第六十話 叛逆少女
ゼラオラの回復は既に済ませてある。問題なのは仕掛けてくる相手の種別だ。
「……ジガルデセルか、それともコアの宿主か……。いずれにせよ、俺に手加減の文字はない。相手を……駆逐する」
そうと心に決めたレオンはホルスターに携えたボールに手をかけていた。侵入者へと駆け寄り、そして声を張り上げる。
「何者か! ここに、レオン・ガルムハートはいる!」
その一声で相手がこちらへと振り返る。目が合った瞬間、体内に介在するジガルデセルが共振現象を引き起こした。身体の内側から震える感覚。間違いない、これはジガルデセルの媒介者の気配であった。
「……セルの媒介者……。ならばこそ、問おう。何故、ここに仕掛けた? 君らにとって賢しいのは俺達を追わない事だ」
勧告に相手は歩み寄ってくる。月明りが窓から差し込み、敵の姿を露にしていた。
その相貌にレオンは息を呑む。
「……確か、ギンガ団に襲われていた、少女……」
カエンシティにてエイジが相手取ったギンガ団に囚われたはずの少女そのものが、バイザーで瞳を覆い隠して歩み寄ってくる。
傍らに佇むマイナンに、レオンは警告する。
「それより前に進むのならば、宣戦布告と判断する」
それでも、相手は止まらない。駆け出した少女とマイナンにレオンは舌打ちを滲ませた。
「……警告はしたとも。行け、ゼラオラ!」
飛び出したゼラオラがその勢いを殺さず、マイナンへと肉薄し、下段より拳を突き上げていた。
拡散した「プラズマフィスト」の一撃がマイナンを照らし出す。レベル差は歴然。それでもマイナンは尻尾を振るい、光球を練る。
レオンはゼラオラと共に後退していた。
電気の球体が空間を奔り抜け、レオンのすぐそばを掠める。
「エレキボールか。だが、どうしてだ。攻撃は受けた。そのレベル差も、分かり切っているはずなのに……」
レオンの疑念は一つ。
――何故止まらない?
少女はマイナンで壁を蹴り上げさせてガラス戸を叩きのめしていた。電気の網に捉えられたガラス片を展開し、マイナンはそれぞれを幾何学の軌道を描かせて射出する。
レオンはゼラオラに高圧電流の壁を構築させていた。
巨大なる雷撃の壁はマイナンの攻撃を容易く防御するが、マイナンそのものはその矮躯を活かしてレオンの傍を抜けようとする。
それを看過するほど、自分は生易しくはない。
「ゼラオラ、拡散させた壁の電力を回してマイナンへと十万ボルト。……致し方なし」
手加減をしていれば突破を許してしまう。ここでは全力で潰すべきだろう。それが騎士道精神にもとるものだとしても。
ゼラオラの放った電流が壁を伝いマイナンを絡め取る。このまま、ジェネラルを狙えば、と思った瞬間、少女は腕を掲げていた。
その手首にはめられたバングルには「Z」の意匠を施された石が輝く。
まずい、と判じた直後には、マイナンが身体の内側より青い巨大電圧を放っていた。膨れ上がった光の瀑布にレオンは覚えず視界を守る。
「――スパーキング、ギガボルト」
紡ぎ出されたZ技の呼称に、レオンは息を呑んでいた。破壊と爆裂の電撃にレオンはゼラオラを一時的に後退させる。
その隙を逃す相手ではない。
マイナンが跳躍し、レオンとゼラオラの守りを突破していた。
だが、と憶測する。思った通り、マイナンは自らの身を焼きかねない己の電撃の熱量で参ってしまっていた。
「Z技は、過ぎれば己への過負荷となる。それを理解しないジェネラルはいない……」
毒を理解せずして用いないように、Z技も然りであった。身一つとなった少女に、レオンは歩み寄る。少女は跳ね上がったと思うと、その手にナイフを携えていた。もしもの時の格闘戦術か。ナイフの銀閃が空間を掻っ切るが、レオンとて護身術を心得ていないはずもない。その手を引っ掴み、そのまま背筋に力を込めた。相手が体重差でよろめいて倒れてくれるのを期待しての攻防であったが、相手は倒れるどころか床をのた打ち回る。
その膂力は少女のものとは思えなかった。
「……ジガルデセルの作用か。この力、思ったよりも……。だが、ゼラオラ!」
ゼラオラの放った「でんじは」が少女へと流し込まれる。痙攣した少女が静まり返った後に、レオンは手を翳し、ジガルデセルを精査する。
背中に潜り込んでいたジガルデセルは全部で三つ。
「……これで無理やり人体を動かしていたのか。だが、しかし、奇妙だ。たった一人で仕掛けるにしては、あまりに杜撰……。まさか……!」
思い至った考えにレオンが面を上げる前に高圧電流がその身に流し込まれていた。レオンが幾度も痙攣し、電流の放つ熱量に筋肉を焼かれていく。
その電撃が収まった頃には、レオンは地に這いつくばっていた。
組み伏した少女とほとんど同じ顔を持つ少女がプラスルを引き連れ、自分を見据えている。
「バッカよねー。切り札は二重に使うに決まってるじゃない。囮って分かったのはさすがジャックジェネラルって感じだけれど」
甘い声音にレオンは身を起こそうとするが、全身を切り裂いた容赦のない電流だ。回復するまでには時間がかかる。
しかし、それは通常の話だ。
ここで自分が倒れれば、エイジ達に危害が及ぶ。それだけは避けなければならない。
何故ならば――自分はジャックジェネラル。強きをくじき、弱きを助ける存在でなければならないはずなのだ。
ゆえにこそ、レオンはこの時、体内に介在するセルの欲求を開放していた。
急速に体組織が修復され、焼け爛れた筋繊維が戻っていく。手をついて立ち上がったレオンに相手が瞠目したのが伝わった。
「ウソ? 全くの容赦なしの電撃だったのに? ちょっと、ノノ! 手加減したんじゃないでしょうね?」
「手加減は……していません……」
応じたノノと呼ばれた少女の声音にはどこか放心したようなものがある。加えて先ほどから昂揚するジガルデセルの感覚にレオンは覚えがあった。
「……貴様、コアの宿主、だな」
喉を無理やり震わせ、相手を睨む。少女そのものの相手はピンクの髪を払い、あら? とわざとらしく声にしていた。
「分かるんだ? さすがね、レオン・ガルムハート。騙し討ち程度じゃ、死なないか。それとも、こう言ったほうがいい? ジガルデセルのお陰で死なずに済んだ、とでも」
「貴様……!」
主の殺気に、ゼラオラが呼応して跳ね上がる。ノノと呼ばれた少女がプラスルを前に出して電撃の網を展開したが、ゼラオラはさらに速い。
網を掻い潜り、その矮躯へと雷撃の拳を叩き込んでいた。浮いた刹那には、ノノをその身から帯電する青の稲光で圧倒し、ジガルデコアの宿主へと肉薄している。
自分の想定通りの動きにコアの宿主たる少女は、ふぅんと興味深そうであった。
「その深手でも、ポケモンをここまで高度に操れるんだ? よっぽど欲しくなっちゃったけれど、アタシ、男には興味ないのよねぇ……。女の子だったら萌えてたんだけれど、ゴメンね? むさい男には床に這いつくばるのがお似合いよ。ノノ!」
ノノがゼラオラを完全に無視し、プラスルと共にレオンへと駆け抜ける。
「……ジェネラル狙いか……」
「ずるいとか、言わないものよねぇ! だってこれ、分の悪い勝負ですもの!」
プラスルの電撃は正確無比に自分の心臓を射抜くであろう。その時にゼラオラは宿主の少女を殺せているか、否か――。
ほとんど秒の勝負にレオンは賭けていた。
「ゼラオラ! 迷うんじゃない! プラズマフィストで敵を討て!」
これは正しい判断のはず。そう断じたレオンはプラスルの電流の槍を心臓に受けていた。さしものジガルデセルの守りも打ち砕き、高圧電流が心臓を破裂寸前まで追い込む。青い光が明滅しレオンは意識の狭間を彷徨っていた。
だが、攻撃は完遂されたはず――。
そう信じて前を向いたその時、少女より染み出した漆黒の獣がゼラオラの進路を塞いでいた。
(仕方ないねぇ……。わっちがこうして出るのは特別なんだから)
「ゴメンね、カルト。ここは出てもらわないと負けちゃうわ。アタシと一緒に心中は嫌でしょ?」
(もしもの時にはプライドなんてなく、わっちの力も最大限に使う……。そういうところが、お前さんを宿主に選んだ理由でもあるんだけれどねぇ。ま、いいだろう。サウザンアロー)
茶褐色の光が練り上がり、ゼラオラに向けて殺到する。無数の茶色の矢がゼラオラの攻撃を中断させていた。
平時ならばその程度、の些末なる誤差だがこの時には決定的であった。
レオンは倒れ伏し、薄れていく精神の表層で少女の声を聞いていた。
「あっ、殺しちゃった? ま、いいでしょ。どうせジャックジェネラルは邪魔だし、それにめっちゃセル持ってるじゃない。ここはボーナスステージ、っと」
さすがに心臓を貫かれたのだ。容易く戦線復帰が出来るはずもない。何よりも、この時のレオンにとって致命的であったのは、相手への一拍の迷いであった。
殺すと決めればもっと非情になれたはずなのに、ここでは逡巡を浮かべてしまった。それが決定的となり、レオンは薄らいでいく意識の中で必死の抵抗を試みていた。
「……ただでは、やられん……」
その言葉にジガルデセルが呼応し、体内に溜め込んでいたセルがゲル状の生命体となって跳ねていた。
廊下を疾走し、エイジ達の下へと向かわせる。少しでも力になれるように。今は、生命維持でさえも下策であった。
少女が舌打ちを滲ませる。
「……逃がしちゃった。まー、でも、考えられる戦いのリスクは避けられたか。それにしたって、ここで死んじゃう? ジャックジェネラル」
問いかけられても答えられない。もう答えるほどの力も体内には残されていなかった。
(どうするんだい? 操り人形にするにしては、この男、自我が強過ぎる。これじゃ、不完全な駒にさえならない)
「じゃ、見殺しにしちゃおうか。どうせ男だし、アタシのストライクゾーンじゃないのよね……。ま、運がなかったって事で。じゃ、安心して死んでね。ジャックジェネラル」
その言葉を潮にして、意識は靄に包まれて消えて行った。