第五十五話 コアの刺客
上に呼ばれる時は大概、まともな時ではない。
サガラは嘆息をついて、機械群に包まれた上層に佇んでいた。
彼らが何を言いたいのか、こちらから察するところから始まる。
「……何かありましたか」
『サガラ室長。思わぬ事態が発生した。エージェントとして活動していたジャックジェネラル、レオン・ガルムハートが離反したと言う報告を今しがた、受諾した』
まさか、と目を戦慄かせたサガラはその実情を問いただす。
「何があったので……」
『Z02とその宿主に敗北し、結果としてセルは奪われていないが、それでも戦力としては痛い。我々の内実を知る人間が外に出たようなものだからな』
『この失態は別段、室長である君だけの責任ではない。しかし、ここから先、読み合いはさらに高度になってくるであろう。それは君の処遇も含めて、だと言っている』
やられた、とサガラは奥歯を噛み締める。レオンの離反はエイジをむざむざと逃した自分の責任へと翻る。畢竟、ここで査問されるべきは自分なのだ。
「……何がおっしゃりたいのですか」
『サガラ室長。最早猶予はない。トゥエルヴの即時解放さえも、我々は視野に入れている』
その言葉にサガラは必死に抗弁を発する。
「あれは……! 奥の手ですよ」
『だがジガルデコアの一陣営が力を持ち過ぎれば、我らとて強硬手段に出ざるを得ない。その一手段がトゥエルヴの戦線復帰ならば、検討するのもおかしな話ではない』
確かに、トゥエルヴを解放すれば、エイジとZ02を今ならば叩ける。それは間違いないはずだ。しかし、それだけは最終手段に持っていきたい。サガラは思索を巡らせる。
「……コア同士の戦闘は危険です」
『しかし、他のコアの宿主が接触せんとも限らない。この場合、消極的とも取れる』
言い方一つだ。ジガルデコア同士が争い合えば、どちらかの陣営に転がった場合の抑止力がいなくなる。
そうなれば、一番に困るのはこのお歴々であろうに、彼らはそれを棚上げしてでも現状のパワーバランスの偏りを是正したいらしい。
「……トゥエルヴは出せません」
『では他の作戦立案を急ぐのだな、サガラ室長。執行部のエージェントに空きがあるうちに、何としてもZ02と宿主を叩くのだ。そうでなければ読み負けるぞ』
レオンの離反は純粋に読めなかった。その一面を責められればそこまでだ。
「善処いたします」
『最後の最後にゾーンの陣営を我々が手に出来ればいい。そのために努力は惜しまない。無論、注げる人材もな』
『レオン・ガルムハートの影響力ははかり知れない。ある意味では最も厄介な敵を作ったも同じだぞ』
この地方を席巻するジャックジェネラル。その一角が一個人に屈したとなれば、情勢は一変する。
「……早急なる陣営の構築。そしてセルの奪取を」
『君の手腕にかかっている。セルとコアさえこちらのものになれば、後はどうだっていい。最終的な勝利者さえ覆らなければ』
最終的な勝利者。その条件に当て嵌まるのが自分達だと、彼らは信じ込んでいるのだ。
「戦いは、ですが分かりませんよ」
『サガラ室長。分からぬを操作可能な領域まで押し上げるのが君の役目だ。操作出来ない事象は必要ない』
事ここに至って、彼らも焦っている。こちらにあるコアの宿主は一人のみ。他二体は捕捉さえも出来ていないのだ。
少なくともスペードスートのジガルデを手に入れたと思い込んでいた連中からしてみれば、レオンの離反による悪影響は大きいはず。
自分達の思いも寄らぬ方向に戦いが進めば、それだけ不利に転がるであろう。
「……レオン・ガルムハートの抹殺と、そしてジガルデコアの早期接収。我々の目指すべき場所は変わりません」
『言葉で言うは容易いがな。君に出来るのかね』
「やらなければ、この世は終わりへと向かいます。全てのジガルデコアに宿主が生まれる前に、この戦いをコントロールするのが元よりの目論見であった」
『左様。終焉へと向かうこの世界を、繋ぎ止めるのは我々の責務である』
どこまでも、虚飾に満ちた言葉繰りだ。サガラは応じていた。
「ザイレムこそ、明日の秩序を取り戻すに相応しい。そして裏切りには死を」
『分かっているではないか。サガラ室長、エージェントを指揮し、レオン・ガルムハートの即時抹殺と、そしてジガルデコアを一刻も早く我らの手に』
『そうでなければ我々としても不都合な策を取らざるを得ない』
それが誰にとっての不都合なのか。問いただすまでもないだろう。
サガラは表層のみで、その言葉に返していた。
「……了解いたしました。まずはレオンの抹殺を。彼は知り過ぎている」
しかし言うほど容易くないのは分かり切っている。
ジャックジェネラルの暗殺など、可能ならば今の今まで誰も果たさなかった事のほうが謎であろう。
厄介な種が出来たものだ、とサガラは胸中に毒づいていた。
「ねぇ、やっぱり、エイジさんの事は……ノノも好きなんだよね?」
問いかけたのは愚かであっただろうか。それでも、旅を再開するのにわだかまりは少ないほうがいいだろうと言う判断であった。
「うん? ネネは好きじゃないっすか? ノノは好きっすよ。どこかうぶなところも含めて」
快活に笑って見せた半身にやはりこの決断は間違っていなかった、と再確認する。
「……ノノ。世界中が敵になっても、きっとエイジさんだけは、味方だよね?」
「当たり前じゃないっすか! エイジさんのためなら、ノノ達も頑張るっすよ。それが、恩義に報いるって奴っす!」
この真っ直ぐさの過ぎる姉にネネが笑いかけようとしたその時であった。
「――ほのぼの、そこまで」
かかった声に反応した刹那、氷柱が降り注ぐ。それらの攻撃の意思が周囲を固めていた。凍結領域に一瞬で落とし込まれた道沿いで、一人の少女がこちらを見据える。
ピンクの髪色をした少女であった。どこか浮世離れした佇まいと、そしてへそを出した挑発的なファッションをしている。背丈は高くはないのだが、褐色肌という事はこのランセの出ではないのだろうか。
「……何者っすか」
警戒心を走らせたノノに、相手は手を振るう。
「いや、だってさ。アタシの中のあれがこいつ! って告げているんだよね。だから、抑えさせてもらうよ。アンタ達の身柄!」
前線を行くのは氷柱そのものに足が生えたかのようなポケモンであった。黄色く濁った眼窩がこちらを狙う。自身の頭部に当たる氷柱を伸長させ、そこから四方八方に放ったのは一つ一つに攻撃性能の宿った「こおりのキバ」である。それを「こごえるかぜ」との連鎖攻撃で包囲陣を敷こうとしているのだ。
「ネネ! 全力で戦うっす! 下手に手を緩めるとやられるっすよ!」
プラスルとマイナンを繰り出し、瞬時に電撃のフィールドを形作った。だが、そこまで強固ではない。
その間、ネネは相手のポケモンに視線を注いでいた。
「……あれはカチコール、進化前ポケモン……。でも、それなのにここまで高精度の使い手なんて」
「あれ? なぁーんか、誤解してない? アタシ、カチコールの使い手じゃないんですけれど」
「じゃあ、何。まさか、ギンガ団の……!」
緊張を走らせると少女は手を叩いて笑った。心底可笑しいとでも言うように。
「アンタら、マジィ? ……そっかぁ、見込み違いだったかな。でも確かに気配はするんだよね? カルト=v
その名と共に少女の身体からしみ出したのは緑色のゲル状物質であった。それらが螺旋を描いて構築し、一匹の獣を生成する。
息を呑んだノノに比してネネはその姿に見覚えがあった。
「……エイジさんと同じ……」
「へぇ、エイジって言うんだ? 残留しているって言うのかな。そいつの気配、まだ近くにありそうなんだけれど、アンタ達、知らない?」
尋ねられて、ノノは首を横に振った。
「知らないっす!」
「そっかぁ……。だったら、どうしよっかなぁ……」
(餌にするにしても、この二人でかかるかどうか。旨味はないねぇ)
耳朶を打った声ではない。これは脳内に直接残響する声だ。しかし、ノノには聞こえていない様子である。
「だよねぇ。じゃあさ! ここでゲーム! アタシに勝ったら、何でも教えてあげる! 条件はこのカチコール一体でいいよ。プラスルとマイナン、両方で来れば?」
あまりに嘗め切った条件に頭に来たのか、ノノは声に怒気を滲ませていた。
「……いくらなんでも、後悔するっすよ。プラスル! エレキボール!」
尻尾を振るい上げ、充填されていく電気エネルギーが渦を成して直後、光球として放たれていた。カチコールに突き刺さる直前、風圧が変位する。
「凍える風。エレキボールが着弾する前に、その電磁位相を変えてやればいい」
何を言って、とノノが声にしたその時、「エレキボール」は内側からシャボン玉のように弾けていた。何が起こったのか、解する前にカチコールの繰り出す牙と烈風の乱舞に、ノノとネネは早くも追いつめられていた。
「……何が起こったっすか。エレキボールを、当たる前に弾けさせた?」
「攻撃だとか、防御じゃない? 何かが電気エネルギーを奪ったとしか……」
その視野の中に映ったのは少女の傍らに侍る獣型のポケモンだ。否、ポケモンと呼んでいいのかさえも不明だが、それでも状況を変えるとすればあれしかない。
額にピンクのハート型の文様を持ち、四つ足の獣の痩躯をノノは睨んでいた。
「ネネ。あれをやるっすよ。見たところ素早そうっすけれど、こっちには秘策があるっす」
秘策。それはプラスルとマイナンのみが持ち得る、切り札であった。だがそれを露見させれば全てがお終い。慎重を期して相手と交戦する必要性がある。
「何するか知らないけれど、アタシに勝てるの?」
「勝つっすよ……。だってまだノノ達の旅は、始まってすらいないんすから!」
マイナンがその電気袋に電圧を溜め込む。するとプラスルとの間に発生したのは渦を巻く電流の流れであった。
電流が嵐の勢いを灯らせたのは即座に、である。
プラスルとマイナンを中心軸として周囲に生じた電撃網が青いスパークを散らせ、膨れ上がる。
ノノが手を払い、ネネが姿勢を取る。
伝授させられし、究極の電気技――Zの極点、その神髄は……。
「カチコール、氷柱針」
カチコールの展開した無数の氷柱が幾何学の機動を描いてノノとネネへと突き進む。二人は同時に声にしていた。
「「究極のZ技! スパーキングギガボルト! ×2!」」
腕にはめたリングの鉱石が輝き、爆発的に巻き上がった電流の暴風がカチコールを捉えていた。
カチコールの発生させた技の残滓が掻き消え、膨大なる電撃の熱がその表皮を融かしていく。
しかし、プラスルとマイナンは共に不完全なポケモンだ。
一方だけでは成り立たない不均衡な関係のポケモンであるがゆえに、この時使用した「スパーキングギガボルト」は完全な技の発生に至らなかった。
爆発力だけが暴走し、カチコールを融かしたまでは想定内であったが、やはりと言うべきか、操る自分達にまでしっぺ返しが来る。
息を切らしたノノとネネはこれ以上の連続使用は不可能であった。
それでも……。
「カチコールは……倒した……」
その実感にノノが口にすると、相手の少女は喜色を滲ませていた。
「やるじゃん。ま、その辺りで捕まえた育成もまともにしていないカチコール、倒せないほうがどうかしているよね?」
少女はカチコールをボールに戻さない。それはある事実を二人に突きつけていた。
「手持ちじゃ……ない?」
「ここでカチコール程度なら破棄するわ。それに……興味もわいた。これくらいの実力なら、いい感じに餌になってくれそうじゃない?」
(そうね、エイジとやらをどうにかしておびき出すのには使えそうだ)
「また……声……」
ネネが耳に手をやる。それを怪訝そうに見やったノノは直後、少女がホルスターより外したボールに息を詰まらせていた。
「じゃあ、ちょっとだけホンキ出すから。まぁ、死なないでよ。じゃ、行って」
ボールが割れ、中から飛び出したのは――。
「……何なんすか……これ」
絶句したのも無理からぬ事。
現れたのはまるでポケモンとは思えない、鋼鉄の存在であった。
鋼タイプの分類に照らし合わせるにしろ、破格だ。
そのイレギュラーが屹立し、両腕と思しき砲身を突きつける。
「アタシはまぁ、個人的には平和主義なのよ? だから死なないでくれたらラッキー! みたいな。そのエイジって人も、まぁ死なない程度に抵抗してくれるんだと、助かるなぁ」
少女のへその辺りにハート形の文様が浮かび上がる。漆黒の獣と一体化し、妖艶なる笑みで手を振っていた。
「じゃあね。一発で死んじゃわないでよ」
ひらひらと振るわれた手を消失点の向こう側に焼き付けて、鋼鉄の巨大ポケモンは白銀の放射で二人の視野を満たしていた。
第四章 了