Fire
エレベーターの到着音が響く。
カントーはヤマブキシティのビル群において繁華街に面したビルの中、男と少女は憚るようにそのビルを訪れた。男は金髪で耳にピアスを開けている。見た目は端正で清潔感が漂っているように見えるが、少女の腰に腕を回し、見下ろす瞳は下卑たものだった。少女は何も言わず男の手を振り払いもしない。
それを免罪符とでも取ったのか、男の手がスカートへと伸びる。少女は黒い制服姿であった。肩口に乳白色の矢じりの紋章が刻まれており、育ちのいい学校の出である事が分かる。黒い髪を短く後ろで結っており、顔立ちからまだ幼いように見えた。男と少女がエレベーターに乗り込むと、その後ろから大柄な中年の女が乗り込んできた。女はほとんどねじ込むようにエレベーターへと入る。男は目に見えて不愉快そうに顔をしかめたが、少女の表情は変わらなかった。
三人を乗せてエレベーターがゆっくりと上昇を始める。六十階建ての高層ビルのためかエレベーターの移動速度は非常にゆっくりだ。ガコン、と一々物音がする。その機械音に紛れて男は少女のスカートの中へと手を伸ばした。背後から尻を撫でる。もう片方の手で首筋を愛撫しようとするのを見て、女が吐き捨てた。
「……有名人が、こんなところで色気づいて」
その言葉に緩やかに膨らんだ胸元へと伸びかけていた指が止まった。男が背後を振り返る。女は顔を伏せて続けた。眼が悪いのか瓶底のような度の高い眼鏡をかけている。
「あんたに言っているんだよ、あたしは」
男は這わせていた指を離し、女へと向き直った。壁に手をついて顎をしゃくり威嚇する。
「何言ってるのか分かってんのか、ババァ」
威圧する言葉に怯まず、女は、「その女の子」と言葉を発した。
「買ってきたのかい? テレビに出ているからと言って、こんな空間でやられちゃ堪ったもんじゃないよ」
少女の眼差しが僅かに揺れて男へと向けられる。男は歯を剥き出しにして、「こいつが買われに来たんだよ」と口にした。
「口を挟むなよ、一般人。てめーのタレコミなんて怖くねぇ」
男が振り返り、襟元から風を入れる。「にしても暑いな」と呟く。少女は陶器のように白い肌に全く感慨も浮かべない。女はいきり立って言葉を発した。見れば女の顔にも汗が浮いている。憤りのせいか、それともエレベーター内の暑さのせいか。女は息を荒立たせた。
「あんたみたいな人間はね、クズだよ! 生きてちゃいけないんだ!」
女の声に、「うるせぇ、なっ!」と男は振り返り様に片手を振るった。女の頬を捉え、眼鏡がエレベーターの床を転がる。女が、「ああ!」と声を上げた。男は女の手から眼鏡を足で蹴って遠ざける。眼鏡を探る手を踏みつけた。女が痛みに呻く。
「生きてちゃいけねぇだって? そりゃどっちだよ、ババァ」
男の言葉に女が顔を上げようとした時、少女が片手を中空に掲げて内側に繰った。その直後、少女の傍らの空間が歪んで黒い影が現われた。
男がその気配に気づいて顔を振り向けた瞬間、帯のような影は襟巻きの炎を発した。その炎が一瞬にして酸素を奪い、男の視界を埋め尽くした。
刹那の出来事に、男は抵抗する事も出来ない。
炎熱を凝縮した腕が男の頭を掴んだ。影が、かぁっ、と口を開いて赤い口腔を露にする。炎の嵐が巻き起こり、男の身体から一瞬にして水分を奪い去った。からからに乾いた男がその場に膝をつく。炎熱を湛えた影は拳を放った。男の頭部が砕け散り、血潮をぶちまける。その血の一部が女に引っかかった。突然の事に女が、「ひぃっ」と身を竦ませる。しかし見えていないのだろう。眼鏡を探す手を休めずに、「あんたみたいなのはね……」と説教を続けている。少女は手を繰って、「戻れ」と命じた。影の像が歪み、空間の向こう側へと消えていく。少女はエレベーターのボタンを押して近くの階層で下りた。女は眼鏡をまだ探している。少女が降りた事にも気づいていないようだった。
豪奢な廊下を歩いて、エレベーターを後にする。女には悪いが焼死体と一緒にしばらくいてもらおう。少女はそう思って廊下でステップを踏み、末端にあるホールへと訪れた。ホールはガラス張りで誰一人としていない。少女は片手を開いてガラスに触れた。すると、少女と同期した何かがガラスを瞬く間に融かしていくではないか。一瞬にして大穴が開いたホールから眼下を見下ろす。
煌びやかに着飾った街並みが映る。ネオンサインが夜を告げ、赤や青や黄色の光はまるで蝶の類だ。その実が危険色だとも知らない人々が安寧を貪っている。少女はホールから身を躍らせた。風が少女の制服を煽る。十メートルほど下の隣のビルへと難なく降り立ち、少女は屋上を駆け出した。
夜を舞う少女に追従するように火の粉を肩口から散らせる獣の姿が青い月夜に映った。