AXYZ - 第四章 宣告審判
第四十九話 対峙する二人

 指定された場所は静まり返っており、相手が人払いをしたか、あるいは最初から人気のない場所を選んだのが窺える。

 いずれにしたところで、エイジは眼前に佇む、二人を見据えていた。

 片方はザイレムのエージェントの女性。もう片方はこの土地を統べるジェネラルのうち、最強の一角。

 ジャックジェネラル、レオン・ガルムハートはこの時、瞳を逸らさずこちらを睨んでいた。

 王者の眼差しだ、とエイジは感じ取る。

「……意外だったとすれば、二つ」

 指を立てたレオンにエイジは問い返していた。

「来ないと、思っていましたか」

「それも一つ。敵前逃亡、しかし、それは別段、責められるものではない。俺と君の実力は遥かにかけ離れている。それも有効な戦術の一つだ」

「……もう一つは?」

「一人で来るとは思っていなかった。片割れに少女がいたはずだ。彼女の持っている手持ちを駆使すれば、ともすればもっと優位に戦えたかもしれない」

「戦う前から、勝ったような言い草だ」

「気に入らないか?」

「いえ、言う通りだと思います。自分はジェネラルレベルも6だし、それもここ最近なったばかり。侮るのも分かるかと」

「……誤解をしているな。侮ったつもりはない」

「だとすれば、迂闊だ、と僕は言っているんです。こうして僕と話している事も」

 瞬間、レオンへと屋根伝いに襲いかかったのは四つ足の獣である。彼が反応し、視線を振り向けた時にはその牙が軋っている。

(悪ぃな。力の差があり過ぎるんでね! セルをいくつかいただくぜ!)

 ダムドが吼えるとレオンの体内に宿っていたジガルデセルが活性化する。これでいくつかセルを奪えればこちらが有利に立てる。そう思って練った策に、レオンは心底侮蔑したかのような声を出していた。

「……小手先だな」

 レオンが身をかわし、体内で沸き立ったジガルデセルに対して、行った事はたった一つ。

「――落ち着け。我が内に眠るジガルデの因子よ」

 まさかその一声でだけで、コアの呼び声に対して有効だとは思いも寄らない。磁石のように引き寄せられていたジガルデセルが一斉に、レオンの体内へと潜っていた。

 まさか、とエイジとダムドは震撼する。ダムドの提案した作戦であった。

 ――コアである自分が急速接近して引き寄せれば、絶対にセルのいくつかは奪い取れる。

 その言葉を信じ込んだ戦法は脆く崩れ去る。

 ダムドが行き過ぎ、身を翻してレオンと対峙する。レオンは体内のジガルデセルの活性化を抑え、脈打つそれを制御していた。

(……なんて奴だ。ジガルデセルの破壊衝動を完全に抑え込んだ、だと……)

「嘗めてもらっては困る。スペードのジガルデコア。諸兄らの思うほど、俺は単純な鍛え方をしていないのでね。自分の中の衝動は自分で抑える」

 それは理論上の代物だ。理屈ではいくらでも取り繕えるが、実際にやってのけるかは別物。

 それをレオンは何でもない事のように実行してみせた。

 その事実に慄いたエイジへとダムドが舌打ちを漏らす。

(……初手は失敗か)

「ダムド。一度戻るんだ」

(仕方ねぇ)

 ダムドがコア形態とセル形態に分離しエイジの体内へと潜り込む。その動作を相手は何もせずに眺めていた。

 内側でダムドが問い返す。

(……今、攻撃だって出来たはずだ)

「何故何もせずに、諸兄らの行動を見ていたか、かな? 簡単な話だ。構えてもいない弱者に対して攻撃姿勢を取るほどに、愚かしくはないのだ」

(……構えてりゃ、別だったって聞こえるぜ)

「それはその通りだろう。さぁ、ジガルデコア。そしてエイジ君。諸兄らの力を見せて欲しい。期待はしていないが、俺は戦いならば容赦はしない」

 これがジャックジェネラル。これが、最強の四人衆に名を連ねる事を許された、王者か。

 その余裕にダムドが内側で歯噛みしたのが伝わる。

(……エイジ。変に搦め手を使うのは逆効果みたいだな)

「真正面から戦って倒すって? でもそれは……」

(テメェが難しいって判断したのなら、そうだろうさ。だが、他に方法がねぇ。相手を屈服させ、その上でセルを奪う。それが最短距離だって言うんなら)

「従うしかない、か。しかしどうやったところで……」

 周囲を見やる。狭い路地の中に優位になりそうなものはない。何かないかと視線を走らせる中で、レオンはその眼差しを感じ取ったのか、ふっとこぼしていた。

「考えているな。勝てる方策を。ここで、俺の考えを凌駕し、その上でジガルデセルを奪い取る……最短距離を」

 見透かされている事にエイジは息を呑む。レオンはすっと指差していた。

「考えを浮かべる事は上策。しかし、それ以外がてんで駄目だ。君は見え過ぎだ。考えも、そして目線も。勝ちたければ、相手に自分の考えの一端でさえも分からせるな。ポーカーフェイスを演じて勝利しろ」

(野郎……余裕かましやがって……)

 今にも挑発に乗りそうなダムドをエイジはたしなめていた。

「駄目だ、ダムド。相手の挑発に乗っちゃ負ける」

(乗らなくても不利だろうが。どうするつもりなんだ、エイジ。見渡したところ、有利になりそうなものは見えねぇ。予め練った策のうち、一つが潰えた。初手の出鼻を挫かれたのは痛いぜ。初手がうまくいけば、まだ希望が持てたんだがな)

「……セルの引き剥がしで少しは優位に立てるってのは」

(マジの話だ。相手の保有セルが大き過ぎる。あのままじゃ、ただの一般人なら自滅コースなんだが、相手はジガルデセルのもたらす戦闘昂揚作用を完全に封殺していやがる。あの状態を表すのなら、狂いながらにして正気みたいな厄介さだ。頭の沸点は高いままで、それでも常態の精神性は狂ってやがる。だからこそメンドーなんだ。マジもんの死狂いってのは、妙に醒めてやがるもんさ。それに近い……)

「本当の……死狂い」

 ジガルデセルに精神を弄ばれていながら、それでもなお己の芯を曲げない強さ。あまりに厄介なのは、ジガルデセルのもたらす作用で見えなくなっている部分がほぼ皆無であるという事。

 相手の審美眼はそのままに、戦闘時の強さだけがアップデートされている。

 如何に難しいのかは、何度もダムドの言っている通り。相手は正気ながらにして既に狂い果てている。

 ゆえにこそ、醒めた相手よりもやり辛く、そして狂った者よりも度し難い。

 そのような状態の相手を制する事が出来るのか。エイジは額に浮かんだ汗を拭おうとして、レオンの声に制される。

「汗粒一つで、戦局は変わる。君は今、汗を拭おうとした。その動作だけで、俺は踏み込んで喉を掻っ切れた」

 断言にエイジは精神を摩耗させられる。

(惑わされんな! よくある言葉繰りだ! 今の一瞬だけでどうにか出来るはずがねぇ!)

 もちろん、エイジとて分かっている。相手はポケモンすら出していない。ホルスターに指もかけていないのに取れるわけがない。

 だが同時に感じ取る。

 相手は今の一瞬、取れたのではないか、という疑念。その隅の一滴のような疑念が胸中で黒々と広がり、やがてそれは戦局全てを左右する。

 ジャックジェネラルの実力だと言うのならば、言葉一つも含めてだろう。

 相手に与える心的影響。その言葉で相手がどう動くのかの先読み。それこそが、ジャックジェネラル。不動の強者の立ち位置。

「……分かっている。分かっているけれど、ダムド。ここで先に抜かなければ、勝利はあり得ない」

(バカ言ってんじゃねぇ! 何度も示し合わせただろうが。相手のポケモンを見るまで、絶対に抜くな! それだけは鉄則だ!)

 ダムドの言葉も一つの正答。しかしながらポケモンジェネラルとしての第六感とも言える部分が告げる。

 ――相手が抜くのを待っていれば、この勝負、決していい方向には流れない。

 勝ち筋を得るのには、こちらの手のうちも含めて、相手の言葉振りに乗るしかない。エイジはそれこそが真摯だと感じていた。

 しかし、ダムドは譲らない。ホルスターへと伸ばしかけた指先をダムドは制する。

(駄目だ。抜けば負けるぞ、エイジ)

「……かもしれない。だが、抜かなければ勝てもしない」

(屁理屈こくな! いいか? ガキの喧嘩じゃねぇんだ! これはコアとセルをかけた戦い……一個の打ち間違いで全てが終わっちまうんだぞ! オレは一手も間違うつもりはねぇ!)

 冷静に俯瞰するのならば、相手のポケモンに対して後出しで勝利する。それが最低条件のはずだ。それでも、エイジはこの時、ダムドの制止を振り切ってホルスターのボールに指をかけていた。

 それを目にしてレオンは意外そうにする。

「君は、ジガルデコアに隷属しているわけではないのか。そう映っていたが」

「それなら……とんだ見込み違いですよ、レオン・ガルムハート。僕は……自分から勝ち取るために、ダムドと契約したんだ! だから、あなたにも勝つ! 行け、ルガルガン!」

 繰り出されたルガルガンが吼え立て、赤い眼光をレオンへと注いだ。レオンは手を払い、なるほど、と声にする。

「なかなかに覚悟はあるようだ。ならば応じようではないか。俺の、唯一の手持ちで」

 レオンが流れるような所作でホルスターからボールを引き抜く。そのモンスターボールを軽く投擲した瞬間、割れた光が弾け、周囲にエネルギーを分散した。

 四肢を持つ獣のポケモンである。後ろ足で立ち上がり、両腕を翳しているのはルガルガンと同じ。陸上型の獣ポケモン。

 しかし全身に迸る力が桁違いであった。

 黄金の毛並みを持つそのポケモンが滾らせたのは電撃だ。走った電磁が瞬時に青く染まり、そのポケモンを包み込む。

 まさしく、雷の獣。

 吼え立てたそのポケモンの名を、レオンが紡ぎ出す。

「ゼラオラ。俺の唯一の手持ちだ」

 唯一、とは言ってもそれがまったく不利に転がらないのは、声音からして窺える。

 唯一にして絶対。その一枚だけで、彼は切り札を出したようなもの。そして、その切り札は容易く折れない。

 ゼラオラが両腕に稲光を充填させる。

 その段になって女エージェントが歩み出ていた。

「加勢を……」

「必要ない。それに、俺と彼はこれから誰にも邪魔されぬ領域で戦う。その前に、彼の覚悟を問いただせてよかった」

(よかっただぁ? テメェ、要らない挑発でエイジの手持ちを炙り出しやがって……!)

「言われる筋合いはないな、ジガルデコア。さて、エイジ君。俺のスートは、これだけだ」

 両手の甲と両膝に浮かび上がったのは四種類のスートである。それぞれが光を帯びて、レオンの体内で相克を描いているのが窺えた。

「この四種のスートの導くもの。ジガルデセル。俺は全ての力をもって、君を駆逐する。そして、手に入れて見せよう。ジガルデコア、その力を! 俺はここに! 君へのゾーン戦を挑む!」

「……ゾーン、戦……」

 言葉を咀嚼する前に、周囲の空間が歪む。何が起こったのか、まるで分からぬ間にカエンシティの路地裏の風景が消え失せていた。

 代わりに現れたのは青くぼやける宇宙の地平だ。遥か彼方まで広がる茫漠とした宇宙にエイジは周囲を見渡す。

「何が……」

(ゾーン戦でケリをつけようってのか……。エイジ、オレに一旦変われ! 足場を作るぞ!)

 言葉を聞くや否や、身体の所有権がダムドへと渡され、エイジは内側より目にしていた。

 紫色に煙る宇宙で、レオンと自分が対峙する。

 ダムドは心得たかのように無重力の宇宙で足場を見つけ、膝をついていた。

 相手も同じように足場を得ている。

「ゾーン戦……簡単にケリをつける算段だったってワケかよ」

「足場を見つけるまでも相当な時間がかかる。その間に手持ちを潰させてもらうつもりだったんだが」

 ゼラオラが両拳を突きつけ合い、電磁の波を散らせる。既に臨戦態勢に入っている相手に比してルガルガンは困惑していた。

「ルガルガン、落ち着け。この空間は何も見えている限りの宇宙空間じゃねぇ。物理法則は物質世界のままだ。精神の在り方次第で足場がなくなる。ジェネラルが気を強く持てば、手持ちの足場は保証される。そういう、精神エネルギーの優先される場所――それがゾーンだ。ゾーン内では慣れているほうが優位に立つ。テメェ、最初からそのつもりだったな?」

「さぁな。いずれにせよ、現れたな、諸悪の根源」

 突きつけられた言葉にダムドは鼻を鳴らす。

「オレをそう形容するかよ。ま、間違っちゃいねぇし、変に否定する気もねぇ。だがゾーン戦ってなれば、マジに援護は期待出来ねぇが、それでいいんだな?」

「問い返すまでもない。俺はそのつもりでこれを選んだ」

「……そうかよ。ルガルガン! 駆け抜けろ! ゾーンの中なら、オレのほうがちょっとばかし一日の長はある!」

 その言葉通り、構築された道筋が地面となってルガルガンの足場を形作った。エイジは息を呑む。

(精神の在り方がフィールドを変える……。これが、ゾーン……)


オンドゥル大使 ( 2019/09/11(水) 22:09 )