ポケットモンスターHEXA BRAVE












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第八章 十九節「イノセントラヴ」

 決して、生きている者は存在しないような荒涼とした大地が広がっている。

 その中央に黒いモニュメントが建てられており、囲うようにCの字を描いた建築物があった。ウィルδ部隊の本拠地である事を知る人間は少ない。δ部隊の少ない構成員達は極秘研究を施設内で行っている。その中の一人が珍しい人影を施設の中に見つけて軽く会釈した。そうでなくともδ部隊の人間は内向的だ。現れた人影がいくら意外な人物でも、決して表情に出す事はない。

「おはようございます、隊長」

「ああ、おはよう」

 本来ならば久しぶり、と返すのが当然だが、構成員は気に留めた様子もない。自分の実験資料を眺めながら歩き去ってしまう。この環境を好く人間はいる。対人関係を好まない人間ならば、絶好の環境だろう。しかし、それだけではこの環境を生きていけない。他人に対して絶大な信頼があるからこそ、逆に無関心も装えるのだ。少なくともそう信じてきた今までがある。δ部隊の施設を出てモニュメントの前に立つ。モニュメントは窪地になっていた。階段があり、一階層分下のところにモニュメントが建築されている。

 風が逆巻き、髪の毛を撫でる。長い金髪が風になびいた。

「全てはこの時のためだった」

 その手はカプセルが握られていた。内部が見えるようになっている円筒形のカプセルであり、黄金の螺旋が描かれている。

「カルマを倒せる可能性、それが現れるのを。それはワタシ、いや僕ではない」

 カプセルを握った手に力を込めて、モニュメントの陰の側から太陽が照らし出す側へと歩み出た。タリハシティ一つ分が喪失した場所は「空間」と呼ぶには広過ぎる。かといって、中心地にモニュメントと施設がある以上、「大地」とも呼べない中途半端な場所。それこそがタリハシティ跡地という忘れ去られた場所には相応しいだろう。歴史の陰に抹消される不浄の地。その地の中心に自分は立っている。その意識に彼は息をついた。

「Fと名乗り、全ての過去を向こう側に置いてきたのもこのためだ。僕の手は、誰かを抱き締められる資格なんてないから」

 強い風が吹きつける。彼のコートを風が煽った。片腕には袖が通されていなかった。彼は隻腕だった。

「託さねばならない。僕のためにも。そしてキーリやK、いや、コノハのために」

 太陽が彼の姿を照らし出す。彼――フランは半年間を反芻した。ユウキと出会い、その可能性に触れて、少年を反逆者に仕立て上げてしまった罪。それは償わねばならない。しかし、今ではない。カルマを倒してから全てが始まるのだ。

「それにしてもユウキ、彼には驚かされっぱなしだ。成長の早さもそうだが、仲間を呼び込む天賦の才。彼のような人間こそが、上に立つのには相応しいのかもしれない」

 まさしく指導者の素質だろう。フランはユウキにかつてヘキサへと立ち向かった人々と同じ光を見ていた。今はもうチャンピオンになってしまって手も届かない存在。彼女と同じだ。仲間と信念のために、どこまでも無茶をやる。フランには一種眩しくさえ移る。そこまでの覚悟を結局持てずじまいで、ただ付いて行くだけだった。彼女の視点を知ってみたくて、ディルファンスからこの立場に上がってみたが未だに視えるものはない。あの時、彼女には何が視えていたのか。

 ワイアード、ネクストワイアードの実験を重ねたがそれは結局、ポケモンと人間の領域を侵犯する者、というだけだ。彼女のような超然とした姿になれた理由にはならない。フランには正直、彼女があれだけやれた事が理解出来なかった。どうしてそこまで身を削れるのか。何度も疑問に感じたが、片腕を失ってみて痛感する。彼女は痛みと共にあった。だから強くあれたのだと。

 では、自分は? 片腕を失った今でも答えは出ない。

 フランはこちらへと向かってくる赤と青の光に目を向けた。どうやらユウキよりもコノハ達のほうが早かったらしい。ユウキは自分の決着もつけなければならなかったので当然といえば当然だろう。

 最悪、コノハかマキシに任せるしかない。しかし、コノハだけは、という思いもあった。ようやく自由に羽ばたけるようになったコノハをまた戦いに縛り付けるのか。コノハは自分の意思でフランの下につく事を選んだ。記憶の混濁によってフランとの日々をほとんど思い出せなくとも、フランの事を受け入れてくれた。自分に唐突に娘がいる事も受け入れた彼女には強さがある。

「……キーリ」

 フランは呻いた。

 キーリはフランとコノハの娘ではない。コノハとエイタの娘だ。

 望まれずに授かった命。その重さをコノハは自覚しながら生きている。それさえも強さだ。母はいつだって強い。研究と立場を守る事に没頭し、フランはほとんどコノハとキーリに愛情を割けなかった。それでも自分の事を父親だと呼んでくれるキーリを、フランは抱き締めたかったが、その資格はあるのかといつも自問してしまう。

 自分は誰かが授かろうとした幸せを横から奪おうとする姑息な輩なのではないかと疑ってしまう。コノハはそんな事はないと言ってくれるが果たしてそうだろうか。フランにとっての贖罪は、片腕を犠牲にして得たリヴァイヴ団の裏事情だ。

 ウィルとして活動するに当たって、当然のようにリヴァイヴ団との摩擦があった。フランは研究顧問としてリヴァイヴ団を解析し、その結果、リヴァイヴ団には実質的にボスが空席である事が明らかになった。

 それを上層部にリークしようとした矢先、フランを襲った影があった。フランの実力ではその影の正体は全く分からなかったが、それから数年を経てユウキと出会い、ようやく理解出来た。

 リヴァイヴ団のボス、カルマ。

 その手持ちであるデオキシス。

 それが癒えない傷痕をフランと相棒であるエルレイドに刻んでいる。エルレイドの眼には斜に切り裂かれた傷痕があった。隻腕の主人に隻眼のポケモン。エルレイドと自分はとうに戦力としては失格だろう。だからこそ、キーリとコノハに任せるしかなかった。

 ある意味では苦行を強いられてきた。本当ならば護りたい二人に自分を護らせる結果になった。しかし、苦汁の日々は終わりを告げるのだ。今まさに、ラティアスとラティオスが向かってきている。マキシという可能性を連れて。破壊の遺伝子を受け渡せば、この受難の日々は終わる。ようやく一歩前に踏み出せるのだ。フランは訪れに綻ばせようとした、その時である。

「ウィルδ部隊隊長がこんなところに何故出ている?」

 不意に背後からかかった声にフランは振り返った。モニュメントの陰から一人の男が歩み出る。鋭い双眸が殺意を伴って射る光を放つ。その男をフランは知っていた。覚えず後ずさり、その名を口走る。

「――カルマ」

 階下にいるカルマはモニュメントに手をつきながら、「懐かしいな」と口にした。

「貴様は、あの時殺したはずだった」

 あの時――フランがまだ表立って動いていた頃の話だ。カルマはモニュメントを撫でながら、「五年程前になるか」と呟く。

「俺の存在を嗅ぎつけるウィルの狗がいると耳にしてな。その駄犬には死んでもらおうと思ったが、そうか、片腕だけだったか。全身を細切れにしてやったつもりだったが」

 フランはカプセルをポケットに入れて腰のホルスターへと手を伸ばす。カルマは片手を開いて問いかけた。

「何故、自分で戦わない? 俺には敵わないと悟ったからか? それとももうポケモンを使えないからか? 片腕では、確かに心許ないだろう。エルレイドにも片目のダメージがある。しかし、その程度で諦めるような人格とは思えないのだがな」

 カルマがモニュメントから一歩踏み出す。フランは、「それ以上は!」と声を張り上げた。

「近づくな。僕は上、お前は下だ!」

 デオキシスの射程距離は五メートル程度。階段を挟んで上下の相性があるとすれば、一撃をしのぐ程度は出来るかもしれない。カルマはさして慌てる様子もなく、ピタリと足を止めて、「その言葉」と口を開いた。

「意味があると思っているのか? 俺のデオキシスの射程を読んで、この距離ならば攻撃を受けないと? ――嘗めるなよ」

 カルマが駆け出した。フランはホルスターからモンスターボールを引き抜いて緊急射出ボタンに指をかける。

「お前が下だ! フラン! 永久に俺の下にいるのならば何の問題もない!」

 デオキシスが空間に立ち現れようとする。フランは一瞬だけ空気を揺らした音の変化を鋭敏に感じ取った。デオキシスが思念の加速を用いる時、羽音のようなブゥン、という音が聞こえる。ほんの一瞬、聞き逃せば永遠にもう一度聞く事はないだろう。その一瞬の音をフランは捉えた。ボールから飛び出したエルレイドがすぐさま鋭角的な肘を突き上げて薙ぎ払う。

「そこだ! サイコカッター!」

 思念の刃が紫色の残像を帯びてデオキシスが現れるであろう空間へと先んじて攻撃を放った。ブゥン、とまた音が聞こえる。どうやらデオキシスはエルレイドの一撃を間一髪で回避したようだ。またも高速戦闘の中に身を浸す。後ろへと回り込んでいたカルマが、「衰えては」と口にした。

「いないのか。ポケモンを操る才覚は。サイコカッターの指示を的確に、なおかつコンマ一秒以内の遅れもなくエルレイドに伝達した。エルレイドはそれを受けてほとんどタイムロスもなくデオキシスの出現ポイントに攻撃。訓練された、いい動きだと言える」

 フランは腕を薙いでエルレイドへと攻撃を促した。エルレイドが弾かれたように動き、カルマへと一撃を与えようとする。それを突然現れたオレンジ色の影が遮った。

「タイミング、反応速度、即断即決、トレーナーを迷わず狙う姿勢。どれを取ってもポケモントレーナーとしては一級だ。深く踏み込んでいればあるいは、という事だったな」

 デオキシスディフェンスフォルムがガムのような両腕を突き出してエルレイドの振り下ろした一撃を受け止めていた。まるで白刃取りのように思念の刃を放つ肘が、がっちりと受け止められている。

 フランは、「もう片腕で!」と指示を出す。エルレイドのもう片方の腕の肘先から「サイコカッター」の光が推進剤のように焚かれてデオキシスから距離を取った。デオキシスは一瞬にしてディフェンスフォルムから鋭角的なアタックフォルムへと変身を遂げる。

 フランは考えを巡らせていた。この相手に今のような一撃が二度も通用するか? それよりも、とこちらに向かってきている赤と青の光を視野に入れる。破壊の遺伝子の受け渡しを勘繰られてはならない。最悪のケースは、破壊の遺伝子をカルマに奪われる事だ。カルマがさらなる力をつける可能性がある。カルマは、「もうすぐ来るようだ」と赤と青の光を肩越しに見やった。やはり見抜かれている、とフランは歯噛みした。

「何かしらの交渉が行われる様子だな。ユウキもこの場所へと向かっていた」

「ユウキ君を……。カルマ、お前、何を」

「殺してはいない。殺すほどの価値もなかった。今頃は自分の無力さに打ちひしがれているだろう」

 ――最悪だ。

 唯一の希望であったユウキでさえカルマの前では無力だったという事か。半年間の研鑽の日々が無意味に帰したと知ればユウキはもう再起不能かもしれない。ここに向かってくるほどの気力が残っているか。だとすればやはりマキシか、コノハに、と考えたが、カルマが目の前で公然と行われる強化を黙って見ているはずがない。ここでカルマを食い止める。それしか今の自分に残された選択肢はない。

 フランは雄叫びを上げてエルレイドへと攻撃を促した。エルレイドがテレポートの残滓を空間に刻みながら、一瞬にしてカルマの後ろを取る。しかし、すかさず動いたデオキシスがエルレイドを突き飛ばした。

「やはり、同調か」

 フランが口走ると、「同調だと?」とカルマは口元を歪めた。

「そのような低俗なものではない。俺とデオキシスは帝王の力を持っている。地を這う虫共がない知恵を絞って編み出したような方法と一緒にされては堪ったものではないな」

 では何だ? とフランは考える。カルマのデオキシスは明らかに通常のポケモンの反応速度のそれではない。カルマがデオキシスに攻撃を受けるのを恐れている事からも、同調の可能性が高いと考えていた。しかし、その可能性は目の前で否定された。

 フランは舌打ちを漏らし、「エルレイド!」と叫んで離脱しようとする。しかし、カルマのデオキシスがそれを逃がすはずがなかった。

「既に射程距離だ! デオキシス、サイコブースト!」

 デオキシスが紫色の残像を帯び、分身を幾つも作り出して二重像を結んだ。思念の加速によってデオキシスの通過点が破砕されていく。見えない魔獣に噛み砕かれていくようだった。

 階段がひしゃげ、フランとエルレイドを通過する。その直後、「サイコブースト」の余波が襲ってきた。フランはそれをまともに受けて全身が突風に煽られた時のような衝撃と神経を引き裂く鋭敏な痛みを感じた。エルレイドは咄嗟に主人を庇うために前に出ていた。エルレイドの表皮が捲れ上がる。フランとエルレイドはその場から吹き飛ばされた。

 背中を強く打ち据えて、一瞬呼吸が出来なくなる。フランのポケットから破壊の遺伝子が転げ落ちた。フランは荒い息をつきながら血まみれの自分の掌を眺める。視界がほとんどぶれて使い物にならない。眼前にカルマとデオキシスが現れる。デオキシスはスピードフォルムへと変身していた。

「これが、貴様らの虎の子か」

 破壊の遺伝子をカルマが手に取り、「どうやって使うのかは分からんが」とカプセルを眺めながら口にする。

「いずれ解明されるだろう。δ部隊も俺のものだ。フラン隊長は死に、俺に全権が渡ってくる。δ部隊の隊長というのは隠れ蓑に悪くない。隠居しながらゆっくりとこれの使い方を調べよう。ユウキと貴様をウィル崩壊に導いた共通の敵としてカントーに突き出せば、カントーも満足するはずだ。カルマという名前も潮時だな。名前を変えて、一からやり直すとするか。RH計画を一度白紙に戻し、再興を練るとしよう。なに、時間だけはたっぷりとあるんだからな」

 自分がここで死ねば、RH計画は雌伏の期間を経て再び芽吹くだろう。今、この邪悪を止めねば、ヘキサは遠くない未来に再興する。それだけはあってはならなかった。しかし、身体が全く動かない。

「残念だったな。全てを手に入れるのはこのカルマだ」

 カルマが破壊の遺伝子を天に掲げた、その時である。テレポートでカルマの頭上へとエルレイドが瞬いて現れた。カルマとデオキシスがそれに気づくその前に、エルレイドの振り落とした肘先からの光がカプセルを割った。剥き出しの破壊の遺伝子の螺旋がカルマの手から滑り落ち、エルレイドはそれを引っ掴んで、再びテレポートをした。デオキシスが追撃しようと触手を伸ばしたが、その時にはもうエルレイドは空間に溶けている。カルマがキッとフランへと睨む目を向けた。

「よくも……!」

 フランは口元に笑みを浮かべた。いつも浮かべていた、他人からは詐欺師スマイルと渾名される笑顔だった。

 ――コノハ。キーリ。

 伝えていない思いはある。キーリに、誇れる我が子だと言ってやれなかった事。コノハに愛していると伝え切れなかった事。愛していると言えば言うほどに、それは虚飾に塗れたように感じられて、コノハからは一定の距離を置いてしまった。エイタのようになりたくなかったというのもあるのかもしれない。

 結局、誰かを愛する事を自分は最期まで出来なかった。愛するとはかくも難しいものなのか。しかし、後悔は残さないつもりだ。散っていった者達や、どこかへと旅立ってしまった人々には笑みを返そう。そう心に決めているからだ。

 爽やかな笑みを刻み付ける前に、デオキシスの放った紫色の光の奔流に、その身体はバラバラに打ち砕かれた。



オンドゥル大使 ( 2014/06/06(金) 23:04 )