第四十八話 押し上がるための
ショウの舞台は整った、と最奥に位置する男は口にしていた。
リッカは怪訝そうにそれを見やる。
「……カエンシティの使い手は、炎タイプだって聞いていたけれど」
「もちろん、その通りさ。そして炎ってのは人間の営みの中で作られてきた概念でもある。知っているかい? 炎がヒトと獣を分けた。炎の使い方一つで、ヒトは獣にも堕ちる」
「……概念を聞きに来たわけではないのだけれど」
「もちろん、存じているとも。ジェネラルレベル4の少女。リッカ、であったか」
「ジェネラルレベルの査定に来たのよ。御拝聴を窺いに来たんじゃない」
「急ぐなって。カエンシティではね、そうそうジェネラルレベルの査定は行われないんだ。何でかと言うと、ある程度の紙の試験だけで事足りる部分があってね。それは、ある種の功罪とも言える。他のシティから、文明的だって認めてもらうために」
リッカは裏路地を思い返していた。人々は表だけを見ようとしている。それは何も精神性だけではなく、この街そのものの在り方なのだろう。
カエンシティ――二つ目の街。自ずとその帰結する先はそれほどのレベルの場所ではないと言う判断に落ち着く。
「……カエンシティは、表だけ見れば文明的……。それを主張するために、筆記試験を主に?」
「答える義務、あるかい? ま、その通りなのだから笑えない。いずれにしたって、我輩と君は矛を交える運命」
スポットライトが当てられ、赤いタキシードを纏った小太りの紳士が歩み出る。リッカはスッと見据えていた。
相手はシルクハットを返し、一礼する。
「お初にお目にかかる。カエンシティ、ジェネラルリーダー、ハツヒデ。挑戦を受けよう」
「査定のはずよ。挑戦じゃない」
「だがね……我輩も退屈しているのだよ。少しばかりは遊んでくれたまえ。皆がペラ紙一つに躍起になって臨み、実地試験には目もくれないこのご時世……。主義者ではないが、動乱の時代のほうがよかったと、一面では思う」
団子鼻の相手はふんと鼻を鳴らす。リッカは言い切っていた。
「それは文明の否定になるんじゃないの? 特に、ジェネラルリーダー身分だと」
「なに、ちょっとばかし窮屈なだけで結局はジェネラルリーダーは国家の制定した、ジムリーダーの代わりだ。いずれはこのシティロビーもポケモンジムに名を変え、そして職務は他地方の手慣れたジムリーダーが引き受ける。そういう宿命にあるんだよ、この地方は。いずれにしたって、他の地方の手を借りないとまともな文明国を名乗る事も出来ない」
やれやれだ、とハツヒデは嘆く。それは主義? とリッカは問いかけていた。ここで問答する間も惜しい。
エイジは何かをひた隠しにしている。それを解明するのに、自分の役目はさっさとこなさなければ。
ホルスターからモンスターボールを外した自分に、ハツヒデは手を掲げる。
「……問答も惜しいのかい? 査定に来たのでは?」
「……進展しない話し合いに来たんじゃない。あたしは! 進みに来た! だったら、足踏みなんてしれられないもの!」
その宣言にハツヒデは大きく頷く。
「分かるとも。逸る気持ちも、そして我輩の言葉に一喜一憂している暇もないのだと。だがね、我輩は違う」
ハツヒデは片手を開き、その中に炎を浮かび上がらせた。ふっと息が吹きつけられた瞬間、炎が凝固しボールに変位する。
「マジックに付き合っている場合じゃない」
「マジック? これはそういう意図じゃないさ。そりゃ、君から見れば我輩のこの衣装もまるで奇術師、ピエロだろう。だがね、我輩は嬉しいんだ。久方ぶりに、本気を出してもいい。シティロビーではリーダーの出すポケモンは厳密には決められていない。それは相手のジェネラルレベルをはかる、という役割に準じているからだ。だから、どのレベルを出すのかは完全なる任意性。ゆえに、ここでは我輩も本気を出せる。行け!」
繰り出されたのは真紅のポケモンであった。照り輝く内側の炎をたらこ唇から吹き出し、めらめらと燃える炎そのものの文様を身体に生じさせている。
「……ブーバーの進化系、爆炎ポケモン、ブーバーン」
「チャレンジャー! 我々は対等だ! 対等がゆえに、本気を出すのに躊躇いはない! そうであろう!」
主の闘争心を受け、ブーバーンが炎を噴き出す。しかし、とリッカは仔細に観察していた。
如何にジェネラルリーダーが使うポケモンには査問の対象外とは言え、ブーバーンは相当なレベルのポケモンだ。それを疑いもなく、本気で出す。その時点で相手はある種、正気ではない。
途端、リッカは脈動を感じる。目を凝らしたその時、ハツヒデの肩を伝っていたのは、ゲル状の生命体であった。
まさか、と目を見開く。
「……セルの、宿主……」
それならばこの過剰演出も納得がいく。ダムドの話が本当ならば、ジガルデセルの寄生者は理性を維持出来ない。
相手は本気で自分を倒そうとしている。挑戦者などと言う楔は関係なしに。
ならば、こちらも本気で応じなければ押し負ける。リッカは手を払っていた。
「行け! フローゼル!」
飛び出したフローゼルが体毛を逆立たせえ、身体の水分を弾き飛ばす。それを目にしてもハツヒデの闘争本能には変わりがないようだ。
「水タイプ! 理解しての事だと、想定するとも。だが嘗めるな。我輩とて、強い!」
その言葉と共にブーバーンが動き出していた。拳を照り輝かせ、直後の攻撃が予見される。リッカは命じていた。
「屈んで一気に! アクアジェット!」
姿勢を沈め、相手の渾身の薙ぎ払った拳を回避する。軌道上の空気さえも炎熱に染めたその一撃は「ほのおのパンチ」。フローゼルは尻尾を回転させ、瞬時に水の推進力を得ていた。
弾き出されたフローゼルの一撃をブーバーンが腹腔で受け止める。
決まった、と確信したリッカは直後、硬直したフローゼルに目を見開いていた。
「……アクアジェットを、止める……?」
「素晴らしい! 水タイプでの即座の応戦! これぞ戦い、これぞ戦よ! こちらの炎のパンチに屈せず、全力で攻撃してきたのは称賛に値する! だがね、これでは駄目だ」
どこか醒めたようにハツヒデは手を開く。
「これでは我輩のブーバーンは沈まないし、それに嘗め切っているようだ。ジェネラルリーダーの素質というものを」
ブーバーンが足元から発火する。それだけでフローゼルの体表に纏いついた水が水蒸気と化したのが伝わった。沸騰した己の水にフローゼルは慌てふためく。
リッカは即時に離脱を命じかけて、ブーバーンの発する炎熱領域が拡大している事を察知する。そのあまりの広域射程に息を呑んでいた。
「……ブーバーンは、特殊攻撃型のポケモン……」
「見抜いたか! しかして遅い!」
その身より放たれた炎熱の放射がフローゼルを押え込む。まるで灼熱の檻だ。フローゼルが空間に固定され、もがくもそれは虚しいだけである。
ブーバーンがその巨大なる拳に、稲光を溜めた。まさか、とリッカは声にする。
「雷パンチ……。水対策を!」
「当たり前であろう、これもまた戦い。査問だからと言って嘗める気はないし、この戦いをただの査定の場とするつもりもない。やるのならば、それは誠意ある戦いを。ブーバーン、焼き切るのだ。雷――っ、パンチ!」
「させない! フローゼル! ハイドロポンプ!」
手の中に溜めた水を一挙に放つ。しかし、ブーバーンはその程度では沈まなかった。それよりも、携えた稲妻が輝きを増し、水攻撃を蒸発させる。
「しかと受けよ!」
その一撃が尾を引いて放たれる。リッカは瞬時に策を巡らせていた。
「泥かけ!」
フローゼルが尻尾を回転させ、ブーバーンの視野を遮る。「かみなりパンチ」の一撃が僅かに逸れた。その瞬間を見逃さず、リッカはフローゼルに離脱を命じる。
「アクアジェット、逆噴射! 即座に離脱!」
フローゼルが尻尾を回転させ、「アクアジェット」の推進力を上げて、高度に飛び上がる。これで少しは逃れたか、と思った直後であった。
ブーバーンが稲妻の拳を回転させる。流転した電気エネルギーが拡散し、周囲へと放たれていた。
「……雷パンチのエネルギーに噴煙を上乗せさせて、広域射程を可能にするなんて……」
「即座に見抜いたその審美眼は褒めてやろう! だが射程内だ!」
フローゼルを絡め取り、雷の鎖がそのまま打ち下ろされる。地面に叩きつけられたフローゼルへとブーバーンが肉薄する。リッカは守りでは足りないと判断していた。
「フローゼル、拳に水を溜めて、アクアブレイク!」
水流が瞬時に拳へと固められ、フローゼルのアッパーカットがブーバーンを捉えかけたが、相手はその身より放った炎熱だけで遮断する。
「ブーバーンは身に炎の鎧を纏ったも同義! 攻撃は通用せぬ!」
「そう、だったら! その鎧を引っぺがせばいいのよね!」
入った拳に水流が再度流転する。無数の弾道がブーバーンの頭上を覆っていた。
「……諸共か」
「そんなつもりはないわ! あたしが、勝つ!」
「片腹痛い! そんな攻撃で! ブーバーン! 噴煙で敵の攻撃網を完全に遮断!」
ブーバーンの纏う炎熱はただの攻撃ではない。その身に燻る熱を一斉に放出し、そして攻勢へと転じる恐るべき技だ。
それには一朝一夕ではない、ポケモンとの深い心の繋がりが必須となるであろう。
その闘争心にジガルデセルが作用しているのか。今のハツヒデとブーバーンは通常のジェネラルとはまるで別の領域だ。
――これがジガルデセルの宿主との戦闘。
ザイレムと名乗った組織が躍起になって集めているのも頷ける。これはポケモンと人間の楔を剥がす、別種の存在。横行すれば、ジェネラルとポケモンの制度そのものが崩れ落ちる。相手は秩序の崩壊を望んでいるのか、それとも現状を維持するための戦力としてジガルデセルを捉えているのか。それは判然としないが、今のリッカにとってブーバーンは越えなければならない敵であった。
リッカは奥歯を噛み締め、フローゼルの攻勢一手一手を鑑みる。
フローゼルの水の砲撃がブーバーンに突き刺さったが、やはりと言うべきか決定打には至らない。
「弱いな! その程度で!」
「ブーバーンの炎の鎧は堅牢……。通常攻撃では、ダメージがまるで通らない」
「その通り! 勝てると言う希望が潰えたか? ブーバーン、決めにかかる! フレアドライブ!」
ブーバーンの纏っている炎熱が位相を変える。瞬時にその身を押し包んだこれまでにない熱量が視界に入った途端に、色相さえも変化させえた。
ブーバーンの身体が赤色光に包まれ、これまでより色濃い焔が紫に染め上げる。その丸太のような腕が振るわれただけで、放出された炎熱が空間を歪めていた。
炎タイプの高位技「フレアドライブ」。それを身に纏ったブーバーンはまさに炎の化身。両腕に装填されたのはそれそのものが高出力の弾丸であった。
砲撃姿勢を取ったブーバーンが腕に炎を充填させる。
それそのものが強大なる砲撃。放たれた火炎弾の攻撃に耐熱保護を剥がされたシティロビーの施設が震えた。
高密度の灼熱がポケモンの閾値ではないと判断したのか、降り注いだのはスプリンクラーの水滴。
霧の雨が降りしきる中で、水の網を蒸発させつつブーバーンの鉄拳が迫り来る。リッカは瞬時の判断を下していた。
「後退! そして防御を!」
「遅いな。その程度で! ブーバーンの能力は削れない!」
炎の鎧を身に纏い、今や白熱の域に達したブーバーンの攻撃を止めるのに、フローゼルの水の壁ではあまりに足りない。
構築した壁を蒸発させ、消し飛ばしてブーバーンが拳を見舞う。腹腔へと入った一撃にフローゼルが目を見開いていた。
「勝利者は我輩だ!」
セルの闘争本能に打ち負けたジェネラルの末路か。あるいはこれこそが、ジガルデセルの生み出すポケモンと人間の楔を解き放つ機能か。
ブーバーンの熱量に比例して、ハツヒデの闘争心が剥き出しになる。そのあまりの闘志にリッカは全てが足りないと判断していた。
――ここで勝つのには、投げ打たなければならない。
己の力量、そして何もかもを覆し、全ての現象を掌握する強さを。
ブーバーンが大きく腕を引く。間違いなく到来するのは「かみなりパンチ」の一撃。フローゼルを沈めるための布石が照り輝き、電磁を引いたその時であった。
「あたしの勝ちね、ジェネラルリーダー!」
宣告にハツヒデが目を剥き、そして高笑いを発していた。
「何を言っている! このまま撃ち込まれれば落ちるは必定。勝つのは我輩である! 分かり切っている事をわざわざ……」
「いいえ。あんたは、それが見えていない。ブーバーンの発する殺気と熱量、そしてその強大なるパワーの前に、見えているはずのものさえも見えていない」
「馬鹿を言え。我輩のブーバーンは完璧である!」
「……だったら、撃ちなさい。そうすれば分かる」
その言葉に僅かな逡巡を浮かべたのも一瞬、相手は攻撃を実行していた。
「構う事はない。ブーバーン! 雷――」
その瞬間であった。発火したのはブーバーンの棚引かせる腕からだ。繋がれたのは凍結の糸。ブーバーンの肘部分に至るまで細やかな糸が纏いつき、伸びたそれがハツヒデの直下に至っていた。
「……これは、いつの間に!」
「……あんたが攻撃を悩んだその一瞬、仕掛けるのは難しくなかった。ただ、選択肢は無数にあったはず。雷パンチをここで実行せず、単純な灼熱技に終始すれば、勝っていたのはあんただった」
凍結の糸が熱量で水へと戻る。その瞬間、まるで火薬庫の導火線に火が点いたかのように、一瞬のうちに電流がのたうち、ハツヒデの直下でそれは弾けていた。
高出力の電圧がハツヒデの身体を焼き、その内側から燻らせて、倒れ伏す。
その時には身体から這い出たジガルデセルが弱り切っていた。
リッカは歩み寄り、片手を差し出す。ジガルデセルが体内へと入り、新たなるスートが内側で燻っていた。
「……まさか、ジェネラルレベルの査問でこんな目に遭うなんてね」
同時によく理解出来てしまった。ジガルデセル、その闘争に巻き込まれた以上、このような事はこれから先も頻発するであろう。
その戦いの、これはただの前哨戦に過ぎない。
「……エイジ。あんたも、こんな戦いを、どこかで……」
思いを馳せたリッカはしかし、この場では無力を噛み締めるのみであった。