第三十八話 浮かぶ選択肢
カエンシティをまともに訪れたのは初めての事で、エイジは真昼間の街中をもの珍しそうに眺めていた。
そこいらに暖色の煉瓦を用いた外観は素直に文明的な街並みである。ハジメタウンが田舎町と言われる所以がどこか分かった風な気がして、嘆息をついているとリッカが肘で突く。
「おのぼりさんみたいよ。……まぁ、事実そうなんだけれどさ」
「……まぁ、僕だって、カエンシティを初めて来たわけじゃないけれど、滅多には来なかったから」
この物流の時代、ハジメタウンにいても事足りる事のほうが多い。ポケモンセンターはあるし、ある一定の教育は受けられる。ジェネラルレベルも、4までならば取得可能なハジメタウンの環境は決して悪いものではないだろう。
ただし、そこから旅に出るとなれば別である。
ランセ地方は横長の地形をしており、自分達のいるカエンシティは南の地域に当たる。そのためか、温暖な風が流れ込んできていた。それはこのカエンシティが元々、カエンの「国」と呼ばれていた事に由来する。
「見て、リッカ。温泉だってさ。そこいらに沸いているんだ……」
感嘆していると、リッカはため息を漏らす。
「授業で習ったでしょ。カエンシティは元々、カエンの国だって。そう呼ばれていた時代には、もっと特殊な地形だったって聞くわ」
(おい、エイジ。メスガキ。国って何だ? ランセ地方はシティという区分で分かれてるんじゃねぇのか?)
今は自分の中にいるダムドのテレパシーにリッカはやれやれと肩を竦める。
「ここにも学のないのがいたか」
(バカにするんじゃねぇよ。オレはテメェらより長く生きているつもりだ。何ならカロスの歴史をそらんじてやろうか)
「でも、ランセ地方の事はからっきしなんでしょ?」
それには言い訳が出来ないようで、如何に弁の立つダムドでも口を噤んでいた。
「ランセ地方は、元々十七個の国に分かれていたんだ。国って言う区分はランセ地方独特で、他の地方で言うシティやタウンと言う行政区画と同じだと思ってくれて構わないよ。で、その国をブショーって言う、今とは違う価値観の人々が争い合っていた」
「それもこれも、一国一城の主を決めるために、ね。その頃はポケモンも出しっ放しだったったらしいけれど、詳しい文献資料は残っていなくってね。鎖国政策をかなりの長期間に取っていたランセでは、他の地方みたいに伝承も明確にはなかったのよ」
(伝承……、伝説のポケモンや幻のポケモンってのも、ここにはねぇって事か)
その背景にはザイレムで聞かされた真実が影響しているような気がしていた。
――ランセ地方の人々はジガルデの養分であり、共栄関係にあった。
にわかには信じられなかったが、自分やリッカにジガルデが容易に馴染んだ事からも、その仮説を裏付けるものはある。
しかし、と暗く考えを巡らせていたエイジに、ダムドが声をかける。
(おい、エイジ。何、ぼうっとしてやがる。ここから先には、さすがに連中だって黙っちゃいねぇはずだ)
「連中って……」
「ザイレムとか言う、地下組織でしょ?」
(それもあるが……コアやセルの宿主だ。さすがに辺境地までは来なかっただろうが、ここならば可能性はある、って言ってんだよ)
「遭遇するって? まさか」
冗談にしようとしたエイジにダムドは慎重な声を出す。
(いや……分かんねぇぜ。案外、そこいらに張っていたりしてな。セルの宿主がいても、対面しないとどういうセルなのかの分析は不可能だ)
「対峙すれば分かるっての?」
リッカの問いかけにダムドは鼻を鳴らす。
(大概は、な。ある程度でしかない。結局、吸収するまでそのスートが何を司っているのかはオレも全くの不明のままだ)
「頼りにならないわねぇ……」
(放っておけ。エイジ、オレが言いてぇのは、ここから先は闇討ち、他、何でもありってこった。そういうヤツらと戦うのに、今のままじゃ少しばかり足りねぇ)
ダムドの言葉の赴く先をエイジは予見していた。
「戦力の拡充、か」
(ハジメタウンの森が理想的だったんだが、あの状況じゃ仕方ねぇ部分もある。問題なのは、ルガルガンだけじゃ勝てない局面に立たされた時、どうするかって話だよ)
「対抗タイプのポケモンを所持しておく必要がある、って事よね? だったら、あたしのフローゼルで……」
(いざって時、他人の手持ちなんざ当てにはならねぇさ。エイジ、テメェが使えるポケモンを増やしておけ。何だっていいワケじゃねぇが、このままじゃジリ貧の戦いになる)
それは理解もしていた。先生のカプ・コケコに勝てたのは結果論だ。あそこで負けていても何らおかしくはなかった。
「分かっているけれど、カエンシティでは……」
街並みにはポケモンの生息域があるとは思えない。せいぜい、地下水脈にダストダスやマタドガスが棲み付いている程度だろう。
「まぁ、焦らない事だと思うわよ。もっと捕獲に適した場所はあるし。それよりも!」
顔を引き寄せてきたリッカにエイジはどきりとする。
「な、何だよ……」
「エイジ、あんた忘れてない? ルガルガンは万全じゃないのよ?」
「あっ、そうか、ポケモンセンター……」
まだドヒドイデの毒が完全に除去出来たわけではない。前回の戦闘では優位に転がったが、完治していないポケモンを所持するリスクは推し量るべきだ。
「とりあえず、ポケモンセンターに行こう。そうすれば、おのずと見えてくるものもあるし……」
(当てがあるってのか?)
「街をぶらぶらしていてもしょうがないって話よ。ひとまずポケモンセンターで情報収集と行きましょう」
駆け出したリッカにエイジは声を潜める。
「……リッカ、あれで多分、浮かれているんだろうな……」
(浮かれている? メスガキがか?)
「……僕に合わせて、旅に出なかったのは何となく分かっているからね。きっと、本来ならもっと早く旅に出るべきだったんだと思う」
(感傷か。テメェら、そういうのが好きだな)
ケッと毒づくダムドにエイジは尋ねていた。
「でも、ダムドだってこうして旅に出られてよかっただろ? きっと、僕らに必要な試練だったんだ」
(試練ねぇ……。ま、いずれにしたって、オレはテメェの身体を最大限に利用する。そのスタンスは変わらねぇからな)
「僕だって同じだ。……ジガルデコアの争奪戦。ただ静観するつもりはないよ」
ひとまずはポケモンセンターだろう。そう思って駆け出した、その時であった。
「おいおい! 何、ぶつかっておいて粋ってるんだ! お前!」
怒声が響き渡り、エイジは足を止める。そこにいたのは水色の髪の男達であった。彼らはジェネラルと思しき少女二人を囲い、笑みを浮かべている。
「詫びってもんがあるだろ? ジェネラルならなおさらなぁ!」
「大人に詫び一つも出来ないで旅に出るってのは無謀じゃないかねぇ?」
三人組の男達の高圧的な物言いに少女らは委縮している。周りの大人達は見て見ぬ振りを貫いていた。
「……彼ら」
(メンドー事だな。無視しようぜ、エイジ)
「いや、僕は……」
踏ん切りのつかないエイジにダムドが息をついた。
(……テメェも余計な事に首を突っ込む性質だな。言っておくが、オレはやめとけって言ったぜ?)
「分かっている。でも……」
歩み出たエイジに三人組が反応する。
「あの……そういうの、よくないと思うんですけれど」
自分でも渇き切った喉から発した言葉に緊張する。相手は声を張り上げていた。
「こいつは! とんだ正義漢の出現か?」
「おいおい! 見たところジェネラルレベルも高そうにない、とんだガキじゃねぇか。そんな奴が俺達! ギンガ団に指図するって言うのか?」
服飾に「G」の意匠を携えた三人にエイジは威圧されそうになりながらも、ぐっと前へと踏み出す。
「そういうのって、弱い者いじめって言うんじゃないんですか」
「弱い者いじめ! こいつは笑える! 聞いたか、おい!」
「俺達、ギンガ団が弱い者いじめだと? そういう言いがかりってどうなんだ? なぁ、おい! そこいらの善良な民衆の方々よぉ! 俺達がそう見えるか?」
人々は顔を伏せて関わり合いを持たないようにしている。それを、ホラな、とダムドが声にする。
(ヒトなんて何てことはねぇ、自分かわいさにいくらでも残酷になれる)
「……でも、僕はそうなりたくない」
「ぶつくさ何言ってんだ! ぶっ飛ばすぞ!」
張り上げられた声にエイジはびくつきながら、ホルスターのモンスターボールへと指をかけようとする。それを目にして相手は嘲笑した。
「まさか、俺達にポケモン勝負をしかけようって腹か? このお坊ちゃんは!」
「三人対一人で勝てるとでも思ってるのかよ!」
「……でも、僕は……」
「おい! 聞いてんのか! てめぇ!」
胸倉を掴み上げられた瞬間、意識は内奥に閉ざされていた。
舌打ちを発したのが自分なのだと理解した時、相手の腕をひねり上げていた。
「……エイジ、言ったろうが。やるんなら徹底的にやれって。こういう手合いは分からせてやったほうが早ぇ」
髪が逆立ち、スペードの意匠が瞳に宿る。こちらの態度が急変したせいか、相手がうろたえた。
「な、何だ、お前!」
「何だじゃねぇよ、ごろつき共。テメェら、分からせたいって言うんなら、抜きな。そうすりゃ、ハッキリする」
「なっ……! 後悔するぜ! ギンガ団の俺達に、ポケモンを出させるなんて――!」
「うっせぇ。行け、ルガルガン」
ホルスターから外し、転がったモンスターボールを踏みつけて起動させる。飛び出したルガルガンがまだ威嚇態勢にあったギンガ団の一人に飛びかかった。
岩を尖らせた一撃を相手の肩に見舞う。
血潮が舞い、残り二人がハッと構えていた。
「お前!」
「構えが遅ぇよ、クソッタレ。そんなんで何が出来るって言うんだ? オレに見せてくれよ。そこいらのごろつきと何が違うのかってよ」
「野郎……。ポケモンを出していない相手に攻撃なんざ……」
「そいつぁ、ちゃんちゃらおかしいな! テメェらの始めたケンカだろうが! 口出せねぇなら最初からオレに関わるんじゃねぇよ。弱ぇヤツらほど粋りやがる」
ふぅ、と嘆息をついたダムドにエイジは声を投げていた。
(平和的解決をしないと! ダムド!)