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Recollection Fragment
 書類を捲りながら、「似てるんだよなぁ」と呟いたのはイシガキだった。捜査会議を終え、これからの捜査方針を部下であるケイと固めて行こうという時に発せられた声に、ケイは資料から顔を上げた。

「何がですか?」

「いや、熾天使事件って呼んでいる一連の事件が、さ」

 熾天使事件というのは俗称である。本当の事件名は「連続焼死事件六号」だ。しかし、警察内部でも熾天使で通っている節がある。熾天使、と名づけられたのは犯人が残していく痕跡に由来する。炎で焼けつけられた翼のような文様が壁やはたまた被害者の背中に焼け焦げとして残る。それを指して熾天使事件。事件の繋がりは炎のポケモンよる犯行というだけで髪の毛一本すら落ちていない。イシガキは何と似ていると思ったのだろう。

「何と、ですか?」

「いやぁ、もう八年ほど前になるかな。ヤマブキでさ、連続焼死事件五号ってのがあったんだよ。俗称が炎魔事件」

「あっ、聞いた事があります。確かそれも、炎のポケモンを持つトレーナーに的を絞った捜査方針だったんですよね」

 ケイが問いかけると、「ああ」とイシガキは苦い顔をして頭を掻いた。何か言わんとしている事があるのは分かったが、ケイには質問の糸口がない。イシガキの事情に無遠慮に踏み込んでいいのかも分からない。

「八年前といえば、お前はまだガキだな」

 イシガキがケイを見やって口を開く。「ですね」と応じたケイはこの機会に訊いてみる事にした。

「炎魔事件を、担当されていたんですか?」

「ああ、あれは酷い事件だったよ」

 イシガキが中空を睨んで懐から煙草を取り出した。ジッポで火を点けて、煙い吐息を漏らす。

「俺は先輩刑事と一緒に捜査したんだが、結局ホシは上がらず仕舞いだった。炎魔事件は間もなく終息。もう迷宮入りだ」

 過去を睨み据えるようにイシガキの目が細められた。ケイは覚えず尋ねていた。

「その先輩の刑事さんはどうしたんですか? もしかしたら今回の熾天使事件に有益な情報を――」

「殉職しちまったよ。バラバラに殺されてた」

 遮ったイシガキの言葉にケイは二の句を継げなくなった。恐らく凄惨なものを見たのであろうイシガキはため息混じりに口を開く。

「本当に酷い事件だった。それと今回の手口、似ているんだよな。炎のポケモンの仕業だという事もそうだが、何か根底に流れるものが」

「根底、ですか」

 それはきっとイシガキでしか分からないものなのだろう。イシガキはほとんど吸っていない煙草を灰皿に押し付け、「仕事の続きだ」と切り替えた。

「まだサガラ弟のほうの足取りがようとして知れない。兄が殺されたんだ。動き出してもいいはずだが」

 資料へと目を通すイシガキに、ケイは同じく資料の整理をしながら、それらを精読していった。どの事件でも殺されているのは犯罪歴のある人間ばかりだ。熾天使は犯罪者を罰しているのか。

「熾天使は、本当に悪なんでしょうか」

 思わず呟いた言葉にイシガキが目を見開いた。ケイも意識せずに口から出ていたので、慌てて訂正する。

「あ、いや、だからって熾天使の行動が許されるわけじゃなくって……」

「当たり前だろうが。でも、お前も同じ事言うんだな」

「同じ、事と言うと」

「俺も昔は炎魔が本当に悪なのかって思っていた。先輩刑事の前だと、俺は熱血漢気取っていたけどよ、腹の底じゃ炎魔って実は結構いい奴なんじゃないかって思っていたんだ。警察じゃ裁けない悪を裁いてくれている。けどな、それだと俺達の面子がないんだよ」

 寂しげにこぼしたイシガキはケイに視線を向けた。ケイは黙って聞いている。

「何のために警察はある? 何のために犯罪を追う? それは自己満足でも、ましてや偽善なんかじゃない。俺達が、規範を示さなきゃならないんだ。その規範の心が市民に行き渡り、正しき行いが伝えられる。それこそ世代を超えてな。だから俺達は存在する事に意味があるんだ」

「存在する事……」

 呆然と繰り返したケイは自分の中にその言葉が行き渡ったのを感じ、挙手敬礼を返した。それを見て、「よせよ」とイシガキが笑う。

「似合わない事するな。今は、ホシを挙げる。それだけだ」

 イシガキの言葉にケイは、「はい!」と声に出した。


























 目を開けると滅菌された白の光景が広がっていた。

 何が起こっているのか、ユーリは手を伸ばそうとしたが、そこで手足が拘束されている事に気づいた。周囲を見渡そうとするが、ベッドに寝かしつけられているせいで視界が巡らない。その視野の中にガラス越しの研究者達が移った。そこでユーリは思い出す。

 ポッドを揺らしていた重圧が解けたと思った直後の出来事だった。無事着水し、まずイマガワが外に出ようとした時、投光機の光が自分達を照らし出したのだ。最初は熱烈な歓迎だと思った。しかし、宇宙服を脱ぐように促され、ある一室に閉じ込められた時、部屋の隅から吹き出したガスが眠りを誘発したのだ。そこから先の記憶は曖昧である。ユーリは身体を揺らして無理やり起き上がろうとしたがそこで、「困りますねぇ」と声が聞こえてきた。視線を向けると、見知った小太りの男が白衣を身に纏って歩み寄ってきた。

「ヨシモト、あんた……」

「おや、名前を覚えていただいたとは光栄ですね」

 ヨシモトはにやりと口元を歪める。ユーリは身をよじって抵抗しながら、「何のつもりだ、これは」と声を上げた。

「何故、私を拘束する」

「あなた方の細胞を一度確認しなければならなくなりまして」

「確認? どういう意味だ?」

「既にお二方には変化が起きています」

 モニターを持ってきたヨシモトはユーリの前で広げて見せた。そこに映し出されていたのは壁に飛び散った血潮だった。イマガワが絶叫に固まった表情で腹部を切り開かれている。その時、何かがモニターの中を過ぎった。一瞬だったが、銀色の球体に見えた。カメラがそちらへと動く。見間違いではなかった。銀色の球体の両側にU字型の磁石がついている。頭頂部にはネジがあり、磁石を回転させて浮き上がっていた。ポケモンである。

「これは、コイルか……。どうして」

「僕達が提供した食品があったでしょう。あれはね、宇宙空間での天敵である骨粗しょう症にならないためのものだったんです」

 宇宙飛行士がまず留意すべきなのは慢性的な運動不足だ。無重力空間では特に顕著となる。骨粗しょう症が起こるリスクも高い。無重力に晒されるうちに、骨が脆くなる。

 しかし、それとコイルと何の関係があるのか。問い質そうとする前にヨシモトが声を出した。

「だから僕達は研究しました。宇宙空間で骨粗しょう症を防ぎ、なおかつ次世代の食生活を実現しようと。その結果、辿り着いたのが鋼タイプのポケモンの遺伝子を組み込んだ食事です」

「鋼タイプだと」

「そう。鋼タイプは強固な外骨格を持つ者が多い。それに着目して、遺伝子を解析、あなた方の食事に組み込みましたが、どうやら後ほど調べると欠陥があったようです。ポケモンの遺伝子は、人間には毒だ。強過ぎる鋼の遺伝子が蓄積されて暴走し、重力下になった場合、ポケモンとして覚醒する可能性があったのです。だから我々はあなた方三人を拘束した」

 ヨシモトの言葉にユーリは目を慄かせた。

「それは人体実験だ」

「もちろん。だからこそ、秘密裏に行ったのです。安心してください。こうして」

 ヨシモトがスイッチを押す。すると、コイルのいた室内がガスで満たされた。コイルの鋼の身体が見る見るうちに融け出し、ごとりと音を立てて落ちた。

「鋼タイプを壊死させるガスは既に開発しております。苦しまずに死ねますから」

「馬鹿な。じゃあ、俺達はどうなる? 記録は誤魔化せないぞ」

「それが誤魔化せるんですよ。あなた達はさらなる長期滞在を衛星軌道で行ってもらう事になった、と民間には触れ回っておきましょう。ああ、ジョウト政府はこれを受け入れました。シルフカンパニーの起こした事件は一大スキャンダルですからね。全てのポケモン産業が立ち行かなくなるよりかは、あなた方三人の犠牲で済むほうがいくらかマシだと判断したようです」

 切り捨てられた。その思いが胸にユーリは声を張り上げた。

「ふざけるな! 俺達は何のために、そんな身勝手な!」

「身勝手だろうと事実は事実です。覚醒した直後にガスを打ち込みますので、苦しまずに逝けますよ」

「ふざ、けるな」

 ユーリは喉元から声が出せなくなっている事に気づいた。ヨシモトがぎょっとして、「やばい」と口にした。

「もう覚醒が始まっている。総員退避。早くガスを流し込んで」

 ヨシモトの背中が扉の向こう側へと消えていく。ユーリはミシミシと身体が軋みを上げて巨大化していくのを感じた。自分でも制御出来ない感覚が思考を満たし、手足が収縮していく。

 ――モカ!

 最後に浮かんだ一滴の思考を消し去るようにユーリの身体が弾け、鋼の身体が飛び出した。





















 室内にガスが注入された瞬間、ユーリ・アネモニーの身体が弾け飛び、巨大な鋼の身体が飛び出した。ユーリの身体から飛び出したものは天井を吹き飛ばし、ガスを霧散させる。密室状態でないとガスは意味がない。そう判じたヨシモトは救命ボートに一足早く乗り込んだ。モニターで室内の様子を見ようとしたが、ユーリから出現した鋼のポケモンは予想よりも遥かに巨大だった。荒れ狂う波に浮かべた救命ボートからヨシモトは甲板を破って現れた巨大な鋼の蛇の威容を見やる。脊髄のような身体に頭部は槌の如くがっしりとしている。噛み合った顎から吐息を漏らし、それは月夜に吼えた。咆哮が響き、汽笛を掻き消す。鋼・地面タイプのポケモン、ハガネール。銀色の身体が月光を反射する。シルフカンパニーの自動操縦船舶はそのままカントーへと向かおうとしていた。

「このままじゃ、大スキャンダルだ」

 ヨシモトは声を発し、本社へと連絡を取った。ハガネールを乗せた船舶はゆっくりとカントーの港町へと進んでいた。

オンドゥル大使 ( 2013/07/10(水) 22:30 )