第六十七話 戦いの連鎖で
瞬間、空間を鳴動させる爆風が吹き荒れ、テッカグヤの内側より誘爆した。無数の光輪が次々に咲き乱れ、テッカグヤ自身は黒煙に包まれていく。目標を見失ったテッカグヤが半回転し、そのまま描く軌道は攻撃の落下軌道ではない。
墜落の、落下軌道だ。
リコリスは手を払い、ジガルデセルを身に纏う。
「テッカグヤが……自滅する。カルト! 防御皮膜を張って! 焼け死んでしまう!」
(間に合わない……。わっちの能力はそれに……攻撃には秀でていないんだ……。リコリス、お前さんを守る事を、わっちは出来ない)
絶望的な宣告であったのだろう。リコリスが膝を折り、今にも落着するテッカグヤを仰いでいた。
「そんな……。アタシの最期は……こんなに呆気なく?」
テッカグヤの墜落はこのゾーンにひずみをもたらすだろう。それほどの規模と爆発力なのはもう窺い知れている。リコリスの身体を吹き飛ばし、そのコアの残滓ですらも残す事はない。
勝機を見出したのは、自分達のほうだ。
確かめた感覚にエイジはダムドへと指示を飛ばす。
「ダムド、勝敗は見えた。分かっているな?」
(ああ、エイジ。癪だがな)
「……アタシを殺すって言うの……」
無言を返していると相手は哄笑を上げた。
「……そりゃそうか。だって殺そうとしたんだし。殺されたって文句は言えないわよね。でも……こんなにつまんなく、後悔ばっかりの中で死ぬんなら、もっと……自分に正直になればよかったな……」
テッカグヤの頭部が真っ逆さまに地上へと舞い降りる。間に合わない。リコリスはそのまま瞼を閉じ、そして死を受け入れようとしていた。
――その眼前にエイジ達が立ち現れるまでは。
突然に身を翻し、直上のテッカグヤを睨んだエイジとダムドに、リコリスはうろたえる。
「……何をして……」
「君を死なせない。僕らが、全力で守る」
その意図を解せなかったのか、リコリスは首を横に振っていた。
「何を言って……。施しなんて!」
「違う。僕の突きつけた絶対の中で……誰かに死んで欲しくないからだ。だからこれは僕のわがままであって君のものじゃない。僕の我を通す。それにダムドも同意してくれた」
(コアの宿主なんて焦土になったゾーンから拾い出すほうが効率的なんだが、こいつの絶対は格別でな。オレの言う事なんて聞きやしねぇ)
嘆息をついたダムドにエイジはテッカグヤへと指差していた。
「ダムド! 防御皮膜を張って、僕らを守れ!」
(ポケモンとして命じられるのはクソほど嫌気が差すが、今回だけは従ってやるぜ、エイジ。コアパニッシャー……!)
ダムドの額に位置するスペードの意匠が光り輝き、青い保護膜が展開され、直後には激震と爆撃が周囲を覆い尽くしていた。
光の連鎖の中でエイジはよろめいたリコリスを抱き留める。この爆風ではどこかから飛散した破片が突き刺さってもおかしくはない。倒れていたネネも近づけさせ、三人で離れないように密集する。
「離れないで……。この一撃でゾーンが壊れてしまうかもしれない」
リコリスはこちらの動向に理解出来ないと言う様子で頭を振っていた。
「何で……。アタシを助ける道理がない……」
「君になくても僕にはある。……ジガルデ同士の戦いで、誰も無暗に死なせない。それが僕の――絶対だ」
誓った声音にダムドが光を拡大放射させる。
(……すげぇ爆発だな……。こんなの受けてたら普通は死んじまうぜ。だが……オレはジガルデコアのダムド。この程度――普通のポケモンのそれだってなら、受け切ってみせるさ。行くぜ! コアパニッシャーを全開で稼働させる! オレの中に宿るセルよ! エイジとオレを守り通せ!)
青い光が明滅し、直後にはその光と共に壁が霧散していた。
消え去った防御壁と共に噴煙が雪崩れ込んでくる。莫大な熱量に晒された皮膚が痛みを訴えかけ、エイジはリコリスを強く抱いていた。
露出の高い彼女の身体は耐えられないかもしれないからだ。
だが、その爆発の演武もじきに終焉を迎えた。地表に頭部を突き刺した姿勢のまま、テッカグヤが傾ぐ。「だいばくはつ」を体内で受け止めたのだ。その神経系統が完全に狂っていてもおかしくはない。
エイジは次なる攻撃を予見してルガルガンを前に出していたが、その時には赤い光がテッカグヤを絡め取っていた。
「……戻って、テッカグヤ」
リコリスがテッカグヤをボールに戻し、強く握り締める。
ゾーン内で手持ちを戻す意味を、相手も分かっていないはずがない。
「……僕らの、勝ちだ」
勝利宣告はしかし、それほどまでにハッキリと言えたものでもなかった。テッカグヤが戻った事で空間を漂うメテノを慌ててボールに戻す。瀕死状態のはずのメテノを今は労おう。
「……よくやってくれた、メテノ。僕の自慢の手持ちだ」
メテノでなければテッカグヤ攻略は不可能であったかもしれない。それほどまでの戦闘局面であった。エイジはルガルガンにも視線を配る。相棒のポケモンはリコリスに対して警戒を怠らない。
まだ終わったわけではないと思っているのだろう。
しかし、エイジはもう相手にはこのゾーンを維持するつもりも、ましてや戦闘継続の意思もない事を予感する。
その証左のようにゾーンが揺らぎ始め、青く煙る無重力へと変換されていた。
位相空間より実体空間へと身体が戻り、重力にエイジはようやく帰還を感じ取る。
「……帰って来られた……」
虚脱した声音に獣形態のダムドはケッと毒づいていた。
(なんてこたぁねぇ。ゾーン戦にまで持ち込んだんだ。よくやったさ、エイジ。さて、問題なのはコアの宿主だが……)
濁したダムドにエイジはリコリスへと視線をやっていた。彼女はジガルデを分離させる。
(リコリス……)
「カルト。アタシ達は負けちゃった。だからどんな条件でも受けなければならない。それがゾーン戦の宿命だもの」
どれほど残酷なレートでも課せるだけの権利が自分にはある。
だがエイジは、ここでの冷徹な判断を彷徨わせていた。
「……どうしてノノちゃんとネネちゃんを操ったんだ」
まさかその問いかけが来るとは想定していなかったのだろう。リコリスは面を伏せて自棄になって言いやる。
「……アタシはテッカグヤの力に頼るしかない。でも、テッカグヤは目立ち過ぎちゃう。だから……セルでその辺りのジェネラルを操るのが手っ取り早かった」
(臆病者の戦術ってワケか。おい、エイジ。こいつからはもう、反抗の気力を削いだほうがいい。ゾーン戦に勝ったんだ。胸を張ってコアを吸収したっていいはずさ)
そうだ。自分達は絶対的な不利から逆転勝利した。だからここでレートを最大上限に……コアの譲渡まで引き上げてもいいはず。
だが、エイジの胸中には迷いがあった。
この盤面、ランセ地方を舞台とした陣営において、闇雲に相手から奪うだけが、戦いであろうか。
熟考の間を置いた後、エイジは首肯する。
「……分かった。レートに従い、リコリス、君から奪うのは……」
リコリスも覚悟を決めたのだろう。瞼を閉じ、その判決を待っているようであった。
「……所持しているセルの全てだ」
紡ぎ出した結論に、リコリスは驚愕の面持ちを上げる。ダムドもはぁ? と問い返していた。
(おい、情けなんて……!)
「情けじゃない。僕はまだ、何も知らない。ジガルデとは何なのか。ザイレムはどうしてジガルデコアを集めようとしているのか。セルが人間に及ぼす影響だってそうだ。何も知らないまま奪い合ったって、それは真実が見えないだけだと思う。だから、リコリス。僕はここで君から力を奪うが、それはコアまでには及ばない。コアは依然として君の中にある」
「……アタシを……許してくれるの……」
「いや、許さない。二人を利用した事も、こうして僕らに仕掛けた事も。だが、理由とそして意図を利かずにここで断罪すれば、それこそ一生の迷いに繋がる。僕は知った上で、進まなければならないはずなんだ。それが、ジガルデコアを宿した責任でもある」
そうだ。知らなくてはいけない。どうしてジガルデコアはこのような争いを繰り広げるのか。セルは何故、人間の闘争本能を高め、他者の意のままに操れるようになるのか。
知らぬままにリコリスを裁けば、それだけ真実に到達するのが遅れてしまう。
ザイレムの擁する真実と、そして本当の意味に、自分はたった一人でも気づかなければならない。だがその道行きは「独り」では難しい。
誰かの助けが必要なのだ。たとえそれが昨日の敵でも、自分は構わない。前に進むために、敵でも何でも自分は利用してやる。
それが自分の振り翳す「絶対」だ。
エイジの意志にリコリスは項垂れて毒気を抜かれたように、ははっ、と笑う。
「……完敗ね。でも、ちょっと清々しいかも。無敵だと思ってたのになぁ……。でも、いいわ。アタシ、今ならアンタに、預けていい気がする」
その言葉と共に譲渡されたセルが身体の中に充填されていく。
体内に満ちるセルの数にエイジは言葉を失っていた。
「こんなに膨大なセルを……」
「そいつが言ったでしょ? 憶病者だって。臆病だから、蓄えだけはあるのよ」
(これなら……エイジ、オレももう一歩先に行けそうだ。このせせこましい獣の姿もオサラバか?)
代わりにセルを失ったリコリスのジガルデコアはコア単体の状態へと還元されていた。
剥き出しのコア状態の相手がリコリスの肩に乗って会釈する。
(……感謝、するべきなのかねぇ。スペードスートのジガルデコアと……ジェネラルには)
「感謝なんて要らない。ただ……もう僕らを追い立てないで欲しい。それは約束してくれる?」
質問にリコリスはどこかばつが悪そうに目を背けていた。
(おい、誓えよ。まさかまだ、隙を突いて襲おうだとか――)
「ううん! そんな事はその……思ってないわ。さすがにここまでこっぴどくやられて、そんな気にはなれないもの……」
力ない声音に宿っているのは本心だろう。ならば何故、自分と目を合わせてくれないのか。エイジは窺おうとして、またしても目線を背けられる。
「……えっと……負けたら目も合わせたくない?」
「ううん……違って……その……。こんなの初めてで……。エイジ君、だっけ?」
「あ、うん。そうだけれど……」
リコリスは頬を紅潮させ、一息に言い切っていた。
「その……っ! 好きになっちゃったかも! ……しれない……」
尻すぼみの語尾に驚嘆したのはダムドであった。
(はぁ? 惚れただと? バカ言ってんじゃねぇ! エイジ、こいつ何か企んでやがるぜ。だからコアを奪えって言ったんだ。まだオレらに立ち向かう気があるってんなら、手加減なんて……)
(スペードスートの。この子はそういう事がやれるほど、器用じゃないんだよ。今のは本心さ。それも、今まで押し殺していた、この子の本当の本当だろう。エイジ、だったかい? 殺しに来た女を惚れさせるとは、罪な男だねぇ、お前さん)
相手のジガルデコアの言葉にリコリスは照れて突き放そうとする。エイジには、今巻き起こった戦いも、そしてのその結果も、どうやら暫くは実感として、看過出来そうになかった。
「あの、その……、そういうの困って……」
何とかかわそうとするがリコリスはどこかしおらしく、頬を赤く染めたまま自分を見つめている。
その濡れた瞳にエイジは何も言えなくなってしまう。
(……エイジ。マジかどうかはともかく、だ。今は、メスガキ達と合流しねぇと。セルをほぼ全て奪ったんだ。双子の片割れだって洗脳が解けてるはずさ)
「そうだ……ノノちゃん……」
リッカと対面させていたノノの事を思い出し、駆け出そうとするのをリコリスは制していた。
「ノノは大丈夫……のはず。それにとっくに洗脳は解けてるもの。……でも、おかしい。さっきからずっと、距離を感じる」
「……距離?」
「うん。離れていくの。ノノの気配が……」
まさか、とエイジは息を呑んでいた。この局面で別の勢力の介入があったか。真っ先に浮かんだザイレムのエージェント達にエイジはルガルガンを呼び寄せていた。
「ルガルガン! 戦闘姿勢でリッカに追いつく! そうじゃないと……まずい!」
明瞭な主語を結ばないまま、激戦の夜は更けていった。