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第三章 試練前夜
第三十五話 ジャッジメント・ワン

 声の主は女である。帽子を目深に被った女が路地に佇んでいた。

「……何の事だか」

「しらばっくれても無駄よ。あなたがそのゲル状の物体を、いくつも身体の中に飼っている事はこちらにはお見通しなのだから。凄まじいわね、確認出来るだけでも三つのスート。そして今手に入れたスートで四種揃った。あなたは、ジガルデセルを飼いならしている。その強靭な精神力で」

「……ジガルデ……何だって?」

「とぼけているのかしら。それとも、本当に分からない? 分からないまま、それを集めている? 相当な使い手なのは知っているけれど、まさかそこまで無知蒙昧で?」

 女がフッと口元に笑みを刻む。レオンは無感情にそれを眺めていた。

 ――否、無感情にはなり切れていない。今吸収したゲル状の物体を含め、今まで吸収してきた同じ形状の者達が鼓動に根を張り、脈打っている。

 そして脳に告げるのだ。

 ――この女も同じだ、と。

「……君は、何を知っている?」

「全てよ、ジャックジェネラル、レオン・ガルムハート」

「全て、か。随分と傲慢な物言いだ」

「それでも、あなたよりかはそれに詳しい。我々に同行していただこうかしら」

 いつの間に展開していたのか、武装した兵隊達が自分を包囲していた。銃口は既に全身を狙っている。

 その立ち振る舞いから素人ではない事を予見した。

「……失礼。君達は俺に何をさせたい?」

「何も。セルを渡しなさい。それでカタがつく」

「だとすれば……渡せないな。これが何なのか、俺も知りたくってね。だが誰に聞くわけにもいかなかったんだが……君達が教えてくれるのならば話は早い」

「勘違いをしないで、ジャックジェネラル。お願いをしているんじゃないのよ。これは命令。絶対的な、ね」

 女は手を掲げる。その一動作で引き金が一斉に絞られるのが、レオンには窺えた。

 だからこそ、ホルスターからモンスターボールを引き抜いていた。緊急射出ボタンが赤く明滅し、そして起動する。

「――行け」

 飛び掛かった影が瞬間的な速度を伴わせて、銃撃を全て弾き落としていた。水色の雷撃を身に纏い、その影は屹立する。

 周囲へと電撃が四方八方に放たれる。兵隊が倒れ伏し、無力化されるのを女はどこか予定調和とでも言うように眺めていた。

 レオンは青く滾る稲光の徒である相棒のポケモンに命じる。

「……やるぞ」

 途端、雷のポケモンは飛びかかっていた。その速度は尋常なものではないはずであったが、女は軽く姿勢を沈ませ、そして跳躍する。

 人間とは思えぬその跳躍力にレオンは手を払っていた。

「油断するな。相手も使い手だ」

「その通り! ジャックジェネラル、あなたの輝かしい功績もここまで! 行きなさい! エンニュート!」

 飛び出した漆黒の獣に電磁を纏いつかせた疾駆は黄金に輝く拳を放つ。しかし、命中の手ごたえよりも先に訪れたのは違和感であった。

 周囲を満たす紫色の煙幕にレオンは咄嗟にハンカチを口元に持っていく。

「これは……毒ガスか」

 神経毒が瞬時にこの空間に充満する。それは恐らく味方の被害も鑑みていない攻撃であろう。女は指を弾いていた。

「正解、これは毒ガス。私はね、決定的なもの以外は信じていない。だから攻撃の命中率も極めて高いものを優先する。今は、あなたのポケモンを毒状態に晒し、そしてその正体を看破する必要があった」

 動きの鈍った雷撃のポケモンを、エンニュートと呼ばれたトカゲポケモンが尻尾を払って攻撃する。青い息吹を帯びたその一撃にレオンは歯噛みしていた。

「今度は竜の怒りか……」

「確実に! そして的確に敵を葬るのが、私の流儀! 私の名前はエージェントLこと、レナ! レオン・ガルムハート。あなたはここで、全てのセルを私に献上して死ぬのよ!」

 稲光の加護が離れていく。露になったのは、全身に稲妻を走らせる黄金のポケモンであった。

 そのポケモンの名をレナが紡ぐ。

「なるほどね。ゼラオラ。速度に秀でた雷ポケモン」

 ゼラオラが構え、再び攻撃姿勢に移ろうとするのを、レオンは制していた。

「待て、ゼラオラ。今の神経毒、ともすればこちらの攻撃射程を操られる可能性もある。ここは慎重に行くんだ」

 しかし、主人であるはずのレオンの言う事を聞かず、ゼラオラはエンニュートに全力攻撃を見舞おうとする。

 拳が照り輝き、エンニュートへの至近戦に躊躇わずに向かったゼラオラに、レオンは声にしていた。

「既に布石は打ってある、というわけか」

「その通り。先の神経毒はゼラオラの行動を抑止するだけではなく、その行動を完全に我が物とする事にこそ、意義があった。エンニュートが毒ガスに混じらせていたのはベノムトラップ。毒状態の相手はエンニュートの指令に逆らえない。それだけではなく――」

 エンニュートへと見舞った拳から電撃が凪いでいく。思わぬ光景にレオンは絶句する。

「……攻撃が弱まった……」

「ベノムトラップで攻撃神経を最小限に留めた。これでゼラオラは私のエンニュートに、傷一つつけられない!」

 ポケモンはその行動の一つ一つに、特殊な神経を使用する。それこそがポケモンが「技」を行使するために必要なものであり、そしてポケモンセンターで回復出来る要因なのであるが、それを先んじて封じられたとなれば、今のゼラオラは牙を抜かれたも同義。

 否、ただ単に攻撃を弱められたのならばまだいい。今回の場合、攻撃は弱められたが、戦闘本能は研ぎ澄まされているのだ。

 昂ぶった神経をゼラオラは制する術を知らない。

 ただ闇雲にエンニュートへと攻撃を浴びせかけようとする。平時ならば高圧電流を纏っているはずの足技が弾けるが、今はただの飛び蹴り。威力は半減以下である。

 それをエンニュートは受け止め、そのままゼラオラを地面へと叩きつけた。

 粉塵が舞い散る中で、ゼラオラの身体より電撃が放出される。

 自らでも制御出来ない電流が作用し、路地を粉塵爆発が満たしていた。思わぬ爆流にゼラオラの体力が削り取られる。

「……自らの電撃で自らを傷つける……」

「エンニュートの恐ろしさは堪能したでしょう? さて、あなたが素直にセルを渡すと言うのならば、ここまでにしてあげてもいい。どうするの? セルを渡すのか、渡さないのか」

 問いかけにレオンは迷いなく、頭を振っていた。

「……俺にもこれが何なのかはよく分からない。だが、君達のような野蛮人に、渡してしまってはいけないのだと、それだけは理解出来るとも」

 その言葉振りが意外でもなかったのだろう。レナはフッと笑みを浮かべていた。

「そう言うと――思ったわよ。じゃあ殺して奪うわね! 私の中に眠るジガルデセルよ! レオン・ガルムハートの持つセルを賭け、彼にゾーン戦を挑むわ!」

「……ゾーン戦?」

 疑念が形になる前に、レオンは周囲の景色が掻き消えているのを目にしていた。コブシシティの路地や今まで戦っていた場所が上塗りされ、その代わりに現れたのは青白い宇宙である。

 地面も存在しない常闇で、レオンは中空を掻いていた。レナはセルを用いて地面を得ている。

 エンニュートも慣れているのか、行動不能に陥っているゼラオラを尻尾で絡め取っていた。

 その尻尾より青い炎が迸る。「りゅうのいかり」が実行され、ゼラオラの体力を確実に奪っているのだ。

「ここで潰えるのがお似合いかしら? ジャックジェネラルとは言っても、その程度なのね。私達には決して勝てない。あなたは確実な手段をいくつも見過ごしてきた! エンニュートを倒すつもりなら、もっと早くに本気になるべきだったわね」

 エンニュートが粘液を纏いつかせた口腔部を開く。ゼラオラを、丸呑みにする気なのだろう。レオンは言葉少なに、その事実を前にしていた。

「……俺に分かる事は少ないが、それでも三つだけ。一つは、この空間は特殊だ。先ほどまでの現実の物理法則は意味を成さない」

「それは正解。ゾーンの中に入る事が許されるのはセルを持つ宿主とコアを持つ者だけ。兵隊達や一般人は関知する事さえも出来ない。この領域で! あなたは孤独に死に絶えるのよ!」

 ゼラオラへとエンニュートは頭部から齧り付く。牙が軋り、何度も身体を仰け反らせ、ゼラオラをその腹腔へと呑もうとした。

「……もう一つは、このゾーンと言う場所ならば、何が起きようとも誰にも分からないし、誰もそれに異議を挟めないという事だ」

「それが分かったところで何を! もうゼラオラは完全に呑み込まれた!」

 エンニュートがゼラオラの身体を丸呑みする。その瞬間、レオンは面を上げていた。

 勝負を諦めていない双眸にレナは息を呑む。

「何故! ここに来て何の希望があると……」

「ゼラオラは攻撃を下げられ、そしてエンニュートの毒でその速度も制されている。通常に考えるのならば、優位な状況とは言い難い」

「そ、その通り! だから敗北だと……」

「しかし、俺はこの状況を最大限に利用する。エンニュートはゼラオラを呑み込んでしまった。それは胃液で確実に殺すための手段なのだろう。実際のところ、その目論見は半分成功していたと言える。だが俺のゼラオラは、もう既にその攻撃への準備を完遂していた。攻撃ではなく、丸呑みした。その事で、ゼラオラには攻撃の契機が生まれた」

 エンニュートが不意によろめく。何度も口を開き、その喉から引き出されたのはゼラオラの腕であった。

 粘液を浴びてもなお、輝く流星のような青白い電撃の腕が、エンニュートの体内から伸びる。

「まさか……」

「ここで決める。プラズマ――フィスト!」

 雷撃の一撃がエンニュートの体内を焼き、その胃の腑から電磁が吐き出されていた。

 再び水色の稲光を宿らせたゼラオラがエンニュートの眼前に屹立する。

「……でも毒は受けた! エンニュート! ベノムショック!」

 ゼラオラの身体に埋め込まれた毒が作用し、その身から無数の毒の槍が引き出される。しかし、ゼラオラはあろう事かその毒槍を握り締めていた。

 途端、毒槍が反転し、雷エネルギーの塊となる。

「プラズマフィストは、無属性エネルギーを補填し、雷へと変換する。ゼラオラは今、単純な属性変換は通用しない。そして、自ら電気を生み出し続けるゼラオラは! その特性、蓄電によって、体力は回復する!」

 特性「ちくでん」は電気攻撃を受ければ体力の回復する代物だ。この時、ゼラオラはエンニュートによる攻撃を電気タイプへと変位させ、自らへの攻撃とした事で回復を果たしていた。

 レナがうろたえたように歯噛みする。

「だから何! 言っておくけれどこのゾーン内で、他の物質は扱えない!」

「そのようだな。だから最後の一つだ。ゼラオラがどれだけ強靭な電力の攻撃を振るおうとも、誰かを傷つけそして破壊する恐れがないのならば……ゼラオラはこれまでにない本気を扱う事が出来る」

 途端、逆立った青白い電撃をゼラオラは放出していた。その攻撃網にレナが舌打ちする。

「放電、ってわけ……」

「違う。これは放電攻撃ではない。ただの――蓄電行為の延長線だ」

 そう、何の攻撃でもない。これはゼラオラ本体が抑え切れない電撃を、体表に纏っているだけの事。ゼラオラの身につけている電流のオーラが増してゆき、やがてそれは龍の形状を成した。

 ゼラオラの両腕に宿った龍が咆哮し、エンニュートへとその攻撃を浴びせかかる。

「逆鱗」

 ゼラオラの「げきりん」がエンニュートの疾駆を捉えかけて、相手は身を沈めて回避していた。

「素早さは依然として下がったまま! そんな大振りで捉えようなんて!」

「そう、大振りでは当たらない。だから、蓄電で最大まで電撃を蓄えておいた」

 電流が爆発的に増大し、ゼラオラの攻撃射程が跳ね上がる。倍増した射程に咄嗟には反応出来なかったのだろう。

 エンニュートを捉えた「げきりん」の牙に相手は反撃さえも儘ならない。

「こんな事って……」

「あまりこういう事は言いたくはないんだが、言わせてもらおうか。――レベルが違う。このまま貴様を――ジャッジメントする」

 ゼラオラの攻撃によって浮いたエンニュートの躯体へと凄まじい勢いでラッシュが見舞われていた。

 ゼラオラが高速の青い稲光を引きながら拳を叩き込む。

 吼え立て、その拳が雷光を拡散し、エンニュートの身体を完全に焼き尽くす。その時点でゾーンとやらは閉じていた。

 恐らく勝敗が決したからであろう。レナはエンニュートを戻し、口惜しげに奥歯を噛みしめている。

「まさか、こんな事が……」

「俺も意外であった。あんな空間での戦闘は初めてであったが、なるほど、これが、セルと言う奴か」

 自分の中に宿った不可思議な物体。それの生み出した謎の空間。なかなか完全に把握するのは難しかったが、ここで勝敗が決したのだけは確かであろう。

「……殺しなさい。あなたには権利がある」

「いや、君は殺さない。それはジェネラルとしてでもあるし、それに俺は殺さないほうがいいと、判断した」

 その言葉にレナが狼狽する。

「……殺そうとしたのよ?」

「だからだ。俺は殺されるような巡り合せには見当がないが、しかし、この身体にいくつか宿っているジガルデセルとやらには興味がある。それを解明するのに、俺だけでは足りない。君達は組織なのだろう? ならば俺に宿ったこれを、説明出来る人間がいるはずだ。案内してくれ。それが勝者の条件だ」

 何と言う、とでもいうようにレナは言葉を失っている。レオンはボールゼラオラを戻していた。

「これで、もう君を害する気はないと信じてもらえたか」

 まさしく隙だらけである自分を、強襲する事は可能であろう。しかし、レナはそれを命じさえもしなかった。

「……完敗って言うのはこういう事を言うのね……。いいわ。ジャックジェネラル、レオン・ガルムハート。あなたに我が組織、ザイレムへの謁見を許可します。……それと、これは個人的な興味なのですが……あなたはこれまでも、このような戦いを?」

 その問いかけにレオンは即座に応じていた。

「これがジャックジェネラルとしての、振る舞いと言うものだ」

 迷いなく放った言葉にレナはなるほど、と首肯する。

「それが、この地のジェネラル達の頂点に立つ者の、目線と言うわけ」

 兵隊達が起き上がるが、誰一人として攻撃に移る者はいなかった。レオンは彼らに導かれる間際、タクシーへと身を翻す。

「……勘定を忘れていた。お代を」

 タクシー運転手は払われた千円札をじぃと凝視したまま、茫然としていた。

 レナが微笑みかける。

「死にかけたのに、お代?」

「死にかけても、ルールだけは破ってはいけないはずだ」

「生真面目ね。でも、それがジャックジェネラルとしての矜持と言うわけ。いいでしょう。レオン、あなたは私達、ザイレム上層部より話を聞く権利があります。そして知る事になるわ。このランセ地方で今、何が起こっているのか」

 その言葉振りにレオンは自ずと胸が高鳴っているのを感じていた。



オンドゥル大使 ( 2019/07/24(水) 21:19 )