第八章 二十節「GOLD」
唐突に現れたポケモンに先行するラティアスが止まった。ラティオスもその場で止まり、満身創痍のポケモンをマキシは見つめた。空間を裂いて現れた緑色を基調とした細身のポケモンは肩で息をしながら何かを抱えている。Kとキーリがそれに気づいて声を上げた。
「破壊の遺伝子……!」
「どうして、ここに」
Kがラティアスから降りて破壊の遺伝子を持ったポケモンへと歩み寄った。
「……フランの、エルレイド」
エルレイド、という名前らしい。フラン、というのは誰だろうか、とマキシは少し考えたが、もしかしたらそれこそがFの本名だったのかもしれない。
「どうしてエルレイドが。だったら、パパは……」
「この場から離れます」
破壊の遺伝子を手に取り即座にKが声を出す。マキシは、「待てよ」と口にしていた。何が起こっているのか分からない。
「Fと会うんだろう。破壊の遺伝子さえあればいいってもんじゃ――」
「Fは、恐らくもう死んでいます」
Kの放った声にマキシは言葉をなくしていた。キーリは目を伏せて、「そうね」と呟く。
「エルレイドが剥き出しの破壊の遺伝子を持って来たっていう事は、パパは生きていないでしょう。恐らくはカルマに先回りされた。エルレイドにも相当なダメージがあるわ。多分、長くない。それでもパパの意志を継いで来てくれた。私達の誇りよ」
その言葉に目を向ければ、確かにエルレイドは全身に傷を負っていた。片目に深い傷痕があったが、それは随分と前につけられた傷のようだ。エルレイドは深く一礼し、身を翻した。
「一人で、立ち向かうって言うのかよ」
その意思を感じ取ってマキシが声を出すと、エルレイドは片肘を突き出して紫色の波動を帯びた。マキシもキリキザンで使ってきたから分かる。サイコカッターだ。徹底抗戦に打って出るつもりである事は明白だった。
「どうして、そこまで……。確かにヘキサは許せねぇよ。でも、あんたらはちょっと異常だ。破壊の遺伝子一つに何で――」
「それが、私達の希望だからです」
Kの強い声音にマキシは口を噤んだ。キーリが、「そうね」と頷く。
「傍から見れば、必死過ぎかもしれない。でもヘキサによって間違ってこの世に生まれ出でた人間からは、他人事でも、対岸の火事でもないのよ」
キーリが暗い口調で呟いた。その声に宿る過去へとマキシは無遠慮に踏み込む事は出来ない。Kもキーリもそれをよしとしないだろう。Kは剥き出しの破壊の遺伝子をラティアスへと打ち込もうと呼吸を整えた。
「私が破壊の遺伝子を打ち込みます。恐らくは追ってくるであろうデオキシスを倒すために」
「でも、あんたは……」
「私とてワイアード」
Kはバイザーを開いて脱ぎ捨てた。紫色の大きな瞳が印象的な女性だった。まだ歳若いように見える。その瞳が蒼く染まった。
「戦う覚悟は持っています。……フランと、それにキーリが、教えてくれたから」
キーリが、「ママ」と顔を振り向ける。Kは微笑んでラティアスへと破壊の遺伝子を試そうとした。その瞬間、「困るな」と声が発せられた。
どこから、と首を巡らせようとしたマキシはKが吹き飛ばされたのを視界に捉えた。その手から破壊の遺伝子が滑り落ちる。突然に空間を裂いて現れたのは一人の長身の男だった。その物腰から味方とは思えない。戦闘に慣れた人間である事が分かった。
「カルマ、か」
「いかにも。ε部隊隊長、カタセの息子か。ユウキと共に反逆者に成り下がるとは。馬鹿な真似をしたものだ。父親もさぞ嘆いているだろう」
「残念だったな。親父は俺の道を許してくれたよ」
マキシは腰のホルスターに手を伸ばした。その刹那、何かが紫色の残像を棚引かせて肉迫した。それがマキシを突き抜ける前に、ラティオスがマキシとレナを振り落とした。腰をしこたま地面に打ちつけた二人が見たのは、小さな腕で人型のポケモンを押さえているラティオスの姿だった。しかし、ラティオスの膂力では全く敵う様子がない。ラティオスは赤い眼に戦闘の光を湛えた。全身から光を放ち、眼前の敵へと矢のように鋭くなって追突する。
「ラスターパージ!」
Kの声にラティオスの放った銀色の矢が突き抜けたが、目標のポケモンは既に離脱していた。しかし、ラティオスの真の目的はポケモンではない。直角に折れ曲がり、ラティオスは現れた男へと直接攻撃を放とうとしていた。
男が、「デオキシス」と名を呼ぶ。デオキシスは一瞬にして男の真横に現れ、ラティオスの一撃に対して触手を束ねた腕で弾き落とした。腕がすぐさま解けて細い触手に変化し、紫色の残滓を空間に刻んでデオキシスは再び消える。ラティオスは翼を広げて持ち直していたが、ラティアスとKが守りを固めていた。ラティオスはダメージを受けている。それは明白だった。Kが荒い息をつきながら、「ラティオス、まだ間に合いそう?」と尋ねる。ラティオスが力強い声を上げた。Kは頷き、キーリへと声をかける。
「キーリ。二人を連れて、ユウキさんのところまで」
破壊の遺伝子をキーリへと手渡す。キーリは戸惑って、「ママは?」と訊いていた。
「どうするの?」
「私はここでカルマを迎え撃ちます」
やはり、あの男こそがカルマなのか。全ての元凶であり、ヘキサ再興を目論む男。Kは知っているのか。それとも感知野で悟ったのか。自分一人で戦う事を既に心に決めているようだ。エルレイドも付き従うように直角に曲げた肘を振り翳す。
「駄目だよ。ママ」
キーリがその袖を握った。Kは優しく微笑んでキーリの頭を撫でる。
「大丈夫」
「パパは、だって」
「パパと一緒に、戻ってくるから」
「嫌だよ!」
キーリが初めて感情を発露させた声を出した。Fに続いてKまで失う事を考えたのだろう。両親を失う苦しみはマキシとて分かっていた。しかし、それと同時にKは決して信念を曲げない事もまた、マキシには分かった。
「キーリ。わがままを言っちゃ駄目だ」
マキシがキーリの手を取って言い聞かせようとするが、キーリはその手を振り解いて、「二人がいいの!」と叫んだ。
「パパとママの二人さえいてくれれば、私は何もいらない。だから……」
その光景を眺めていたレナが、ぐっと下唇を噛んで、つかつかとキーリへと歩み寄り、無理やり振り向かせると、その頬へと張り手を見舞った。マキシが呆然としていると、「あんた、こんなところで都合よく子供に戻っているんじゃないわよ!」と声を荒らげた。
「いつもは澄ましているくせに、こんな時に親を困らせないで。甘えるなら、いつも甘えればいい。そうしないのは、あんたが選んだからでしょう。それを、ここに来て、今までの事を無駄にするつもり?」
レナからしてみれば半年分の苦労もあったのだ。しかし、それ以上に許せなかったのかもしれない。レナは実の父親の死体を目にしても無関心を装ったと聞く。大人になろうと努めたのだ。それと正反対の姿が目の前で展開される事に苦痛を感じたのだろう。自分は大人にならざるを得なかった。なのに、キーリは身勝手に子供に戻ろうとする。自分とは似たもの同士なだけに、その相違が我慢ならない。
押し黙ったキーリは目の端に涙を浮かべていた。レナはキーリの手を引いた。
「来なさい。あんたの知識が必要になる。まだ破壊の遺伝子は渡すべき人間に渡せていない」
そうよね、とKに確認の声を重ねる。Kは頷いた。K自身が使おうとしなかったのは、寸前のところで止められたからだけではない。自分に資格がない事を直感的に悟ったのだ。キーリとマキシとレナはラティオスに乗った。Kはラティアスと共にカルマへと立ち向かうつもりらしい。自殺行為だ、と止めようとしたが、レナが、「止めようとはしないで」と告げる。
「何でだ? 明らかに形勢は不利じゃないか」
「それでも、あの人は殉じようとしている。自分の役目に」
半年間一緒だったから分かる、とレナは付け加えた。キーリは何も言おうとしない。レナ以上に、Kの心境は分かるはずなのに。
「俺の邪魔立てをするか。ならば、加速の彼方に貴様らを追いやってやろう。見るがいい。これが思念の加速、デオキシス、サイコブースト!」
デオキシスの姿が紫色の残像を帯びて掻き消える前に、ラティオスは身を翻した。ジェット機のような翼を広げて引き返していく。しかし、その道筋は微妙に違った。
「ユウキが近くまで来ているはずよ。ユウキのポケッチの反応をトレースしている」
キーリが口にする。もう大丈夫なのか、と問いかけたかったがキーリは無理やり自分で立ち上がっているようだった。その痩せ我慢を、よせとは誰も言えない。自分だってカタセの事で痩せ我慢を重ねてきた。レナもそうだろう。父親を失ってさらには半年間の逃亡生活だ。自分達の誰にも、その無理を糾弾する事など出来ない。
背後で何かが弾け飛んだ音を聞いた。肩越しに振り返ると地面が捲れ上がり、暴風が巻き起こっていた。思念の竜巻が砂埃を巻き上げ、細かい砂利が空間の内部を掻っ切った。Kとラティアスはその中でどのように戦い、どのような最期を迎えたのか。余人が想像するには重く、マキシはただユウキへと手渡すために破壊の遺伝子を握り締めた。掴んでみて、やはり自分でも駄目だ、と気づく。
「これは、俺達を引っ張ってくれる奴が手にするべきなんだ。まるで指導者のように」
だとすれば、ユウキ以外に思いつかない。マキシは破壊の遺伝子をきつく握り締めた。黄金の螺旋を描く道具は、収まるべき場所を望んでいるように見えた。