第八章 十七節「呪われた地へ」
マキシのポケッチを鳴らしたのは定期通信ではない。
ユウキが先ほどこちらと合流に向かった、という通信を得たばかりだった。ラティオスの上に乗ったマキシは首を引っ込めながらテクワからの通信を受け取った。
「どうした?」
『ヤバイ事になった』
テクワが身を起こす気配が伝わる。ガラガラと何かが崩れ落ちる音が聞こえた。
「おい、どうしたんだ?」
『ついさっきまで瓦礫の下だ。今、ようやく這い出た。ドラピオンが咄嗟に盾になってくれたお陰だ』
テクワの言葉は要領を得ない。マキシは、「俺が行くって言ってんだから」と口にする。
「お前は目的をこなせばいいんだ。ランポと和解したんだろ。もう大丈夫じゃないか。俺もさっきのカルマを引っ張り出した通信は聞いたぜ。スカッとした」
今回の任務でFと先に合流するように提案したのはマキシだった。ワイアードでもない自分ならば確実に合流出来る確率が高いと感じたのだ。目論見通り、Kとキーリ、マキシとレナがそれぞれラティアスとラティオスに乗ってハリマシティの空を駆けている。
「あたしにとっては意味のある言葉だったわ」と後ろに乗ったレナが口を挟む。
「半年間、穴倉に篭っていたのがようやく実を結んだ、って感じ。これでようやく反抗に出られる。あたし達がFと合流し、マキシか最悪でもKが破壊の遺伝子を手に入れられたら、あたし達の勝ちじゃない? カルマはもう逃げられない。ウィルからしてみてもヘキサ再興なんて害悪に違いないもの」
『……そのカルマだ』
テクワの声にはどこか暗い響きがあった。それを感じ取ったマキシが真剣な声音で尋ねる。
「何があった?」
『ランポが死んだ』
発せられた言葉の意味が、最初分からなかった。ランポが死んだ? 何故? と問いかけそうになって、ランポは自分達を生かすために死んだのだと悟った。
「カルマに殺されたのか」
『ああ。今の俺も、ドラピオンも動けねぇ。お前らの援護に回る事は不可能だ。だからこそ、言っておく。カルマの強さは伊達じゃない。このままじゃ、俺達は負ける』
テクワらしからぬ発言だったが、それほどまでの現実を目にしたのだろう。マキシは尋ねていた。
「この通信、ユウキには」
『聞かせていない。ユウキはこれからカルマと戦おうって言うんだ。余計な心配事をさせるわけにはいかないからな』
それは適切な判断だろうと思える。カルマと真正面からぶつかり合うであろうユウキに、ランポが死んだというイレギュラーを耳に入れさせてはならない。
「負けるからって俺達が足を止めるわけにはいかない。Fから破壊の遺伝子を受け取ってデオキシスを超える。そうすれば勝てるんだ。今のカルマにはもう組織の後ろ盾はない、って事だろ。好機じゃないか」
『そうとも言い切れないがな』
テクワの声音は曇っている。怖いもの知らずのテクワが恐怖しているというのか。レナがポケッチに声を吹き込んだ。
「どちらにせよ、破壊の遺伝子を手に入れなければあたし達に未来はないわ。カルマにそれを気取られていないでしょうね?」
『奴はユウキの気配を追っていった。もしかしたらお前らとかち合うかもしれない。そうなった場合、勝てる算段は……』
テクワが言葉を濁す。限りなくゼロに近い確率に、「でも、ゼロじゃない」とレナが返す。
「あたしはそう信じている」
『半年間で随分と前向きになったじゃねぇの』
「逃亡生活を続けていればね。希望的観測にすがりたい時も出てくるわ」
レナはそうでなくともユウキを信じているのだろう。半年間で芽生えた感情か。それとも、と考えかけて、らしくないで打ち消した。
『今、一番危ないのはユウキだが、お前らも充分に危ない。Fの下へと向かっている事を気取られればお前らだって無事じゃ済まないだろう』
「Fが示した受け渡しポイントは、充分意味深だからね」
レナの言葉にマキシは事前に交わした受け渡し交渉を思い返した。
「ハリマシティじゃない?」
ユウキが声を上げると、全員がFのモノリスが浮かんだウィンドウに目を向けた。キーリが腕を組んで、「そうよ」と当たり前のように告げる。
「ハリマシティはウィルのお膝元。私達δ部隊は特殊な場所に本拠地を置いている。それこそ、今までウィルを客観的に見て、なおかつ分析出来た最大の理由」
キーリはFのいる場所を知っているようだった。ユウキは代表してFへと尋ねる。
「F、その場所はどこです? ハリマシティじゃないとしたら、受け渡しにそれなりの時間がかかる事になる。僕は、姉さんとおじさんを助けてから向かわなくてはならない。そう遠い場所では」
『それほど遠くはない。君達全員が、言ってしまえばカイヘンの人々が忘れたくても忘れられない場所だ』
その言葉に一つだけ思い当たる場所があった。しかし、その場所は今封鎖されているはずだ。ユウキは慎重に声を出す。
「まさか、そこは……」
「そう。察しの通り」
キーリの言葉にウィンドウ上にカイヘンの地図が表示され、本土中央にある六角形の赤い禁止区域が拡大された。
「私達の本拠地は旧タリハシティ跡地。今は完全封鎖された場所よ」
半分は予想出来ていたが、半分は意外だった。「でも、タリハシティ跡地は」と声を出す。
「立ち入り禁止区域のはずです」
「そう。誰も立ち入る事は出来ない。四方のゲートは閉ざされ、空からでも無数の電子機器の干渉により降り立つ事も出来ない」
「では、どうやって……」
『δ部隊はタリハシティ跡地に関する全権を任されている』
Fの言葉にユウキは顔を上げた。キーリとKがポケッチを掲げる。
『キーリとKの二人が一緒ならば、ゲートロックは解除されるだろう』
「どうして、タリハシティなんかに……」
ユウキの疑問にキーリが答えた。
「誰にも迷惑のかからない安全な実験施設があるとすれば、どこだと思う? それはチャンピオンロードのような無人地帯に他ならない。タリハシティ跡地は理想的よ。ウィルがもし、実験の不手際があったとしても揉み消せるし、いざとなればその場所自体を封鎖出来る」
『そういう事だ。タリハシティ跡地が選ばれたのは、何よりもウィルが体裁を守るためだという事が大きい。カントーでさえ介入したくない場所だ。呪われた地と言えよう』
その呪われた場所にFは今までいたというのか。その場所から指示を飛ばし続けていたのか。ユウキはその心情を確かめてみたくなったが、やめておいた。
「タリハシティ跡地は、今は……」
『ヘキサ事件の慰霊モニュメントが建てられている。それだけの殺風景な場所だ。外面的には』
つまり実質的にはウィルの研究施設が存在する場所だという事だ。カイヘンが航空産業や、都市化を拒んで跡地に建てたのは雌伏のための施設だった。それが何やら皮肉めいている。
『軌道上からの衛星写真や地図まで誤魔化したウィルδ部隊の研究施設は地上からでも目に留まらない。外向けには慰霊モニュメントの管理施設とされているからね。その地下には巨大な施設があるのだが、君達にはそこまでご足労いただく必要はない。ワタシは慰霊モニュメントで待っている』
「つまり、受け渡しはタリハシティ跡地、慰霊モニュメント」
ユウキが確認の声を出すと、全員が頷いた。その時、出し抜けにマキシが口を開いた。
「ユウキは、家族を守る事が最優先だろう。この作戦、三手に分かれないか?」
「三手?」
ユウキが聞き返すと、マキシは、「俺達全員が動けば、さすがに怪しまれる」と続けた。
「だから三手に分かれる。テクワ。お前はユウキの援護射撃に回って欲しい」
「いいけど、いつものお前と俺の組み合わせじゃないぜ?」
不安がないのか、とテクワは問いかけているようだったが、マキシは頭を振った。
「今まで通りに動けば、それこそ元の木阿弥だ。俺達は一歩踏み出さなきゃならない。そうだろ」
ユウキへとマキシは視線を振り向ける。マキシとて、カタセとの決別を果たしたのだ。今までのようではいけないと感じているのだろう。ユウキは頷いて、「マキシの意見に賛成です」と言った。
「僕は姉さんとおじさんを助けたい。テクワ、力を貸してくれますか?」
「俺はいいけどよ。ユウキはバイクがあるからともかく、お前らはどうするよ?」
「私達はママのラティアスとラティオスでタリハシティへと向かうわ」
キーリが声を返す。
「きっと、それが一番早い」
「俺とK、キーリがタリハシティ跡地へと先回りして向かう。Fから破壊の遺伝子を受け取って、もしもの時に備える」
「もしも、ってのは?」
「カルマが一足早くタリハシティに到達する事、それと付け加えれば、ユウキ。お前が死ぬ事だ」
マキシの言葉にユウキは目を慄かせたが何も不自然な事ではないのだ。その可能性を視野に入れなければ、カルマを倒す機会は失われる。自分でなくとも目的を遂行出来なければならない。ユウキは深く頷いた。
「ええ。それが最も危惧すべき事です」
「破壊の遺伝子はワイアード以外でも効果は見込まれるのか?」
マキシがFに質問すると、Fは、『それなりには』と答えた。
『だが、それは、先ほどのデータで示した通り、イレギュラーも含み得る。もっとも、ワイアードで試したところでリスクは同じだが』
「じゃあ、もしもの時は俺か、Kが使えばいい」
マキシの言葉にユウキは、「頼みますよ」と口にした。マキシは、「お前が到達するのが一番だ」と返す。
「だからこれは、推奨される策ではない。本当に、最後の手段だと思ったほうがいい」
「それは承知しています」
ユウキは返し、Fのモノリスが表示されている画面へと向き直った。
「タリハシティ跡地、慰霊モニュメント。そこで全てが決する、と思っていいんですね?」
『ああ、そこで待とう』
Fの返答は短い。この段になってもFは自分の正体を明かそうとはしなかった。δ部隊の隊長である事だけだ。顔も、本当の声すらも明らかになっていない。それでも信じようと思ったのは、半年間付き合い続けた義理か。それとも人情が移ったのか。
「テクワは僕と一緒に移動して、先んじて狙撃姿勢を。キーリとK、それにマキシはタリハシティ跡地へ。レナさんは――」
「あたしもついていくわ」
意想外の言葉に全員が目を向けた。レナは眼鏡のブリッジを上げて、「何よ」と声を出す。
「あたしだけ仲間外れってわけ?」
「いえ、そういうわけでは。……ですが、危険です」
「今さら守られる立場でもないわ。一人でも戦力は欲しいはず。それに破壊の遺伝子というものが何をもたらすのか、興味はある」
「知的好奇心って奴ね」
キーリが茶化す声を出す。
「私達と変わらないわ」
「そうかもね。でも、あんたとあたしじゃ、決定的に違うわ」
「同じだなんて、怖気が走るわよ、オバサン」
あっけらかんと言い放つキーリに、「言うじゃないの、クソガキ」と負けじと返すレナ。二人のやり取りを自分達男は見守る事しか出来ない。
「……なぁ、半年もずっとこんな調子だったのか?」
テクワの潜めた声に、「まぁ」とユウキは肩を竦めた。
『それでは作戦を始める』
Fの号令に全員が身を強張らせた。
『タリハシティ跡地で一人でも辿り着く事が出来るよう、願っている』