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第四章 宣告審判
第四十二話 二人の覚悟

「よかったのかな……」

 そう口にしたエイジにダムドが内奥より応じる。

(何がだ? この姉妹に世話になるのが、か? それとも……)

 濁した語尾にエイジは言いやる。

「……お前の言う通り、戦力の拡充は急がなくっちゃいけない。あんな連中にも勝てないなんて……」

 苦味を噛み締める。どう足掻いたところで覆せないのは、あのままでは負けていた、という現実である。

 それに関してはダムドも言葉少なであった。自分達の命令系統が生ぬるかっただけではない。ちょっとした百戦錬磨で他人の喧嘩に割って入ってこのざまでは、この先が思いやられるからだ。

(……オレもやれると思い込んでいた。甘かったのはお互い様だ)

 ダムドにしては殊勝な事を言うのは、自分の判断だけではなかった、と慰められているようであった。

 しかし、そもそもあの場に分け入ったのは自分自身だ。ダムドは止めた。それを自分は、やれると息巻いていた。

「……僕の責任だ。ダムド、お前がいなかったらもっと手痛い敗北を味わっていた」

 その言葉にダムドは何も返さない。沈黙が痛くて立ち上がろうとすると、ノノが声をかけてきた。

「エイジさん。お風呂入りましたけれど、どうっすか? お背中お流しするっすよ?」

 本気なのか冗談なのか。ノノの言葉にエイジがまごついていると、リッカがふんと鼻を鳴らす。

「じゃ、あたしが先にもらおうかしらね」

「あー、じゃあリッカさんのお背中をお流しするっす!」

「いいってば! 女同士だし!」

「……女同士なら、問題ないのでは?」

 そう問われるとリッカも反論の術がないのか、単純に頭を振っていた。

「恥ずかしいし……。それに、昨日今日会った立場でしょ」

 脱衣所に入ったリッカにノノは小首を傾げていた。

「何か不都合だったっすかねぇ?」

「いや、その……。急に頼られても困るだけだと思うんだ。僕ら、ちょっと割って入っただけだし、恩人みたいな扱いってのは……」

「でもでもっ! エイジさんは恩人じゃないっすか! 命の恩人っすよ!」

 詰め寄ったノノから香った少女のにおいに、エイジは覚えず赤面する。

「大げさだよ……。僕じゃなくても誰かが助けていたって……」

 その言葉にノノは腕を組んで憮然とした。

「いいえっ! きっと誰も助けてはくれなかったっすよ! 分かるんす。故郷っすから。そういう、どこか他人行儀なのは」

 エイジはどう取り繕うべきか、と思案する。どうあっても、ノノは自分を恩人と思いたいらしい。ここは話題を逸らそうと考えて口にしていた。

「……ネネちゃんは? まだ帰ってこないけれど……」

「知らないっすよ! せっかくのシチューも冷めちゃうし、台無しっす! ネネの強情さには参るっすよー」

 呆れ返った様子のノノにエイジは尋ねていた。

「仲は悪いの?」

「まさか! 意見が割れる事のほうが子供の頃から少なかったっすから! だから……余計なんす。今回、旅を止めようって切り出したのはノノっすから」

 意外であった。消極的なネネのほうから、故郷に帰るのを提案したのだと思い込んでいたからだ。

 しかし、それならば先ほどの態度も納得が行く。ネネはこうして家に帰る事すら、諦める事だと思い込んでいるのだろう。

 そう思い込んだ人間は、絶対に二度と帰りたくないはずだ。

 信じて前に進んでいる人間の背中を、自分はよく知っているではないか。

 そうだとも。父親が帰ってこないのは自分が要らないからだけではない。もう帰るまいと、彼は判断し、そして一度として連絡は寄越さなかった。旅と言うのはそういうものだ。旅立つと決めれば、そこには非情さが宿る。そうしなければ、甘えてしまいかねない。エイジは、昨日今日ようやくハジメタウンを出る権利を得たばかりであったが、もう故郷が恋しかった。

 隣町に来ただけなのに、二度と帰れない、という重石が呪縛のように圧し掛かる。

 これが、旅立つという事。ならば、さらに故郷から離れた時、自分はどう思うのだろう。

 先生や、故郷の人々の事を思い返して、こみ上げるのだろうか。

「……ノノちゃん、は旅立って辛かった事はないの?」

「あるっすよ、たーくさん! 数え切れないっす!」

 ソファの隣に座り込んだノノは、両手を大きく広げた。それでも、と彼女の声が先細りになる。

「それでも……旅が出来たのは、ネネのお陰でもあるんす……。妹を前にして、カッコつけないわけにはいかないじゃないっすか」

 姉として、だろう。迷わない、という選択肢が、ノノにとっては旅立ちの指針であったのだ。だが、それが今回の場合、食い違ってしまった。

 ネネは良くも悪くも割り切りの強いノノが理解出来ないのかもしれない。自分達のようなよそ者を家に通す神経も。

「……二人の旅は、でも二人だけのものだと、僕は思う。だから、口出しはしたくない」

 勝手な口出しは彼女らの旅路を侮辱する。そう考えの言葉に、ノノは頭を振っていた。

「……優しいっすね、エイジさんは。でも、そういう、誰にでも向けられる優しさって、万人のための優しさだと思うんす……。言葉をかけてもらってこういう言い方はどうかとも思うんすけれど、ノノ達の旅って結局、その程度だったんすよ。万人のための慰めで、事足りてしまう。それがノノ達の旅でしかなかった、って言うのが、結論で……」

 面を伏せたノノにエイジは、違うと言いたかった。しかし言えないのだ。彼女らがどのような苦楽を共にし、どのように寂しさを紛らわせてきたのか、自分には推し量りようもない。旅立ったばかりだ。余計に、言葉を差し挟むのは躊躇われた。

 ――万人の優しさ、か。

 それは時に誰かを傷つける毒になる。それに気づかないまま、自分は生きていたのか。ハジメタウン――いつまでも停滞し続ける町で、ずっと、漫然と時間を食い潰してきた功罪を突きつけられた気がして、エイジは何も言えなかった。

 強ければ勝利者。弱ければ敗者。そんな二元論で二つの道に割られてしまうのが、悔しくもこのジェネラルと言う身分だ。

 勝てればいい。負けなればいい。弱くても、負けなければ……。だがそれは残酷ではないか。

 弱い存在が弱いと認識出来ぬ世界など、それはただただ強者の理論のみで回る価値観だ。そんなものを振り翳したくって、ジェネラルとして身を立てようと思ったわけではない。

 ダムドのため、自分に取り憑いたジガルデが理由としても、それは結局、誰かに責任を投げたいだけだ。

 そんな身勝手、許されるものか。

「……ゴメン。一人になれるところ、ないかな?」

「屋上なら、空いているっすよ。でも、エイジさんに感謝しているのはホントっす。ノノ達を助けてくれた、勇気はあるんすから、自分を卑下しないで欲しいっすよ……」

 ノノの言葉振りにエイジは、いや、と声を出し渋る。

「……それも結局、僕を慰めたいだけだ」

 階段を上がり、屋上に出る。夜の冷たい風が頬を撫でていた。

 突き放すかのような風だ、とエイジは感じる。昼間の、旅立ちに浮き足立っていた風とはまるで違う。

 誰も助けてくれない。誰も、救ってはくれない。

 それが旅の真理。旅の絶対である。

 そんな基礎すら分からずに、自分は旅立とうとしていたのか。この広い世界に、何を刻もうとして――。

 愚かしいを通り越して、ここまで来ると悪辣にも等しい。どうして、そんな事も分からずに旅立てたのか。どうして、決断を下せたのか。

 ――問い返すまでもないじゃないか。

 エイジは己の中で脈打つ、その鼓動を感じ取る。自分ではないもの。一夜にし、自分の世界を変えた存在。

 それに語りかける。

「……ダムド。僕は思ったより、甘ったれだったのかもしれない」

(そうだな。テメェの力加減さえも分からない、バカ野郎だった。それだけだ)

 ダムドはいつでも冷酷だ。しかしながらこの時ばかりは、彼にも反省があったらしい。

 言葉振りに、僅かな逡巡を混じらせていた。

(……だが、オレも似たようなもんだったのかもな。ちょっと勝てた程度で浮かれちまっていた。何てこたぁねぇ。オレも世間見てきたようで、一端じゃなかったってこった。案外、テメェのほうが世の中は分かっていたのかもな。強いヤツを相手に、弱いのは無力だって)

「ダムド……。でも、僕の……」

 そこまで口にした時、エイジの視界に入ったのは昼間のギンガ団であった。下っ端が手にしたものに、エイジは瞠目する。

「あれは……」

 下っ端が下卑た笑みを浮かべて握り締めていたのは――ネネの身につけていたリボンだ。

 相手は身を翻す。追おうとして、ダムドの声に遮られていた。

(待て! エイジ! テメェ、また一人でやるつもりか?)

 はたと足を止める。そうだ、それで昼間にこっぴどくやられたばかりではないか。ここは少しでも勝率を上げるために、リッカとノノを引き連れて――。

 そこまで考えた己を叱責するかのように、エイジは拳で膝を叩いていた。

「……ダムド。嘗めないで欲しい。僕は、確かに臆病だし、それに弱虫だ。勝てない戦いをして、自らを危険に晒す。それは何よりも馬鹿馬鹿しいのだと、知っている」

(だったら……)

「でも! それでも! ……女の子のピンチに、駆けつけないのは、もっと臆病じゃないか……。ダムド、僕は旅に出ると決めた時、一つ誓ったんだ。何があっても、この戦いに、意義や正義なんてなくったって、それでも僕は戦い抜くと。犠牲も、もちろんあるだろう。でも、それでもだ! 僕は、僕の誓った絶対に逆らいたくない! それが今の僕を衝き動かす絶対だ!」

 自分を動かす一つだけの原動力。それに従わないのは、それこそ違うはずだ。そう断じたエイジに、ダムドは静かに言いやる。

(……あの時、オレに突きつけた絶対と同じ、か。いいぜ、エイジ。だが、一つ間違っている)

「……何がだよ」

(テメェは一人じゃねぇ。目ぇかっ開いてよく見るまでもなく、テメェはもう一人と運命共同体だろうが)

 そうだ。この鼓動は最早一蓮托生。しかし、とエイジは言葉を鈍らせる。

「……勝てない戦いはしないんだろ」

(だからだよ。エイジ、テメェの知恵を借りさせてもらう。オレはポケモンバトルに関しちゃ、ずぶの素人だ。そこは認めてやってもいい。だから、一つだけ。オレからも絶対を突きつけさせろ。エイジ――オレ達は、もう負けねぇ。これがオレの絶対だ)


オンドゥル大使 ( 2019/08/14(水) 14:49 )