第四十六話 獅子との邂逅
返答し、路地を折れたエイジはカエンシティ中央部に燻る何かを視野に入れていた。
幸いにして被害者はいなかったようだが、飛来してきた何かに全員がまごついている。
「何が起こった!」
「隕石だ! 隕石が落下した!」
その言葉にエイジは疑問符を挟んだ。
「隕石……? そんな事って……」
(あり得るのか? いやそもそもあれは……)
警戒姿勢に入ったダムドにエイジは問いかける。
「分かったのか?」
(あれは……ポケモンだ)
断じられたその刹那、落下地点より浮かび上がったそれが砂塵を纏いながら疾走する。思わぬ物体に誰もが呆気に取られているようであった。
「あれは……」
エイジはダムドの言葉があったためか、その対象を追いかける。確かにただの隕石ではない。明らかに障害物を認識し、それらを回避して街を混乱に陥れている。
それだけではない。
纏っていた砂塵が晴れ、そのポケモンの姿が露になっていた。
「……何だあれは。岩の……塊?」
そうとしか言いようがない。そのポケモンは岩そのもののような形状を伴いながら、街頭を抜けていく。
やがて至ったのは工場区画であった。
思ったよりも速度が遅いのが幸いしてか、エイジは追いつく。
そのポケモンは眼窩と口腔部に見える落ち窪んだ部位から声を発していた。
威圧感にエイジはホルスターに手を伸ばす。
「ポケモンなら、始末するしか……!」
(エイジ。あれは見た事ねぇのか?)
自分ならばポケモンの種類を言い当てられると判断しての言葉だろう。しかし、エイジは断定出来なかった。
「……何となく、似たものは何個か挙がったけれど……でも決定打に至らない。何よりも、あれの纏っているのが……」
そう岩の塊にしか映らないポケモンの纏っているのが、そこいらから寄り集めたガラクタや信号機、さらに言えば車のバンパー看板まで多岐に渡っているのだ。
ノイズが多過ぎて自分では判断出来ない。恐らく、と思える個体はいるものの、断定は難しかった。
(……なら、オレにやらせてくれ)
思わぬダムドの言葉にエイジはうろたえる。
「ダムド? でも、お前じゃ……」
(オレだって人並みにゃ、昨日の事を気にしてる。エイジ、テメェはギンガ団相手に、自分を通した。オレも、通してぇんだよ。テメェと契約した身だ。足手纏いはゴメンなんでな)
ダムドにも思うところはあると言うわけか。エイジは一つ頷いて彼に身を任せていた。
「……ああ。頼む」
次の瞬間、感覚は消え失せ、意識は深層へと潜る。
「――それなりの使い手名乗るんならな、負け試合なんて引きずってられねぇんだよ!」
繰り出したルガルガンもまるでダムドの闘争心を引き移したかのように眼光に鋭さを滾らせていた。ダムドは手を払って命じる。
「まずは小手調べ! ストーンエッジ!」
ルガルガンが地面を拳で打ち鳴らし、コンクリートで壁を構築したかと思うと、それらに対して一斉に拳を打ち込んでいた。無数の拳の応酬が岩石を散弾と化させる。
殺到した岩石の散弾を相手は一身に受けるかに思われた。だがそれを裏切るかのように、敵ポケモンは身体を翻しただけで、風の流れを変位させる。
旋風が掻き消され、ダムドは舌打ちする。
「……岩をどうこうしたんじゃねぇ。風を変えたな? つまり、飛行タイプに近い特性を持つってわけだ。エイジ、分かるか?」
(待ってくれ。……見た目はまるで岩で、それに加えて飛行だって……? 岩・飛行なら化石ポケモンを除けば、それは一種類だ。該当するのは……そうか。あれはメテノだ!)
導き出した答えにダムドは敵を睨む。敵性ポケモン――メテノは身体を返して浮遊する。
「メテノ……? 強いのか?」
(データに乏しい。標高の高い山や、隕石に紛れて落ちてくるって言う、別名流れ星ポケモンだ。アローラで確認された、って言うけれど、僕も詳しくは分からない。でも、まさかランセ地方に落ちてくるなんて、多分例がない)
「じゃあ、早い話、誰も持ってねぇ。そういうこったな?」
(……ああ。多分、誰も……。ダムド?)
疑問を挟んだその時には、ダムドはモンスターボールを指の間に挟んでいた。その行動にエイジは困惑する。
(何をする気だ?)
「ジェネラルがポケモン相手にボールを掴むってのは、意味するところくらいは分かるんじゃねぇか?」
その言葉振りにエイジはメテノを改めて観察する。
(捕獲するって? ……確かに例のないポケモンだ。珍しいと言えば珍しいけれど……)
「だろ? 対策も練られ辛い。なら、お眼鏡にかなうってもんさ! 来い、メテノ!」
投擲されたボールがメテノへとぶつかり、その内部へと吸収する。メテノはほとんど抵抗せず、モンスターボールが左右に揺れたのもほんの一瞬であった。
捕獲成功の合図である音が聞こえ、ダムドは拳を握る。
「よっし! これで戦力は拡充出来たな!」
満足げなダムドに、しかし、とエイジは言葉を挟んでいた。
(ダムド……。でもメテノは、岩・飛行だ。これじゃ、ルガルガンと被るんじゃ……)
「心配すんな。オレなりに考えての行動さ。ルガルガンを最大限に活かすために、飛行タイプは欲しかったところだ」
その赴く先はさすがに一心同体の自分でも分からない。エイジは戸惑いつつも、まぁ、と納得しようとする。
(ひとまず前進、かな)
「敵が雁首揃えてきたら、さすがに勝てるかどうかは怪しいからな。二体は欲しかった。それだけだ。返すぜ」
思わぬ形で自分の身体が戻ってきてエイジはたたらを踏む。
手にしたメテノのボールにエイジは後頭部を掻いていた。
「……何だかなぁ。岩タイプじゃ、活躍するのは難しそうだけれど……」
(グダグダ言ってんな。いいんだよ)
そこはダムドを信用すべきなのだろうか。エイジは決めかねて身を翻そうとした、その時であった。
「――エイジ君、だね」
知らない声にエイジは振り返る。眼前に佇む青年の姿に、覚えず息が詰まった。
「……何で……」
金髪に精悍な面持ち。眼差しは王座の風格を宿し、自分を見据えている。その立ち振る舞いから逃げ出せず、エイジは後ずさる事も出来なかった。
「エイジ君。君の事は聞いた。いくつかの事実と、いくつかの証言。そして、いくつかの物証も。君は……」
紡がれる言葉の一つ一つがどうしてだか重々しい。そうだ、本来、ここにいないはずの相手だ。どこか遊離しているのも頷ける。
その名前を、辛うじてエイジは紡ぎ出していた。
「……ジャックジェネラル。レオン……」
「知っているのか。光栄だな。もっとも、こう言えばいいのだろうか。知っていてもらって好都合だと」
どうして、そのような大人物が自分の事を知っている、否――まるで怨敵のように睨みつけているのか。まるで分からずようやく後ずさろうとしたエイジにダムドが内側より声を発していた。
(エイジ! こいつ……セルの宿主だ!)
まさか、とエイジは硬直する。すると、レオンもその声が聞こえたのか、岩石のように厳しい面持ちの中に何かを見出していた。
「ほう、分かるのか。いや、分かるらしいな。どうやらそういう風に出来ているらしい。ジガルデ……その因子を持つ者同士は引かれ合う。それがどのような運命のいたずらめいていたとしても」
(こいつ……オレらをやりに来たのか!)
構えたダムドにレオンは頭を振る。
「そう、警戒しないでくれ。……と言うのも無駄か。君達はここで、俺に出会う事は全くの意想外であろう。ある意味では不幸と、言い換えてもいい。だが、俺の役目は果たさせてもらう。それがどれほどに理不尽でも、君を救うのに、これ以外の最適解は思い浮かばなかった」
至近まで歩み寄ってきたレオンに、エイジは後退する事も、ましてや前進する事も出来ずに、固まっていた。
そんな自分に声が振りかけられる。
「エイジ君。俺に、ジガルデコアを譲渡するんだ」
思わぬ宣言にエイジだけではない。ダムドも驚愕し、声を荒らげていた。
(何言ってんだ! テメェ! コアをやるなんて出来るワケねぇだろ!)
「……口の悪いジガルデコアだな。だが、それも想定内だ。エイジ君、君には二つ……選択肢がある。ここで俺に、ジガルデコアを譲渡し、何も、そう何も問題なく……日常に帰るか。あるいはもう一つ。こちらは決して賢しいとは言えないのだが……俺と対立し、ジガルデコアを渡さないか。二つに一つだ。選ぶといい」
そんな、と呼吸音と大差ない声が漏れる。決められるはずがない。突きつけられた二択はどこまでも無情にエイジを追い込んでいた。
しかし、ダムドは迷う事はないと告げる。
(あいつのセルをかっぱらう! そんでもって、オレ達の支配領域を増やすぞ! エイジ! ルガルガンをもう一度出せ! あいつのクソ生意気な喉笛、噛み千切ってやる!)
「でも……僕は……」
「震えているな。怖いのなら、前者を選ぶといい。それで君は、救済される」
レオンの声に、戦闘の気配はない。それどころかどこまでも冷静に、事柄を俯瞰しているように思えた。
今の自分に扱い切れぬジガルデコアとジガルデセル。それを持て余すくらいならば、上級ジェネラルに引き渡したほうが、いいのではないか、と。
帰結する結論にダムドが声を張った。
(おい、エイジ! まさかこんなクソ野郎に、オレを渡そうだとか思ってんじゃねぇだろうな! オレは願い下げだぜ! こいつの軍門に下るくらいならよ、セルを全部放出して逃がしてやる!)
「それは困るな、エイジ君。どうかその、口汚いジガルデコアを説得してくれないか。俺なら、やれる。俺ならば、ジガルデコアと契約しても、その誘惑には負けない」
その言葉の説得力に、エイジは圧倒されていた。レオンならばダムドを使いこなす。その予感がどこか現実味を帯びてくる。呼吸困難に陥ったように、エイジは言葉を失っていた。赴くべき言葉を見失ったエイジにダムドが激しく言いやる。
(エイジ! 何迷う事があるんだ! こいつにコアを渡したら、テメェは死ぬかもしれねぇんだぞ! オレ達は運命共同体! 違うのかよ!)
その言葉にようやくエイジは自分を取り戻していた。そうだ。ダムドと共に在ると決めた。だと言うのに、強者の言葉一つでこうも揺り動かされてしまう。
それはジャックジェネラル、レオンの圧倒的な存在感もあっての事だろう。彼は自分に対して、何か申し訳ないとも思っている風でもなければ、この決断に逡巡を浮かべたわけでもない。
ただ、使命として、それを全うする。
一つの志を前にすれば、こうも自分の決意なんて……。
「エイジ君。君が迷うのも分かる。そのジガルデコアに、助けられてきたものもあるのだろう。しかし、それ以上に、その力は災厄をもたらす権化だ。そんなものを放置していいのか? このまま、何もなかった事にしていいと言うのか? 俺は異を唱える。君が出来ぬ事、難しい事を俺が肩代わりしよう。それで救われるものもあるはずだ」
救われるもの――自分が宿主であるよりもレオンが宿主に成り代わったほうが、ダムドは目的を滞りなく遂行出来るかもしれない。ともすれば、彼の野望に一番近い位置に、レオンはいるのかもしれなかった。だが、何かが決定的に拒んでいる。
ここでダムドをむざむざと明け渡して、それで終わりでいいのか。
それで、自分は納得するのか。
「……出来ません」
言葉にしたのは自分でも掠れた声であった。レオンは小首を傾げる。
「何故だ。そのジガルデコアは君には手に余る。俺が使えば、少しは従順のはずだ。誰かを巻き込む事もない。……勝手ながら、昨夜、君がギンガ団と戦ったのを見ていたよ」
思わぬ言及にエイジは鼓動を跳ねさせた。
「……それが何だって……」
「未熟だ。あれではこれから先、戦い抜けない。ルガルガンの能力に頼り切った、新米ジェネラルの戦いぶり。俺ならば、もっとうまく、彼らを制する事が出来た」
きっと、同じ条件、同じ状況でも、レオンならば最適解を編み出す事が出来るのだろう。それは、分かっている。分かり切っているのだが、エイジはここで承服を呑み込めなかった。
「……だからって、あなたは僕になれない」
その一言にレオンは、なるほど、と言葉を仕舞う。
「それもその通り。少しばかり、強硬が過ぎたかもしれない。今は、顔見せだけだ。だが、早いうちに君の意思を確認しておきたい」
レオンはメモを投げていた。エイジは足元に落ちたそれを手に取る。
「そのメモに書かれた場所に、覚悟を決めて訪れるといい。その時、君がどう決断するのかは、自由だ。しかし、もし敵対するのならば、容赦はしない。ジャックジェネラルとして、そしてザイレムのエージェントとして、君と戦おう」
敵として、ジャックジェネラルが屹立する。
その事実にエイジは目を戦慄かせていた。
彼が立ち去ってからようやく、エイジは言葉にする。
「……僕の次の敵は……この地方の頂点に立つジャックジェネラル……」
その事実があまりに現実から遊離しているように思われていた。