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第五章 暗幕戦姫
第六十九話 深淵の支配者

 瞼を開いた時、自分の命がまだある事に驚いたほどだ。

 どうして、自分は死んでいないのだろう。そしてどうして――この胸に脈打つ闘争の種は取り除かれていないのだろう。

「気が付いたようだな」

 その重々しい声音の主にレオンは視線を向ける。

 不自然な事に後ろ手に手錠をかけられているだけで、自分の身柄のほとんどは安全圏にあった。

「俺は……セルの媒介者の襲撃を受けて……」

「君をここへと運んだのはわたしの一存だ。ある意味ではわがままと言ってもいい。あのような辺境の街にいるとは思いも寄らない。この地を統べる四人の最強の一角、ジャックジェネラルよ」

 相手はまるで死んだような瞳をしている。この世の全てに絶望し切った、深淵の眼だ。

 こけた頬に青白い髪は死者を想起させるが、どこか偉丈夫なその佇まいからは死と生の両方のイメージを伴わせる。相反する二つのテーマを抱えた男の威容にレオンはたじろいでいた。

「……貴様は……」

「お初にお目にかかる。わたしの名はアカギ。地下組織、ギンガ団の頭目をやらせてもらっている。アカギだ」

 その驚愕の真実にレオンは目を見開く。相手は今、何と名乗ったのか。

「……ギンガ団の、ボスだと……」

「わたしとしては、君の処遇にはちょっとばかし一家言あってね。もっと大事に扱うべきだと、団員達には言っておいた。傷は治っているようだな。マトリクサーとしての能力か」

「……何だ。マトリクサー……?」

「我々ギンガ団は宇宙の深層のエネルギーを研究している組織でね。その中にはやはり、出てくるのだよ。君達の有する――ジガルデと言う存在が」

 まさか、相手にはジガルデのセル媒介者である事まで看破されているのか。戦慄くレオンにアカギは手を払う。

「そう警戒する必要性はない。わたし以外は道楽だと割り切っているくらいだ。他の団員達は、幹部以外、ジガルデの事など一ミリも知らないし、興味もないだろう。彼らには彼らの役割がある。ヒトは、生まれた時から役割に生きる。役割を全うし、役割に死ぬ事こそが、人間の幸福だ」

「……それが支配への隷属でもか」

「支配? 可笑しな事を言うな、ジャックジェネラルたる君が。支配者は君のほうだろう。我々は所詮、おこぼれに与っているだけに過ぎんよ」

「俺達のランセ地方を乱すのならば、貴様は敵だ」

 瞬時に塗り替わった闘争心の脳内が白熱化し、内奥に宿ったセルの膂力が手錠の拘束を引き千切っていた。

 それをアカギは仔細に観察する。

「……マトリクサーとしての能力の偏在化。うまく行っているようだな。君達はジガルデセルの媒介者、と呼んでいるようだがわたしは個人的に、ジガルデセルの宿主をマトリクサーと呼ばせてもらっている。別宇宙への隷属者。力に支配された劣等種だと」

「黙れ! 悪を行う根源め……、ここで討ち倒す!」

 ホルスターよりモンスターボールを引き抜き、レオンは構えていた。アカギは超然とした様子で対峙する。

「……その闘争心は誰によってもたらされたものだ? 誰によって思考を観測され、誰によって自分の意思とそうでない意思の判別が行われているのか。人間である、と言うアイデンティティを崩された、愚かなる隷属種よ。君は確かに強いだろう。だが、こうも言っている。――わたしのほうが、強い」

 アカギがボールを構える。レオンは投擲し様に叫んでいた。

「行け、ゼラオラ!」

 飛び出したゼラオラは降り立つなり青い電撃を全身に纏う。もう、油断はすまい。相手が悪のボスとなればなおさらだ。全力で狩りにかかる。そうと決めた双眸に対して、アカギはほうと感嘆していた。

「志を秘めた瞳の美しさよ。だがそれは、仮初めの志だ。誰かによって決められた、誰かのために都合のいい正義だ。それを振るう事の恥を知るといい。行け、マニューラ」

 落とされたボールより飛び出した漆黒の矮躯にレオンは注視する。

「マニューラ……素早さの高いポケモンだな。だが俺のゼラオラは! その上を行く!」

「熱いな、ジャックジェネラルよ。その闘志、全て燃やし尽くして来るがいい。わたしは逃げも隠れもしない。ここで殺す気持ちで仕掛けなければ、喰われるのは君だぞ」

「油断も……ましてや手加減もするものか! ゼラオラ! 接近してプラズマフィスト! 最初から全力だ! 全力でその男を――ジャッジメントする!」

 主の闘争心に応えたゼラオラが跳ね上がり、青い稲光を溜めた拳でマニューラへと肉薄する。マニューラに突き刺さりかけた青白い雷撃の鉄拳はしかし、その像を射抜いてから氷の虚像に吸い込まれていく。

「……一瞬で残像を」

「マニューラ、氷のつぶて」

 瞬時に上方を取ったマニューラが拳より氷結の散弾を掃射する。ゼラオラはいつの間に構築されたのかも分からない相手の氷の虚像を電流の熱で融かしていた。

「そんな小手先で……! 十万ボルトォッ!」

 引き抜いた腕に充填した雷を、ゼラオラは勢いを殺さずに放出する。その電流にマニューラが瘴気を漂わせた刃を振るっていた。

「辻斬り」

 干渉し、火花が散ったのも一瞬、直後には互いに後退する結果となった。

「……俺のゼラオラと打ち合う?」

「嘗めてもらっては困ると言いたいな、ジャックジェネラル。わたしとて、ギンガ団を束ねている。君と同じ、統率者だ」

「悪の親玉が何を! 俺と貴様は、同じではない!」

 ゼラオラが跳ね上がり、プラズマを溜め込んだ鉄拳を打ち下ろしていた。マニューラが即座にその攻撃網を潜り抜け、凍てついた拳でゼラオラへと返答する。

 氷の一撃に舌打ちを漏らしたレオンにアカギは言いやっていた。

「いや、同じだとも。君もわたしも、力への求心力に頼った人間だ。だが、明確に違うとすれば、それは不確かなものを信じるか信じないか、と言う点であろう。わたしは、感情というものを否定する。そのような不確かなもの、不完全性を信じると言うのはただの盲信、ただの戯れ言だ。そんなものに頼り切った時点で、トレーナーとしては衰えている。いや、この地方ではジェネラルとして、と言ったほうが分かりやすいか」

「ポケモンとの絆を、否定するか」

 ゼラオラがマニューラとぶつかり合い、それぞれの攻撃を散らせるが、アカギは一切のてらいを浮かべなかった。迷いも、ましてや疑いようもないとでも言うように、彼は告げる。

「そうではないか。絆、信頼関係、心……そのような世迷言、聞くだけで吐き気がする。君は力を管理する存在だ。ゆえにそのような不確定要素に一秒でも迷わされている時間はないと思うが」

「不確定かどうか、この俺と! ゼラオラの戦いを見てから言え! ゼラオラ! 至近まで肉薄し、そのまま打ち上げ!」

 高圧電流を帯びたアッパーカットがマニューラの表皮を焼く。マニューラが僅かにたたらを踏んだその一瞬。好機の隙を逃さなかった。

「プラズマ、フィスト! 叩き込むように!」

 雷電の拳を棚引かせ、マニューラへと「プラズマフィスト」が実行されようとする。

 その一撃をしかし、マニューラは回避しなかった。矮躯にぶち当たった一撃に、電撃が流し込まれる。震えた躯体にもう一撃、と光を湛えた一撃が下段より振るわれようとしていた。

「続いて、ギガインパクト! これで終わりだ!」

 そう、終わり。如何に悪の組織の首領とは言え、この連撃には耐えられまい。そう断じた、その時であった。

「心とは、感情とは不確かかつ、それでいて人間の心に一滴の墨のように滴り落ち、判断を鈍らせる。今、君の胸に湧いた勝利の感慨それそのものが、わたしの勝機を招いた。敗因は心そのものだ」

「何を言っている! 俺は勝利する!」

 光芒を滾らせ、粉砕の勢いを灯らせた一撃にアカギは冷徹に応じる。

「その拳に握り締めているのは何だ?」

 ハッと、レオンはゼラオラが今に放とうとしている拳の中に、何かを握り締めているのを発見する。ゼラオラ自身もそれに気づき、掌を開いた瞬間、その拳が重さを増し、地面に陥没していた。

「これは……」

 真っ黒な鉄球をいつの間にかゼラオラは握らされている。だがいつから? その疑問にアカギのマニューラが爪を舐めていた。

「わたしのマニューラは隠し特性持ちでね。悪い手癖は本来、直接攻撃の際に相手の持ち物を奪うだけだが、熟練させたお陰で相手に物を持たせる事も可能になった。そして、これを実感するといい、レオン・ガルムハート。その重たい持ち物は黒い鉄球。所持したポケモンの素早さを下げるものだ」

「それが何だと言う……! ゼラオラのスピードならば……」

 そう、ゼラオラの速度ならばこの程度で止まりはしない。そう断じたレオンにアカギは一笑も浮かべずに断言する。

「……分かっていないだな。持っている持ち物を持たせたんだ。つまり、わたしのマニューラは最初から、黒い鉄球を所持した状態からのスタートであった。この意味するところ、ジャックジェネラルならば分かるはず」

 レオンはその言葉の赴く先に震撼していた。

「……わざと、遅くしていたって言うのか……」

 ゼラオラが吼え立て、マニューラへと空いた拳を見舞おうとするが、その時にはマニューラの姿が掻き消えていた。

 どこへ行ったのか、まるで読めない軌道でマニューラがゼラオラの速度を凌駕し、その爪をゼラオラの背筋へと叩き込む。

 浮いた一瞬の隙を突き、マニューラが黒い瘴気を漂わせた爪先で引き裂いていた。

 ゼラオラが浮かされたままダメージを受け、その腹腔へと一瞬にして構築された氷の氷柱が砕け散る。

「氷柱落とし」

 打ち上げられた形のゼラオラへと、マニューラの一撃が突き刺さる。ゼラオラがまるでぼろきれのように突き飛ばされ、戦闘フィールドを滑って行った。

「……ゼラオラ……」

 呼びかけても返答はない。今の、ほんの一瞬で自分達は戦闘不能に陥ったのだ。

 その事実に戦慄く前に、アカギはマニューラと共に歩み寄ってくる。

「……これが……実力差だと言うのか……」

「いや、比嘉実力差だと言うのならば、この局面、勝利の女神がほほ笑むのは君であろう。ここでわたしが勝ったのは、正確には君に、ではない。君の中に巣食う、ジガルデセルに、だ」

「俺の中の、ジガルデ……」

「闘争心が刺激され、本来のジャックジェネラルとしての品格が落ちている。そのせいで君は負けた。勝たなければならない、この戦いで。これから先、君は弱くなる事はあっても、強くなる事はないだろう。それはジガルデセルに寄生されている限り、必ず、だ」

 必然の敗北がこの先、待ち構えていると言うのか。しかも、今の勝負よりも色濃い、本当の命の駆け引きにおいて。

 自分の力はそこまで落ちたのか、とレオンは拳を床に叩きつけていた。

「俺は……守りたいたった一つすら守れないまま……」

「守りたければ力の使い道と、そして、その道標を知るといい。そうでなくとも、この地方の媒介者達は危険過ぎる。野放しには出来ない」

 アカギの悪の組織の頭目とは思えない発言にレオンは困惑していた。

「……お前は、何がしたいんだ……」

 その問いにアカギは右目をさする。拭い去ったのはコンタクトレンズだ。

 その瞳に浮かんだ赤いスペードの意匠にレオンは絶句していた。

「……エイジ君と……同じ……」

「同じではないさ。わたしは彼のようなマトリクサーではない。改めて、自己紹介をしよう。わたしはアカギ。ギンガ団の頭目であり――そしてこの世界からジガルデを抹殺するために遣わされた反転存在、ウルトリクスだ」

 ウルトリクス。

 その名称が意味するところを突き詰める前に、レオンは茫然自失のまま流れゆく戦いの連鎖を感じ取っていた。





第五章 了

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オンドゥル大使 ( 2020/05/06(水) 21:20 )