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「こりゃ、酷い手口だな」
思わず口にしてオウミは手に白い手袋をはめる。エレベーターの不調が訴えられたのが一時間前。つまり、全ては一時間前に終わっていたという事だ。オウミは部下を呼び出しながら、「これ見ろよ」と遺体を指差す。それを見た部下が口元を押さえてどこかへと去っていった。オウミは改めて二つの遺体を交互に見やる。残って調べている鑑識へと、「なぁ、どう思う?」と尋ねた。
「被害者はタレントのナカノです。顔が潰れていますが、免許証がポケットから見つかりました」
鑑識の言葉にオウミは倒れ伏している遺体を見つめる。頭部が焼け爛れており、首から上がなかった。血潮がエレベーター内に飛び散っている。全身が乾き切っており、生き物が焼ける独特の臭気が鼻をついた。オウミは、「なるほど」と呟いてから、ナカノというタレントの事を思い出す。歌番組やバラエティなど活躍は多岐に渡っていた。
「今回もあれですかね」
鑑識のぼやくような声にオウミは、「ああ」と頷いた。もう一つの遺体へと視線を移す。
「んで、こいつがあれの仕業だとして、何でこのオバサン死んでんの?」
オウミが指差したのは絶叫の形で口を開いたまま壁にもたれかかって絶命している中年の女だった。眼が飛び出される寸前まで見開かれている。眼鏡の蔓が片方ずり落ちていた。鑑識が、「ショック死ですね」と淡々と告げる。現場写真を撮るフラッシュが焚かれた。
「恐らくは死体を見て心臓麻痺でも起こしたんでしょう。この女性は無関係のようですが」
「運が悪かった、って事か」
南無阿弥陀仏を唱えながらオウミは女へと両手を合わせる。戻ってきた部下がハンカチで口元を押さえて、「また、奴ですか?」と尋ねる。オウミは、「おおよ」と応じた。
「炎魔だ」
オウミはヤマブキシティの警察機構に務めていた。警察署ではオウミが報告書を纏め、炎魔について上に通さねばならない。部下のイシガキは、「それにしても」とオウミの後ろに続きながら口を開いた。
「炎魔事件。続きますね」
「まぁな。ここ最近は特に多い」
「仕事がいくらやっても減りませんよ。これじゃいたちごっこだ。マスコミじゃ警察不要、炎魔さえいればいい、っていう声もありますからね」
炎魔、と言う名はこの事件が一般に広がった際に付けられた俗称である。正式名称は「連続焼死事件五号」という名前だったが、最早警察内部でも炎魔事件で通っている節がある。
オウミはデスクに報告書の束を置きながら、携行端末にも同じデータを同期する。イシガキは拳を作りながら、「僕らが執念を燃やしても、意味がないって言われているみたいで」と苦々しく口走る。
「炎魔は、殺人犯なのに」
「仕方ないだろ。被害者はみんな後ろ暗い奴らばっかりなんだ。世直し、って思う奴らがいるのも無理からぬ事さ」
頬杖をついて息を漏らす。イシガキは、「しかし……」とまだ苦渋を滲ませた口調で諦めきれない様子だった。被害者は皆、大小の差はあれ、有名人を気取った犯罪者達だ。炎魔が裁くのは決して世の中の法では裁けない者達ばかりである。一度暴いた程度では保釈金を使ってすぐに世の中に這い出してくる。むしろ、このような連中を相手取っていたちごっこと形容するのが正しかった。
デスクでオウミが、「悔しいのか?」とイシガキに尋ねる。
「悔しいですよ」と生真面目な部下は応じた。
「それはお前が仕事を取られている気がするからか? それとも正義感で?」
オウミの問いかけに、「そりゃ」とイシガキは迷いなく答える。
「正義感ですよ。だって、いくら悪い奴でも殺してしまったら意味がない」
熱血漢であるイシガキの言動にオウミはフッと口元を緩める。イシガキが、「何ですか」と不服そうな声を出した。
「いや、お前は真面目だなって思ってな。お前みたいな奴が一人でもいると、まだ世の中捨てたもんじゃないって思えるよ」
オウミが立ち上がり、イシガキの肩にポンと手を置いた。労わる言葉に、「恐縮です」と敬礼が返ってくる。オウミが笑いながら、「おいおい」といさめた。
「俺はそんなもんが欲しくって褒めたわけじゃないぞ」
「それでも、嬉しかったですから」
飾らぬ物言いに、本当にこの部下は真っ直ぐだ、と思い直す。オウミは、「気負うなよ」とアドバイスをした。
「あまり前向きだと足元すくわれるぞ。たまには足元にも視線を落とせ」
「すくわれて困る足じゃないですよ」
「そうかな」
オウミは荷物を鞄に纏め始めた。警察官用の携行端末、ポケギアPにはあらゆる技術が詰まっている。片手に巻くタイプだが、これだけで膨大な事件資料を整理する事が可能だ。荷物を纏め始めるオウミへと、イシガキが言葉を発した。
「もう帰るんですか?」
「ああ。これでうるさいでやんの」
指を立ててそれを示す。イシガキは、「羨ましいですね」と口にした。
「帰る家を守ってくれる人がいて」
「お前も早く作れ。な。そうすると仕事に潤いが出る」
「僕は、今の段階で満たされてますよ」
「それでも、だよ。いるのといないのとじゃえらく違うんだ」
オウミは片手に仕事鞄を引っ提げて、捜査一課を後にする。背中に、「お疲れ様です」の言葉を聞き、オウミは片手を上げた。ポケギアPを出入り口で翳して今日の勤務が終わった事を告げ、オウミは街へと繰り出した。ヤマブキシティは夜になると装いが変わる。隣は大都市タマムシシティだ。ゲームコーナーがあるタマムシシティのほうがいくらか煌びやかだが、首都であるヤマブキシティも装いは同じだ。巨大建築物が屹立し、背の高いビルの屋上では赤い光が明滅している。オウミはその中でも、さほど大した事のない場所に部屋を構えていた。モルタルの壁は今時では逆に珍しい。オウミはポストに届いている郵便物を確認し、二階にある自宅へと入った。鍵はかかっていない。簡素な部屋だった。リビングがあり、寝室があるが置かれている調度品はどれも黒と銀色で構成された味気ないものばかりである。リビングに入るとテレビの音が聞こえてきた。ソファに膝を抱いて座り込んでいる人影を見つける。リモコンを持っており、忙しなくチャンネルを換えていた。オウミは歩み寄ってリモコンを横取りする。先ほどまでテレビに見入っていた黒い制服の少女が声を出した。
「私の……」
「お前のじゃねぇ。俺のだ」
オウミは隣に座り込む。懐に手を入れて煙草を探し当てると、少女が人差し指を差し出した。その前の空間が歪み、僅かな火花が発せられる。その火で煙草がつけられた。甘ったるい空気を吸い込みながら、「気が利くようになったじゃねぇか」と口にする。
「シャクエン」
シャクエンと呼ばれた少女は、「気が利くわけじゃない」と抗弁の口を開く。
「どうだかな。いい女になってきやがった。ナカノとはどうだった?」
「どうも。何もしていない」
「それで取り入れたのか。あいつはとんだ間抜け野郎だ」
オウミが笑い声を上げる。シャクエンは仏頂面をテレビへと投げ続けていた。サッカーの試合中継が映っている。オウミはシャクエンの肩に腕を回した。
「事件資料は何とか誤魔化してある。今回も見事な手際だった」
「それはどうも」
「つれねぇな」
「褒められたくってやっているわけじゃないから」
シャクエンは淡々としている。オウミは鼻を鳴らした。
「でも、今回、オバサンまで殺しちまったのはミスだったな」
顔を背けながら息を吐き出すと、シャクエンは振り向いた。その黒曜石のような眼差しが初めて感情を湛える。オウミは、「意外だったか?」と訊いた。
「そう。死んだの、あのおばさん……」
「傷心か?」
「別に。何て事はない」
「だろうな。まぁ、あのオバサンは自業自得だ。見ちゃいけねぇもんを見ちまった。それにしてもよぉ。どうせ殺るんなら部屋まで行ってからにすればよかったのに。何でエレベーターなんて場所を選んだ?」
シャクエンは顔を背ける。答えたくないとでも言うように。オウミはシャクエンの肩に置いた手をくねらせて、「なぁ、シャクエンよぉ」と口を開いた。
「お前が捕まらないのは俺のおかげなんだぜ? 捜査資料を誤魔化して、金で罪を揉み消している連中をリストアップしてよ。どうしてそんな酔狂に加担していると思う?」
オウミの問いかけにシャクエンは無言を貫いた。オウミは眉根を寄せて、「分からねぇんなら教えてやる」とシャクエンの顎を掴んで無理やり振り向かせた。
「表の金は回ってこないけどよ。裏の金はたんまり入ってくる。おまけに裏に顔も利く。炎魔を従えているって言えば、大概の奴は俺を裏切る事はねぇ」
シャクエンがオウミの手を振り切って視線を逸らす。裏業界で「炎魔」は有名な通り名だった。古来より炎のポケモンを従え、暗殺を生業にする少女の事を裏では炎魔と呼ぶ。歴史を遡れば、何世紀も前からあったというこの名前は代々少女が「シャクエン」のコードネームと共に受け継ぐ事となっている。受け継ぐポケモンも同じだ。
「今もお前の背後にいるのか? 蜃気楼は」
シャクエンは片手を繰った。すると、空間が捩れ、歪んだ場所が炎熱を携えて黒い姿を現す。鼬のような黒い表皮と乳白色の腹を持ち、襟巻きのように炎が揺らめいている。このポケモンは名をバクフーンと言ったが、炎魔は「シャクエン」の名と共にこのポケモンの名前を「蜃気楼」と名づけるのが習わしだ。
「おいおい。不用意に出すんじゃねえよ。暑いだろうが」
シャクエンが片手を繰ると、蜃気楼はまたも空間の中に消えた。オウミが上着を脱いで、シャツに風を通しながら、「それにしても」と笑みを浮かべる。
「お前を手に入れてから俺の人生は上り調子だ。本来ならよぉ、お前みたいなのは縁がないものなんだが、これも巡り合わせか?」
「知らない。興味もない」
淡白に告げるシャクエンへと、オウミは詰め寄った。煙い吐息がシャクエンの顔にかかり、シャクエンは顔をしかめる。そのままソファに押し倒した。
「お前を何のために養っていると思っている? 先代の炎魔である両親を殺した人間を見つけ出すためだろうが。そのために何でもするって契約したよなぁ?」
シャクエンは肩を引っ掴まれ苦痛に顔を歪めた。「この制服も」とオウミが告げる。
「全てはそのためだろうが。なのに、お前は自分勝手に裏切れると思っているのかよ」
オウミの手が滑るようにスカートの内側へと入る。シャクエンは虚空に視線を投げたまま、動きのない奈落の瞳を向け続けた。