ポケットモンスターHEXA BRAVE












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第八章 二十一節「δの鼓動」

 一歩も動けない。

 身体が鉛のように重い。ユウキは、いつからこのようになってしまったのか考える。ランポが死んだと伝えられたからか。それとも、自分の力が及ばない事を痛感したからか。

 半年前よりもなお暗い暗闇の中に落とされた感覚だ。もう飛べないテッカニンが地を這いつくばっている。その姿は無様と言うほかない。漂っているヌケニンからは何も感じられない。

 元々、テッカニンに特化した同調だ。ヌケニンとは普通のポケモンとトレーナーの関係である。しかし、ヌケニンからは感情の一滴すら判然としない。まさしく抜け殻だけのポケモンのようだった。ユウキはその場に蹲ってカルマの行った向こう側に視線を向けた。タリハシティ、全ての因果の集束する場所。その戦いの場所へとさえも赴けない己の不実。ユウキは拳を振り上げたが、無意味に終わる事は目に見えてその拳を振り下ろす事もなかった。既に牙をもがれた獣だ。反抗の牙をなくしたユウキには、何の価値もない。

「どうしろって言うんだ。教えてくださいよ、ランポ……」

 呟いた声は情けないものだった。この世にはいない人間に答えを求めたところで意味がない事はとっくに分かっているだろうに。

 その時、ユウキを呼ぶ声が聞こえた。顔を上げると、ラティオスにマキシ、レナ、キーリの三人が乗っている。どうしてあの三人が、と思う間にラティオスが近づき、マキシが降り立った。

「ユウキ。大丈夫か?」

 その言葉に咄嗟に返す事は出来なかった。ユウキが顔を伏せて黙っていると、「テッカニンが」とレナが声を出す。マキシも遅れて翅をもがれたテッカニンに気づいたようだった。

「お前……」

「カルマと、戦いました」

 ユウキの発した言葉に全員が息を呑んだ。その結果は問いかけるまでもない。ユウキは自嘲気味に肩を竦める。

「僕じゃ、勝てなかった。結局、無駄だったんですよ。思い上がりだった。僕ならやれるって信じていたのに、それが幻想だったって言うのは簡単に証明されてしまった。テッカニンはもう戦えない。僕の反抗の爪は、折られたんです」

 文字通りに、と付け加えると、マキシが、「でも、ユウキ」と声を出した。

「破壊の遺伝子はあるんだ。これを使えるのはお前しかいない。俺達はその手に持って確信した。その資格が俺達の中であるのは、お前だけだって」

 マキシの手には黄金の螺旋を描く道具が握られている。しかし、ユウキは目を背けた。

「やめてください。勝手な理想の押し付けなんて。僕には、何の力もないんです……」

 ユウキの声にマキシは二の句を継げないでいた。すると、レナが歩み寄ってきた。まだ自分に懇願するつもりだろうか、と考えていると、レナは手を振り翳し、張り手を見舞った。ユウキが呆然としていると、「どいつもこいつも」とレナは声を発した。ユウキの胸倉を掴み、「あんたねぇ、誓ったんでしょう?」と言った。

「ランポに、お姉さんに、おじさんに、黄金の夢って奴を! その黄金の夢だけを頼りにして、あんたはここまで来た。何のための犠牲だとか、そのために何人が死んだとか、そんな事を考えるのはやめなさい」

 レナの言葉にユウキが気圧されていると、「まったくね」とキーリが続けた。

「キーリ……」

「ユウキ。パパとママが死んだわ」

 その言葉にユウキは目を見開いた。マキシも驚愕の眼差しを向けている。レナだけが冷静に事を見守っていた。キーリはユウキへと歩み寄り、「だからって、あなたは責めない」と告げる。

「でも、出来る事から目を背けて、やれる事から逃げ出して、それで何が残るの? 与えられた結果が絶対じゃないわ。確率論なんて無視して、あなたの感情論で動いてみなさい。それで今まで状況を動かしてきたんでしょう?」

「ユウキ」とレナはユウキを見下ろして声を発する。ユウキは顔を上げた。

「忘れないで。あんたの身体の中にあるのはあんただけ? その心はあんただけで出来ているわけじゃない。その手は何のためにあるの? その心は何のためにあるの?」

「僕の、心……」

 ユウキは胸元に手を当てる。確かに感じる鼓動がある。その脈動と熱は今まで何によって衝き動かされてきたのか。これから何によって衝き動かされるのか。ユウキは地面についた手に何かが触れたのを感じた。目を向けると、テッカニンが這いずりながらも自分の手へと擦り寄っている。その爪の先から意思を感じ取る。

 ――まだ終わりじゃない。

 テッカニンは諦めていない。その声は最早ただのポケモンの声ではなかった。ランポやミツヤ、エドガーの声となって自分の内奥へと踏み込んでくる。額を走る脈動がそれらの声を集合させて伝える。

 ――ユウキ。

 名前を呼んだ声に気づいて、「みんな……」と口を開いた瞬間、轟、と空間が震えた。トンネルが紫色の思念の渦に噛み砕かれ、塵芥と化していく。マキシが、「来やがったか!」と声に出した。レナとキーリが身構えている。レナも緊急時にはビークインを繰り出せるようにベルトに手をやっていた。キーリは事の次第を見守る事しか出来ない自分に歯噛みしている様子だった。マキシはキリキザンを繰り出したが、自分でも大した守りにならないのは分かっているのだろう。

「時間稼ぎ程度ならば……」と口にしたのが聞こえた。思念の嵐の向こう側から歩み寄ってくる影がある。カルマとデオキシスだ。デオキシスはアタックフォルムに変化し、思念で全てを吹き飛ばしていく。

「ここにいたかゴミ共め。纏めてあの世に送ってやろう」

「キリキザン!」

 マキシの声に弾かれてキリキザンが両腕を振るい上げた。重ねた出刃包丁の手から黒い瘴気が滲み出し、鋭い一刀を作り出す。黒い霧の刀が拡張し、デオキシスとカルマへと振り落とされた。

「辻斬り!」

「つじぎり」による衝撃波が広がり、弾けた黒い霧が一刀の輝きを帯びたが、デオキシスは触手を固めて手を形成すると、その手で事もなさげに「つじぎり」の一太刀を掴んだ。マキシが目を見開くと、「この程度か」とデオキシスの掴んだ手に力が篭る。次の瞬間、「つじぎり」の黒い刀は霧散した。デオキシスが拳を開いたり閉じたりしながら感触を確かめる。

「普通のトレーナーとポケモンならば、なるほど、熟練の域だろう。しかし、俺とデオキシスはそれを超える覇王だ。覇王に凡人の刃の切っ先が通ずるものか」

「そんな……」

 マキシは衝撃を隠せない様子だった。父親を下した一撃が巨悪には全くの無意味だった。続いてレナがビークインを繰り出そうとする。しかし、カルマは顎でしゃくってデオキシスに衝撃波を出させた。その勢いに気圧された一瞬の隙をつき、カルマはもう一体のポケモンを出していた。胎児のように丸まったポケモンで、頭頂部から夢の煙をもうもうと噴き出している。紫と桃色が基調の柔らかな色合いのポケモンだった。

「ムシャーナ。金縛り」

 ムシャーナの放った「かなしばり」がレナの手を押さえつける。カルマは息をついて、「貴様らの行動は」と続けた。

「ムシャーナの予知夢特性によって夢の煙に出ている。次の瞬間のサイコブーストで、貴様らは脆く崩れ落ちる。これは確定事項だ」

 カルマが高笑いを上げる。マキシが破壊の遺伝子を握り締めた。カルマが手を差し出し、「その道具」と告げる。

「俺に渡すのならば未来は変わるだろうな。帝王の君臨を目にするといい。貴様らはその前にある些事だ。さぁ、その道具をこちらへ」

「冗談じゃない。誰が」

「では、来てもらおう」

 ムシャーナがカッと目を開く。すると、桃色の光がマキシに纏わりつき、マキシの身体を無理やり進めようとした。抗おうとしたが当然のようにマキシは引きずり込まれていく。カルマが口角を吊り上げる。勝ちを確信したその時、マキシの手を掴む手があった。

「誰だ?」

 桃色の光が消え失せる。その光の向こう側にいたのはユウキだった。ユウキはマキシの手を掴みながら口にする。その眼差しからは曇りが消え、刃のような戦いの輝きがある。カルマは、「何だ」と声を発する。

「負け犬風情が、そのような眼を」

「僕は、まだ負けていない」

 ユウキがその手に破壊の遺伝子を掴んで掲げる。黄金の螺旋を描く道具をテッカニンへと突き立てようとした。

「テッカニン!」

 ユウキの声に呼応してテッカニンが跳ねる。テッカニンへと黄金の螺旋が突き刺さった瞬間、光が広がった。

「させるか。デオキシス!」

 デオキシスが空間を跳び越えてテッカニンへと肉迫する。光が集束し、輝きを放つかに思われたその時、不意に粒となって弾け飛んだ。テッカニンが転げ落ちる。破壊の遺伝子がユウキの手から滑り落ちた。

「――えっ」

 マキシが目を瞠る。ユウキも何が起こっているのか分からなかった。しかし、テッカニンは動く様子がない。それを見透かしたようにカルマが口にする。

「ユウキ。貴様は所詮ガキだったという事だ。俺とて見逃すところだっただろう。ムシャーナの示す、意外な予知を」

 夢の煙がムシャーナから噴き出している。カルマはそこに活動不能に陥ったテッカニンとユウキを視ていた。

「破壊の遺伝子に、貴様は拒否されたんだ!」

 デオキシスの触手が腕となってユウキの心臓をくり貫こうとする。カルマが悦楽に口元を歪めた、その時である。

 不意に黄金の光が閃いた。デオキシスの手を弾き、何かがユウキの前に立つ。ユウキは立ち上がっていた。それに応ずるように地に伏していたテッカニンが翅を広げる。破壊の遺伝子がテッカニンへと吸い込まれていく。螺旋が解け、テッカニンの身体の中に組み込まれた瞬間、テッカニンそのものが黄金の光を放った。

「何だ? 俺は、何を見ている?」

 カルマの狼狽を他所に、マキシとレナは、「これが……」と気圧されていた。キーリが、「そうよ」と冷静さを伴って告げる。

「ユウキもテッカニンも破壊の遺伝子に拒否なんてされていない。むしろ、破壊の遺伝子は永遠にユウキとテッカニンのものだわ。決してカルマには渡らない」

 ユウキはライダースーツのポケットからオレンジ色の帽子を取り出した。それを被って鋭角的な眼差しをカルマとデオキシスに向ける。浮き上がったテッカニンのもがれた翅から黄金の光が拡張した。たちまち黄金の翅を顕現させ、これまでにない、まさしく光速の振動が空気を鳴動させる。

「黄金の、テッカニン……」

 マキシが口にすると、レナも頷いた。

「ユウキのテッカニンは破壊の遺伝子のパワーの先に行った。あれこそがテッカニン、いいえ、テッカニンδ種!」

「テッカニン、δだと……」

 カルマが苦々しく口走り、片腕を薙いだ。

「そのようなまやかしを――」

「まやかしかどうか、あんたはこれから知る事になる」

 ユウキは自身の内奥から衝き動かす声に従った。目を瞑ると散っていった人々の心が自分に重なっているのを感じる。この心は邪悪を断ち切るためにある。ユウキは目を開いて、口にした。

「ランポは死んだ。エドガーも、ミツヤも。しかし彼らの思いが、僕を衝き動かす原動力となる。カルマ。あんたの意思が心の奥底から出たものか、それとも上っ面だけの邪悪か、ここで決める!」



■筆者メッセージ

次回、第八章 最終節「さよなら」
オンドゥル大使 ( 2014/06/16(月) 22:22 )