ポケットモンスターHEXA BRAVE












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第八章 二節「老師」
 近づけば近づくほどに遠ざかる呼び水のように老人は不可解な人物だった。

 何故、ロクベ樹海に住んでいるのか。一泊の宿を借りた朝に、朝食の雑炊を食べながらエドガーは尋ねた。老人は、「そうさなぁ」と中空を見つめながら、「では、この世にあまねくポケモンは何故、存在している?」と尋ね返した。突然の質問にエドガーは面食らって、「いや、俺には」と言葉を濁す。

「それと同じだよ」と老人は告げて汁をすすった。

「収まるべきところに人は収まるものだ。ワシも然り、お前さんも然り」

 達観したような言葉に、「はぁ」と生返事を返す事しか出来なかった。エドガーは一宿一飯の礼として何か出来る事はないか、と尋ねていた。正直なところで言えば、逃げたかったのかもしれない。数多の命を見捨てたという現実から。老人は拒みもせず、「そうか」とだけ言って、「では薪運びと薪割りを頼もう」とエドガーに言った。自分にも出来る事があるのが今はありがたかった。

「あんたの事は、なんと呼べばいいだろう」

 エドガーの素朴な問いかけに老人は、「老師、とでも呼んでもらおうか」と口にしてにかりと笑った。エドガーは、「では老師」と呼ぶと、老師はとても満足そうに微笑んだ。

 エドガーはゴルーグを使って薪を一気に集めた。ゴルーグの頑強な身体と膂力があれば、二日や三日ほどの薪を集めるのは難しくなかった。しかし、老師はそれを戒めた。

「ポケモンを使う事を禁ずる」

 最初、言われた意味が分からなかったエドガーは、「どうして?」と聞き返す。

「そのほうが、効率がいい」

「効率云々の問題ではない。お前さん自身の問題だよ」

 エドガーは二の句を継げなかった。その日の薪割りはエドガー自身がやる事になった。三日分の薪を割るのは骨が折れる。エドガーは汗だくになりながら薪を割り終え、板の間に突っ伏していた。

「ご苦労さん。次は薪を火にくべてくれ」

 老師の指示に、「分かった」とエドガーは起き上がった。エドガーを横目にしながら、「休まないのか?」と老師は尋ねる。エドガーは顔を振り向けて、「今、あんたが命令しただろう」と口にする。老師は、「それだよ」と指差した。

「それ、というのは?」

「お前さん、一宿一飯の恩くらいでそこまでやるんだ。きっと、誰かに仕えている時にはもっと無茶しただろう」

「無茶なんて」

 エドガーはランポの事を思い返す。ミツヤ達の顔が浮かびかけて頭を振った。

「した事がない。俺は、俺の出来る事をしているだけだ」

 エドガーの言葉に老師は、「ふぅん」と神妙な声を漏らす。エドガーは薪を火にくべながら、「いつからこんな生活を?」と話題を逸らすために訊いていた。

「もう八年ほどだな」

 老師は米をとぎながら答える。八年、という月日にエドガーはヘキサ事件との関係を疑わざるを得なかった。

「それは、何かあったのか……」

「そうだな。人間爆弾にされかけた」

 放たれた言葉にエドガーは心臓が収縮したのを感じた。息を詰まらせて老師の顔を見やる。老師は肩を竦めた。

「知らぬうちに」

「じゃあ、あんた、あの場にいたのか」

「あの場って言うのは空中要塞の事か」

 米をとぐ音を響かせながら老師は聞き返す。エドガーは火を起こしながら頷いた。老師は目を細めて遠くを眺めた。

「そうさなぁ。ワシは元々、あの街で生活していたからな」

「タリハシティ、か」

「今はない街だ。カイヘンの民はその名前を出す事を嫌うだろう。記憶の中から追いやりたいのさ」

 老師の指摘にエドガーは沈黙を返した。タリハシティにいたという事は空中要塞ヘキサにおける戦闘を見たのだろうか。エドガーは尋ねてみたい気がしたが、同時に聞いてはいけないような気がしていた。

「ほれ。今日はオニスズメの山賊焼きだ」

 既に皮を剥いであるオニスズメを三匹分、老師は寄越した。

「どこからこんな……。ポケモンもなしに」

「運んできてくれる奇特な奴がいるのさ」

「この樹海にか?」

「そうとも。三十六番特設道路を使ってな」

 にわかには信じられない話だったが、エドガーが薪を取ってきている間にでもその来訪者はあったのかもしれない。エドガーはオニスズメをさばいて、山賊焼きをこしらえた。

「慣れているもんだな」

 その手つきを見つめていた老師が口を挟む。

「昔、自分一人で生きていかなくちゃならない時があったからな」

 養父母に預けられた当初、エドガーは自分でやらねば誰もやってくれない事を痛感して、料理を学んだ。長らく使っていなかったが、それでも手先はなまっていなかったらしい。

「そうか。なるほどな」

 老師の納得を他所にエドガーは山賊焼きを作っていた鍋を開けて、白米の鍋を置いた。老師が快活に笑う。

「これでワシがしばらくは料理する必要はなさそうだな」

 エドガーはいつまでここに置いてもらおうか考えていた。何かしらの口実を作ってしばらくは人里離れた場所にいたいと思っていたので、老師の言葉は渡りに船だった。

「ここに、置いてもらえるのか?」

 老師は煙管を吹かしながら、「まぁ、お前さん次第だが」と前置きする。

「いたいだけいるといい。ワシの手伝いもしてくれると助かる。何分、老人の隠居暮らしだ。孤独死は、ワシゃ、怖いからな」

 何も恐れていないような口調でよく言う、とエドガーは呆れながら煙管がくゆらせる紫煙を眺めていた。

「感謝する」

 エドガーが佇まいを正して頭を下げると、「やめるんだ」と老師は幾分か冷静な声で告げた。

「お前さんには、そういうのは似合わないっていうのが見りゃ分かる。本当に仁義を通そうとする相手以外には、決して心を開かない性質だろう」

「少なくとも恩義は感じている」

「一宿一飯だ。そう重く感じ取る必要はないさ。ワシの仕事には力仕事も入っている。それを手伝ってもらえると助かるがな」

「力仕事?」

「お前さんが薪を取ってきている間に今日の分は済ませた。まぁ、残りは明日なんだが、米が炊けるまでに見ておくか?」

 老師は立ち上がり、指先でエドガーを手招いた。エドガーも立ち上がってそれに続くと、家屋の裏庭に出た。裏庭の奥まった場所に地下に潜る階段があった。エドガーが怪訝そうな眼差しを送りながら階段を降りる老師の背中を追う。地下からむんとした熱気が立ち上り、エドガーは額に浮いた汗を拭った。

「これは、何だ?」

「見りゃ分かるさ。なに、もうすぐだ」

 老師の言葉通り、階段を降りてしばらく突き進むとすぐに答えが見えた。赤い景色だった。現れたのは巨大な設備だ。ゴゥンゴゥンと腹の底に響く音程が一定して鳴り響く。エドガーは手を翳し、「これは……」と呟いた。

「ロケット団がかつてこの地に基地を築き、リツ山を中心に拠点を設けていた事は知っているな?」

 エドガーにも聞き覚えがあった。今はほとんどの設備が解放されているが、山一つを基地にしていたと。エドガーが呆然と頷くと、「その名残だ」と老師は口にした。

「これは反対側のヤマトタウンに熱を放出する仕組みになっている。だがそちら側からは入れない」

「何なんだ? これは」

「製鉄所だ」

 放たれた言葉が信じられずエドガーは目を白黒させた。

「製鉄所? だが、製鉄には豊富な水源とまず鉄を採るだけの巨大な設備が――」

「よく知ってるな。跳ね返りの癖に」

 エドガーが閉口すると、老師は、「まぁ、そうだ」と答えた。

「鉄は採れる。鉱脈があるんだよ、リツ山には。鉄を冷やす設備も、循環機能も整っている。ロケット団が全部やりやがったんだ」

「ロケット団の、設備だって言うのか」

 エドガーが呆然と呟くと、「まぁそうだな」と老師は頷いた。ロケット団は人工破壊光線などの兵器に着手していたという。鉄は確かに必要だっただろう。しかし、それを自分達でまかなっているとは思わなかった。

「カイヘンには製鉄所がいくつもあるだろう?」

 カイヘンはそのために諸外国から重宝されていた節がある。製鉄による一大産業を興し、地方の活性化を狙っていた。そこにロケット団が介入し、残党勢力として纏っていったのだ。製鉄事業は地下組織を招き入れる温床になっていたのである。

「その中でも、これは極秘とされていた製鉄所だ。ロケット団が手間を省くために造ったんだろうな」

 老師の推論に、ではどうしてこのような設備がまだ動いているのか、とエドガーは疑問を感じた。その疑問の眼差しを感じ取ったのか、老師は、「何で動いているのか、理解出来ないだろう」と口にする。

「ああ。ロケット団はカイヘンでは壊滅した。残った拠点は全部カイヘンに還元されたはずだ」

「その中でも還元されなかった部門だ。ワシはちょうどいいからここで自分の生業とする商品を作っている」

 老師が機器の一つに歩み寄り、今しがた冷却されたばかりの煙が棚引く何かをエドガーに見せた。エドガーはそれを視界に捉え、驚愕に目を見開く。

「黒い鉄球だ。ワシは鉄球職人。以前は鉄球を作る事は公に認められて大きな会社も持っていたんだが、人間爆弾にされた事で会社はパーになっちまった。今はワシではない別の人間がやっている」

 老師の告白にエドガーは戸惑っていた。では、老師は一人でこの樹海で人知れず黒い鉄球を作ってきたというのか。半ば信じられず、「そんな話が」と否定しようとすると、「信じられないのも無理からぬ事よ」と老師は先んじて口にする。

「だがな、事実として黒い鉄球を生成する人間がいて、ワシはこの地、カイヘンで唯一黒い鉄球の生成方法を伝えている人間なんだ。覆せない現実ってもんがあるだろう?」

 老師の問いかけにエドガーは閉口していた。老師は出来上がったばかりの黒い鉄球を指差して、「お前さん、腕っ節には自信あるか?」と訊いた。エドガーは戸惑いながらも頷く。

「それなりには」

「じゃあ、明日から冷やした黒い鉄球を運ぶ任も帯びてもらおうか」

 老師はにかりと笑った。エドガーは信じられない心地で黒い鉄球を生成し続ける装置を眺めた。腹の底に響く重低音が波打ち際のように何度か木霊した。



オンドゥル大使 ( 2014/04/27(日) 21:16 )