黒竜落涙譚
雑音異聞
 カントーのラジオに妙なノイズが混ざり始めた、という報告がシオンタウンラジオ塔建築後数日経って立て続けに知らされた。関係者は皆、眉をひそめ、中にはしたり顔で、「やはり」という者もいた。

「ポケモンタワーを移譲したのが間違いだったのだ」という過激派論者だ。幽霊の類を信じるロマンチストという見方も出来る。どちらにせよ、世論の情勢を鑑みるに、何かしらの策を講じるべきではあった。祈祷師やジョウトから高僧の人々を招き、心霊番組が執り行われた。しかし、ラジオから漏れ聞こえる声は止むことはない。カントーの行政区、特にシオンタウン周辺ではラジオの視聴者が減る事を恐れて、「ノイズの類であり、アップデートすれば問題ない」という号令を出した。その号令で多くの市民は安心したものの、中には動画サイトにノイズ部分のみを抜き出して、面白半分に加工したり、「恐怖動画」としていたずらに不安を煽ったりする道具として使う輩も増えた。

 シオンタウンラジオ塔管理者であるイイジマは書類の束を叩きながら、「これじゃ商売あがったりだ!」と喚く。彼のいる階層は三階、かつて墓場のあった階層であるが、しっかりと供養はされており、魂の家に委譲する時もそれに伴う催し物は行った。何より、彼は幽霊の類を信じていない。イイジマの前に引き出された部下のヤジロは額を汗で拭いながら、「全くその通りで」という言葉を繰り返している。イイジマは立ち上がって、後ろ手に手を組んだ。ガラス張りの外の景色を眼下に収めながら、「この事業はね、シオンタウンの村おこしの意味もあるんだよ」と告げた。

「シオンタウンは魂の眠る紫苑の街。かつてのロケット団による横暴の過去とそのイメージを払拭し、クリーンにいきたいと願うのは誰だって当然ではないかね?」

 ヤジロへと向き直ってイイジマが文句を言う。ヤジロは、「全くその通りで」としか言わない。主張のない部下だ、とイイジマは思う。もっとも、だからこそ彼は買っているのだが。イイジマはデスクを叩いて、「とにかく」と言葉を発する。

「このままではまずい。オーキド博士もラジオDJも不安を隠せていない。自分達のラジオにノイズが混じっているとなればそれは当然だろう。何か、手はないものか」

 イイジマが顎に手を添えて考え込む。その時、扉がノックされた。

「入りたまえ」

 促すと、「失礼します」とADの一人が立ち入ってきた。

「イイジマ局長。ぜひ、ラジオ塔を見学したいという者がいまして……」

「見学者? 駄目だ、駄目だ。この間のロケット団によるラジオ局占拠事件を忘れたのか」

 イイジマがこう言い張るのは、つい先日、ジョウトの地にてロケット団残党勢力によるラジオ局の占拠行動があったからだ。それに伴う経済的損失と、セキュリティ観点の甘さが露呈し、地続きであるカントーまでもそのあおりを受けて警備を見直す事になった。イイジマは考える。カントーはあまりにも日和見が過ぎるのではないか。一度排斥した組織が盛り返す事を全く視野に入れていない。実質的支配と被害を受けたハナダシティ、シオンタウン、ヤマブキシティは教訓を踏まえ、カントー全域に早期から警備体制の強化と現行の態勢では対処し切れない危険性を説いてきたが、聞き入れられず、ジョウトの地が犠牲となった。もっとも、すぐにその騒ぎは収まったと聞く。ある一人のトレーナーがジョウトのロケット団残党を壊滅させた。たった一人で、という部分が眉唾物ではあるが、そのトレーナーが程なくセキエイ高原の玉座に収まったところを見ると嘘ではないようだ。ジャーナリスト魂が件のトレーナーへのリポートを敢行させようとしたが、局長とはいえ一介の人間が謁見できる存在ではない。それに当の本人は無口で何があったのかは推し量るしかなかった。まだADは居座っている。イイジマは苛立ちを隠しもせずに、「何だ?」と睨みつけた。

「駄目だと言っただろう」

「しかし、妙な風貌の男でして」

「トレーナーはみんな妙だ。今さら何がある」

 イイジマもかつてはポケモントレーナーだったので、奇抜な格好をしているトレーナーなど見飽きている。

「そういう妙ではなくってですね。あの、このラジオ塔に蔓延っている何かが視える、と言い出したんです」

「視える、だと。馬鹿な」

 イイジマは言い捨てようとしたが、ADはなおも食い下がる。

「奇妙奇抜を極めた格好の者でして、その追い払うのも面倒な輩で……。そこいらを物色し始めまして」

「物色って、一階しか公開していないだろう」

 今のラジオ塔の見学は一階のロビーしか出来ない。何を物色するというのか。

「ですから、その、そこいらにお札を貼ったり、その……」

 ADが言い難そうに口にする。それは立派な営業妨害だ。イイジマはデスクを叩きつけた。

「警察を呼べ!」

「警備員に連れ出させるように命じましたが、後悔するぞ、と奇妙な脅しをつけられまして」

「因縁をつけてくるのは決まってそういう大した事のない奴だ。放っておけばいい」

 イイジマは吐き捨てて片手を振るい、ガラスの外へと視線を向けた。すると、一人の影があった。三階の距離からでも分かる奇抜な格好である。水色の着物を羽織っており、紫色の頭巾を被っている。全身に何かをぶら提げている。遠目で見たならば奇術師か何かに見えた。それだけならばイイジマは気にも留めなかったのだが、その人影が振り返ったかと思うと、イイジマに向けて指鉄砲を向けたのである。まるでこちらが見えているかのように。怖気が走ったのを感じて、イイジマは部屋から出て行きかけているADを、「おい」と呼び止めた。

「そいつは水色の着物を着ていなかったか?」

 その言葉にADはへこへこと頭を下げながら、「はい」と応じた。

「全身にモンスターボールを数珠みたいにつけた奴で、紫色の頭巾を被っていました。顔は白粉をつけたような化粧をしていて、目の縁には紫色の隈取りが」

 聞いた限りでは不審者以外の何者でもない。しかし、何やら胸がざわつくのを感じて、イイジマは言葉を発した。

「連れて来い」

 一瞬、言われた意味が分からなかったのか、「は?」とADは固まった。イイジマはもう一度告げる。

「このラジオ塔に連れて来い。何ならこの部屋に通しても構わん」

 どのような風の吹き回しかと思ったのだろう。ADはしばらく物事を整理するように、「えっと……」と両手を擦る。

「それは、どういう――」

「見学を許す、と言っているんだ。早くしろ!」

 責め立てると、ADは弾かれたように部屋から出て慌しく廊下を駆けていった。イイジマは局長の席に座りながら、ふぅと息をつく。

「面倒だな。だが、何かしら気になる。そうは思わんか?」

 ヤジロに問いかけると、「全くその通りで」という変わらぬ返答が返ってきた。五分も経たずにADが連れて来た男は先ほどの説明通りの男であり、さらに言えばイイジマに指鉄砲を向けた人影と同一だった。

「見学の許可を下していただき、感謝します」

 男、だと判断したのは声音からだ。狐のような端正な顔立ちに白粉となれば、性別を判断するのは難しい。紫色の隈取りを施した眼できょろきょろと局長室を見渡す。ADは困り果てて、「あの」と口を開く。

「それで、その、どのようなご用件で」

「僕はこのラジオ塔に巣食うもののけが視える」

 率直に放たれた言葉にADもイイジマも言葉を失った。何の事か、としらを切る前に、「隠し立てしようとしても無駄です」と白粉の男は告げた。

「悪しきものを討ち滅ぼさん。そのために、僕はこの地へと赴いた」

「失礼ですが、出自はどこの」

「ジョウトはキキョウシティの出身です」

 キキョウシティといえば高僧を輩出する事で有名なマダツボミの塔がある。まさか、そこの僧なのか。イイジマは尋ねていた。

「あなたは、その、マダツボミの塔の高僧で?」

「いえ。僕は確かにそこで修行しましたが破門されてきました」

「何ですって?」

 イイジマが聞き返すと、男は狐のような糸の眼を細めて、「僕の術は」と口を開く。

「外典の術。マダツボミの塔にいる人間からしてみれば、僕は外道と同じです」

 思わぬ告白にADとイイジマは視線を交わし合う。ADが慎重に訊いていた。

「では、名のある高僧ではないと?」

「僭越ながら、名はあります。しかし外典を使うゆえ、名乗れぬ身。ここではそうですね。エシ、とでも名乗りましょう」

 エシ、と名乗った男は周囲を見渡して、「清めの術は、既に用いてありますね」と言った。

「あ、ああ。魂の家に移す際にその近辺はしっかりしておくべきだと忠告されましてね。供養の類はしっかりとしております」

「しかし、この場所から離れぬ霊がいる」

 エシの言葉にイイジマは目を見開いた。霊、とはっきりと口にした。ADは、「やはり、そうなのでしょうか」と不安げに呟く。

「ノイズの件も、それで……」

「ノイズ? ああ、ラジオの。僕はポケギアを持っていないから分からないんです」

 ADとイイジマは不安げな目をお互いに配る。では、このエシなる男は何故ここに来たというのだろうか。

「ラジオの噂で来たのではないと?」

「ああ、そうです。僕は、シオンタウンという街に興味があった。以前にも来た事があったのですが、その時は民衆全員が何かしらに取り憑かれている様子だった。全員が神経過敏だったと言えましょう。その時に、ポケモンタワーにも上りましたが、あの悪しき事。怨念が呪詛の言葉を吐き、霊気に塗れた暗雲がこの街を覆っていた。まるで天蓋のように。しかし、その天蓋は外れたご様子。民衆も、解き放たれたように爽やかです」

「だというのに、何故」

 思わずイイジマは尋ねていた。全ては好転したはずだ。ポケモンタワーの役割は魂の家へと引き継がれ、民衆からも不安の翳りは消えた。それなのに、一点の墨を落したかのような不吉さはどこから生じているのか。

「ADさん。このラジオ塔に詰めている人員の名簿をもらえますか?」

 エシの思わぬ言葉にADは戸惑った。イイジマは、「言う通りにしろ」と命令していた。何故だかエシの言う事には逆らわないほうが賢明のような気がしたのだ。この奇妙な風貌の男は何かとてつもない鍵を握っている。この数分の会話でイイジマにはそれが分かった。ずっと否定し続けていたラジオ塔に巣食う怨霊をこの男が滅してくれるならばそれに越した事はない。

 ADが息を切らして名簿を持ってきた。エシはぱらぱらと確認し、「なるほど」と口にした。

「総勢四十一名。間違いありませんね?」

「はい。確認しました」

 ADが答えると、「それはおかしいな」とエシは尖った顎に手を添えた。

「何がおかしいのです?」

「僕は、通してもらうまでにここにいる人数を数えていたんですよ。そうしたら、僕の記憶が正しければ、ここに詰めている人員は四十二名だったはずだ。一人、多いんですよ」

 その言葉にイイジマは全身が総毛立つのを感じた。ひやりした汗が顎へと伝う。
「勘違いでは?」と口を挟むADに、「そんなはずはない」ときっぱりと言い切るエシは数珠のように提げたモンスターボールの一つを手に取った。

「行きなさい」

 緊急射出ボタンに指をかけ、手の中でボールが割れる。中から光に包まれて射出されたのは二足歩行する白色のポケモンだった。丸みを帯びた身体つきをしており、白い体表に茶色の縞模様が走っている。ベレー帽のような頭部を持っており、耳が垂れ下がっていた。舌を出して忙しなく呼吸をする。何より特徴的なのはその尻尾だ。筆のように豊かな尻尾の先端から緑色の分泌液が出ている。滴っているそれを見て、イイジマは顔をしかめた。

「この、ポケモンは」

「――ドーブル。この地の真と理を示せ」

 命じられたポケモン――ドーブルは壁へと何かを描き出した。豪奢な白亜の壁などお構いなしである。ADが止めにかかろうとしたが、エシは黙って見ているように、と唇の前で指を立てた。イイジマとADが見つめていると、ドーブルが描き出したのは魔法陣だった。

 豪胆な筆致で描かれた魔法陣の内側が青く光り輝き、エシが袖口から何かを取り出す。それは油絵に用いるヘラだった。ヘラを振りかぶったエシから身を庇うようにADが後ずさる。イイジマも思わず尻餅をついていた。ヘラはドーブルの描いた魔法陣へと投げつけられる。魔法陣の中心でヘラが縫い止められた。その瞬間、どす黒い瘴気が魔法陣から溢れ出した。オォン、と怨嗟の声が響き渡る。

「滅!」

 ドーブルが一筆を書き加える。魔法陣は完成していなかった。最後の円の一端だけが故意に書き損じられていた。一筆がまるで剣閃のように振るわれ、青い光を上塗りする。その直後、黒々とした瘴気が暴れ出し、魔法陣の内側へと吸い込まれていった。ヘラへと赤黒い何かが滲み出す。一連の動作を見守っていたイイジマとADは唖然と口を開けていた。エシがヘラへと歩み寄り、突き立ったヘラを抜いて、袖口へと再び隠す。「戻れ」とドーブルへとモンスターボールを向けた。ドーブルが赤い粒子となって吸い込まれていく。エシは笑みを作った。

「もう安心です。ノイズが混じる事はないでしょう」

「い、今ので終わりですか……」

 目の前で起こった物事が信じられず、イイジマが尋ねると、エシは、「はい」と応じる声を出した。

「このラジオ塔は清浄な気で保たれています。大丈夫でしょう」

「何が、原因だったのでしょうか」

 ADが訊くとエシは、「そうですね」と思案した。

「きっと、何者かが持ち込んだんでしょうね。野心と一緒に怨霊を。恐らく、改築時に既に元からいた者達はしかるべき場所へと移されたのでしょうが、後から来たそれが居座った、というわけなのでしょう。呪術的な結界が施された様子もありませんから、本当に、今いる者達を移すためだったのでしょうね。外から来る者には無頓着だった」

 エシの説明の半分もイイジマには理解出来なかったが、結論だけを求めた。

「もう大丈夫なのですね」

 エシは微笑んで、「ええ。何の心配もございません」と言い切った。イイジマは肩の荷が下りたのを感じた。これでクレームに悩まされずに済む。

「この結界は残しておきましょう。もう何者も邪魔する事は出来ぬように」

 エシが壁に乱暴に描かれた魔法陣を示す。イイジマとADはただ頷く事しか出来なかった。エシが局長室を去ろうとする。イイジマは、「何かお礼をしたい」と呼び止めたが、エシは首を横に振った。

「いりません。僕に出来る事はこの程度。心の隙間は、心に巣食う雑音の残りは、あなた自身で埋めてください」

 最後の言葉の意味は分からなかった。去っていくエシの背中を眺め、ADが追従していく。イイジマはハンカチで額に浮いた汗を拭って、「やれやれ」と口にした。

「とんでもない珍客だった。そう思うだろう?」

 イイジマは問いかけた。しかし、声は返ってこなかった。周囲を見渡す。この部屋にいるべき人間が、一人、消え失せている事にようやく気づいた。エシが現れてから、彼≠ヘ一度として出て来ていない。エシがこのラジオ塔に来るまではいたのに。イイジマは立ち上がって呼びかけを続けた。

「どこに行ったんだ。ヤジロ。お前は……」

 そこで気づく。ヤジロなる人物の役職は何だったか。どうして自分は近くに置いていたのか。帰ってきたADへとイイジマは質問していた。

「なぁ、おい。ヤジロって言う奴を知っているよな?」

「ヤジロ? 知りませんよ、そんな人」

「ここに」とイイジマは床を踏み鳴らす。

「いつもいただろう? どうして忘れているんだ?」

 ADは顔をしかめ、「局長。言いづらいのですが」と口を開いた。

「局長はいつも独り言が大きい事で有名ですよ。廊下まで聞こえています。自分で納得なされていますし、ちょっと不気味ですよ」

 ADの言葉にイイジマは閉口した。「それでは私はこれで」とADが局長室を去る。イイジマは魔法陣が刻まれた局長室の中で一人視線を走らせて、「なぁ、ヤジロ」と言っていた。

「どこへ行ったんだ。ヤジロ。お前はいるよな。私の部下で、それで……」

「全くその通りで」という返答は二度と聞けなかった。


オンドゥル大使 ( 2013/05/28(火) 22:35 )