第八章 八節「凱歌」
黒いゴルーグが片手にポリゴンを携え、もう片方の手首から噴射剤を吹かしながら空を舞う。エドガーはゴルーグの背に乗っていた。
ゴルーグの知覚がエドガーの内奥へと光となって切り込んでくる。その意思の強さにエドガーは怯んだほどだ。これほどの強い意思を半年間燻らせ続けた。エドガーは確信する。
「ユウキ。今行く」
エドガーは意識圏で既にユウキについての情報を仕入れていた。ハリマシティはその情報一色で染まっている。ユウキの居場所を探知するのは難しくなかったが、エドガーはユウキとの接触よりも、現れるであろう脅威へと目を向けていた。ユウキと直接顔を合わせる事はないかもしれない。しかし、ユウキの助けになろう。その黄金の夢に、命を賭けよう。エドガーはその夜、ユウキが強襲したプラントに現れるそれを知覚した。
「――来る。行くぞ、ゴルーグ。ポリゴン」
エドガーの声に二体のポケモンが身じろぎし、ポリゴンは命令なしで「トリックルーム」を展開した。黒いゴルーグは初速が遅い。そのために飛び始めにはトリックルームによる補助が不可欠だった。ピンク色の立方体が足元から展開され、エドガーとゴルーグが神速を超える速度で一瞬にして高空へと飛び上がった。ハリマシティの雑多な街並みを眼下に収め、エドガーは複数の思惟が重なっている場所に敵を見つけた。既に開けられている穴から地下へと降り立つ。粉塵が舞い上がり、エドガーとそれの視界を覆った。ゴルーグは片腕を薙いで粉塵を振り払う。赤い眼をぎらつかせた半年前の怨敵、ギラティナとカガリが目の前に佇んでいる。エドガーは口を開いた。
「お前の相手はこの俺だ」
カガリは目を見開いていたが、やがてぷっと吹き出した。
「何かと思えば。大仰なパフォーマンスで出てきたのは半年前の生き残りか。殺しても殺しても、無尽蔵に出てくる。羽虫みたいだよ、あんたらリヴァイヴ団はさぁ!」
カガリの声に呼応するようにギラティナが口腔を開いて吼えた。しかし、今のエドガーはその程度では臆する事はない。エドガーは落ち着いて背後の男へと声を振りかけた。マキシとよく似た光を発している黒いコートの男だ。もしかしたら親子なのかもしれない、とエドガーは感じた。
「あんた、ここから逃げろ。これは俺とこいつとの戦いだ」
「しかし」と返事を寄越そうとした男へと、「俺は」と遮る声を出す。
「借りを返しに来た。半年前に生き永らえたこの命、拾われた命を、行くべき道へと導くために」
「何か達観しちゃっているけどさ。何? ゴルーグ黒くした程度で俺に勝てるとか思ってるの?」
カガリがゴルーグとエドガーを値踏みするような視線を向けてくる。エドガーが無言を答えにすると、カガリはにわかに笑い始めた。
「マジかよ。ウケるわ。ああ、ウケる。ウケすぎちゃってさぁ――」
カガリは天上を仰いで笑い声を止めた。不意に訪れる沈黙。固唾を呑んだ構成員達にカガリは言い放った。
「不愉快なぐらいにねぇ! 行けよ、ギラティナ! シャドークロー!」
ギラティナが赤い翼を振り払い、赤黒い旋風が巻き起こった。局所で巻き起こった斬激の嵐に構成員達は顔を伏せた。その中でエドガーだけが真っ直ぐにその風の先端を眺めていた。その切っ先が自分に至る前に、ふっと呟く。
「ゴルーグ」
その名を呼んだだけで、空間を飛び越えたようにゴルーグが前に立ち、その巨大な腕で、あろう事か赤黒い爪痕を掴み取った。カガリを始め、全員が瞠目した。
「シャドークローを、掴んだ、だと……」
ゴルーグは足元から立ち上るピンク色の立方体の中で、束ねた「シャドークロー」の爪痕を握り締め、両腕で折り曲げた。「シャドークロー」が砕け霧散する。カガリは目の前の現実を信じられないようで目を戦慄かせている。
「ま、まぐれだ! もう一度、シャドークローを――」
「無駄だ」
遮って放ったエドガーの声音の冷たさにカガリがうろたえたのを感じた。カガリの感情の波が手に取るように分かる。エドガーは目を鋭く細めた。
「ゴルーグはただ黒いんじゃない。全身に黒い鉄球を塗りつけてあるのと同じ効果を得ている。一個つけるだけで素早さが半分になるそれを、全身に、満遍なく、だ。つまり、素早さが反転するトリックルームの中ではどうなるか? ゴルーグは類を見ない最速のポケモンだ。それに比すれば、シャドークローなんて止まって見える」
エドガーは片手を掲げた。指鉄砲を作り、「まぐれだと思うのならば」と告げる。
「もう一度撃ってこい。そうすれば分かりやすい」
カガリは気圧された様子だったが、それでも隊長の矜持があるのだろう。構成員達の前で弱さは見せなかった。
「嘗めた真似を。ギラティナ、シャドークロー!」
ギラティナが再び羽ばたき、その風が空間さえも掻っ切ろうとする。半年前には勝てないと直感で悟った攻撃を、エドガーはその眼で見据え、口にする。
「――遅い」
ゴルーグが再びその手を振り上げ、今度はシャドークローを残さず叩き落した。さすがのカガリも面食らった様子で固まっている。エドガーは告げる。
「何なら、本当の姿になってみろ。この結果が信じられないって言うんならな」
本当の姿、という言葉にカガリがたじろいだのを感じた。それを知っていて生きている者がいないからだろう。カガリはエドガーを睨み据え、「後悔するぞ」と吐き捨てた。「どっちが、かな」とエドガーが返す。カガリは懐から白金に輝く球体を取り出した。朗々と声を上げる。
「白金玉の導きに従い、来やれ! ギラティナ。その真の姿を!」
ギラティナの足が仕舞いこまれ、突起が並び立つ。翼が崩れ、赤と黒で構成された爪の先のような帯を作り出す。王冠型の頭部が変形し、ギラティナの口を覆い隠した。反転世界における本来の姿に戻ったギラティナが咆哮する。その雄叫びに構成員達が竦み上がった。カガリが白金玉を掲げたまま笑い声を上げる。
「これが、ギラティナ、オリジンフォルム! これを見て、生きて帰った人間もポケモンもいない」
カガリが言い放った声に、「ならば、お前らは幸運だな」とエドガーは構成員達に目を向けた。カガリが、「何を……」と口を挟む。
「言っている? いかれたか?」
「いかれちゃいないさ。この構成員達は運がいい。三度転生したって見られないオリジンフォルムが見られて、なおかつ、生きて帰れるのだから」
カガリが屈辱に頬を引きつらせ、「この場所が無事で済むと思っているのか?」と尋ね返した。
「カタセさんはウィルを裏切った。反逆者に戦力を渡す結果になってしまった。俺としては速やかに事を収めねばならない。だから、構成員の命なんかに頓着してはいられない」
カガリの言葉を聞いて構成員達が震え上がった。エドガーは、「心配はいらない」と声を出す。
「誰一人として死なないさ。カタセ、とか言ったか、あんた。一度テレポートか何かで跳ぶだけの力は、そのポケモン」
エドガーが目を向ける。三日月形の頭部を持つポケモンは力なく鳴き声を上げた。本来ならばピンク色の羽衣が少し濁っている。
「まだやらなければならない事が残っているんだろう? だったら、あんたは死ぬべきじゃない」
「だが、私の部下をみすみす殺させるわけには――」
「心配はいらない」
エドガーは遮って言葉にした。
「俺がそんな隙は微塵にも与えない」
エドガーの言葉にカタセもカガリも沈黙した。カタセは信用していいのかという逡巡を、カガリは屈辱に耐えているようだった。今すぐにでもこの場を灰燼に帰したいのだろう。エドガーとゴルーグはギラティナとカガリに向き直った。
「早く行け。俺達ならば何の心配もいらない」
その声にカタセは一つ頷き、手持ちのポケモンにテレポートを命じた。カタセの姿が掻き消えていく。カガリとギラティナが動いた。
「行かせるか! ギラティナ、シャドークロー!」
ギラティナの背中から伸びた帯がカタセを射程に捉え、赤黒い疾風を撃ち込んだ。空間を捻りながら直進した暴風のような一撃は、しかしカタセまでは届かない。素早く動いたゴルーグが全身から蒸気を迸らせ、平手を一閃した。それだけでシャドークローの嵐は掻き消された。
「何を……」
「同じような突風を起こさせて相殺させた。最早、その技は通用しない」
それに、とエドガーはカガリとギラティナの繋がりを視る。カガリの強い精神力に呼応しているようだが、やはり腐っても伝説のポケモン。相当な自我が存在し、それがポケモンとトレーナーの境界を明確にしている。もっとも、それがなければ今頃カガリ自身がギラティナの持つ闇に呑まれているだろう。それだけ愚鈍という事か、とエドガーは理解した。半年前には圧倒的なプレッシャーの塊として存在した敵が、てんでバラバラの方向性を向いている事にエドガーは苦笑を漏らす。その笑みをどう解釈したのか、「いい気になるなよ」とカガリが喉の奥から声を搾り出す。
「シャドークローを防いだ程度で。この建物ごと、バラバラにしてやるよ! ギラティナ、シャドーダイブ!」
ギラティナの姿が融けて弾け飛ぶ。影の雨となったギラティナが空間に染み渡り、このプラントごと消し去るかに見えた。しかし、ゴルーグとエドガーの眼に迷いはない。エドガーは素早く片手を薙いだ。余計な言葉は必要なかった。
「引きずり出せ」
その言葉に呼応したゴルーグが全身から咆哮を発した。ゴルーグの姿が掻き消え、次の瞬間、空間のある一点に向かってゴルーグは突きを放った。その一撃が空間を割った。ガラスのように空間が砕け、内部に紫色の何かが見えた。ゴルーグが吼えながら膂力に任せてそれを引きずり出す。そこにあったのは脊髄と僅かな臓器だけを身体に残したギラティナだった。ギラティナが「シャドーダイブ」によってこの全空間に染み渡る前に、ゴルーグは空間からギラティナを引きずり出したのだ。しかし、そのような事が理論上で可能なはずがなかった。カガリは狼狽し、「嘘だ!」と喚く。
「俺のギラティナが、こうも簡単に……」
「お前らはそれぞれの力のベクトルが強い。だからこそ、強大な敵だった。だが、そのベクトルが異なれば異なるほどに隙は生まれる。ギラティナがお前を必要としていないように、お前も本質的にはギラティナを必要としていない。お互いに強いから。だからこそ、お前らには一生分からないだろう。俺と、ゴルーグの事など」
エドガーが目を細める。その眼差しに浮かんだ憐憫の情にカガリは苛立ちをぶつけた。
「何だよ。何だって言うんだよ! その眼は! 半年前のゴミが今さらに!」
カガリの声にギラティナは分裂させていた自己を修復させて身体を元に戻した。「シャドーダイブ」による闇討ち戦法から切り替えたのだ。
「……だったら、お前らを奪ってやるよ。これが本当のシャドーダイブだ」
王冠の装飾である口元が割れ、ギラティナが地獄の底から響くような声を発する。
その直後、ゴルーグの肩口を何かが抉った。エドガーが肩を押さえる。エドガーの肩口も同じように何かに浸食されていた。その正体を見極める前に、もう一撃がゴルーグの腹部に突き刺さる。今度はエドガーにも見えた。それは黒い球体だ。球体が空間ごとゴルーグの身体に攻撃を加えているのである。
空間を侵食する「シャドーダイブ」の応用であった。任意の空間を切り取り、ダメージを与える。本来のシャドーダイブのような一撃必殺ではないが、じわじわとなぶり殺しにするにはこれ以上ない適役の技だ。
エドガーがよろめくとゴルーグもよろめいた。その反応を観察したカガリが、「そうか」と声を発する。
「お前ら、同調関係に近いのか。だから俺の攻撃も見切られたわけだ。化け物相手だったのならギラティナの攻撃が無効化されたのも頷ける。そうでなければ、ゴルーグ程度に遅れを取るなど」
黒い球体が細やかな粒の残滓を残しゴルーグの膝頭を食った。ゴルーグに併せてエドガーも膝をつく。鋭い痛みの中、感知野の網が揺らいだのを感じた。涅槃の光が薄らぎ、本来の視野に戻りつつある。
「こんな時に……」
エドガーは忌々しげに呟き、額を押さえた。まだだ。まだ持ってくれ。それだけを願う。しかしエドガーの意思とは裏腹に涅槃の光が溶けて消えようとしている。
ゴルーグがオォン、と吼える。エドガーも腹腔から雄叫びを上げて奮い立たせようとしたが、身体は言う事を聞いてくれない。限界が近い、とエドガーは客観的に自分を分析した。このままでは、と萎えかけた意思の緩みにゴルーグが反応して涅槃の光がさらに薄らぐ。エドガーは深海に没するような身体の重さを感じる。今まで優勢に立っていたのが嘘のようにギラティナのプレッシャーが圧し掛かってくる。
押し潰される、とエドガーは覚悟した。赤い眼がぎらついてエドガーを見下ろす。この赤い眼に半年前には手も足も出なかった。今もまた、同じように食い尽くされるというのか。
「……違う」
エドガーは喉の奥から声を発した。黒い球体がゴルーグに撃ち込まれる。しかし、エドガーはよろめく様子もなく立ち上がった。カガリが片手を薙いだ。視界を横切るように黒い球体が鈴なりになって展開される。エドガーはカッと目を見開き、息を吐き出すと同時に応じるように片手を薙いだ。ゴルーグが連携して動き、振るった拳が赤い光を帯びて空間に線を引く。すると黒い球体が弾け飛び、シャボン玉のように連鎖して割れた。カガリが信じられないような眼差しをゴルーグとエドガーに向ける。その眼に浮かんだ恐怖にエドガーは口にしていた。
「恐れているな」
「恐れている? 俺が、か……。馬鹿な。ギラティナを操る俺に恐れなど――」
「慢心だ」
遮って放った声にゴルーグが肩口から蒸気を迸らせて跳び上がった。赤く発光する拳を振り翳し、ゴルーグはギラティナへと飛びかかった。ギラティナが赤い帯状の翼を展開しシャドークローで迎撃しようとする。ゴルーグはもう片方の手を前に翳し、壁のように立てた。その掌から空間を震わせる波動が発せられ、シャドークローが減衰する。
怯えたようにシャドークローの波が弱体化した。ゴルーグは脚部を仕舞い込み、推進剤を焚かせる。ギラティナの懐へと肉迫したゴルーグは赤い拳を打ち込んだ。その直後、空間が鳴動し打ち込まれたギラティナの肉体に亀裂が走った。
「鋼タイプの技、ヘビーボンバー。重ければ重いほどに威力が上がる。今のゴルーグの重さは、ギラティナ、お前の何倍だ? その威力を食らい知れ」
赤い拳が今にも爆発しそうなほどに膨れ上がり、ギラティナの身体を圧迫する。カガリは手を振り翳して叫んだ。
「シャドーダイブで無効化しろ!」
「逃がすか」
ゴルーグのもう片方の手から拳が放たれる。カガリは、「馬鹿め!」と声を発した。
「ギラティナはゴースト・ドラゴンタイプ。ただの拳など避けるまでもない」
「ただの拳? そう見えるのか、お前には」
エドガーの声にカガリが反応する前に、ゴルーグの打ち込んだ拳がギラティナの首筋に命中した。ギラティナは完全に避けられると思っていただけにダメージは大きい。王冠型の頭部に皹が入り、打ち込まれた箇所の肉が弾け飛んだ。ギラティナの叫び声が木霊する。カガリは、「……何故」と呻いていた。
「ミツヤ。お前のお陰だ」
呟かれた言葉にゴルーグの拳の命中箇所にある的をカガリは発見した。エドガーは最初から涅槃の光でミツヤがその場所へと拳を導いているのが見えていた。その時になってようやく、「ああ」と声を発する。
「そうか、ミツヤ。お前は半年前に。……だが、仇は討ったぞ」
ミツヤのポリゴンZが半年前に「トリック」でギラティナに埋め込んだ道具、狙いの的の効果だ。ギラティナにはタイプ相性が関係なく、全ての技が命中する。この半年間、カガリは実戦などまともに行ってこなかった。ほとんど指揮だけで済んだ。そのせいで半年前につけられた傷を見落とした。
エドガーは雄叫びを上げる。
それに呼応してゴルーグが下半身から推進剤をさらに噴かし、咆哮した。叫びと共に拳が打ち込まれる。
ゴルーグの拳がギラティナの頭部を破砕する。ひしゃげた頭蓋を晒したギラティナがよろめく前に、もう一撃が下段から打ち込まれた。ギラティナはゴルーグの間断ない拳の応酬に呻く間もなく、ましてや避ける事など叶わない。ギラティナの攻撃が巻き起こる前にゴルーグの重い追撃がそれを掻き消す。ギラティナの意識の一点が消えかけた。それをエドガーも感じ取った直後、ピシリと何かに亀裂が走ったのを音で感じた。エドガーが目を向けると、ギラティナとゴルーグを中心として黒い渦が巻き起こっていた。その渦は最初、墨を落としたかのような一点だったが、すぐに巨大な暴風と化した。煽られながらカガリが呆然と口にする。
「もう、いいや。ここでギラティナが殺されて、俺が負けるくらいならよ。相打ちに持ち込んでやる」
「何のつもりだ」
エドガーの声にカガリは頬を引きつらせて笑みを浮かべた。
「反転世界さ。本来、ギラティナはそこにいたんだ。そちら側へと、お前ら全員を引き込む。悪いな、カタセさんの部下達。お前らも巻き添えだ。この場にいる全ての人間が、ギラティナへの手向けになるんだよ」
カガリは腹を押さえて嗤った。狂気の笑い声だった。最早、カガリは勝ち負けという些事に拘っているのではない。この場で自分のギラティナが敗北を喫し、生き永らえる事がどれほどウィルの士気に影響するのかを理解している。
β部隊のために、という思惟が流れ込んできてエドガーは睫を伏せた。彼もまた、自己よりも他を尊重する人間だった。ミツヤや部下達を殺した人間が、自分と似ている精神である事にエドガーは思わず自嘲した。
「お前のやり方もまた、王道か。しかし、俺は無関係の人間に死ぬ事をよしとしない」
エドガーはゴルーグへと思惟を飛ばす。ゴルーグはギラティナを押さえ込んだ。ギラティナが口腔を開き、そこから紫色の光条を放つ。一条の光がゴルーグの胸元を捉えた瞬間、黒い球体となって胸を抉った。その一撃はエドガーへと還ってくる。エドガーは奥歯を噛み締めてそれに耐える。ゴルーグは胸元の絆創膏のような意匠が剥がれ落ちていた。
直後、ゴルーグから眩いばかりの光が放たれる。黒いゴルーグは全身から蒸気と光を滅茶苦茶に放出した。ゴルーグは胸元の安全装置が剥がされると暴走する。古代の人々がそう造ったのだ。
ゴルーグの力の意思に呑み込まれそうになりながらエドガーは踏ん張った。ここで戦わないでいつ戦うというのだ。エドガーは涅槃の光によってゴルーグとの繋がりを自覚し、同期した架空の手でギラティナの頭部を押さえた。首根っこを捻り上げると、ギラティナがさらに黒点を広げながら乱雑な声を上げる。最早、ギラティナもその攻撃を制御出来ていない。反転世界に全てを追いやる気だ。エドガーは、「ゴルーグ!」とあえて呼んだ。
「このままこいつに反転世界の扉を開かせるわけにはいかない。犠牲はもう、俺たちだけでいい」
その言葉に応じたのはトリックルームを張っていたポリゴンだった。ポリゴンは進み出て口元にオレンジ色の光を回転させ球形に凝縮した。直後、放たれた光――破壊光線がギラティナに命中する。怯んだギラティナをゴルーグは膂力で一気に端へと追い込んだ。黒い渦がギラティナとカガリ、ゴルーグとエドガー、ポリゴンを呑み込んでいく。その瞬間、エドガーは小さな声を聞いた。
――サヤカちゃん。あとは……。
カガリの声だったのだろう。カガリにも託すものがあったのだ。誰にだって意思はある。後に続く者へと望むもの。それが潰える事こそ命が消える事よりも恐ろしい事をエドガーはよく知っている。
「俺達だけだ。全て、因果は終わりにしよう」
エドガーは自ら黒い渦の中へと飛び込んだ。ギラティナもその向こう側へと消えていく。エドガーは涅槃の光から切り離されるのを感じた。反転世界にはないのか、瀕死のギラティナとゴルーグ諸共、空間を捩じ切って光の一片すら吸い込もうとする。エドガーはゴルーグに最後の命令を下した。それは反転世界への扉を閉ざす事だった。ゴルーグが白い眼窩を向けてくる。いいのか、と問いかけているようだった。エドガーは穏やかな声で、「いいんだ」と告げる。
「俺達の役目はここまでだ。きっとユウキとランポは繋げてくれる。あいつらはそういう奴らだ。道を作るのは俺達の役目。導くのはあいつらの役目だ」
明日へと続く希望へと、それこそ勇気で傷ついたこの土地を癒してくれるだろう。
「お前は、何者だ? 何故、こうまでする?」
ほとんど上下感覚の消え失せた虚空の中でカガリが問いかける。自己犠牲を厭わぬエドガーの姿勢に敵ながら感じるものがあったのだろう。エドガーは答えた。
「リヴァイヴ団……、いや、違うな」
エドガーはカガリを見据えてずっと持っていた言葉を発する。
「――俺は、ブレイブヘキサのエドガーだ。俺を導いてくれた人達のために、俺は戦う。たとえ終わりがなかろうと、終わりを貫き明日へと繋ぐ。それがブレイブヘキサだ!」
ゴルーグが振り上げた拳がギラティナに命中し、ギラティナの最後の一片が反転世界へと吸い込まれた。ゴルーグとエドガー、ポリゴンもその向こうへと消えていく。エドガーは、「あばよ、ユウキ」と別れを告げた。
「また会おう」
その言葉に応えるものはなく、暴風と黒点が消え去ったその場所には残された構成員達が立ち竦んだ。
空間そのものが抉り取られており、彼らは目の前で消えた二人の人間と三体のポケモンの事を、ずっと心に留める事を決意した。誰かがウィルの凱歌を歌い始める。それは次第に伝播していき、その場にいた全員が消えていった戦士に歌声という手向けを捧げた。