ポケットモンスターHEXA BRAVE












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第八章 四節「惑い人」

 ゴルーグで集めた薪は三日で尽きたので、エドガーは自分の手足で薪集めに奔走し、片や黒い鉄球の運搬を手伝い、ヤサブロウの話す下界の様子を聞いた。

 ゴルーグを出さない日常はいつしか生活と一体化していた。

 戦いのない日常。ありえたかもしれない平和な日々。それを今、エドガーは消費しているのだと感じていた。今までの貯金が貯まっていたのか、平和な日々には特別な事は何一つとして起こらない。朝靄と共に起きて、暗くなれば就寝する。自然と一体となって、エドガーは穏やかな日々を手に入れた。しかし、頭の片隅にあるのはいつでもランポやミツヤの事だ。ミツヤはあの後どうなったのか。ランポはどのように事態を収束させたのか。老師が聞きたがらない代わりに、エドガーはヤサブロウの話す下界の情報に聞き入った。あの後の情報が少しでも欲しい。何のためになるのかは分からない。しかし、必要に迫られているように感じた。

 ヤサブロウの言葉によれば、リヴァイヴ団は消滅したと言う。その言葉を聞いた時にはさすがに絶句した。

「消滅……」

「そう。正しくはウィルによる統治が百パーセント成功したという事なんですけど、あまり実感はないですね。ヤマトタウンの方面にはリヴァイヴ団とウィルの抗争は縁遠いものだったんで」

「そう、か……」

 ではランポは? ミツヤはどうなった? 急かすように訊きたい衝動をぐっと抑え込み、「頭目は?」と冷静に聞く事が出来た。ヤサブロウが、「それがお咎めなしらしいですよ」と潜めた声で告げる。老師は扇子で自分を扇ぎながら、興味がないのか空を横切る鳥ポケモン達に手を伸ばしている。

「お咎めなし?」

「そう。それどころかウィルの中でも特殊な部隊に入ったとか。ここから先の情報は一般には流れてきませんけどね。生きている事だけは確かみたいです」

 それを聞いて少しだけホッとした。ランポが生きている。ならば持ち直す可能性もあるのではないか、と考えたが、甘く浮かんだ考えを否定する言葉が響いた。

「でも、リヴァイヴ団はウィルによってほとんど壊滅。頭だけ残ったってどうするんだか」

 それは一般大衆からしてみればそうだろう。しかしリヴァイヴ団という一組織に身を置いていた人間としてみれば穏やかではない。ランポは生きて、どうなるのだろうか。ウィルによって拘束、ありえない話ではない。浮かんだ思考を振り払うように、エドガーは額に手を当てて頭を振った。

「ウィルは、次に何を……」

「さてねぇ。ただ明らかになっている事実が一つだけありますけど」

「それは」とエドガーが問い詰める。ヤサブロウはエドガーに対して、「それがね」と潜めた声を出した。

「反逆者がいるみたいなんですよ。ウィルのα部隊を下して、カイヘンに仇なす敵が。ウィルはそれを追う事でリヴァイヴ団残存勢力と合意。リヴァイヴ団は出せる情報を出し惜しみせずに反逆者の追跡に決めたみたいです。まさしく世界の敵というわけですね。何だかロケット団とヘキサの再現みたいで私達はあまり好ましく思えないんですが……」

 濁した言葉の先を聞く必要があった。

「その、反逆者っていうのは」

 ヤサブロウはちらりと老師を見やってから、「ユウキです」と告げた。

「反逆者、ユウキ。それこそウィルが追う世界の敵です」

 その言葉がにわかには信じられなかった。ユウキが? 何故? 認める云々の前に思考が追いつかない。

「ウィルの隊長格がやられたらしいですよ。ウィルは士気に関わるといって伏せていますけれどネット上ではバレバレですね」

 ヤサブロウは両手を開いてみせる。エドガーはしばらく硬直していたが、やがて口を開いた。

「本当に、反逆者の名前はユウキだと?」

「ええ。レナ・カシワギなる人物を人質にして逃走中との事です。まさかこの樹海までは来ないと思いますが、一応、エドガーさん、老師を頼みます」

 エドガーの腰にあるホルスターのモンスターボールに視線を落としながらヤサブロウはこぼす。エドガーは目を見開いたままわなわなと震わせた。老師はと言うと端から話には興味がないのか口笛を吹いている。エドガーは嫌な汗が背中を伝うのを感じた。ヤサブロウはこう続けた。

「広域指名手配されているのでカイヘン中じゃ居場所がないはずなんですけどね。まだ見つからないみたいです。こういう人気のない場所に逃げてくる可能性も視野に入れて、今、ウィルが監視の目を光らせているみたいですよ」

 ヤサブロウの言葉をエドガーは話半分に聞く事しか出来ない。ユウキが、自分と絆を交わし合った相手がそのような卑劣な真似に及ぶはずがない。その確信はあったが、しかし、エドガーは口には出来ない。ヤサブロウが帰ってから、老師へと声を振り向けた。その声音が微かに震えている。

「老師。俺は、どうすれば……」

「お前さん、ヤサブロウの話にあった奴とは知り合いなのかい?」

 その質問に答えるのには数秒を要した。一つ息をついて、「仲間だ」と答える。老師は頷いて、「なるほどな」とシソ粥を自分の茶碗に盛った。エドガーは夕食が喉を通る気がしなかった。エドガーが立ち竦んで柱を握り締めていると、「そんな事をしたところで何が変わるわけでもあるまいし」と老師が口にした。

「仲間だって言うんならなおさらだ。今はまだ、動いたって仕方がない。分かっているんだろう?」

 老師の目がゆっくりと茶碗からエドガーへと注がれる。老師に言われて初めて、何故、自分が戸惑っているのかの正体がはっきりした。自分は仲間を救いたいだけではない。勝てなければ意味がない事を知っているのだ。勝てなければ、またミツヤの時と同じような苦渋を噛み締める事になる。老師は、「気張って待て」と告げた。

「お前さんの今の迷いの胸中じゃ、まともな戦力にもなるまいて。大きな力に呑まれるのがオチだ」

 大きな力、という言葉に無条件にギラティナの威容が思い浮かんだ。一矢報いる事も出来なかった相手。自分とゴルーグが同時に敵わないと認識した相手だ。敵前逃亡の醜態を晒している。エドガーは恥じ入るように顔を伏せた。

「俺は、何も出来なかったんだ……」

「何も出来なかった事を知っている、悔いているという事は何かを成せるだけの器量も持っているという事だ。ワシはおべっかもお世辞も言うつもりがないからはっきり言わせてもらうぞ。お前さんの今の心では、決してその力には勝てん」

「やはり、俺が未熟だから――」

「話は最後まで聞け」

 老師が箸でエドガーを指差す。

「今は、と言っただろう」

 その言葉にエドガーは思わず踏み出した。

「今じゃなければ、いつかは勝てる機が来るという事なのか?」

 逸る気持ちを抑えながらエドガーは老師へと詰問したが、老師は首を横に振るばかりだった。

「分からん。お前さんが真に何に勝ちたいと願っているのか」

「それなら俺が知っている」

 エドガーは胸元に手をやった。胸元に反転した「R」の教示がある。小さなバッジだが、エドガーはそれに自分の全てを賭けてもいいと感じていた。

「俺は組織に忠義を尽くすと誓った。でも、それは同時にある人への忠義でもあった。その人が惑っているのならば俺は救いの手を差し伸べねばならない」

「しかし、お前さんもまた、惑い人だ」

 老師の淡々とした声音にエドガーは言葉をなくした。老師は全てを分かっているかのように頷く。

「好きなだけここにいろ。まだ、その時ではない」

「じゃあ、いつがその時なんだ!」

 エドガーは柱を殴りつけた。焦燥が胸を焼く。今動き出さなくていつ動くというのだ。ランポの消息も分からず、ユウキは反逆者。このような状況で自分が動かなくって誰が――。陥りかけた思考の迷宮に、「これ」と老師が口を挟んだ。

「そう物事を狭く考えるもんじゃないよ。それに柱を叩くな。この家はそうじゃなくっても脆いんだ」

「老師。あんた、俺を引き止めるだけ引き止めて、何がしたい」

 眼鏡越しに睨む目を寄越す。しかし老師は怯む様子もない。

「あんたの本当の目的は何だ?」

 問い詰めた声に、「目的、ねぇ」と老師は顎鬚をさすった。

「特にないな。黒い鉄球を運ぶ人員が減るのは、今は好ましくない。その程度か」

「そんな理由で、俺をこの場に!」

 何もないこの場所に引き止めようと言うのか。エドガーは身を翻そうとして、「まぁ焦るなよ」という声が背中にかかった。

「お前さんはあれだな。すぐに判断を下したがるな」

 エドガーは扉にかけた手を強張らせて、「当たり前だ」と吐き捨てる。

「仲間だと言った。大切な人だと言った。守りたいものだと言った。だというのに、あんたは何の権利があって俺を止めようとする?」

「権利?」

 老師はエドガーの言葉を繰り返して、「ふむ」と自分の中で咀嚼しているようだった。老人の理解に合わせていれば腐り落ちるのを待つばかりだ。エドガーは足を踏み出そうとして、「一宿一飯だ」と告げる声に引っ張られた。

「何だと?」

 振り返ると、老師は真面目腐った顔で、「一宿一飯の恩義」と口にする。

「お前さんはそれを感じていた。ここにいてもいいのか? とも聞いた。一種の契約だ。ワシとお前さんの契約。ワシはお前さんを労働力として使う。その契約を勝手に反故にされては堪らん」

 エドガーは拳を握り締めて、歯を食いしばる。

「ふざけるな。誰がそんな……」

「少なくともワシはちゃんと聞いたぞ」

「隠居老人の世迷言など!」

 口走った声に老師は何度か頷いてから、「しかし約束は約束」と告げる。

「果たしてもらおう。それにお前さんにはポケモンの使用を禁じている」

「口約束だ」

「しかし、一度守った誓いを、お前さんは勝手に破るのか? そこまで薄情ではあるまい?」

 老師はエドガーの心を完全に理解しているかのようだった。簡単には裏切れない。それを分かっているのか。分かっていてこのような言葉を口にしているのか。エドガーは頬を震わせて呻り声を発する。

「やはり、獣だの」

 老師はその様子を面白がって茶化した。エドガーからしてみれば笑い事ではない。

「俺を嘗めるな! 行け、ゴル――」

 ホルスターに手を伸ばしかけて、エドガーはその手が抜けない事に気づいた。老師が片手を開いてエドガーの手を掴もうとしている。その手が握り締められると、きりきりと手首を万力がひねるような痛みが走った。

「何、を……」

 苦悶の表情を浮かべながらエドガーが口にすると、「だから守れと言うとるに」と老師が言った。

「お前さんはワシに言われた次の瞬間からポケモンを使う事は出来んのだ。それはお前さんをワシが交わした契約だろう」

 老師が手を拳に変える。エドガーの手がきつく締まった。エドガーが覚えず手を開き、呻き声を漏らす。その場に膝をついたエドガーへと老師は神託のように告げる。

「ここではポケモンは使えん」

「……何の真似だ。妖術など」

 エドガーの言葉に老師は目を見開いて快活に笑った。心底可笑しいと思っているような笑い方だった。

「妖術など、時代錯誤だの」

「あんたに言われたくは――」

 ない、と発しようとした矢先、老師は急に目を細めて、「傷を癒すのもまた戦い」と口にする。

「言ったろう。今のお前さんは手負いの獣だと。手負いの獣のままで、どうやって敵の喉笛に噛み付くというのだ。決死の覚悟? その意気やよし。しかし、その後に息絶えるのでは、あまりにも儚く虚しくはないか?」

 エドガーは言う事を聞かない片腕を押さえながら、「それでも!」と声を張り上げた。

「獣は向かわねばならない時がある!」

 老師はその言葉を充分に吟味するように目を伏せた後に、息を吐いた。

「なるほど。獣として育った性か。しかし、お前さんをただ死なせるためだけにワシはこの場にいる事を許可したわけではないぞ」

「許可を乞うた覚えはない」

「これは驚いた。一昨日の殊勝な態度が嘘のようだ」

 老師は笑ったが、エドガーは一笑もしない。やがて、老師は、「急くものではない」と短く、はっきりとした口調で告げた。針のようなその言葉に縫い止められたかのように動けなくなる。

「今は羽を休めよ。空を舞う鳥ポケモンはずっと飛んでいられるか? 空を統べる竜のポケモンもずっと飛んでいるわけではあるまいよ。羽を休めているはずだ。お前さんは、今は、羽を休める時なのだと何故気づかぬ」

「俺自身がその必要性を感じない」

 売り言葉に買い言葉とでもいうように、お互いに一歩も譲らない。老師はにたりと口角を吊り上げた。

「その度胸と言うべきか、度量と言うべきか、それは買おう。しかし、このような老人一人に屈せられるその身では行ったところで意味はあるまい?」

 言葉が出なかった。確かに得体の知れない老人如きに食い止められるのではギラティナには――ミツヤの仇には届かない。エドガーは両拳を握り締め、床を叩きつけた。荒い息をつきながら、「ならば、これも約束だ」とエドガーはキッと老師を睨み据える。

「あんたの拘束が解けるほどの実力者になった時には、あんたが禁じたポケモンも関係ない。俺は勝手に行かせてもらう」

 一日でも、二日でも早くに行かねば。そのために結んだ妥協案だ。老師は、「乗った」と笑う。

「面白い。その恐れるもののない心がどこまで通じるか、見せてもらおう」

 恐れるものならばある。このまま何も出来ない事だ。しかし、エドガーは口にしない。この老師との戦いは既に始まっている。弱さを見せるのでは老師に食い潰されるだけだ。エドガーは鼻を鳴らした。

「少なくとも、あんたに見せるようなものじゃない」

「どうだかな」

 老師は笑って手を収めた。エドガーの手首を締め付けていた力が緩み、エドガーは息をつく。どのような原理なのか、まるで理解出来なかった。

「最後に一つ。あんたの、術……」

 そこまで言ってから、老師の言う通り時代錯誤の言葉だと気づき、言い直す。

「いや、能力は何だ?」

「能力?」

 老師は片眉を上げて瞠目する。まるで自分自身、その言葉に違和感を覚えているかのように。エドガーは片手を振って、「能力以外に言いようがないじゃないか」と言葉を継いだ。

「そのような大層なものではあるまいよ。言うなれば、これは呪いだな」

「呪い、だと」

 その言葉の意味するところを解そうとして、「いいから、飯を食え」と顎でしゃくった。

「腹が減っては戦も出来ぬ。ワシとの戦にも勝てんぞ」

 エドガーは憮然として老師の前に座り、用意された食事を取った。シソ粥をかけ込むように食すエドガーは喉に詰まらせた。思わずむせて何度か胸の上を叩く。老師が、「不器用よの」と汁をすすった。



オンドゥル大使 ( 2014/05/02(金) 21:48 )