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第五章 暗幕戦姫
第五十九話 蠢動する敵意

「俺の経験則から言わせてもらえば、ジガルデの闘争本能への刺激は相当なものだ。酩酊感に近いと言うのだろうか。自分であって自分でない感覚。それがジガルデセルに寄生されている状態だろう。彼らに道徳心や、あるいは倫理観は通用しないと思ったほうがいい」

 その言葉にはリッカも同意のようで首肯していた。

「……シティリーダーが完全に闘争本能に呑まれていた。エイジ、ジガルデセルはあたし達の思っているより、多分ずっと危険」

 二人分の意見を前に自分のイレギュラーを前に出すわけにもいかない。エイジは自ずと覚悟を決めざるを得なかった。

「……コアと対峙すれば、戦うしかない……」

「それも相手がどのような条件、どのような能力を持っているのかも不明なままで、か。……詳細を聞かなかった俺の愚かさが悔やまれる。ザイレムからありったけの情報を得ていればまだ言えるのだが、教えられたのは君達のこれまでと、そしてスペードのジガルデコアの能力のみ。他のコアに関しては秘匿されたままであった」

 彼の困惑ももっともだ。今まで自分達は運よく勝ち進んできただけ。レオンのような相手が何人も出て来れば、容易く陥落してしまう。

 思ったよりも追い詰められていると考えたほうがいいのが実情。

「……でも、僕は希望があると思ってるんです」

 口にしたエイジに、ダムドが問い返す。

(希望ってのは、こういう状況を指して言ってるのか?)

 首肯し、エイジは二人を見渡す。

「リッカもレオンさんも、僕の味方になってくれた。これって結構難しくって、それでいて苦難の道だとは思う。でも、二人は決断してくれた。そしてこうして僕と一緒に、これからを考えてくれている。それって、多分、希望なんじゃないかって。絶望を振り翳すのは簡単だけれど、希望を見据えるのは、人間、そうそう出来るもんじゃない」

「希望……か。俺も貴殿ではなければ思いも寄らなかっただろう。ジガルデコアも、そしてセルも等しく破滅への遠因、人間を堕落させる邪悪の存在と信じて疑わなかった。だが、主とジガルデコアの在り方はまるで違う……それこそ俺の眼からすれば理想像に映る。俺の中に介在するセルは力をくれるが、励ましたり、自分を鼓舞してくれたりはくれない。そう、ジガルデセルは力への求心力と勘違いは生むが、二人のような関係性までは生まないんだ。それは結局……何の要因なのか……俺はまだ分からない」

 レオンは渋い顔で頭を振る。きっと、自分達もまだ分かっていないのだろう。どうして、自分は世界を敵に回す決断が出来たのか。この世にとってはないほうがいい存在をこうして容認出来るのかは、未だに不明瞭な点が多い。

 ダムドはケッと毒づく。

(そいつぁ、セルの力の欲望に溺れちまってるからだ。所詮はテメェもまだまだってこったろうさ)

「言っていろ、ジガルデコア。俺は主とこれからの話をしている。割り込むのならばもう少し口調を改める努力をするんだな」

(言うじゃねぇの。ガキが)

 舌戦が繰り広げられれば止める術はない。二人の間に流れた胡乱な空気を変えたのはリッカだった。

「でも……どっちにしたって、このカエンシティを北上するのに、戦力が足りていないわ。もし、ザイレムが検問でも張っていれば真っ先に捕らえられてしまう。あたしのメガプテラとレオンさんのゼラオラを使ったってそれでも難しいと思う。カエンシティを出ようとするのなら、少しは策を練らないと不可能よ」

「ただ闇雲に北を目指すのなら、それは愚か、か。どうする? 我が主。このままではカエンシティに縫い止められた形だが……」

 濁したレオンにも妙案は浮かばないようであった。彼はそもそも、もう自分に従うと言ってくれている。そんな彼の期待を裏切るような真似は出来ない。ここは如何に弱小のジェネラルとは言え、策を搾り出すべきだ。それこそ、己に賭けられるべき全てを。

(エイジ。検問があるかどうかは定かじゃねぇが、敵が動き始めるのはそうそう遅くはねぇ。エージェントが離反し、そいつがそれなりの使い手だって言うんなら、取り戻しに来たっておかしくはねぇはずだ。ここはセルを使ってでも、この街を強行突破する必要があると思うぜ)

 数少ないセルを使ってでも、か。エイジは熟考を浮かべたが、それでも今、この場で答えを出せと言うのは難しかった。

「……一両日、考えても……」

「ああ、構わない。ここはそういうためのセーフハウスだからね。安全は保障しよう。ただ、その代わり、意思を確認させて欲しい。主殿。あなたは俺達と共に、前に進む気があるのかないのか」

 これは答え次第でレオンの立ち位置も変わってくるであろう。エイジはリッカへと視線を流す。彼女はしっかりと頷いていた。

 リッカもジガルデセルの戦いがこれまで以上に苛烈となる事は予見している。実際、セルの媒介者と相対したのだ。これから先の旅がただジェネラルとしての質を上げるだけの旅に終始しないのは分かり切っている。

 ゆえにこそ、決断が必要だ。どのような暗雲にも負けない、本当の意味での決断が。

 これから先、何が待ち受けていようとも。これだけは譲れない「絶対」がなければ、勝ち進む事は出来ないであろう。

「……何があっても、どのような障壁があったとしても。僕はもう、後ろを振り返る事はない。僕は絶対を突きつけた。あの日から、もう、前進以外の道は絶たれたんだ。だから、約束は出来ないけれど、誓います。――二人に、違う景色を見せたい。それが勝利者の景色か敗北者の景色かは分からないけれど、でも僕は……勝ち取りたいから、選んだ。それだけなんだ」

 そう、勝ち取り勝ち進むために前を行く。その心根さえあれば、何も変わらないはずだ。

「……勝ち取る、か。久しく聞いていなかった言葉だ」

 レオンはそう結び、自分の瞳に応じていた。

「主殿。俺は君が何を選ぼうとも、その隣にいよう。それだけは、当方も誓わせてもらう」

 忠義の言葉を今は茶化せなかった。彼はジャックジェネラルとしての安寧ではなく、その先にある羅刹の道を選ぼうとしている。自分だけではない。王者は、誰かを孤独にする。

 そんな事さえも分からずに世界と契約した自分の弱さと直面する前に、リッカは立ち上がっていた。

「……あんただけで、立派なジェネラルになれないでしょ。あたしもその時には、トップジェネラルになってやるんだから」

 その強気な言葉が今はありがたかった。自分と共に歩んでくれるのだと、一人でも言ってくれる事が。

 涙ぐみかけて、内奥のダムドの声に制止される。

(まだ早いぜ、エイジ。感情を揺さぶられるにはな)

「二人とも……。それに、ダムドも……」

「悔しいがジガルデコアの言う通り。戦うのならば徹底するべきだ。俺は逃げる気はない」

「あたしも。そりゃ、昨日今日でジャックジェネラルが味方ってのは面食らうけれど、それでもあんたならやってのけるでしょ? ここまで無茶してきたんだから」

 どこかやけっぱちにも聞こえる声音だが、それでも信を置いてくれているのは分かる。エイジは感謝の言葉を紡ごうとして、電気の落ちた部屋にハッと息を呑んでいた。

 三人分の困惑が降り立ち、レオンが瞬時に戦闘形態に移る。

「……停電……いや、これは人為的だな」

「……まさか、もう仕掛けて来たって? 速過ぎじゃないの?」

「あり得るが……リトルガールの言うようにタイミングが良過ぎる。こんな絶好の機会を狙えるのならばそもそも俺の放ったジガルデセルに気づくはず。おかしい……何かが、ちぐはぐだ」

 当惑しながらも二人は戦闘時の警戒を巡らせていた。ゼラオラが音もなく飛び出し、リッカはフローゼルを繰り出している。

 エイジは遅れながらにルガルガンを待機させていた。

「……敵、かな」

(不用意な事は聞くもんでもねぇぜ。だが……確かにこの感じ、妙だ。セルの媒介者がやる作戦にしてはあまりにも無鉄砲が過ぎるし、連中がやるにしては迅速だな。逆探知したってオレらの位置を把握なんてそうそう出来やしねぇはず。まだ一時間も経ってねぇんだぞ……)

「じゃあ、これはザイレムの手の者じゃないって?」

(可能性の話だ。しかもこりゃ……分の悪い可能性だな。ザイレムじゃねぇってんなら、誰だってこったが……)

 構えた二人にレオンは端末を取り出していた。そこに浮かび上がったカウントにエイジは疑問符を返す。

「それは……」

「あと少しだ。三、二、一……」

 途端、電気設備が回復する。一体なんだったのだ、と困惑したエイジは直後のレオンの判断の声音に封殺される。

「事故や……あるいは他のシステムエラーの場合の停電なら、もう十秒かかるはず。これは人為的な、なおかつ電気設備を麻痺させた……ポケモンによる攻撃だ」

 断じた声音にエイジは絶句する。

(論拠は?)

「俺は何重にもセキュリティをかけている。そのセキュリティに相手がはまった。間違いなく、これは人間のする動きだ」

(確証あるんだろうな……。にしたってエイジ、ここで敵が仕掛けてくるってなら)

「ああ、覚悟を決める」

 誰が攻めてくるにせよ、ここでの迎撃は絶対任務であった。

(……それを聞いて安心したぜ。だが、間違えんな。何も足がつくような真似をするこたぁねぇ。やり過ごすのも手さ)

「……意外ね。あんたがそんな風なんて」

(今のエイジの手持ちじゃ襲撃者をどうにか出来るとも思えねぇからな。オレもオレで連戦は辛い。ここは最小限度で済ます手もあるって言いてぇのさ)

 ダムドにしては消極的とも言えるが彼のスタンスである「負けない」という一点において、撤退はそれ即ち敗北ではないのだろう。

 戦略的に見れば撤退も一つの策だ。彼もそれを学びつつある。

「いずれにせよ。俺に仕掛けてくるとは命知らずだ。迎撃に出よう。主殿とリトルガールはここにいるといい。ジガルデコア。主殿を危険に晒すなよ」

 ケッとダムドは毒づく。

(そっちこそ、仕損じてこっちに敵を回してくるんじゃねぇぞ)

 売り言葉に買い言葉の二人に、エイジは冷や冷やしつつも駆け出したレオンの背中を見据えていた。

 彼は自分のために命を張ってくれている。それがどこか不本意でもあり、そしてこのような事態を招いてしまった事そのものに申し訳なさを感じている。

「……エイジ。レオンさんなら心配ないでしょう。ジャックジェネラルだもの」

 リッカの信用はもっともだが、あまりに力を過信し過ぎれば手痛いしっぺ返しを食らう。

「分かっているけれど……こっちは相手の基地に潜入まで仕掛けた。だから、あまり油断は出来ない」

(同感だが、あのレオンがそう容易く負けるとも思えないだろ。何よりも、オレらが苦戦した相手だ。簡単に負けてもらっちゃつまんねぇからな)

 ダムドなりの気遣いか。どちらにせよ、レオンを信じてここは待つしかないだろう。

「ジャックジェネラル。……その実力を信じるしか……」

 拳を握り締める。今は、待つしか出来ない己が心憎かった。



オンドゥル大使 ( 2019/11/27(水) 20:59 )