第三十四話「レオン・ガルムハート」
写真をお願いします、と言われ、彼は佇まいを正す。この街では自分のような人間は目立つだけか、と内心感じながらも快く応じていた。
「構わない」
写真をねだった女子高生達は黄色い歓声を上げていた。
「ジャックジェネラル、レオン様と写真が撮れるなんて……!」
「別段、気にするでもないよ。いつでも写真程度ならば請け負おう」
その姿勢も相まってか、女子高生達は興奮しているようでもあった。レオンは写真を撮り終えてタクシーを呼び付ける。
その姿勢でさえも流麗。道行く人々が足を止め、それぞれに写真を撮っていた。それを諌めるでもなく、レオンはタクシーが動き出して、息をついていた。
「お疲れですか? すごい人気ですね、ジャックジェネラルと言うのは」
タクシー運転手の声にレオンは手を払う。
「皆が俺の事を信頼してくれているからこその身分だ。甘んじて受けよう」
「そういうのも含めて、なんでしょうなぁ」
レオンは流れる街並みを視野に入れていた。コブシシティはランセ地方でも内陸部に位置しており、その交通の利便性から、かつての戦国の世においても物流の中心地に程近かったと聞く。
このコブシシティを経て、さらに南部――カエンシティなどへと物流が至るのだ。必然的に流行り廃りも激しく、時にはその時流は自分達ジェネラルをも巻き込む。
トップジェネラルとして活動するのに、必然的な移動手段は車や鉄道であったが、ランセ地方ではコブシシティより北部でしか鉄道は機能していない。
やはりまだまだ発展途上の地方であると言う印象は拭えず、その結果、他地方の後追いになっている文化は数多い。
ジェネラルの扱いもその一つであり、ランセ地方独特のものでありながら、他地方におけるコーディネーターやブリーダー、四天王と言った役割がない交ぜになっており、結論として何を名乗ればいいのかが悩みどころであった。
トップに位置するのは自分を含め、たったの五人。
ジャックジェネラル――それは自分ともう一人。そしてその上に立つクイーンジェネラルは女性二人。
さらに頂上、王者の風格を持つ者、キングジェネラルは一般的に公表されていない。
この五人の中で唯一、他地方にも、ましてやランセ地方内部でも極秘に扱われているのがキングジェネラルだ。
だが、その五人でさえも、ジェネラルの真の意味での頂点である最高峰の位――エースジェネラルには程遠い。
エースジェネラルを名乗った者はこのランセ地方の歴史の中で存在しないのだ。
他地方で言うところのポケモンマスターに相当する地位は、やはり伊達ではなく、身勝手に名乗ろうものならば、自分達五人が黙ってはいない。
それほどまでに格式高い、ジェネラルと言う身分でも、ここ数年では混迷の時代にあると言われている。
カントー、ジョウトなどで偏在化してきたトレーナーの受け皿の不足。それがこのランセ地方でも顕著になってきていた。
ジェネラルの身分になるのは勝手だ。誰でも名乗れるが、それを名乗った以上はジェネラルとしての活動を強いられる。
自分達のようなトップジェネラルではない者達はスポンサーの後ろ盾もなく、彼らは日々困窮の中にあると聞いていた。
無論、レオンとて最初からトップジェネラルであったわけではない。
幾つもの試練と苦難を乗り越え、その先に掴んだ身分だ。簡単に手離すつもりもなければ、誰かにくれてやるほどに執着がないわけでもない。
だが、トップジェネラルの行き着く先は自然と他のジェネラル達の模範であった。
自分達がしっかりと見本を見せなくては、他のジェネラル達は居場所を失う。そのためには絶えずメディアに出演し、そして人気を勝ち取るのが先決であった。
この苦労を要らぬ気苦労だと思った事もない。必然的に力を持つ者は他者へとその姿勢も含めて、模範となる必然性に駆られる。
自分はこのジャックと言う称号を穢すつもりはない。少なくとも自分ではないはずだ、と思っていた。
「しかし、大変ですよね、レオンさん。あなた方トップジェネラルは他の地方にも行ったりと聞きますが」
「ああ、先日はカロスに視察に出かけた。彼の国は進んでいる。技術の進歩と、そしてトレーナーの先進的な統合も含めて勉強になったとも」
「ジェネラルである以上、他地方との交易も仕事、ですか」
「人の上に立つんだ。それなりだろうさ」
しかし、とレオンはこのコブシシティの街並みをその視界の中で捉える。ジムリーダーのような分かりやすい力の象徴がないこの地方には、やはりと言うべきか争いは絶えない。
今しがた、荒々しい気性の男達がサラリーマンを捕まえて路地に入っていくのを確かに目にしていた。
「……止めてくれ」
「レオンさん。ああいう喧嘩には、あなたみたいな……」
「俺でなければ誰がやる。それに、見てしまったものを見なかった事には出来ない」
タクシーを降り、レオンは真っ直ぐに路地裏へと向かっていた。サラリーマンが三人の男達に囲まれ、恐喝されている。
レオンは声を張っていた。
「やめるんだ!」
その声に男達が振り返って息を呑んだ。
「なっ……レオン・ガルムハート……」
「君達、恥ずかしいとは思わんのか。見たところ、ジェネラルのように感じる。それなのに、弱い者を集団で襲うなど」
男達はどこか気後れした様子であったが、そのうちの一人が歩み出ていた。
「何か文句でもあるんですかねぇ、トップジェネラル様直々に。我々下々の事は、放っておいてもらいましょうか」
額に入れ墨をした男からは他の者達とは違うオーラを感じる。レオンは瞬時にその実力がジェネラルレベル6相当である事を見抜いていた。
「……見過ごせるものか。彼を置いて、立ち去るといい。しなくていい怪我までするぞ」
「あ、兄貴ぃ! 相手はトップジェネラルだ! さすがに敵いっこねぇ!」
逃げ腰の二人に対してその一人はどこか自信を持っていた。まるで勝てるとでも言いたげな昂揚した眼差しである。
「うるせぇよ。それに、野良試合でのせば、さすがのトップジェネラルの名も地に堕ちる。ここでハッキリさせましょうや。なぁ! レオン・ガルムハート!」
男がモンスターボールを投擲した。レオンは身をかわし、飛びかかってきた影を目にする。
即座に狙い澄まされた水の銃撃に、レオンは軽くステップで回避していた。
顕現したのは虫の躯体を持つポケモンだ。目のような文様を持つ翅が特徴的な虫ポケモンがレオンを睨む。
「……アメモース。虫ポケモンか」
「それだけだと思うな! アメモース、ハイドロポンプで狙い撃て!」
水が練り上げられ、数多の砲撃網がレオンを襲う。レオンは後退し様にその攻撃軌道を予測していた。路地裏のアスファルトが抉れ飛ぶほどの威力に、ほうと感嘆する。
「それほどの力を持ちながら、何故いたずらに人々を害する。それが理解出来ない」
「理解してもらわなくって結構! あんたはここで死ぬんだからよ!」
アメモースが羽ばたき、風圧でレオンを吹き飛ばそうとする。
「この攻撃……俺をこの場から吹き飛ばす気か……」
「ポケモンも出さないで、嘗めた真似をするからこうなるんだよ!」
「……ポケモンを出す? 君は今、三つ間違えた」
「何が!」
アメモースの翅が高速振動し、レオンの身体を掻っ切らんと迫る。レオンは目を開き、その攻撃を紙一重で回避していた。それでも、その白色の服装の胸元が引き裂かれる。
「……一つは、俺達トップジェネラルにとってポケモンを出すという行為は、相手へのリスペクトありきだ。だからこんな野良試合で、ポケモンは出さない」
そのスタンスに相手は苛立ちを隠せない様子であった。舌打ちし、手を払う。
「じゃあ死ねよ! アメモース、蝶の舞!」
アメモースが翅を広げて舞い遊び、直後、風圧が刃の勢いを伴わせた。
「これで死ぬぜ! アメモース、虫のさざめき!」
アメモースが連鎖する虫の鳴き声と共に可視化された光線を見舞う。その一発は明らかに、レオンを捉えたかに思われた。
だが、レオンはそれでもポケモンを出す気配はない。
それどころか、アメモースに向けて真っ直ぐに駆け出す。
「勝負を捨てたか! トップジェネラル!」
相手の哄笑にレオンは冷静な言葉を返していた。
「もう一つ。これは野良試合だ。勝負には程遠い。だから、俺は、手持ちは晒さないし、それに君を倒すのは、ポケモンですらない」
投げられたのは一発のプレシャスボールであった。出現の予感に男が警戒した瞬間、ボールが割れ、内側から黒煙が噴き出す。
「煙玉……。煙幕程度で! アメモース! 吹き飛ばしちまえ!」
アメモースの全力の「ふきとばし」攻撃で路地裏に舞っていた粉塵が消し飛ばされていく。
その時には――レオンの姿もなかった。
「今の一瞬で、逃げたのか?」
首を巡らせた男は背後へと降り立った気配を感じる。その時には声が弾けていた。
「最後に一つ。俺は決して逃げない」
振り返る前に首筋へと放たれた手刀が命中し、男を昏倒させる。レオンは残った二人へと視線をくれていた。
サラリーマンを残し、男達が逃げ去っていく。それを見やってから、レオンは男の身体をその場に突っ伏させていた。
「……ジャックジェネラルの……」
言葉も出ない様子のサラリーマンへとレオンは手を差し伸べる。
「怖かったでしょう? もう大丈夫です。出来れば、あまり他言していただかないようお願いします」
サラリーマンは何度か頷いた後、路地裏から逃げるように走り去っていった。
恐ろしく密度の高い戦いに思われたのだろう。
実際にはレオンはポケモンを出してすらいない。戦いのレートに上がってすらいないのだ。
レオンは倒れた男へと手を伸ばす。
瞬間、男の胸元から飛び出したゲル状の物体が手を伝い、レオンの胸元へと至っていた。
「……やはり、これか」
男の闘争心を掻き立て、自分へと向かわせたのはこの物体の作用なのだ。レオンは胸元の表面で脈打つそれを無感情に観察し、そしてタクシーへと戻ろうとして声に阻まれていた。
「――あなた、それが何なのか、分かっているのかしら」