第五十七話 セルの暗躍
断じる口調にレナは何度も、そう敵、と繰り返す。
「敵、敵、敵……そのはず。敵のはず。だから……レオン様は私が殺す。私が、殺さなければならない……」
錯乱しているようだ。それともレオンに一服盛られたか。いずれにせよ、このままでは使い物にならない。サガラは単刀直入に切り込む。
「前回のミッションの失敗に、何か言う事は」
「……ありません。私の認識ミスでした」
「結構」
これはザイレムのエージェントならば最初に叩き込まれる洗脳の一つであった。
任務失敗の際、客観的に分析し、離脱不能ならば自害も辞さない――。
それこそがザイレムと言う魔窟の抱え込んだ闇の一つ。人を人とも思わない所業のほんの僅かであった。
「では問うが、レオン・ガルムハートは何故敗北したと?」
「それも、認識ミスの一つに集約されます。彼は相手の力量を見誤った」
レナの端末よりその戦闘のリアルタイム映像が送られてくる。相手はルガルガンだけだと思い込んでいたが、メテノと言う謎の多いポケモンまで所有するようになったか。
しかしそれだけでは敗因の決定打ではないはずだ。如何にセルのスートの侵されていたとは言え、状況判断では遥かにレオンが勝る。
「……何故、メテノのこの一撃を防げなかったのか」
「驕りもあったのかと。レオン様は何度も宿主の少年に怒りを刺激され、平常な判断力を失っていた」
「……Z02の少年が、レオンを上回った、か」
その可能性には極めて低いという判断をしていたが、ないわけではないだろう。事実、レオンは敗北し、そしてエージェントは帰ってきた。放ったはずの爆弾が戻ってくると言う愚を犯すのはひとえに説明し切れない事象が重なったからもあるはず。
サガラは一つずつ、不明点を洗い出す事こそが、Z02攻略の近道だと感じていた。
今まで何度も辛酸を嘗めさせられた相手だ。そう容易く転ぶはずがないとは思っていたが、レオンならばあるいはと考えていたのもある。
ある意味ではザイレムの読みの甘さを指摘される戦いでもあったのだ。
――強いジェネラルならば弱小ジェネラルに負ける道理もなし。
その理屈がこうも容易く崩れ落ちるとは思いも寄らない。どうやらエイジ少年の認識を改めなければならないらしい。
彼は真実の一端を知り、そしてその上で相手を否定して見せた。持ち得るポテンシャルは想定していたレベルを遥かに凌駕している。
「……君から見て相手の少年はどうだった?」
「弱いと判断していました。事実、コアの人格が明らかになってもその判定は同じで」
「勝てる相手とでも?」
首肯したレナに嘘の痕跡はない。事実、勝てた戦局であったのだろう。だが実際にはレオンが敗れた。敗因を分析しなければまた同じ浅慮を繰り返す。
次こそは勝てなければならない。何度組織のエージェントを使うと言うのだ。
こちらとて突かれて痛くない横腹はあるまい。ランセ地方に深く根付いたザイレムでも、あまりに失態が過ぎれば敵の潜入を許してしまいかねないだろう。
「だが現実はレオンが敗走した……。ジガルデコアが特殊な攻撃をした痕跡はない……。これだけ見れば、恐るべき下剋上だよ。彼は、この地方を束ねる最強の四人の一画にまで迫ったと言う事実になる」
ポケモンジェネラルならば誰しも憧れる極致に彼は至るべき可能性があるとでも言うのか。ただの気弱な少年に思えたのだが。
いや、現実は常に分からない。不明な領域へと変ずる。問題なのは、その変動値をどこまで制御するか。それに尽きるだろう。
ここではレナを責めるのではなく、如何にして次は勝つのかその方策を練るまでだ。
――いずれにせよ、Z02は力を得ている。
レオンに与えられたスートをどこまで吸収しているのかは不明のままだが、陣地は遠からず変動するだろう。その時、上役がどのような反応を示すのかも読まなければこの組織内で読み負ける。
「……何でもいい。思い出せる事はあるか? 彼についてでも、彼の周辺に関してでもいい」
「そういえば……地下組織構成員との戦闘がありました。報告するまでもないと彼は判断したようですが」
「地下組織?」
ザイレムではない地下組織があるとなれば、こちらに情報が来ていないはずもないのに、今さら地下組織の暗躍だと。
「……何者だと名乗っていた」
「確か……ギンガ団と」
即座に検索をかける。ギンガ団はシンオウを一時期支配下に置いた地下組織の一つだ。
一説には、その構成員の実力と、そして規模からカントーに潜んでいたロケット団相当と目されていた事もある。だが、三年前には離散した、という公式見解に落ち着いていた。
「……ギンガ団の再興……。それをランセ地方でやろうと言うのか……」
だが無策もいいところだ。ザイレムが根を張っている事を知らない地下組織ならば遠からず禍根の芽は詰まれるはず。
「……ギンガ団の脅威判定はBに留める。問題なのは、エイジ少年を取り逃がした事、そしてレオンの離反にあるだろう。彼らを特A級対象と判定し、継続しての抹殺任務を充てる。異議は?」
「ありません」
これもエージェントとしての礼節の一つ。上官には逆らわない。彼らはもう深層意識の底の底からザイレムに忠誠を誓っている。
ある意味では恐るべきと判じたのはレオンのほうであったのだが、とサガラはサングラスのブリッジを上げていた。
彼はレナの忠誠心を揺さぶった。
王の素質は彼にこそ輝くのだと、自分も思い込んでいた。それが如何に節穴なのかを思い知らされるとは、考えても見ない。
「……分からぬものだな。王者の喰らい合いは」
「面談はここまででしょうか?」
「ああ。情報は受け取った。継続任務と、そしてザイレムの天下のために働いて欲しい」
「承知しました。……ああ、でも一つだけ」
またしてもレオン抹殺を誓うか、と感じたサガラが視線をくれると、彼女はこの時ばかりは正気に返ったような眼差しで声にしていた。
「――ジガルデを、嘗め過ぎれば痛い目に遭います」
「それは承知しているが……」
まさか、と目を見開いた刹那、一匹のジガルデセルがレナより離脱し、そのまま地表を目指して飛び出していた。
「……やられた。レナに潜ませていたのか……。Z02……いいや、これはレオンの仕業か……」
いずれにせよ、このまま逃がすわけにはいかない。相手にはザイレム基地の全てとも言える情報が詰まっている。レオンの考えならばザイレムを駆逐するのに利用するはず。
そうでもなくとも基地内部を精査されたのでは堪ったものではない。サガラは緊急時のコールサインを端末より送信していた。
エマージェンシーコード07――侵入者発見の報が飛んだのは自分が在籍してから初めてである。
赤色光と隔壁が降り立ち、次々とザイレム基地を防衛姿勢に移らせていく。その速度は推し量るまでもない。ネズミポケモン一匹とて逃がさない鉄壁の構えに、ジガルデセルでさえも逃走不可能に思われたが相手は遥かに速い。隔壁の隙間を縫い、降り始めた防御陣営を潜り抜けて、ジガルデセルは地上を目指していた。サガラは端末を凝視しながら、敵の逃走ルートを推測する。
相手がどのルートを使ってどう逃げるのか。
それを見越し、サガラは命令を下していた。
「三階層の隔壁を全て閉じろ! 地上を目指すのにはシステム通路を使うしかあるまい」
『どうするのですか』
オペレーターの困惑にサガラは室長判断を迫られていた。ここで仕損じれば大きな損失となる。そうでなくともレオンを失ったのは痛い。最小限に抑えなければ、と奔らせた神経はこの時、最適解を編み出していた。
「……地下水脈やシステム隔壁まで気に留めていればきりがない。何よりも……このセルを遠隔稼働させているのは恐らくレオンのほうだ。Z02ではない」
『根拠は……って聞いている場合でもありませんね。三階層までの隔壁を全て閉鎖。ジガルデセルのマーカーは……』
サガラは唾を飲み下す。
レナより離脱したジガルデセルは地上を目指す前に力尽きているようであった。
あと二階層上まで行っていれば、相手に情報が渡っていた危険性が高い。息をついたサガラにオペレーターが言いやる。
『……ジガルデセル……沈黙……。どうやらそこまでの遠隔操縦技術ではないようですね。対象から離脱するなり、地上を目指すようにだけ命令されていた、と見るべきでしょうか』
「今は観察の暇さえも惜しい。ジガルデセルを確保、後に分析にかける。……だが、何も出ないだろうな」
『了解。……どうしてそう思われるのですか』
「レオン・ガルムハートは食わせ者だ。自分を信奉した女からザイレムの情報を奪い取ろうとしていた。その事実から鑑みるに、容赦の一つさえも挟む気がない。……分かっていたつもりではあったのだがな」
この地に立つジャックジェネラルだ。どのような獲物であっても死力を尽くすであろう。彼の辞書に、手加減の文字はない。
ゆえにこそ、この事実は重く見るべきなのだ。レオンはザイレムを完全に切った上に、打てる手は全て打とうとしてくる。下手に深追いすれば、傷を負うのはこちらだ。
「……これは警告でもあるのだろうな。地上までジガルデセルが到達するにせよ、しないにせよ、我々に、ここまでやってみせるのだと言う、程よいデモンストレーションにはなった」
相手のスタンスが明瞭化しただけでもある種の僥倖か。レオンに、こちらへの忠信を期待する手間は省けたと言うべきだろう。
もう、彼は完全なる敵だ。
その事実がどこまでも不利益に転がりかねない中で、サガラは監視カメラが映し出した、ジガルデセルを睨む。
「……またスペードスートか。貴様らは本当に、わたしをコケにするのが好みのようだな。ならばわたしも、貴様らを恨もう。この身が燃え尽きるまで……」
握り締めた手の甲にはスペードの文様が浮き上がっていた。