黒竜落涙譚
神速の旗
 砂礫の大地に流れるは荒涼とした風だった。

 喉の奥が渇いたのを感じて、彼は唾を飲み下そうとしたが、それすら許さないほどの緊張が辺りを押し包んでいる。

 彼は魔獣の一体に跨っていた。灰色の身体で凹凸があり、剥き出しの岩肌か山脈のような体躯の魔獣の名はサイホーン。彼が捕らえてきた魔獣だ。元は「角騎獣」と呼ばれていたが、外来の言葉の馴染みがよかったためか、一族でもサイホーンの呼び名が二世代ほど前からまかり通っている。

 人間は魔獣を従え、その証として魔獣に鎧を与える。サイホーンの頭部に焦げ茶色の兜がつけられている。灰色の身体には鎧がつけられていたが、これは防御のためではない。正確には魔獣の力を抑えるための拘束具としての役割を果たしている。魔獣は人間にとっては一度暴れれば厄介な相手だ。自然そのものである魔獣は他の生物のような協調性は持っていないと彼は認識している。彼が教えを乞うた先人からも、「魔獣は忌むべきもの」と教えられてきた。魔獣を拘束し、人間の支配下に置く。そのために、魔獣を用いるのだ。魔獣を倒せるのは魔獣のみ。それは暗黙の了解として彼と彼の仲間達との間に流れていた。彼は灰色の兜を被り直し、背中に担いだ旗を確認した。赤い旗に金色の十字が刻まれている。十字に絡まるは蛇だ。彼の所属する集団のモチーフだった。彼は周囲を見渡す。ざっと五人。サイホーンに跨る彼らは「紅玉の一族」の名前を戴いていた。

 サイホーンは呼吸が荒い。彼と跨る仲間達は呼吸さえ殺していたが、サイホーンはそうではない。落ち着け、と促すように彼はサイホーンの横っ面を何度か叩いた。サイホーンの牙は削いである。サイホーンは雑食で岩などの無機物さえも主食としているが、飼い慣らすには適度に食事を制限しなければならない。牙を削いだサイホーンは最初のほうこそ抵抗する。しかし、空腹には抗えず、彼らの用意する食事を口にするのだ。その食事こそ魔獣を従えるのに必要な要素の一つである。木の実から作った特殊な粘液を絡み合わせて作ったパンに似た食事は魔獣を無意識的に従わせる効能を持っている。

 彼の乗っているサイホーンは半年間、それを続けてようやく人間への服従をよしとした。魔獣とはそれほどまでに気高く、多くの場合は気性が荒い。人間の言葉を解しているのかいないのか、人とは平行線を辿っている。魔獣を理解しようとは思わなかったし、先人達は理解よりも支配の道を選んできた。それは茨の道だ。魔獣を従えるために、どれほどの知識と頑強さが試されてきたか。人間は進歩の途上にある、と彼は教えられた。魔獣との邂逅はその第一段階なのだ。魔獣を付き従え、彼は岩陰に身を潜めている。他の者達が囁き声を交わした。

「おい。まだなのか?」

「まだだろう。あれはそう簡単には現れない」

「しかし、ここが巣だと確認はしたのだな」

 彼は先頭を陣取る手前、仲間達をいさめなければならなかった。

「声を出すな。いつ奴が来るか分からん」

 事実、彼は先ほどから必要以上の声を出していない。呼吸さえ殺さねば、機を逃す。そう考えての行動だった。仲間のうちの一人が言葉を発する。

「しかし、確定情報でなければ無駄足だぞ。成人の儀において、失敗は許されない」

 今、自分達が臨んでいる状況を言葉にされて彼は惑う目線を向けた。成人の儀。紅玉の一族において成人した証として必要とされる儀式。そのために彼はサイホーンに跨り、岩陰に隠れてずっとその時を待っている。時折、風が吹き荒れ、亡霊の呼び声のような音を響かせる。彼はぐっと息を詰まらせて、潜んで時期を待つ。まだか、と口中に呟いた。

 訪れは、唐突だと大人達から聞いていた。しかし、彼は当てにしていない。最後に信じられるのは自分の腕だ、と彼は自負している。小脇に担いだ荷物の中にそのための道具が入っていた。これも一人では成しえない。だから五人で同じ魔獣を従えてここまで来たのだ。彼はぴたりと岩陰に身を寄せたサイホーンの手綱を握ったまま、じっと機を待つ。サイホーンは岩陰に隠れるとまさしく大地の一部のように見える。異物は自分達人間だけだ。彼らはそのための回避手段として灰色の防具を纏っていた。サイホーンの色と防具が保護色になっている。しかし、担いだ旗が過剰に自分達を誇示していた。これでは意味がないな、と自嘲しつつ、彼は機が訪れるのを待った。痺れを切らしたらしい仲間の一人が声を出す。

「実際、どうなんだろうな。どんな魔獣だって?」

「俺の親父から聞いた話なんだけど」

 その言葉に彼も耳を傾けた。その男は眼の下に赤い三本の線の刺青がある。両腕を掲げ、大仰そうに言葉を発した。

「どうやら夕暮れよりも紅い朱色の毛並みをしているらしい。見た目はすごく鈍そうに見えるんだ。だけど、動くとそいつは獰猛そのものだって。俺達の目じゃ、とてもではないけど追いきれない」

「お前、眼がいいんだろ」

 彼のほうへと顎をしゃくって仲間の一人が告げた。額に赤い点がある禿頭の男だった。

「俺の眼が? 別に大した事は」

「お前、遠く離れた鬼面鳥を弓矢で撃ち落としたじゃないか」

 鬼面鳥というのはオニドリルの事だ。最近になって外からやってきた人間がそう呼んでいるのを聞いて、彼らの一族もその呼び名を継承し始めていたが、仲間内の中ではまだ「鬼面鳥」という呼び名がまかり通っていた。彼は額を押さえて、「面倒だな」と呟く。三本線の男が、「そうなのか?」と尋ねた。

「偶然だよ。狙って当てたわけじゃない」

「偶然にしてもすごいな。鬼面鳥は一気に急降下してくるじゃないか。あの時」

 三本線は片手を掲げて、鬼面鳥が地表に向けて急降下してくるのを身振り手振りで示す。鬼面鳥は翼を折り畳んで嘴を回転させて螺旋を描きながら獲物を狙う。

「速さは半端じゃない。それを狙い撃てるって一種の才能だよ」

「だから狙い撃ったわけじゃないって」

 彼は嫌気が差す。こんな頭の悪そうな連中とこれから成人の義を執り行う事に一抹の不安の種が芽生えた。

「眼は普通だ。この話題はやめよう」

 彼が手を振って話題を打ち切ると、禿頭の男が話題を振った。

「じゃあ、俺らが待っている奴。そいつを捕らえればいいんだっけ?」

「捕らえて、旗を突き刺すんだ」

 仲間の一人である髭面の男が旗を背中から抜いた。旗の先端は鋭い槍状になっている。食い込む仕掛けになっており、段階的な矢じりと見えた。

「紅玉一族の手柄だってな。先端に痺れ毒が塗ってある」

「そいつはとんでもなく速いんだろ? どうやって旗を突き刺す?」

「何だお前。そんな事も知らずにここまで来たのか?」

 三本線の質問に髭面が応じた。

「荷物があるだろう。先の段取りを聞いていなかったな、この鈍らめ」

「朝早かったからさ」

 三本線は笑みを浮かべながら後頭部を掻いた。髭面は強い髭を撫でながら、「俺達で囲む」と言った。

「魔獣を囲んで、陣形が整ったら一気に弾けさせる。この装置の使い方は」

 髭面が荷物にある取っ手を指差した。三本線が取っ手に触れかけたので、「触るな」と厳しい声で禿頭が制した。

「それは陣形が整った時だけに使うんだ。こいつは巨大なぼんぐりだ」

「ぼんぐりってあれか。余所者が洒落た名前をつけて魔獣を捕らえるのに使うっていう」

 三本線が手を握り締める。余所者は掌程度の大きさで実現している技術だ。

「ぼんぐりは余所者が使う……、なんだったか、あれは」

 禿頭が頭を押さえていると、彼が言葉を引き継いだ。

「モンスターボール」

「そう、それ」と禿頭が彼を指差した。禿頭はサイホーンを叩き、「余所者はモンスターボールとやらに魔獣を入れるらしい」と三本線に目を向けた。三本線は眉根を寄せる。

「はぁ? 魔獣を手なずけるための粘液やら麻痺毒とかはどうするんだよ。それに魔獣だってそんな掌みたいな大きさの球に入るのか?」

「入るようだ。袋に入る大きさで余所者は六つもぶら提げているという」

「六つも?」

 三本線が飛び上がりそうなほどに驚いた声を上げる。それに対して全員が唇の前に人差し指を立てた。三本線が口元を押さえる。きょろきょろと見渡してから、「でもよ」と納得のいっていない声を出した。

「魔獣一匹手なずけるのに半年かかるんだぜ。それを六つもって、お前……」

 三本線が指折り数えて年数を数える。彼はあまりに見ていられないので言ってやった。

「三年だ。俺達の基準ならな」

「俺達の基準じゃないってのか?」

「奴らはそのモンスターボール、だったか? それに入れた時点で魔獣を手なずけているらしい。後は個人の裁量によるところが大きいようだが、少なくとも俺達よりかは楽をしている」

 禿頭の声に三本線が浮き足立って、「じゃあさ」と口にした。

「俺達もモンスターボールって奴使おうぜ」

「ならぬ」

 先ほどから声を発していないもう一人が告げた。両目を瞑っており、五人の中では唯一の金髪である。金髪は目を開いた。宝石のような碧眼だ。

「掟に反する。我らは我らの掟に従い、魔獣を捕らえる。外来種の使う眉唾物の技術に頼るなど愚の骨頂」

 金髪の声に全員が押し黙った。紅玉の一族としての誇りを金髪は語っている。彼とてその矜持は胸に抱いているはずだった。だからこそ、成人の儀にしっかりと参加している。三本線がまだ諦めきれない様子で片手を振るい、「でもよ」と言った。

「便利なほうがいいじゃないか」

「便利というものに流されて、我らの伝統を捨てれば、先人に顔向け出来ない。若い世代こそ、それを意識するべきだ」

「お堅いな」

 禿頭が声に出した。金髪が睨みを利かせる。禿頭は顔を背けてわざとらしく口笛を吹いた。髭面が、「でもまぁ」と言葉を発する。

「俺達はいいじゃないか。こうやって旗を魔獣に突き刺す。まだ伝統が続いている証だよ」

 彼はその言葉を聞きながら、その伝統に何の疑問も持たない自分を顧みた。まるで余所者が持ち出してきた機械のようだ。余所者は機械で全ての事をこなす。彼らが何日も要する魔獣の回復、魔獣の栄養管理、しつけなど挙げ始めればきりがない。

「余所者の言葉を聞くのも、俺は一興だと思うがね」

 三本線が言った。どうやら彼は余所者の文化に興味津々の様子だ。金髪が突き放すように口にした。

「では余所者になってしまえ。彼らは受け入れるかも知れんぞ」

 その言葉は実のところ分かり合えないことを如実に示していた。自分達の文化は古いのだ。余所者からしてみれば、この成人の儀とて時代遅れの産物だろう。しかし、彼らがやめないのはそこに誇りを見出しているからである。一族の誇りを一時の興味や関心で潰すようでは次の世代を育てられない。彼は息をついて言葉にした。

「感心しないな。仲間内でこの期に及んで喧嘩なんて。俺達はその目的のために戦う。それでいいだろう」

 彼の言葉に全員が首肯した。三本線が、「確かに今はね」と言う。

「今はそうかもしれない。でもいずれの話は分からないだろう」

 三本線の言葉に金髪がぎろりと睨む。三本線は肩を竦めた。どうやら改める気はないらしい。彼が嘆息をつこうとした。その時である。

「――来た」

 禿頭が声に出した。全員に緊張が走り、サイホーンの手綱を握る手に覚えず力が入る。緊張の力みを和らげようと彼は腕を叩いた。こうすれば昂った神経を抑えられると習ったからだ。彼が岩陰から見やる。

 朱色の獣が荒れ果てた地表に立っていた。

 何の物音もしなかった。

 忽然と現れたその魔獣は、豊かな毛並みをしていた。丸みを帯びた耳が辺りを警戒するようにぴくぴくと動く。目つきは鋭く、爛々とした獣の眼差しに射抜かれそうになった。朱色の表皮に黒い線が縦横無尽に走っている。全体の印象としては、重い、だった。鈍重そうだ。話にあった高速で移動するというのはでまかせかもしれない。彼は息を殺して、この場を預かる長として好機を見計らった。朱色の魔獣はゆっくりと荒野を移動しようとしている。今ならば、と彼は片手を掲げた。

「……急くなよ」

 声を発すると、先ほどまで浮き足立っていた三本線でさえ、緊張の面持ちを浮かべた。唾も飲み下せない緊張感が走る。全員がサイホーンの手綱に込めていた力を強くした。その時、三本線のサイホーンが一声鳴いた。何が起こったのか。目を向けると、三本線のサイホーンが主人の心情に衝き動かされたように暴れ出していた。その声にもちろん気づかない魔獣ではない。彼が再び魔獣に目を向けると、魔獣は岩陰へと目を向けていた。

「無理だ。行くぞ」

 手綱を引っ張る。雄叫びを上げて岩陰から五匹のサイホーンが飛び出した。彼はサイホーンに負けないほどの声を上げる。

「ライラライライライライ……!」

 三本線が腹腔から叫び声を発した。三本線のサイホーンが先行する。彼は、いけないと片手を上げかけたが、その瞬間、朱色の魔獣の姿が掻き消えた。何が起こった。それを確認する前に、三本線がサイホーンから投げ出されていた。鈍重さと重みが自慢のサイホーンが突き飛ばされている。三本線の身体が舞い、時間が止まったように彼には見えた。三本線の名前を呼ぶ。その声が響き渡る前に、三本線の身体が後ろから突き飛ばされた。三本線は呻き声を上げる間もなく、地面に打ちつけられる。髭面が、「野郎!」と声を上げて周囲を見渡した。朱色の魔獣の姿は見えない。髭面は小脇に抱えた荷物の取っ手に手を伸ばした。その瞬間、朱色の残像が尾を引いて髭面の乗るサイホーンを突き飛ばした。髭面が背中から地面に倒れる。サイホーンが横倒しになり、奇声を上げた。四足をばたつかせる醜態を晒す。彼は一気に仲間が二人もやられた事に戦慄していた。尋常ならざる事態だ。彼の早急の判断が迫られた。

「視えたか?」

 禿頭の声が飛ぶ。彼は、「一瞬だけだ」と応じた。事実、朱色の残像はすぐに空気に溶けていた。塵が舞い散る中、朱色の魔獣の姿は一瞬たりとも視えない。

「俺が行く!」

 金髪が雄叫びを上げて取っ手を引き抜いた。瞬間、荷物が弾け中から現れたのは巨大な半球状の物体だった。糸が編まれており、飛び出す仕掛けになっている。巨大な捕獲器だ。彼ら一族は、「胎盤球」と呼んでいた。胎盤球が弾け飛び、何もない空を掻く。胎盤球は二つで一つの仕掛けとなる代物だ。魔獣を挟んで二人同時に発射し、胎盤球の糸が絡まり合って魔獣を胎盤球の中に拘束する。しかし、片方では意味を成さないはずだ。それを分かっているであろう金髪は、「こいつは!」と大声で叫んだ。

「普通のやり方じゃ捕まえられない。胎盤球の糸で転ばせろ」

「無駄球になる」

 文字通りの意味だった。糸に絡まって転げるような相手ならば成人の儀の獲物に選ばれないだろう。

「馬鹿野郎!」と金髪の怒声が飛んだ。

「何のためのサイホーンの角だ」

 その言葉に禿頭と彼はしばし視線を交わしあったが、やがて彼のほうが理解した。

「そうか。糸を張れば」

 彼は手綱を握り締め、サイホーンへと前進を促した。今にも朱色の魔獣が飛び掛ってくるかもしれない。その恐怖が首の裏に汗となって染み出してくる。彼のサイホーンは胎盤球の投げ出された糸を角で絡め取った。禿頭の操るサイホーンも糸を絡ませ、円弧を描くように走る。朱色の魔獣が一瞬だけ姿を現し、彼の背後を取った。彼は緊張で硬直にした顔の筋肉に笑みを張り付かせた。

「ついて来い。来い、来い!」

「ライライライライ!」

 金髪と禿頭の叫び声が同時に弾ける。三人は勾玉状の走りを見せた。朱色の魔獣の気配がぐんと間近に迫る。彼が振り向くと、魔獣の顔はすぐ傍にあった。炎のような鬣と、銀糸のような美しい毛並み。彼は一瞬だけ目を奪われたが、すぐに任務を思い出した。

「応!」

 発した声が力となり、糸がピンと張り巡らされた。彼の背後まで迫っていた魔獣は糸の結界に絡め取られて速度を殺した。後ろ足が取られたのか、仰け反って前に伏せる。彼はさらにもう一周、魔獣の周囲を走った。胎盤球から伸びた糸が魔獣の足を完全に封じる。朱色の魔獣は雄叫びを上げた。身が竦み上がるほどの声に一瞬だけ躊躇するが、対面に回った禿頭と共に彼は胎盤球を発射した。胎盤球が朱色の魔獣を包み込み、糸が全身を絡め取る。糸で足を封じ胎盤球で身体の自由を封じた。これ以上は、と彼は神に祈った。

 朱色の魔獣が弱々しく鳴き声を上げる。どうやら胎盤球に押し込める事が出来たようだ。彼と禿頭と金髪がサイホーンから降りる。彼は三本線と髭面へと歩み寄った。二人とも一瞬で息絶えていた。衝撃で骨と内臓がバラバラにひしゃげたのだろう。腹部が落ち窪んでいた。彼はそっと黙祷を捧げ、見開かれた目を閉じさせた。三人が朱色の魔獣の傍に寄り、目配せをしあう。

 背中に掲げた旗を抜き、三人は同時に朱色の魔獣へと突き刺した。魔獣の声が朗々と響き渡る。やがてその声が消えた。魔獣が目を閉じた。どうやら麻痺毒が効いたようである。

「サイホーンで持ち帰る。これで俺達は晴れて成人だ」

 金髪の言葉に彼と禿頭は笑みを交し合った。極度の緊張状態に置かれていた身体が少し緩んだような気がする。胎盤球に捕らえられた魔獣を引きずり、サイホーン三匹は集落を目指した。主を失った二匹も追従する。朱色の魔獣は三本の旗を突き刺され、黙したまま動かなかった。

 集落の門の前に辿り着いた彼と仲間達は大人達のどっと湧いた歓声にまず導かれた。

「よくやったな」

「誇りだ」

 彼は今まで受けた事のない賞賛の言葉に覚えず恥じ入るように顔を伏せていた。禿頭が、「女じゃないんだ。もっと毅然としていろ」と言った。彼は長老の待つ塔まで朱色の魔獣を連れ帰り、長老は彼らの働きに大いに喜んだ。

「素晴らしい。早速、旗を抜き、その血を刻み込め」

 三人は朱色の魔獣へと歩み寄った。その時、朱色の魔獣が僅かに目を開いた。その眼に映った自分達に彼は狼狽した。宿している光は自分達と同じ、生物の光だ。慈愛すら感じられる。しかし、これは成人の儀なのだ。成すべき事は唯一つ。

 彼らは三本の旗を引き抜いた。朱色の魔獣が声を上げる。旗の先端についた血を彼らは、侍っていた従者に手渡した。従者は慣れた様子で血のついた旗の先端で彼らの腕に刺青を刻んだ。麻痺毒が走り、意識が飛びそうになる。彼は奥歯を噛んでぐっと堪えた。ゆらりと揺れる視界の中で、長老が背後の炎を背に、重々しく告げた。

「神速の戦士達よ。これでお主らは突風よりも速く、大地よりも重い力を得た」

 彼は恭しく頭を下げた。他の二人も同様だった。腕に彫られた刺青を見やる。それはすぐに凝固し、朱色の稲光のような刺青となった。

 彼ら一族はその風習が時代錯誤のものだと気づく事はない。モンスターボールの呪縛を選ぶよりかは、魔獣を捕らえる事のほうが人道的に思えた。彼らは捕らえた朱色の魔獣を逃がした。来年の成人が恐らく、迎え撃つ事になるだろう。彼と他二人は物見やぐらで荒野の奥地へと消えていく朱色の魔獣を見送った。

 それはさながら地上の流星だった。

「ラライライライ!」

 彼が神速の刺青が刻まれた手を振って叫んだ。応じる声が朱色の花火のように広がった。
 

■筆者メッセージ
 2013年、ポケノベ文合せ〜春の陣〜、テーマ「旗」に投稿した作品の改訂版です。
オンドゥル大使 ( 2013/05/18(土) 22:39 )