第三十九話 滲む敗退
「ナマ言ってんじゃねぇよ、エイジ。最初からその結末がお望みなら、割って入るんじゃねぇ。……ったく、そういうところだぜ? メスガキだって気が気じゃねぇのは」
「行けよ! ダストダス!」
「潰せ! ミルホッグ!」
繰り出されたのは巨大な粗大ゴミの形状をしたダストダスと、背丈の高い細身のポケモンであった。
ダストダスはまだ見かけるが、ミルホッグに関してはほとんど初見と言ってもいい。
(ミルホッグ……。イッシュで見られるポケモンだ。タイプは、ノーマルのはず。分類は警戒ポケモン。その名の通り、眼が……)
眼光ばかりが煌々としている。その鋭い眼差しにルガルガンが闘争本能を刺激されていた。ふんと相手のミルホッグが鼻息を漏らし、ルガルガンの闘争心に火を点ける。
その特殊な眼光から注がれる謎のエネルギーがルガルガンの脳内をスパークさせているのだ。
ルガルガンが岩石を溜めた掌で攻撃しようとして、その対象は自分の肩口であった。
「……何やりやがった?」
(威張る、の攻撃だ。相手はそれを使う事で、ルガルガンを混乱させた。今のルガルガンに、精密な命令は通用しない……)
「だがよ! どんだけ混乱したって当たるもんは当たるはずだ! ルガルガン、相手はたったの二匹! ぶっ潰せ!」
ルガルガンの眼光に正気が宿り、地面を捲り上げ、壁にした岩石をそのまま拳の応酬でぶつけにかかる。
岩の散弾である「ストーンエッジ」を回避する方法はないかに思われた。
しかしながら、敵のミルホッグの身体を貫通した「ストーンエッジ」に相手は怯む様子もない。
それどころか、別方向より、ミルホッグの攻撃が突き刺さる。放たれたのは催眠攻撃であった。ミルホッグの身体が明滅し、ルガルガンを瞬時に眠りへと追い込む。
ダムドが舌打ちし、ルガルガンに命じていた。
「おい! ルガルガン! 何やってんだ、眠ってんじゃねぇ!」
ダムドの声も空しく、ルガルガンは戦闘中に眠りについている。必死に抗おうとしているのは窺えたが、ミルホッグの「さいみんじゅつ」は思ったよりも強力な様子だ。
眠ったままの判断はさらに鈍る。
催眠状態にあるルガルガンは敵を認識出来ない。
そんな只中でさらに混乱に陥っているのだ。ただでさえ攻撃は命中しづらいのに、催眠まで受けたとなれば勝利は遠ざかる。
(駄目だ、ダムド! ルガルガンの現状ではミルホッグ一体でさえも簡単には倒せない! ここは退いて……!)
「冗談じゃねぇ! テメェの仕掛けたケンカだろうが。こんなところで下がるくらいなら、死んだほうがマシだ!」
(だが……全滅するぞ……)
ルガルガンは徐々に体力を奪われていく。それに比して敵はほとんど万全な状態だ。この戦局は圧倒的に不利。
エイジは判断を迫られていた。
(……ダムド。悔しいけれど僕らが浅はかだった。催眠術に、さらに言えば、身代わりと威張るでこっちを混乱させて命中させない……。思ったよりも考えられている戦略だ)
「感心している場合かよ! こんなところで勝てないなんて、絶対に許さねぇからな! ルガルガン! オレの暴きの性能で、特性はノーガードのはずだ! 相手が見えてるんなら、当てて見せろ!」
ルガルガンが必死に瞼を擦り、その赤い眼光を煌めかせて躍り上がった。軽業師のように宙を舞ったルガルガンが両手に溜めた岩を弾き出していた。「みがわり」の幻影が消え失せ、ようやくミルホッグ本体が露になる。
しかし、大きく振りかぶった一撃は相手の小刻みな一撃には敵わない。あまりに大振りなルガルガンの一撃を掻い潜って、ミルホッグの前歯が炸裂する。
エイジは内側で歯噛みする。
(怒りの前歯、だ。こっちの体力は強制的に半分にされた……)
「ンなの関係あるか! 当たっちまえばこっちのもんだ! ルガルガン、ぶちかませ! カウンター!」
ルガルガンの拳に闘志の赤が宿り、ミルホッグの腹腔へと突き刺さる。その一撃にミルホッグが大きく後退した。
「効いたはずだぜ、今のは!」
(だが、僕らが相手にしているのは……)
「ダストダス。攻撃するのを待っていた。恨み、攻撃」
ダストダスの眼が赤く輝いた瞬間、「カウンター」に宿っていたパワーが凪いでいく。
「……使える回数を減らしやがった……。だが、その程度で!」
「まだだ。ダストダス、痛み分け」
ダストダスへと黒い瘴気が浮かび上がり、ルガルガンの魂を吸引する。その攻撃にルガルガンの体力値が恐るべき変動に晒された。
(……痛み分けは体力を均等に分ける技……。なんて事だ……。今のルガルガンは何個も状態変化をかけられている。こんな状態で、さらに体力を激しく変動させられたら、身体の中の神経が暴れ出す……)
「どうなるって言うんだ!」
「分かっていないようだな。戦いを仕掛けた割には素人か。まず一つ。威張るによる、脳細胞の攻撃神経の活性化。それによって既に能力は制限されている。さらに、何度も自分に訳も分からず攻撃し、消耗している。それだけではない。催眠術で、今のルガルガンは眠りと覚醒の狭間。そんな中で、痛み分けと恨みでまともに攻撃も繰り出せない。今のルガルガンの身体を維持するポケモンの神経系はズタズタだ。それでも攻撃を誘発すれば――」
その赴く先にエイジは震撼する。ダムドは認めたくないのか、声を張り上げていた。
「ルガルガン! どっちでもいい、もうミルホッグは限界だ。今度はダストダスを蹴散らすぞ!」
「その前に、お前は思い知る事になる。ダストダス、ダスト――シュート!」
その腕が汚染物質を掴み取る。振るい上げられた汚泥がルガルガンに浴びせかけられた。
ルガルガンはようやく催眠による眠りから脱しかけたところで、その腕を前に垂らし、足を重く引きずる。
「……ルガルガン?」
(……毒状態だ。しかもまだドヒドイデの毒が解毒していないせいで余計に……。今のルガルガンはまともな戦闘状態じゃない。退いたほうがいい戦いもある)
「何言ってんだ! エイジ! ここで退けば、何のために旅に出た? まだセルの一個にも遭遇してないってのに、オレの指示通りに動けば、勝てる芽はあるって言って――」
(それでも! 勝てない事もあるんだ……。今のルガルガンに無茶はさせられない!)
「……何を一人でぶつくさと。言っておくが、お前が喧嘩を売ったんだからな。相棒の怪我の代償くらいは払ってもらおうか。素人ジェネラル!」
ダストダスが再び、汚泥を手にし、そのまま拳にして突き上げようとする。とどめを刺すつもりなのは容易に想像出来た。
エイジはダムドへと声を弾けさせる。
(ボールに戻せ! ダムド!)
「……退けるかよ。こんなところで! 退けるかってんだ!」
叫んだダムドはエイジの身体から抜け落ちていた。いきなり身体感覚の戻ったエイジがよろめいたその時には、四つ足の獣形態になったダムドが身体より無数の青い矢を番える。その矢がダストダスに殺到し、その身体を射抜いていた。
「……ダムド」
(……勝てりゃ、いいんだろうが)
「な、何だ、そのポケモンは……! どこから出てきた?」
「……退いたほうがいいですよ。こいつは、僕でも抑えられない」
それは純粋な警告のつもりであったが、相手はそう思わなかったらしい。怪我をした仲間を引き連れ、言葉を吐き捨てる。
「お、覚えていろ! ギンガ団に楯突いて、ただで済むと思うな!」
逃げ去った相手まで追いすがるほどの体力はない。エイジはふらつくルガルガンをボールに戻した。
「……ごめん、ルガルガン。こんな戦いを強いて……」
ダムドは周囲の好奇の眼差しに唸りを上げ、警戒を白濁の眼に浮かべる。
(人間共が……。このまま噛み殺してやろうか!)
「やめろ! ……ダムド、お前も戻ってくれ。今回ばかりは、僕らの敗北だ……」
ダムドは舌打ちを滲ませ、だが、と声にする。
(……勝っただろうが)
「……こんなもの、勝ち星とは言わないんだよ。お前だって分かるだろ」
ダムドがゲル状化し、エイジへと吸い込まれていく。エイジは人々の視線に耐えかねて駆け出しかけて、少女達に声を掛けられていた。
「あ、あの……! 助けてくださったんですよね……?」
「……助けたなんて高尚なものじゃないよ」
「でも! お礼がしたいんです! だよね!」
二人組はどこか気後れ気味に頷く。どうやら二人旅らしい。人垣を抜け、リッカが追いついて声を放つ。
「エイジ! ダムドは……」
「……ちょっと込み入った事態になっちゃったみたいで……。ダムドは……」
「さっきのポケモン……凄かったっす!」
興奮気味に語る少女にエイジは困惑していた。ダムドを――ジガルデを晒してしまった。それだけでも随分と失策だと言うのに、どう説明すべきなのだろうか。考えている間に、少女らは声にする。
「ネネ達は、カエンシティに戻ってきたんです。その……ジェネラルの旅に疲れちゃって……。一旦、故郷で落ち着こうって話になって。あっ、もしかして今日の宿をお探しですか? ポケモンセンターなら、ただで宿泊出来る施設の紹介もしています! だよね?」
「あ、……うん。そうっす……そういう経緯があって……。でも、助けてくださって感謝っす!」
ボブカットの少女の声にエイジは出来るだけ穏便にこの状況を抜けようとしたが、無理のようだ。
騒ぎを聞きつけて、警察を呼んだ市民がいたらしい。このままでは騒ぎが大きくなるばかりである。
「こっちへ! 故郷なので、抜け道ならば多少は!」
先導する少女に、エイジは困惑しつつリッカに目線を振り向ける。彼女は、躊躇いつつも頷いていた。
「……ダムドの事も出来るだけ口外しないように言わないといけないし……」
「……こっちも余裕ないよね。ゴメン、案内してもらえるかな?」
「はいっ! こっちっす!」