第四十三話 エイジの実力
ダムドに突きつけられた絶対に、エイジはフッと笑みを浮かべていた。
「言っておくけれど、これは賢い選択肢じゃないぞ」
(なに分かり切った事言ってやがる。オレもテメェも、賢かったらこんな戦いに身を投じはしねぇだろ?)
分かり切っている。彼もまた「自分」なのだから。エイジは息を詰め、屋上から飛び降りていた。
平屋から飛び降りた程度だ。走った痛みも、この程度、と我慢する。身を裂く敗北の痛みに比べればずっとマシだ。そうだ、もう負けない。負けたくない。
「行くぞ、ダムド」
(ああ、嘗め腐っていた連中に、ぶちかましてやろうぜ)
駆け出した足に迷いはない。ギンガ団の背中を追ってエイジは夜のカエンシティを疾走する。相手はわざと距離を詰めさせて誘い込む算段だろう。いくつもの裏路地を折れて視界に飛び込んできたのは廃工場であった。
(いかにも、だな)
「ああ。連中、どこまでも……」
エイジは拳を握り締める。歩み入るとギンガ団の下っ端達が声を張り上げていた。
「誘い込まれるとはなぁ! 弱小!」
その言葉にエイジは冷たく切り返す。
「誘い込まれたつもりはない。ネネちゃんは?」
ネネはギンガ団の下っ端の一人が後ろ手に縛っていた。舌を噛み切らないように猿ぐつわを噛まされている。その瞳から涙が伝っていた。
「卑劣な……。こんな事をしてまで、僕に鬱憤を晴らしたいって?」
「あのポケモンを寄越せ。あんなのさえいなければ俺達が勝っていた」
エイジはダムドへと問い返す。彼も同じ心持ちであったのだろう。
(……いいんだな?)
「ああ。僕からしてみてもそれで構わないさ」
ダムドが分離し、四つ足の獣形態となる。その威容に相手はたじろいだ様子であったが、エイジがダムドを下がらせたのを目にして声音を変えた。
「ダムド……ジガルデは渡せない。その代わり、もう一度僕と勝負しろ。それで負ければ、それでいい。僕をどれだけでも殴るなり何なりすればいい。ただし、ネネちゃんは解放するんだ。そうでなければこの勝負は受けない」
こちらの条件に相手はケッと毒づいた。
「どこまでも調子づいて……。いいぜ、ここまでお前を追い込むのが、こちらの本当の目的だったんだからな」
ネネが束縛を解かれ、立ち上がりかけてよろめく。エイジは思わず駆け寄っていた。
「……怪我はない?」
猿ぐつわを解き、何度も咳き込んだ後、ネネは頷いていた。瞳には涙が潤んでいる。相当、怖い思いをしたのだろう。
エイジはキッと睨み上げる。その視線にギンガ団下っ端が舌打ちしていた。
「妙なポケモンさえなけりゃ、お前もお終いだ。二人とも!」
廃工場の扉が閉められる。最初から逃がす気がないのは分かり切っていた。ここで自分とネネを痛めつける気であろう。
「さて、邪魔は入らない。この条件下でどう戦う! ダストダス!」
飛び出したダストダスが低いうなり声を上げる。エイジはホルスターのモンスターボールを手にしていた。その手をネネが取って頭を振る。
「駄目……。やられちゃう……」
不安はもっともだろう。だが、エイジは努めて平静な声を発していた。
「大丈夫だ。僕が、勝つ」
「その生意気な口上! 吼えられないようにしてやるぜ! ミルホッグ!」
昼間と同じ、ミルホッグとダストダス。しかし、それだけではない。もう一人のギンガ団員が手持ちを放っていた。
「行け! マタドガス!」
肉腫のような形状のポケモンが放たれる。毒ポケモンが二体に、ノーマルポケモンが一体。
それだけではない。退路は断たれ、増援は望めない。そんな中で相手は自分が絶望すると思ったのだろう。哄笑を響かせていた。
「言っておくが、この廃工場は圏外! 助けなんて来ないぜ!」
その宣告にネネが身体を震わせていた。エイジはそっとその肩に手を置く。
「大丈夫だから。すぐに、終わらせる」
「何息巻いてんだ! 潰せ!」
ダストダスが汚泥を手にし、ミルホッグが蛍光色を煌めかせて催眠電波を放つ。昼間に見た通り、二重の構え。
(……エイジ。オレは手ェ、出さねぇぜ。テメェの強さ、見せてくれよ)
「ああ、分かっているさ。ダムド。僕一人で、勝ってみせる。行け、ルガルガン」
放ったルガルガンが瞬時に構えを取るが、ミルホッグの「さいみんじゅつ」の射程に入ってしまう。
たちまち眠り状態に陥ったルガルガンに相手は勝ちを確信したのか、マタドガスが真っ直ぐに攻めてくる。
「相手に手はねぇ! マタドガス、そのまま大爆発して一気に決めてやれ!」
防衛手段のないエイジとネネ、それにルガルガンにとって、眠らされてマタドガスの「だいばくはつ」を受ければそれだけで致命傷だろう。
無論、分かっている。分かっているからこそ――ギリギリまで、ルガルガンの射程に潜り込ませる形で何もしなかった。
ネネが声を振り絞る。
「逃げて!」
「ルガルガンは負けない。そして、有効射程に入ったな」
刹那、ルガルガンの牙が何かを軋らせていた。直後、眠りから覚めたルガルガンは瞬時にマタドガスへと蹴りを浴びせかける。
マタドガスはまさか反撃は来るとは予期していなかったのか、その勢いを殺せずにギンガ団の側へと反転し、攻撃しかけていたダストダスを相手に大爆発を誤爆させていた。
ミルホッグが辛うじて逃れるも、他のギンガ団員が絶句している。
「どうして……。眠り状態のはずだ……」
「このカエンシティに来るまでに、僕は森に住んでいたから、いくつかの木の実の特性は知っている。それに役立つ木の実はこうして、鞄に備蓄も。ルガルガンに持たせたのはカゴの実。眠り状態から脱却出来る。昼間にあの戦術を見せたのは失敗だったな。ダムドはこれを知らないから、あの術中にはまったが二度も三度も、僕だって同じ戦法にはかからない」
攻勢に出たルガルガンとエイジにギンガ団員は声を張り上げる。
「だ、だが! どっちにしたってそのポケモンじゃ勝てないはず! 昼間あんだけのしてやったんだ、あの妙なポケモンさえいなければ、ただのガキ――」
「そうだと思っているのならば、その認識を覆させる。ルガルガン、残ったミルホッグへと攻撃」
ルガルガンが地を蹴りつけ一瞬にして間合いを詰める。だが、それは相手も予期していたのだろう。
瞬時にミルホッグの眼光から不可思議な光の渦が放たれていた。
「かかったな! その距離まで行けば、ミルホッグの術中だ! 真正面から立ち向かうなんて愚を犯して、馬鹿が――」
「馬鹿は、ここまで近づかせるのをよしとしたお前らだ。ルガルガンの特性はノーガード。この距離なら確定で当たる。カウンターの拳を叩き込め」
ルガルガンの放った「カウンター」がミルホッグの腹腔へと叩き込まれる。ミルホッグの眼光から術の輝きが失せ、その効果からルガルガンは完全に脱却する。
まさかこれほどまでの力の差だとは思いも寄らなかったのだろう。
団員三人がよろめいていた。
「あ、あり得ん……。一瞬でダストダスと、マタドガスを倒しただけじゃなく、ミルホッグもだと……」
「僕は、ダムドに甘えていた。ある意味では、戦いたくないって投げていたんだ。でも、もう関係がない。お前らみたいなのがいるって言うんなら、そういう連中が大切な人に危害を与えるって言うのなら、もう関係がない。僕は戦う。自分の意思で。ルガルガンと、ダムド……お前と共に」
(その言葉を待っていたぜ)
ダムドが駆け抜け、団員達の退路を塞いだ。相手からしてみれば白濁した眼を持つ不明ポケモンは恐怖の対象であろう。
悲鳴を上げた団員達へと、ルガルガンを伴って迫る。
相手はほとんど、失神寸前であった。
「これ以上やるのなら、僕は容赦しない」
ダムドが吼え立てる。その一声で下っ端達は頭を抱えて許しを乞うた。
「も、もうしないっ! もう悪事はしないから! だから、逃がしてくれ!」
(どうする? エイジ。信用は出来ないぜ)
「ああ。その通りだな。だが、これ以上やれば、連中と僕は同じ穴のムジナだ。ここでは僕は何もしない。とっとと消え失せろ」
ルガルガンが疾駆し、廃工場の扉をその爪で掻っ切る。相手は悲鳴を上げながら逃げ去って行った。
それを確認し、エイジは安堵の粋をつく。
「もう大丈夫。ノノちゃんも心配しているだろうから、帰ろう」
手を差し出すと、ネネはおずおずとその手を取っていた。
瞬間、何かが電撃的に駆け抜ける。この感覚は、とエイジが目を見開いたその時、その意識はダムドに支配されていた。
「このガキ……セルを宿していやがるな。エイジ、テメェの義は通す、そのやり方に異を挟むつもりはねぇ。だが、いずれはオレのものになる力だ。それだけは自覚しておいてくれよ」
ダムドがエイジの身体を使ってネネの首筋に手を回し、そして手刀で昏倒させる。
(何を!)
「前後不覚にさせただけだ。オレならこのままセルを奪うんだが……今回はテメェに免じてやるよ。それに、セルを宿していたってこたぁ、このガキにだってオレの声は聞こえていたって事になる。厄介になる前に潰すか、それとも……」
(やめろ! ダムド! 彼女も被害者だ!)
「被害者、か。テメェが言うと笑えてくるぜ、エイジ。だがまぁ、今回ばかりはオレも手を下さねぇ。昼間の連中に一泡吹かせたのはテメェの功績だ。それを掻っ攫うほどのクズでもねぇんでね。このガキをあの家まで運ぶ。それだけだ」
信用し切れず、エイジは問いただしていた。
(……本当に、それだけなんだろうな)
「疑い深いな。だから言ってんだろ。今回だけだって。義を通すのは間違いじゃねぇ。オレがバカやって勝てなかったのは認めてやるよ。それに……次からも戦いで支援が必要な相手に、これ以上信用を落とすような真似をするかよ」
支援が必要な相手、という言葉にエイジはどこか浮いたものを感じていた。今まで、ダムドは自分を利用していた。無論、それはセルを集めコアを集めるために必要な措置であろう。自分だけならば前に進めなかったことも事実だ。
ダムドがいるから、自分も前に進む。逆にダムドも、自分一人では前に進めない事を分かり始めている。
今は、その結果論だけで満足するしかなさそうだ。
(……僕達は、運命共同体だ)
「ああ、オレ達はそうだとも。だから、言ってやるぜ。エイジ。戦う時は、二人で一人だ。一端な事をお互いに言うもんじゃねぇ。足を引っ張る真似だけはすんなよ」
それはお互い様だろう。しかしエイジはその言葉に宿った不可思議な感触だけを握り締めていた。
――二人で一人。
いつからなのだろう。
自分が一人で生きていき一人で死ぬのだと思い込んでいたのは。その定説を、ダムドは一発で覆してしまう。その奔放さがひとえに――羨ましかった。
(……ダムド。僕が死ぬ時はお前が死ぬ時と同じだ)
「ああ。そうだぜ、エイジ。不幸だと、思うんだな。オレみたいなのに生き死にの権利を握られた事に」
通常ならば、不幸だと思うだろう。だがエイジが思ったのはまるで逆であった。
――きっと、彼に与えられたのだ。生きていていい権利を。
だから、ここで湧いた感情も全て、本当ならば逆なのだろう。そこから先は言葉少なであった。