ポケットモンスターHEXA BRAVE












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第八章 十八節「砕かれた翅」

 漆黒の風が駆け抜ける。

 ハリマシティの高速道路を抜けていくユウキの視線の先に、不意にオレンジ色の旋風が差し込んだ。

 横合いからやってきた不意打ち気味のそれに、ユウキは素早く反応しようとしたが、それのほうが速い。

 前輪を絡め取られ、バイクが傾いた。バランスを崩したバイクのブレーキを押し込もうとしたが、その速度よりもそれがバイクへと鋭角的な攻撃を差し挟むのが一拍早く、ユウキはバイクから投げ出された。対ショック構造を持つライダースーツとヘルメットのお陰で大怪我は免れたが、ユウキは転倒のショックで一瞬だけ視界が暗転したのを覚えた。咄嗟に手をついて体勢を立て直す。空間を引き裂いてオレンジと水色の触手が現れていた。それがバイクに突き刺さり、血のようにガソリンが滴っている。触手が絡みつき、バイクを噛み砕いた。漆黒のバイクが砕け、爆発の衝撃波を広がらせる。ユウキはバイザーを上げて、「現れたか」と呟いた。予感はあった。しかし、まさかこんなにも早く出てくるとは思いもしなかった。

 ユウキは行く先を僅かに見やる。トンネルに入って直通で行けばタリハシティゲートは目前だった。それを、こんなところで足止めを食らうとは。ユウキは既に場に出ているテッカニンへと思惟を飛ばす。先制攻撃を仕掛けようとして、触手が紫色の残像を残して揺らめき、テッカニンの爪を弾いた。ユウキが舌打ちを漏らすと、空間を裂いてオレンジ色の影が空気に溶けた。テッカニンと同じく高速戦闘に入ったのだ。その中で、トレーナーである人影が遅れて空間をガラスのように砕きながら歩み出た。

「不思議な事だ」

 人影は告げる。ユウキは身構えた。テッカニンへと絶えず思惟を送り込みながら、応戦の火花が周囲で散る。相手は手を翳しながら、「半年前には」と続ける。

「貴様は俺の足元にも及ばなかった。あの時、俺は確実に貴様を殺した。だが、今さらどうでもいいのだ。あの時、腹ぶっ貫いてやった貴様がどうやって生き残ったのか。そんな事は些事だ。どうでもいい。問題なのは、どうしてまた俺の前に立とうとしたか。その一事だよ、ユウキ」

「――カルマ」

 その名を口にする。テッカニンはデオキシスに対して対等な速度で攻めているが、それでも対等だ。上に立てているわけではない。超えるにはやはり破壊の遺伝子が必要になる。それが目前にしてありありと伝わった。今のままでは勝てない。

「かつての組織のボスに対して、貴様らは礼儀がないな。まぁ、いいとしよう。俺とて礼節程度で序列を決めていたわけではない。問題なのは力の有無だ。その点、力はあったのだが、惜しい事をした。あの男は」

「誰の、話をしている……」

 ユウキは目の前の自分にカルマを釘付けにしようとしたが、デオキシスの速度は緩まる気配はない。感知野の網を張ったが、その網を震わせる思惟もなかった。

 ――同調ではない?

 ユウキの頭に上ったその考えにカルマは、「同調か」と呟いた。まるでユウキの思考を見透かしたように。鼓動が脈打つのを感じる。カルマは口元を歪めて、「馬鹿な事をする」と口走った。

「しかもその同調は、命を削る無謀なものだ。俺のように完璧なポケモンと命を共にすればいいものを、テッカニンとはお粗末な」

 ユウキはカルマの秘密を探ろうとした。カルマは何故、デオキシスを手足のように操れるのか。テッカニンの眼を使って、デオキシスを視る。

 その時、違和感に気づいた。デオキシスは最も危惧していたスピードフォルムではない。鋭角的なシルエットを持つアタックフォルムだった。紫色の残像を帯びてデオキシスがテッカニンを叩き落す。テッカニンが翅の振動数を落としたのを契機に、デオキシスはユウキへと肉迫した。瞬時にオレンジ色の表皮を引き剥がし、黒色のスピードフォルムへと変身する。テッカニンを即座に呼び戻し、デオキシスへと応戦に放とうとするがその前にデオキシスの細い触手がユウキの首筋へとまるで切っ先のように突きつけられた。ユウキが息を呑む。半年間で培った力でも勝てないのか。デオキシスが紫色の残像を帯びてユウキの首を落とそうとした、その時である。

「いや、待て」

 カルマが口を開いた。デオキシスの動きが止まる。

「何故、貴様は戦えるだけの力を持ちながら、俺から、いやこの街から逃げようとしていた? そうだろう? 俺との真っ向勝負を望むのならば、ランポと共に俺を迎え撃つ準備をしていればいいはずだ。なのに、貴様はランポとの勝負を終え、ハリマシティを出ようとしていた。半年間掻き回したにも関わらず、だ。俺はもう少しでその理由に気づかないところだった。貴様が行こうとしていた先にこそ、何か答えがあるのではないか」

 カルマが疑いの眼差しをユウキへと向ける。まさか、Fの事を気取られたか、と感じたがカルマがFの事を知るはずがない。自分が独断でRH計画を潰そうとしていたと思わせなければならないのだ。ここで間違ってもFが裏にいた事を悟らせてはならない。ユウキは、「何を躊躇っている」とデオキシスの触手を掴んだ。

「僕を殺せるのなら、殺してみろ。そんな事も出来ないのか、腰抜けめ」

 ユウキがデオキシスの触手の先端を首筋に向ける。それで終わりを覚悟した。しかし、カルマは、「なるほど」と声を発する。

「それで確信に変わった。貴様はやはり、一人で動いているのではないな。俺をある目的から遠ざけようとしている。その目的こそ、俺を真に脅かすものだ。その目的は、貴様の行く先を考えれば自ずと答えは出る。トンネルの、向こうか」

 カルマが目を向けて片手を上げた。デオキシスの触手から攻撃の意思が薄れ、代わりのようにユウキを蹴飛ばした。ユウキはよろめく。デオキシスとカルマはトンネルへと足を進めていた。ユウキは、「テッカニン!」と叫ぶ。

「迎え撃て!」

 高速戦闘に入ったテッカニンの爪がカルマのこめかみを引き裂こうとする。しかし、その直前にカルマは指を鳴らす。その直後、デオキシスが弾かれたように動き出し、高速戦闘の只中にあるはずのテッカニンを、身を翻してからの跳び蹴りで打ち据えた。

 テッカニンが吹き飛ばされ道路のガードレールにぶつかる。頭を振って体勢を整えようとしたテッカニンへとデオキシスが追撃した。触手で絡め取り、動きを封じる。テッカニンが翅を震わせるが、堅牢な守りを突破する事は出来ない。爪もデオキシスの表皮を破る事はない。

「俺はもう少しで、小事にこだわって大事を見逃すところだった。ユウキ、貴様は所詮、目の前を喧しく飛び回る羽虫だったという事だ。羽虫を一匹砕いたところで、またどこからか羽虫はやってくる。問題の解決には、そう、窓を閉めるか、羽虫の巣を潰すのが手っ取り早い」

 カルマがユウキに背を向けて歩き出す。最早、ユウキなど眼中にないようだった。ユウキは似合わぬ雄叫びを上げた。

「待てよ、この野郎!」

 テッカニンが思惟を受けて再びデオキシスへと猪突するが、デオキシスはくるりと身を返してその一撃をかわした後、触手で脳天を叩きつけた。テッカニンがよろめいたのを確認して、デオキシスとカルマが鼻を鳴らす。

「相手をしている暇はない。そのような暇さえ惜しい。本当の敵に気づかせてくれた。むしろ礼を言いたいくらいだ」

 冗談ではない。ユウキは自分の命を賭してでも、カルマを止めねばならなかった。Fの下へ、みんなの下へ行かせるわけにはいかない。ユウキは最後の一点の思惟を掛け合わせてテッカニンの身に注入した。テッカニンの翅から青白い閃光が迸り、今までにない高速戦闘へと至る。

 加速の境地へと至ったテッカニンの速度はまさしく神速であった。常人ではそこにテッカニンがいる事にすら気づかないであろう。だが、カルマはまさしく羽虫でも見つけたように視線をやって、くいと顎をしゃくった。

 すると、デオキシスが一瞬のうちにテッカニンを通過していた。紫色の残像が幾重にも連なっている。デオキシスがそれを通過する度に、翅が破れ、表皮が捲れ上がった。デオキシスの思念の加速のほうがテッカニンよりも上なのだ。その加速の中に一瞬にして放り込まれ、テッカニンはその速度ゆえにダメージを受けている。ユウキは、「ああ……」と声を発した。テッカニンの身体から覇気が消えていく。

 デオキシスの分身がテッカニンをその身で引き裂いていく。テッカニンは間断のない攻撃の波に呑まれていた。ユウキはそれをただ見つめる事しか出来ない。テッカニンが全ての加速の膜を超えた時、その身体はボロボロになっていた。もう戦闘が継続出来ないのは自明の理だ。

 テッカニンが速度を殺し、ゆるゆると降りていく。テッカニン自慢の高速の翅が見る影もなく破れていた。まるでささくれ立ったビニール袋のようだ。テッカニンの墜落を眺める事のどれほど残酷な事か。墜ち行く様は、敗北の二文字を容易に連想させた。テッカニンが墜ち切る前に、デオキシスはとどめの一撃を放った。テッカニンを背中から打ち据え、地面に叩きつけた。テッカニンは飛ぼうと翅を鳴らしたが、その身が浮き上がる事はなかった。ただ虚しく鳴くばかりだ。

「デオキシス。テレポートでこの先に向かう。確かタリハシティだったな。全ての始まりであり、終わりの場所に向かっていたとは。そこに何が待っているのか、興味深い」

 カルマの声にユウキは顔を上げて歯噛みした。テッカニンにありったけの思惟を送り込むが、テッカニンは微動だにしない。

 ――もう飛べない。

 その現実が否応なく圧し掛かってくる。

「貴様は最早、羽をもがれた羽虫。となれば、ただの虫か。ただの虫では俺には遠く及ばない。そこで地に伏せて自分の無力に死に絶えろ」

 ユウキは獣のように喚き声を上げた。「ひとおもいに殺せ!」と叫ぶ。カルマは、「それこそつまらない」と告げた。

「貴様にはこの世の地獄である敗北を味わわせてやろう。俺がかつて味わったように。苦渋の味を舐めて、どれだけ自分が愚かしく偉大な存在に立ち向かったかを知るんだな」

 カルマは四散したバイクへと目を向けた。ショートの火花が散っているとはいえ、まだ機体の骨子は残っている。それさえもデオキシスの一撃で砕いた。散らばる部品はユウキの心にある戦意の一欠けらに見えた。それが儚く散っていく。

 デオキシスと共にカルマがテレポートの幕の向こうに消え去ろうとする。ユウキは、「テッカニン!」と叫んでいた。

「バトンタッチ、ヌケニン!」

 テッカニンに代わりヌケニンが現れる。テッカニンは通常ならばモンスターボールに戻るが、翅がもがれているせいか途中で落下した。しかし、ヌケニンへの交替は果たされた。加速の特性を引き継いだヌケニンが素早くカルマを捉えようとする。

「影打ち!」

 カルマの影に一瞬にして入り込み、影に混じって爪を立てようとする。しかし、デオキシスがガムのように形状を変化させてカルマの身体を覆った。ディフェンスフォルムへと移行したデオキシスの壁にヌケニンの爪が虚しくぶつかる。カツン、と音を立てただけだった。表皮には傷一つない。

「終わりだな。もう俺と戦うだけの価値もない。そうだ。最後に絶望を味わわせてやろう。貴様の仲間であったランポは俺に手にかかって死んだ。タリハシティ跡地にいる奴らも同じ末路を辿らせてやろう」

 ユウキは目を慄かせた。カルマの言葉がにわかには信じられなかったが、しかし、予感はしていたのか、「ランポが……」と声を発する。

「ランポはもういない。最期まで黄金の夢やら、仲間やらとぬるい奴だった。所詮、器ではなかったという事だ。俺にこそ帝王の器は輝く」

 カルマが天を指差してテレポートのオーロラの向こう側へと消えていく。ユウキは行かせてはならないと感じつつも身体が動かなかった。ヌケニンにはネクストワイアードの効果はない。ただのトレーナーとポケモンでは勝てる気がしない。デオキシスの無効化など、全く考えつかなかった。

「さよならだ、無謀な反逆者よ」

 カルマの姿は薄く消え去った。後には敗者であるユウキだけが残された。無様に生き残ったその眼は地面を見つめたまま、一歩も動く事が出来なかった。


オンドゥル大使 ( 2014/06/01(日) 22:24 )