第四十話 あたたかな家へ
二人に導かれ、エイジ達はカエンシティの裏道へと入っていた。
毒ポケモン達がそこいらに群棲している。一歩、裏通りに入っただけなのに、据えた臭いが充満していた。
「……これは」
「カエンシティはまだまだ発展途上の街なんす……。表通りは煉瓦造りで綺麗ですが、裏はこの有り様……。だからさっきみたいな連中の溜まり場みたいになっていて……。故郷ながら恥ずかしいっす……」
「さっきの連中、何なの?」
リッカの質問に、少女は周囲を見渡す。誰の視線もないと分かってから、片割れへと頷いていた。
「ノノ達は双子の姉妹なんす……。ネネ……妹が、こっちで……」
「……どうも。区別がつかないってよく言われるんですけれど……」
虹彩の色が違うだけで、二人はほとんど鏡写しだ。それでも、各々に個性はあるようで、どこか活発なほうが姉で、奥手なほうが妹のようであった。
「ギンガ団は、ここ最近、ランセ地方の南部へと手を広げ始めた地下組織……って言えばいいんですかね……。ノノ達みたいな、弱小ジェネラルを狙う、汚い奴らなんす!」
怒りに拳を握り締めた姉に妹は宥めていた。
「……ネネ達も、もっと強気に出ればよかったんですけれど、そうもいかなくって……。あっ、手持ちを見せたほうがいいですかね?」
その提案に自分とリッカは首肯していた。
「お願い出来る?」
「ノノ達はあまり強いポケモンは持っていなくって……。自分がプラスル」
ボールから解き放たれたのは赤い電気文様を持つ小型ポケモンであった。さらに、妹のほうが繰り出したのは水色の電気文様の同じ体躯のポケモンである。
「ネネがマイナン……。だから抵抗しようにも、弱いから……戦いなんて出来なかったんです」
「プラスルとマイナン、か……。三人を相手取るには無茶よね。でも、それより無茶な事を仕出かした奴が、ここにいるけれど」
糾弾の眼差しにエイジは委縮する。その様子にノノは声を張っていた。
「い、いえっ! もし助けていただかなければノノらは今頃、もっと酷い目に遭っていたでしょう。本当、感謝っす!」
姉のほうが頭を下げる。ネネのほうもどこか気後れ気味に礼を言っていた。それをエイジは、とんでもない、と手を振る。
「僕らが考えなしだったんだ……。ああいう事に口を出すのには……あまりに弱くって……」
拳を骨が浮くほど握り締める。戦うのに、この身はあまりにも弱小だ。それを思い知らされた。ダムドがいても、あのような搦め手を受けただけで容易く瓦解する。それもそのはずであろう。自分はジェネラルレベルが昨日一昨日まで最底辺の2であった。その事実はやはり重く圧し掛かるのだ。
どうあっても、ブランクだけは脱しきれない。戦うのにはまだ最適解を得られていない。
「でもでもっ! 助けてくださったのは事実っすから! 目立つので、ポケモンセンターは夜になってからの利用がいいっすね。自分達の家まで案内していいっすか?」
ノノの提案にリッカは首肯する。
「お願いしていいかしら? 近いの?」
「この裏路地を抜ければ、その先にあるっす! ネネ、それまで後ろを頼むっすよ」
「うん……。分かったけれど……いいの? ギンガ団に絡まれたなんて、お母さんに言えないよ……」
「黙ってりゃいいっすよ! それに、その三人組を退治してくれたんすから、招かないほうが不誠実っす」
ノノの言葉にネネは静かに頷いていた。どうにも初対面では窺い知れないパワーバランスがあるようだ。
「でも……表と裏でこうも違うのね……」
リッカの言葉はカエンシティの裏路地に向けられていた。毒ポケモンや虫ポケモンの溜まり場となっている配水管が剥き出しであり、工事中の札が錆びついている。
「カエンシティは、やっぱり南方なんで、ランセ地方の近代化改修も後手後手なんすよ……。カエンシティの市民は、表で暮らす分には困らないっすけれど、裏では、ああいう……」
濁したのは劣悪環境に身を置くホームレスや、明らかにぼろ衣を纏った少女達を目にしたからであろう。
こんな近くで、まさか現実を突きつけられるとは思っても見なかった。
「……ハジメタウンにまで戻れば……」
「駄目なんす……。カエンシティで育った市民は、カエンシティより下に戻る事は、どうやら精神的に許さないようで……。お恥ずかしい限りっすが、自分達の世話は自分達でしろって言うのがお上の決定のようっすね……」
「何それ。まるでハジメタウンが馬鹿にされているみたいじゃない」
覚えず出た言葉であったのだろう。エイジが諌める前に、ノノが声にしていた。
「……ごめんなさいっす。そういうのがまだ整備の整っていないのが、ランセ地方なんだって理解するしかないんすよ……。それもまた、この地方の現状だって……」
「いや、その……。あたしこそ、ゴメン。何だか、分かった風な口を利いて……」
気まずい沈黙が流れる中、ノノが努めて明るく口走っていた。
「でも、さっきのポケモン、何なんすか? 何もないところから出てきたように見えたっす!」
興奮気味のノノに、エイジはどう説明すべきか思案して、リッカに肘で突かれていた。
「……あんまし言うと巻き込んじゃう」
それは言う通りであろう。ジガルデコアとセルの争奪戦に一般市民を巻き込むのは反対であった。
「……ちょっと込み入っていて……言えないんだ」
「ああ、分かるっすよ。ああいう珍しいポケモン、捕獲したがる連中もいるっすからねぇ。ギンガ団は何を考えているのか、そういうのもコレクションしているみたいっす」
(……オレはそこいらのポケモンじゃねぇ)
抗弁のようにダムドが発する。その声は自分とリッカにしか聞こえていないようであったが、ノノは構わず続ける。
「でも、スカッとしたっす! さすが、ハジメタウンから旅立ったジェネラルっすね! ジェネラルレベルも高いと予想するっす!」
「いや、その……。それほどでもないよ」
謙遜のようになってしまったが、本当にそれほどでもないのだ。ちょっと前まで最底辺と馬鹿にされていたとはさすがに言えない。
妹のネネのほうは先ほどから押し黙っている。マイナンを連れ、背後の警戒に意識を割いてくれているのだろうか。黄色のリボンを手首に巻いている。
しかし、とエイジは改めて二人を見比べた。喋らなければ二人の違いはほとんど分からない。着ている服も同じ色調だ。白いブラウスに、黒スカートである。髪型は両者共に茶髪のボブカット。一応は、頭頂部の髪の毛の跳ね具合に違いがあるのだろうか。前を行くノノは跳ねているが、ネネは跳ねていない。それとリボンだけが彼女らを分ける記号か。
「……何ですか?」
観察していたのがばれたのか、ネネの声にエイジは誤魔化そうとして、ノノの笑い声に制される。
「もの珍しいのは分かるっすよ! 双子なんて、そこいらにはいないっすから! 気にしないでいいっす」
さばさばとした性格のノノに対し、ネネはどこか奥手のようであった。
「……でも、ギンガ団なんて、ハジメタウンまで評判は来なかった……よね?」
リッカに問い返すと、彼女も同意見のようである。
「……あたしは何度かカエンシティまで来た事はあるけれど、ああいうのは初めて見た。よくある事なの?」
「……ギンガ団の下っ端は多分、ノノ達がこうやって故郷に落ちぶれるまで監視していたんだと思うんす……。それで弱ったところを難癖つけた、ってところだと」
「あり得ない! 最低の連中ね!」
言い放ったリッカにノノは何度も頷いた。
「ええ、最低っす。でも徒党を組まれれば勝てないのも確かなんす……。ノノ達はそうでなくとも、もう旅は諦めようと思っていたところっすから、心にも余裕がなくって……」
「そういう気持ちの余裕のなさに付け込んだ、悪質な連中って事ね」
リッカがポケモンセンターに先行しててよかったと、ここに来てエイジは思い始めていた。自分でなくともリッカがギンガ団に分け入っていた可能性がある。
自分が泥を被るので済んだのは不幸中の幸いか。
「あ、もうすぐっすよ。この先がノノ達の家っす」
案内され、辿り着いたのは団地であった。家屋が軒を連ねており、その中にあるこじんまりとした一軒家が、ノノとネネの生家らしい。
「ちょっと、ノノ……。本当に帰るの?」
ネネの言葉にノノは手を払う。
「帰るって……決めたじゃないっすか」
「それはそうだけれど……。どう説明するの? ジェネラルの夢を捨てて、むざむざ帰ってきただけじゃなくって、人様に迷惑をかけたって……」
「ネネは体裁を気にし過ぎっすよ。ノノ達みたいな輩は大勢いるっす。そういちいち目くじらを立てていたら、世の中――」
「ノノはそう言うけれど、ネネは違う……!」
拳を握り締めたネネは身を翻していた。マイナンが心配そうに主人の顔を窺う。
「……ネネ。でも決めたっすよね? 潔く引退するって。それなのに、どうしてここに来て戸惑うんすか? それって、結局、諦められないって事じゃないっすか!」
どこか責め立てる声音になったノノを押し留めようとエイジが割って入りかけて、ネネが声を弾けさせていた。
「……ノノには、一生分からないよっ!」
駆け出したネネの背中に、リッカが声をかけようとする。エイジはノノへと視線をやるが、彼女はどこか冷淡であった。
「……放っておくといいっす。どうせ、一人じゃネネも無理だって分かっているはずっすから。お二方とも、家に入ってくださいっす。ただいまー!」
扉を開けたノノに二人の母親であろう女性が慌てて駆け出していた。
「ノノ、なの? 帰ってきたのね!」
「あー、うん。まぁ、そういうところっす。あ、紹介するっす! 自分達が困った事になったのを助けてくださった……えっと……」
「エイジです。その、ちょっとした野暮用で……」
「リッカです。ハジメタウンから旅立ったばかりですけれど」
まぁ、と母親は手を叩く。
「ノノとネネがお世話になったでしょう? みんなー! お姉ちゃん達が帰ってきたわよ!」
その言葉に家の中から無数の足音が聞こえたかと思うと、同じ顔立ちの少女らが一斉に駆け込んできていた。
思わず二人とも絶句する。
あー、とノノが後頭部を掻いて愛想笑いを浮かべる。
「言い忘れていたっすね。自分達は、双子の長女、次女で、他にも五人の妹がいるっす。騒がしいかもしれないっすけれど、ゆっくりしていって欲しいっす」
「ノノおねえちゃんだ!」
「ねー、ネネおねえちゃんは?」
問いかけにノノは慣れた様子で応じる。
「ネネはちょっと用事があるって離れているっす。もうすぐ帰ってくるっすよー!」
「たのしみ!」
幼い妹を肩車し、ノノが二人を手招く。母親も大歓迎の様子であった。
「どうぞ、ゆっくりしてらして! カエンシティは初めてかしら?」
「ええ、まぁ。ほとんど……」
毒気を抜かれたようなエイジの対応にリッカは嘆息をついていた。
「前途多難ね……。まぁ、今日の宿には困らなさそう」
しかし、とエイジは家の中を見渡す。やはりと言うべきか、大家族が住むのには少しばかり手狭だ。
本当にここで、というのが視線で伝わっていたのだろう。ノノは滞りなく応じる。
「妹達には不便かけてるっす。お母さんにも……」
「いいのよ、いつでも帰って来てって送り出したんだから! さぁ、今日はシチューにしましょう! ノノとネネが大好きだった、甘いホワイトシチューよ!」
その言葉に諸手を上げて喜んだノノがよろめく。覚えずエイジは背中を支えていた。
その光景に母親が、まぁ、と口元に手をやる。
「もしかして、そういうご関係に?」
「ご、誤解です!」
「いやいや、助けてくださったのは事実っすから。エイジさんさえよければ、ノノはいつでもいいっすよ?」
その言葉に黙っていない相手へとエイジは目線を振り向けていた。リッカがどこか不承気に腕を組んで目を逸らす。
「……勝手にすれば。勝手にした結果だし」
どうにも虫の居所の悪いリッカを宥めるのは難しい。エイジはそのまま家の奥にあるソファへと誘われていた。
(……そこいらにある家庭って感じだな。これが人間ってもんなのか?)
「そういうわけじゃないと思うけれど……」
「さぁ! エイジさんもリッカさんも、落ち着いてくださいっす! もてなしの用意をするっすから!」
ノノに促され、リッカもソファに座り込む。目線を振り向けると、やはりと言うべきか、顔を背けられた。
ため息をつき、エイジは起きた事実を反芻する。
ギンガ団という組織に関してはほとんど初耳だ。このランセ地方で、ザイレム以外にも厄介な地下組織がいると言うのか。
リッカの言葉ではないが前途多難なのは疑うまでもなかった。