きられなかった影に身をやつし、いつまでも夢想しているのだ。だからこそ、眩しく映る。カルマは生きられなかったもう一つの自分だ、と悟った。

 こうありたいと願いながら誰よりもそれが不可能だと感じていた自分自身の投影なのだ。コウガミはそれを感じ取った瞬間、天啓に似たものを覚えた。カルマという存在を通す事で自己の理想像を見る。コウガミは、自分が所詮、現実にしか生きられなかったつまらない存在だと知覚せざるを得なかった。たとえ、ウィル総帥という肩書きがあり、有事の際には数百の兵を動かせる立場であろうとも、それは自分の描いたものではない。誰かの描いた夢の地図に自分を住まわせているだけなのだ。その虚しさに気づいたコウガミはカルマという存在に魅力を感じた。自分がカルマを支援するのは、それだけの理由で充分に思えた。

「怨嗟の響きか。お前らしいな」

 コウガミが微笑むと、「未来は常に暗く、度し難いほどに鳥目だ」と告げる。

「だからこそ、導き手が必要なのだ。光の導きが」

「それがお前のリヴァイヴヘキサか」

 コウガミが結論付けようとすると、「俺はな。そう簡単なものではないと考えている」とカルマは言い返した。カルマの反論もまた楽しむ要素の一つだ。コウガミは先を促した。

「と、言うと?」

「ヘキサを理想郷だと語っていたカルマという青年はあの時、衛星軌道上で死んだ。ではここにいる俺は何か。俺は、どういう存在として立っているのか」

「興味がある題材だな」

 コウガミはすっかりカルマの話に聞き入っている。カルマが気絶させた蛙顔など最早、視界に入っていない。

「俺は混沌の象徴だと考えている」

 カルマの言葉にコウガミは、「ほう」と声を漏らした。

「キシベ様と同じ事を言うのだな」

 かつてヘキサを設立した時、キシベは混沌の象徴であると語っていた。その演説が今でも鮮明に思い出せる。

「俺が言うのは、世界という抽象概念に踊らされたキシベ様と同じではない。あの人は世界に踊らされ、世界に隷属した」

「興味深いな。座って話を拝聴したいくらいだ」

「そう長く話はしない。立っているといい。俺が言う事は演説なんかじゃないんだからな」

 カルマは両手を開き、「では混沌とは?」と問いかけた。コウガミは顎に手を添える。

「キシベ様は正義と悪の狭間にある深い何かだと思っていらっしゃったような気がするが」

「キシベ様は、あの人についていけただけでも誉れ高い。しかし、実際のヘキサの団員達の何と腑抜けた様か。あれは戦士の背中ではない。敗者の背中だ。どうしてあのような無様な生き恥を晒したのだと思う?」

「さぁな。お前の意見を聞きたいよ」

「答えはこうだ」

 カルマは身振り手振りをつけてゆっくりと口にした。

「彼らは器ではなかった。キシベ様という人間を受け止められなかったのだ。だからこそ、無様に生き永らえ、キシベ様をあまつさえ間違っているとまで糾弾出来た。復讐心に取り憑かれた怨念の引き起こした一事だと。馬鹿な。地獄の釜を開き、世界の混沌を世に知らしめた人間の行動の果てがそのような些事であるものか。キシベ様は我々の心の松明に火を灯してくれたのだ。立て、とあの人は言ったと俺は考えている。もうろくしたカイヘンの人々よ、世界の人々よ、己の牙を抜かれた事も自覚せぬ獣達よ、立て。そして食らいつけ、とあの人は言ったんだ」

「世界の喉笛に、か」

 コウガミが後を引き継ぐとカルマは満足そうに頷いた。

「その通り。彼のキシベ様は世界の喉笛に食らいつく、その寸前まで確かに行った。牙を剥き出しにして、己が野生と凶暴さを微塵にも隠さず、あのお方は最後の最後まで戦い抜いたのだ。その証拠に、見よ、後世の人々よ。シロガネ山に未だに張り付く空中要塞ヘキサの頂を。あれこそがキシベ様という人間の生の証。世界の喉元まで辿り着いたという執念の牙。シロガネ山はあれから何度の夏を超え、冬を耐え抜いた? 白銀の頂には未だにあの意志の塊が存在する。どうしてカントーの人々は除けられない? それはあの場所に野生が宿っている事を知っているからだ。剥き出しの感情の発露、思いの行き着く先、それが空中要塞ヘキサの形を伴って存在しているのだと、誰もが無意識に感じた。だから撤去出来ない。彼らは恐れているのだ。ヘキサという感情を」

「面白いな。ヘキサが感情か」

 少なくとも六年前には聞けなかった話だろう。コウガミは自分の興味を満たすだけではなくカルマという人間の内面を探ろうとしていた。あの時、裏切った旧友はどのような思考回路を持っているのか。どうやって生き延びたのかまで探ろうとしても無駄な事は最初から分かっている。カルマは過程など関係がない。今こそが全てだと考えているに違いないからだ。どうやって生き延びたか、どうやってリヴァイヴ団を興したか、それは語るべき事柄だとは思っていない上に、そのような些事にこだわるコウガミを嫌うだろう。

「リヴァイヴ団は最初からヘキサのためにあったのか?」

 ただそれだけは聞いておかねばならないと感じていた。数多の人々の人生を巻き込んで、ここまでやってのけた人間の根源。それは善か、悪か。コウガミの意図するところを読み取ったようにカルマは口角を吊り上げた。

「コウガミ。つまらないな」

 そうであろう、とコウガミ自身も感じていたが、問わずにはいられない。

「もしウィルとの抗争に勝っていたとしたら、お前はRH計画を私なしで進めた事になる。それは可能だったのか」

「計画は常に柔軟に、だ。もしリヴァイヴ団がカイヘンの覇権を握っていれば――いや、そのような事は万に一つもないのだが、俺はリヴァイヴ団そのものを新たなヘキサとしただろう」

「万に一つもない、という論拠は」

「あのような組織に、勝利を求められるか?」

 カルマは自身の使役していた組織でさえ、捨て駒程度にしか思っていなかったのだ。その事実に戦慄したが、同時にこれほど多角的に物事を考えられる人間もいまいとコウガミは思った。リヴァイヴ団の消滅すら計画のうちに入っていたのだろうか。コウガミはほとんど事件記者のように尋ねる。

「では、全ては計算のうちで?」

「コウガミ。お前はいつからニュースキャスターになった?」

 カルマの質問にコウガミは微笑んだ。カルマも同時に微笑んで肩を竦める。

「ナンセンスだ」

「確かに。理由を後に求めたところで」

「どちらにせよ、俺は自分しか信用してない。この蛙顔も、利用するだけ利用してやったまでだ。頭の巡りの悪いこいつを思い通りに動かすのには苦労する。一を教えるために十も二十も叩き込まなければならない」

「それも無能な部下を装って、か。気苦労が絶えないな」

 コウガミは何度か従者としてカルマが付き従っているのを見ていたので、その苦労は想像に難くなかった。カルマは、「まったく」と応じる。

「だが、これに予想以上の頭があっても、それはそれで面倒だ。これくらい馬鹿なほうが、組織の頭に据えるのにはちょうどいい。知っているか、コウガミ。馬鹿ほど高いところに昇りたがるんだ」

 カルマの冗談にコウガミは苦笑した。カルマも頬を引きつらせて微笑む。

「だからそのような下賎な人間を上司に持てるというわけか。お前の真骨頂は確かに、他人の目のあるところではない」

「そうだろう。俺は、影の存在で構わない。この世界に爪痕を残したいと感じない。その必要性がない。むしろ、そういった人間こそ全てを掌握するのには適しているのだ。コウガミ、貴様のミスがあるとすれば、ウィル総帥という立場に晒されている事だ。もちろん構成員からの目もあるし、世間の目もある。俺はリヴァイヴ団という組織内において、仮想のボスを作り出し、姿さえも窺えないボスの実権支配を成し遂げた。誰しもボスの正体に恐怖しておきながら、誰も探ろうとはしないのはボスの事を探った人間の命が長持ちしない事をみんな知っているからだ。それは間接的であれ直接的であれ、な」

 カルマがリヴァイヴ団内においてどのような支配を行ってきたのか、それは定かではない。もしかしたら、ランポや蛙顔のように張子の虎をいくつも用意し、その裏での実行支配を強めていったのかもしれない。カルマの強さの秘密に至ればそれも分かるだろう。無論、その頃には自分でさえ命があるかどうかは分からない。コウガミは身震いして、「お前は決して、力を見せないな」と口にする。カルマは口元を斜めにして、「能ある鷹は爪を隠すものだ」と返した。

「俺の力を知ったのならば、たとえ貴様だとしても生かしてはおけないな。俺は何よりも俺の力とその正体については厳しいんだ。その秘密を守れないのならば」

「重々承知しているよ、カルマ」

 自分の答えの如何次第ではこの場で首をはねる事も辞さないという覚悟も。コウガミにはよく分かっていた。蛙顔を昏倒させた事からこの部屋の中にポケモンは既に放ってあるのだろう。しかし、先ほどから全く見えず、気配すら感じさせない。もしかしたら首を落とされた瞬間ですら自覚しなければ訪れないのかもしれない。コウガミは覚えず首筋をさすっていた。

「だからこそ、俺の力と正体について知っている奴らは生かしてはおけない。この世にいてはいけないんだ」

「それが反逆者ユウキ、というわけか」

 その論法ならばカントーに引き渡す事もカルマからしてみれば不都合なのではないか。恐らくは護送途中の事故に見せかけて殺す。他にもやり方はいくらでもある。カントーやウィルの管轄に渡る前に殺すつもりだろう。

「だからなのか。今回、こんな無茶をやらせたのは」

 コウガミが口にすると、「悪いとは思っている」とカルマは口元を斜めにした。

「だがユウキを炙り出すには最早、これしかない。これでも出て来ずにRH計画阻止のみを目的とするならば恐るべき敵だが、十中八九出てくるだろう」

「そのこころは?」

「勘だよ。裏の世界にいるとそればっかりが冴え渡ってくる」

 ロケット団時代から、と続けなかったのはカルマにはもう懐かしむような過去はないからか。自分ならばロケット団時代の昔話に華を咲かせるが、カルマには無用の長物なのだろう。カルマにとって過去とは忌むべきものであり、乗り越えねばならぬものなのだ。乗り越えて断ち切るものである過去には振り返らない。カルマの旅路には余計な手荷物は不要だった。

「私は随分と鈍ってしまった。上にいるといけないな。利権争いばかりを見せつけられたせいで変に賢しくなるばかりだ。戦士の勘、という奴は取り戻せそうにない」

 裏切っておいてよくものうのうと、とカルマは感じているだろう。だが、あの時にはそうせざるを得なかったのだ。何よりも生き残るためにとコウガミが口にすればカルマは怒るだろうか。そう考えていると差し込むように、「つまらないな」とカルマは言っていた。

「何だって?」

「コウガミ。お前はつまらない人間になった。嫌っていた上の役職に就いたからか、それともお前の生来の性質か、妙に人間臭くなったじゃないか」

「まるで六年前には人間離れしていたような言い草だ」

 返した言葉にカルマは鼻を鳴らした。

「貴様は、俺と相似の関係にあったのに、まるでベクトルの違う人間になったな。もし、六年前のメンタリティを残しているのならばこの状況さえも利用するはずだ。どこかに隠しカメラか、従者やポケモンを忍ばせて、俺の動向を監視している。俺の弱みを握り、RH計画を自分の側に引き寄せるほうが都合のいい。俺という駒も手に入る。その上にカントーに仇なす害悪の芽を摘み、先ほどの宣言も利用して反逆者ユウキも逮捕。一石二鳥どころではないな。まさしく栄光を手に出来る」

 カルマが両手の先を引っ付かせながら口にした言葉に思わず怖気が走った。やはり腐っても六年前に生還した男だ。裏は掻けそうにない。コウガミは、「……出て来い」と指を鳴らした。その直後、コウガミの身体がしぼみ、空気が抜けた風船のようにその場に皮ばかりになった身体が倒れ伏した。コウガミは空間を破ってポケモンと共に出てきた。カルマが鼻を鳴らす。

「身代わりによって自らのコピーを作り、俺との会話を客観的に聴く。その後に応じるかどうかは自分で判断する。なるほど、賢明だ。俺と話す事を人質宣言時から読んでいるとは、六年前に裏切った腕はまだ鈍っていないようじゃないか」

 カルマが乾いた拍手を漏らす。コウガミはポケモンをモンスターボールに戻して、「いつから気づいていた?」と尋ねた。

「気づいてなどいない。かまをかけてみただけだ」

「本当か?」

「喋り過ぎれば俺の力を明かすようなもの。種明かしは趣味じゃないんでね」

 カルマがにたりと口角を吊り上げる。コウガミはフッと笑みを浮かべ、「伊達ではないか」と呟いた。

「ウィルと互角以上に渡り合ったリヴァイヴ団のボスは」

「そうだな。実際、ウィルには負けていない。あれは戦略的撤退だ。リヴァイヴ団がどれだけ衰退を重ねようが、俺さえ無事ならばまた再興の芽は芽吹く」

 その自信はどこから来るのか。この男はどこまで強欲なのだろう。

「いつか足元をすくわれるぞ」

「すくおうとした奴は数知れない。貴様も含めてな」

 覚えず指されてコウガミは作り笑いを浮かべる。カルマも微笑み、「その程度では」と片手を開いた。

「騙し合いのレートにもならない」

「そうだろうな。数知れずこのような事があっただろう」

「貴様も何度かリヴァイヴ団で暗殺対象に上がっていた。その度にこの方法で潜り抜けてきたわけか」

 センスがないが聞いて呆れる、とカルマは付け加えた。

「センスはない。ただ、言ったろう? 変に賢しくはなったと」

「確かに賢しい。俺程度に見通されたぐらいならばしらを突き通せばいいものを」

「お前にばれればもうほとんど命はないも同然だ」

「その口ぶり、俺の力の一端を少しは掴んだか?」

 尋ねる声に、「さっぱりだ」と返すコウガミだったが、実のところ掴みかけてはいたのだ。しかし、その手がかかる寸前でカルマに露見した。今さら隠し立てしたところで長生き出来る気がしないが、ここで惨殺されるよりかは少しぐらいマシな未来が待っているだろう。コウガミは、今度はカルマの対面のソファに座った。カルマが、「いやに素直だな」と口にする。

「それは皮肉か? 身代わりで自ら姿を隠していた私への」

「単なる感想だ。俺だって力を明かしていない以上ここは平等に、というところだな」

 平等であるものか、とコウガミは感じる。少なくとも今の瞬間に攻守は逆転している。

「それで、ウィルのボスは何をご所望かな」

 既にカルマに楯突こうという意思は失せていた。恐らくカルマは自分を分かっていて生かしている。事が終わればすぐに殺すだろう。何の躊躇いもなく、虫の命を屠るように。

「反逆者ユウキに最高の舞台を」

 その一言で既に求められているものは分かった。コウガミはポケッチの通信を開き、「α部隊に告ぐ。例の準備にかかれ」と命令する。

『つつがなく』という返答の声にカルマは、「ほう」と眉を跳ねた。

「そこまで読んでいたのか?」

「いや、ただ単に趣味が一致しただけだろう。お互い、いい趣味をしている」

 コウガミの言葉にカルマは笑い声を上げた。

「まったくだ。酒でも酌み交わしたいところだが、その余裕もない。俺は行く」

 カルマが立ち上がり、蛙顔を揺すった。蛙顔は頭を振った後にハッとして周囲を見渡した。

「大丈夫ですか?」とカルマが従者の声を出す。

「か、カルマ。私は、また……」

「ええ、例の発作です。お薬を」

 カルマが懐から薬の入ったケースを取り出す。蛙顔は三錠ほどを飲み込んだ。カルマの趣味ならば中身は遅効性の毒薬か何かだろう。毒に慣れさせて成り行きを見守る算段かもしれない。どちらにせよ、この男らしいと感じる。

 蛙顔はコウガミに気づき、慌ててごまをすってきた。

「こ、これは総帥。私が、何か粗相を致したでしょうか?」

「いや、何も。お身体に気をつけて」

 自分で言ってから、これは最大限のジョークだな、と笑いそうになる。蛙顔と握手を交わし、「いずれお話しましょう」と声をかけられた。恐らくRH計画発動時にはどちらかの命はない。

「お互いに老い先は短いですが」と言ってみせたのは自分でも上々だったと感じる。蛙顔は何を勘違いしたのか、「いやいや、総帥はまだお若い」と謙遜を口にした。この場では糊塗した謙遜ほど意味のないものはないというのに。なにやら自分と蛙顔が戯曲の登場人物に思える。酷い大根役者だろう。

「カルマ。行くぞ。まったく、お前は。総帥に失礼はなかっただろうな?」

 従者気分で連れ歩いている人間に実は手綱を握られている、などとは夢にも思わないのだろう。叱責する声にカルマは、「すいません」と平謝りするばかりだった。他の団員や構成員からは侮られているに違いない。蛙顔の重役の付き人だと。実際にはそれが最大の脅威だと誰も気づかないのだ。気づかないうちに皆が命を落としている。カルマの事を知らねば、自分とて侮ってしまいそうだ。

 コウガミは部屋から二人が出て行くのを見送ってからソファに体重を預けた。この部屋にまだカルマの手持ちはいるのだろうか。一瞬だけ掴みかけたオレンジ色のポケモン。まるで幻影のように消え去ったあのポケモンの正体は何なのか。勘繰ろうとして、やめた。

「私はまだ、長生きしていたいのでね」

 コウガミは口角を吊り上げて笑った。



オンドゥル大使 ( 2014/05/17(土) 21:44 )