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第五章 暗幕戦姫
第五十八話 ランセを進む者達

「――離脱した」

 そう口にするレオンは落ち着き払っていて、どこまでも冷静に事態を俯瞰するジャックジェネラルの風格を崩さない。

 今実行している策がザイレムの内情を探るとっておきの手だと分かっていても、彼は急く事もましてや浮き足立つ事もない。

 ――これがジャックジェネラル……。

 今さらながらこのような男に打ち克ったなど少し信じられない。自分のほうがびくびくしているのはどこか滑稽で、それでいて戦闘時の高揚感は失われていた。

(おい、レオン。テメェ、その遠隔操縦信用出来るのかよ)

 ダムドの問いかけにレオンは眉根を寄せていた。

「失礼なジガルデコアだな。口も悪いし粗暴なのは変わらずか。俺はジガルデセルの制御には手慣れている。貴様よりかはマシに動かしているつもりだ」

(どうだかねぇ。エイジ、こんなヤツの策、聞いてやるまでもなかったんじゃねぇか?)

 ダムドとレオンはどうやら犬猿の仲らしい。二人の仲立ちをするのが自分の役目だ。

「でも、エージェントにセルを取り憑かせてそこから逆探知するなんて、僕らじゃ思いつかない。いや、思いついたってやらないだろうし……」

「俺の持つスートとセルの所有数は我が主を上回っている。その一点で勝負をするのならば、この作戦がちょうどいい」

 レオンはこめかみに指を当てながら遠隔操作をしているらしい。ずっと、一点を注視している。

 そんな彼に、声を潜ませたのはリッカだった。

「……ねぇ、いいの? エイジ。ここ、ジェネラルレベル10以上の人間しか入れないセーフルームよ? カエンシティでも一等地の……」

 自分達がいるのはカエンシティを一望する高級建築の最上階であった。

 赤レンガ造りの建築物は特別財を凝らしてある事はないが、それでも裏通りを知ってしまった身からしてみると、少しばかり委縮する。それほどまでに豪奢であった。

 白亜のテーブルが中央に置かれ、ジャックジェネラル御用達の一室は人間一人が泊まるのには手広過ぎるほどだ。いい機会だと、レオンよりポケモンの遊泳を促されており、エイジはルガルガンとメテノを放っていた。

 リッカはまだ信用ならないのか、ポケモンを放つ事までは行わないものの、隣り合った椅子の上でじっとレオンの様子を観察している。

 その瞳には、ジャックジェネラルへの憧憬よりも、疑心があった。

 そもそも、何故レオンが自分と戦ったのか。そして如何にしてその実力を打ち破ったのか……全てが不明のまま、目立つとよくないと言う理由だけで招かれたセーフハウスに彼女は身を縮こまらせている。

(エイジ。メスガキに説明するんなら今のうちじゃねぇか? レオンは操縦に集中している)

「あ、うん……そうだね」

 じっとリッカはこちらを窺っていた。その眼差しに少しだけ気圧されてしまう。

「いつから?」

 有無を言わさぬ口調にエイジは素直に返答していた。

「……昨日、レオンさんから接触されて……」

「我が主。さん付けなど不要です。レオン、とお呼びください」

 遠隔操縦しながらこっちの会話に耳を傾けているのか。その精神力に圧倒されつつ、エイジは言葉を選び直す。

「あ、はい……。えっと、レオン……さんはジガルデセルを複数持った宿主だったんだ。ザイレムのエージェントとして、僕らに真剣勝負を挑んできた」

 やはり呼び捨てには出来ず、妥協したエイジにダムドが呆れ返る。

(さんなんて付けてやるこたぁねぇ。あいつの落ち度なんだからよ)

「でも……長い間憧れていた人を呼び捨てには出来ないよ……」

 当惑するエイジにリッカは額を押さえていた。

「……で? どうしてだかジャックジェネラルがザイレムのエージェントで、なおかつジガルデセルの媒介者? それであんたは一対一で決闘? ……胡散臭いって言うか、何で一言も言ってくれなかったの?」

 やはりそう来るか。エイジは頬を掻きながら言い訳を練ろうとして、ダムドの声に遮られる。

(テメェに言ったって事態は好転しねぇ。それくらい分かんだろ)

「……まぁ、その通りだったんだろうけれどさ。それでも一言は欲しかったって話」

 いつになくリッカも殊勝である。それは先に聞いていたシティリーダーがジガルデセルの媒介者であったのも所以しているのだろう。

 ――既にジガルデはこの地方に根強く巣食っている。

 そんなものを陣取るこの大勝負、自分に出来る事など露ほどにもないと言われているようで、エイジは言葉を失っていた。

「……途切れた」

 舌打ちを漏らすレオンにダムドが早々に言葉を投げる。

(ホラな? 人間の分際でセルの自走なんて無理だろ)

「黙っていろ、ジガルデコア。貴様とて持っているセルの数は少ない。この作戦を実行出来たのは俺だけだ」

(おーっ、それはそれは。御大層なこって。……つーか、エイジは敬うクセにオレにはそんな口調かよ)

「俺はエイジ君に従うのをよしとしただけであって、貴様の下につく気はないのでね。ジガルデコア、俺は貴様を信用しない」

(そいつぁ結構だな。だが言わせてもらうんなら、オレもテメェを信用してねぇ。ザイレムに尻尾を振ったお高いジャックジェネラルなんざ、信用なるかよ)

 互いに譲らない舌戦に、エイジはあわあわと割り入っていた。

「まぁまぁ……。そんな剣呑にならずに。僕は……レオンさんのこの行動力、称賛に値すると思う」

「もったいなきお言葉」

 傅いたレオンにエイジはぎょっとする。ジャックジェネラルに頭を下げさせるわけにはいかない。

「こ、困りますって! 僕はそんな器じゃない……」

「いいえ。身を粉にして君に尽くすと決めた。ならばこの意地、通させて欲しい」

 どうにも意固地なのはこちらも同じの様子である。どうして一回言ったら聞かないのばかり自分の周りにいるのだろう、と軽い頭痛を覚えた。

「あの……でもあんまりかしこまらないでください。僕はつい数日前まで最底辺のジェネラルレベルだったんだし……」

(謙遜するだけ無駄だぜ? エイジ。こいつを体よく利用させてもらって、オレ達は高みの見物としゃれ込もうじゃねぇか。そのほうがセルの集まりもいいかもしれねぇ)

「気取るな、ジガルデコア。俺は貴様に仕える気はさらさらないのだからな」

 厳しい論調が飛んできてエイジはびくつく。それをリッカが肘で突いて諌めた。

「馬鹿……あんたがそんなでどうするのよ」

「そんな事言われたって……」

 どうにも慣れない空気だ。レオンはこめかみを再び突き、やはりと口にしていた。

「……遠隔操縦には無理があったか。だがそれでも有益な情報を得られた。我が主、情報共有をしても構わないだろうか」

「あ、うん……。それは必要だけれど……」

 こんな大それた部屋まで必要か、と返したかったが呑み込んでおく。

「まず一つ。ザイレムの基地はあの場所のみだ。他の支部は存在しない」

「でもそれって……追尾したエージェントの身体感覚から得た情報ですよね? それが全てとは限らない……」

「だが君達が事前に言っていた位置情報と符合する。他に小さな基地があるとしても、エージェントの帰還する基地はあの場所なのだろう。俺はレナに目隠しされて連れて行かれたが、ちょうどこの辺りか」

 レオンが地図を広げ、指差したのはランセ地方の南西部であった。

 カエンシティ郊外に前回は出たのだ。その付近には違いないとは確信していたが……。

「……範囲がこんなにも広い……」

 カエンシティの北方にあるコブシシティ、さらには海に面する地域まで捕捉範囲に入っており、相手の出方や規模の巨大さをより見せつけられた形だ。

(要はランセ地方の南は相手の領域ってこったろ?)

「簡単に言うけれど……南西が相手の領域って分かった以上、僕らがこの辺りで騒ぎでも起こせば……」

「即座に捕捉されるだろう。いや、もうされているかもしれない。彼らはジガルデセルの信号を受信する術があるようだ。俺は誰にも、セルの媒介者になった事は他言していなかったが、彼らには筒抜けのようであった」

 レオンの言う事だ。それは間違いないのだろう。彼は本当に、他の誰にもセルの事を言っていない。信じる信じないではなく、この男ならばやりかねないの一事で理解出来る。

 戦ってみせたのがある意味では大きい。

 彼のスタンスが明らかになった上に、信じるべきものも、その胸の内もある程度は把握出来た。彼の振るう正義が自分達を容易く屈服させかねないほど、強いと言う事実も。

(……オレも何度も行方をくらましたのに追われた。連中、オレや他のコアの居場所くらいならたちどころに分かっちまうのか?)

「そう考えたほうがいいでしょうね。セルを使った無暗な遠隔操作は逆効果かも知れない」

 口にしたリッカにエイジは問い返していた。

「それは、……何で?」

 尋ねた愚にリッカはほとほと呆れたようであった。ため息交じりに彼女は説明する。

「あのね……あんたが最初にあのクジラって言うエージェントに捕まった時だって、ジガルデコアを顕現させたからでしょ? そして今回の件もそう。相手にはジガルデの行動がある程度予見出来る何かがあるのよ。あるいは統計かもね。相手からしてみれば、とっくの昔に試した事を、あたし達は繰り返しているだけかもしれない」

「今の追跡行為も、か。軽率だった。すまない、リトルガール」

「……リトルガール?」

 レオンの口から出た言葉にリッカは呆気に取られる。

「主君の連れ添いだが、俺は仕えると決めた相手以外にはあまり忠義は尽くせない。ゆえにリトルガールと呼ばせてもらう」

「あたしは! ……連れ添いじゃありません。むしろエイジがあたしの連れ添いで……」

 抗弁を発しかけて相手がジャックジェネラルである事を意識したのか、後半は尻すぼみであった。それでもリッカなりの健闘であったのだろう。どこか彼女はレオン相手に困惑を隠せないようだ。

「……俺達はあまり軽率には動けないな。本来ならばこのカエンシティに留まる事も下策かもしれない。俺は相手を追い詰めたつもりだったが、これは奴らの逆鱗に触れた可能性がある。カエンシティに多数のエージェントでも送り込まれれば完全にこちらの詰みだ。ならば手は早めに打ったほうがいい」

 面を上げたレオンの相貌にエイジがえっ、と困惑する。リッカへと視線を逃がすと彼女もこちらを見据えていた。

「あの……何か?」

(バカ野郎、エイジ。ここでのボスはテメェだろうが。テメェが判断を下せ)

 思わぬ無茶振りにエイジは声を跳ねさせる。

「む、無茶言わないでよ! 僕はカエンシティより向こうには行った事ないだからさ!」

「……地の利を得るのには北だ。北に向かえば彼らも追いづらいはず」

 レオンの提言にリッカも応じていた。

「……必然的にジェネラルレベルの高い場所に、か……。これは厳しい戦いになりそうね」

 北方の地。そこに向かおうとすれば競合ジェネラルは自然とレベルの高い人間になってくる。だが、エイジはどこか楽観視していた。

 こちらには無敗のジャックジェネラルがついている。ならば、彼を信用して判断を任せればいいのではないかと。

 その考えが愚策だと、ダムドが直後には声にしていた。

(……エイジ、言っておくがレオンの言う通りには動くなよ)

「……何で? だってジャックジェネラルだよ? レオンさんのほうが僕よりもランセ地方をよく知って――」

(そういう問題じゃねぇんだ。いいか? 今回の場合、敵に回したのは他でもない、この地方を牛耳る組織そのものなんだぜ? オレ達はだが、ここからすぐにじゃあ離脱するなんて器用な真似が出来るほどの実力者でもねぇ。何よりも、気ぃつけなきゃいけねぇのはこれからなんだ。敵を本気にさせた。その代償はデケェと思え)

「敵を……本気に……」

「悔しいが、俺もその意見には同意だ。追跡を行った時点で……いや、もっと言えば俺を下した時点で、主とは言え下策の道を踏んでいる事になる。本来ならもっと隠れ潜みながら旅をするべきであった。……こればっかりはハッキリ言う。我が主、君は目立ち過ぎている。組織が追うまでもなく、だ。昨日だってギンガ団相手に立ち回ってみせた。あれは、ともすれば敵対組織を増やす事になりかねない」

「……僕は、そんなつもりで……」

 そうだ、ネネを助けるだけの、ただの自衛のつもりだった。しかし、二人は事態を重く見ている。

「……そのつもりがなくっても、泥を塗られたと思った相手は思っているよりも執念深い。慎重に事を進める必要があるだろう」

 レオンの苦言となれば自分は相当に下手を打ったのだと認識させられる。今さらに恥じ入るように面を伏せていた。

「その……すいません……」

「いや、謝る事はない。君の中に燃え滾る正義への探究がなければ、俺には勝てていないはずだ。それも含めて、俺は君を買っている」

(デケェ口叩くじゃねぇの。負け戦を繰り広げたくせによ)

「黙れ、ジガルデコア。今すぐに口を縫い付けてやりたい気分だが、主君の中にいるとなればどうしようもない。運がよかったな」

(そいつぁどうも。テメェこそ、エイジが敵意を剥き出しにしてオレを出さなくてよかったな。そのよく回る舌共々、噛み殺していたところだぜ)

 二人の言葉は相変わらず胡乱だ。それでも、エイジは事実を照合しなければ、と努めていた。

「えっと、つまり……。ここにいても下策だし、かといって逃げようにも僕らにはそれほどの足もない」

「情けない話かもしれないが、ジャックジェネラル身分でも航空機まではチャーター出来なくてね。それに、この盤面から降りる気は、俺もない。ザイレムから聞かされた限りでは、四つのスートに一つずつのコアがいる。その宿主も」

 そうだ。自分はまだ見ぬ三人のコアの宿主と相見えなければならない。相手がどのような人間なのかも分からないのに。

「……いい人達だったら、いいんですけれど……」

(それはねぇぜ、エイジ。セルならまだしも、コアの誘惑だ。それを振り切るなんて事、そうそう出来ねぇさ)

 ダムドの言葉が重く沈殿する。コアの誘惑に自分も負けそうになった事がある。いや、ダムドにその気がないだけで本気を出されればすぐさまコアに負けてしまう程度の精神かもしれない。ゆえにこそ、コアの宿主とは戦う運命にあると思ったほうがいいだろう。

「……でも平和的解決は、無理なのかな……」


オンドゥル大使 ( 2019/11/13(水) 20:59 )